下の本文は このサイトの活動日誌『総括の準備 その2』の後半部分において使われたものです。 10年以上ホームページ運営を続けた著者が、自身の制作した膨大なWebコンテンツを「どうやって後世へ残すか?」という問題に突き当り、それに対する様々な思索や試行錯誤が綴られています。
過去に隆盛を誇ったウェブサイトでさえ あっさりと消えて誰もアクセスできなくなる現実。 いわんや自分のWebページも同じ道をたどるという当然の帰結。 現在進行形でWikipediaの脚注URLすら 次々とデッドリンク(死体)へ変わりゆく差し迫った事実…
殺処分問題啓発の為に作られたサイトであるにも関わらず、もう一つの切実な問題への解決策が著者の口から飛び出しました。
「 Internet Archiveを支援せよ! 」
(前略)
それともうひとつ、 Internet Archive のウェイバックマシンがWikpediaと並び、 ネット上において今後どれほど重要な役割を果たすか? ということにも触れておかなくてはならない。
そもそもWikipediaは情報の信頼性の担保として、 現実に発行された書籍 文献などの資料を引用しており、 その文献や資料にはネットにあるWebページも含まれる。 しかし 書籍を読むには図書館に行って本を借りるなり、 そこになかったらAmazonで注文するなどが必要だし 誰もが出典へ即アクセスできる状態でもない。 そして2018年10月時点で Internet Archive は、 Wikipediaの22言語版に含まれるリンク切れを Wayback Machine やその他ウェブアーカイブに含まれる アーカイブ版へと置き換えた数が900万を超えたと発表。 実際にWikipediaで調べ物をしていて 記事の下の脚注にあるURLをクリックすると、 リンク切れ という事は、もはや頻繁である。 昔の人達が運営していたホームページや 積極的に自サイトで情報発信を続けた人々の貴重な資料が、 今後 どんどんなくなって「リンク切れ」という屍に変わる。
![]()
私は今までWikipediaに散発的に寄付を行っていたが、 今年に入って毎月定額が引き落とされるよう変更した。 そして Internet Archive もWikipediaと並んで 今後のネット情報の信頼性を検証する為の 超 重要拠点になると悟ったので、 とりあえず500円をテストで寄付し、 ちゃんとPayPalから引き落とされたから さっき月額1000円のコースに申し込んだ。
まだ英語版しかないので、正確には10ドル
当たり前だが、Internet Archive は有料サービスじゃない。 寄付などしなくても 誰でもデータベースを利用できる。 ゆえに、これを読んでる諸君! どうか君にも全力で支援してほしいし、 後世に少しでも役立つものを残そうと願い、 その志に基づいてお金を運用する者は、 この人類最高レベルの頭脳を誇る 奇跡の大天才たる星野様が 自信を持って推奨する… Internet Archive を支援せよ!
このページもリンク切れになれば 将来はもちろん誰も読めない。 後世の人類に 「そんな事も考えずネット上で あれやこれや論じていたなんて… 昔の人って頭わるかったんだな~」 と、呆れた顔で見られるか。 「こんな事を見越してWebページが いつまでも見れるよう工夫したなんて… 昔の人ってさすがだなー!」 …と 尊敬されるかは、 この瞬間の我々にかかっている。
※まだ全て英語表示ですが、DONATE♥をクリックし、あとはGoogle翻訳でも使ってください。 寄付完了後に表示されるページが少しクセモノだったので、親切なオレ様が解説を入れておきました。
上記のように大層なことを宣っておきながら、このサイト(hosino-kanata.com)は現在、Wayback Machine からの巡回を拒否している。 だがそれは僕がウェイバックマシンを高く評価しているからに他ならない。
というのも、このサイトはある目的とコンセプトのもとに開設された場所であるが、管理人が作家という性質上、公開されているコンテンツの種類は多岐多様であり、逐一カテゴライズやジャンル分けをしてこなかったせいもあって サイトの現状は混沌そのものである。 私は「1000年先まで残るホームページ」を作りたいし、今まで手掛けてきた作品には千年に渡って読まれる価値のあるものも含まれている。 それとは別に資料や歴史として後世へ伝えたい情報や、証言としてのデータも刻まれている。 よって、ウェブサイト全体をある程度まとまった形式へと整え、何世代に渡ってアクセスされようと問題のない状態にしておかねばならない。 つまり書きかけの状態や それ以前のバラバラなデータを収集されては都合が悪いのだ。
最終的には再びインターネット・アーカイブにメールを出して巡回拒否を解除し、URLを一つも漏らさず Wayback Machine に収集させ、全コンテンツを恒久的に閲覧可能な状態へと完成させる。 目下、作り散らかした作品を一つ一つ査定し、単体に出来るウェブページは独立させ、出来上がったものはzipに圧縮し、別ドメイン(hosikana.com)へアップして暫定アーカイブを行っている最中である。 もちろん暫定アーカイブとは ウェイバックマシンにURLを辿らせ コンテンツを収集してもらう事だ。 現時点で Internet Archive の Wayback Machine こそ、一番信頼できるデータの保存方法にほかならない。
ここだけの話ではあるが、実はインターネットにルネサンスを興そうと画策している。 そのためにも、良い作品や文章というものは、情報の洪水やデータの雪崩に埋没したり流されてしまってはいけない。 なので、圧縮したデータを人知れずウェイバックマシンに終っておくだけでは不十分といえよう。 zipファイルは解凍後に誰でもすぐ使えてサーバーにも簡単に公開できるよう工夫した方が良い。 そうすれば保存する価値のある品々が後世へと伝わる確率はグンと上がる。 見る側の利益だけでなく、鑑識眼の備わった愛好家達が蒐集や保全や配布という形で お気に入りの作品へと関われるメリットも生ずる。
これはなにも美術や芸術や学術うんぬんに関した特別な事柄ではない。
あなたにも似た経験はないだろうか?
例えば絵が少し巧いおばちゃんが「絵が上手になるサイト」というページを作ったとしよう。
そこは親切丁寧に絵が上達する方法や技術が紹介され、おばちゃんの描いた温かみのあるイラストで溢れており、誰もが一度はアクセスするような素敵な場所だったとする。
ところがそんな良い品々も、サーバーの提供元やドメイン契約がどうのこうのといった諸事情で、すぐ消えてしまう。
サービスが終了、管理人が飽きた、やる気はあるが維持に時間が割けず衰退、自然消滅、などなど。
優れたコンテンツがいつまでも見れると思ったら大間違いで、むしろなくなる要素の方が圧倒的である。
かつては「絵 うまくなる方法」で検索すれば、そういった親切なサイトや素敵な場所への入り口に数多く巡り会えたはずだ。
しかし ルネサンスが興らず、悪貨が良貨を駆逐していくのであればどうだろう?
いずれそのような検索ワードを狙って上位表示されるように小細工しただけの下らない広告や、
マンガの専門学校への体験入学申込ページというような地獄への入り口が全てを覆い尽くし、暗黒時代が訪れるであろう。
…ひょっとして もう訪れてる?(笑)
とにもかくにも、まずは 物 が残らなければ話にならない。 残っても使えなければ意味をなさない。 ゆえに Internet Archive や Wayback Machine という基盤は、ルネサンスの前提となり得るし、惜しまず支援しよう!
自分のWebページより 再び一部引用させていただく。
インターネット・アーカイブはWikipediaと並んでネットの図書館や資料室、公文書館ともいうべき立ち位置です。 多くの書籍をデジタル化して保存する事業にも取り組んでおり、様々な出版社や版権に関する法的な問題とも戦っています。 将来世代への遺産を守るために活動している素晴らしい人々です。
僕は Wikimedia財団 と Mozilla と Internet Archive へ毎月の定額寄付をしていますが、もっとも額が多いのはインターネット・アーカイブです。 それほど有益な事業だと確信しております。— 時代のカルテ —命の現場— 「Webページへ編集した者より」
https://hosino-kanata.com/kakusi/jidai/#from_editor
また、私がルネサンスを画策するに至った熱い文章へめぐりあうことができたので、これも紹介しておきたい。
後世に長く残るよう、そして多くの人へ内容を理解してもらう為に、自分流に書き直して新たな文章へと編集したものである。
文学は死んだ — Literature is dead — 原題: 「宣言一つ」 原文: サロン・ド・ソークラテース 主幹 |
もちろん、これらは著者や版元から編集の許しや掲載許可など 一切もらっていない。
すべて勝手にやっている。
よく覚えておいてほしい。 これは持論であるが、この「勝手にやる」ことこそが、インターネットにおいてもルネサンスにとっても、あらゆる意味で重要となる。 というより“勝手にやらずにはいられない”はずだ。 Internet Archive の発表によると、Webページの平均寿命は たった3年と言われている。 上の「文学は死んだ」の元である「宣言一つ」は2004年に書かれたものなので、初めて読んだ時点で約20年も昔の代物だった。 これだけでも、私がなぜ「勝手にやらずにはいられなくなる」のか、わかってもらえるとは思う。 無論これはほんの一例に過ぎず、各自が勝手に取り組まねばならない動機は山ほどあるはずだ。 山ほど挙げても仕方が無いので、確実に言える大事なことを一つだけ選ばせていただく。 「まごついている猶予など もはや残されていない」という事だ。
もう一つ持論を持ち出させてもらうが、勝手にやらずにはいられなくなるような良いもの以外 とっとと消えるべきである。
これもまた覚えておいてほしいので、句にして発表させていただく。
とはいえ、後者に取り組む必要は全く無い。
先程も述べたように、ネット上においては「なくなる要素の方が圧倒的」なので、放っておけばエントロピー増大法則や市場原理が捌いてくれる。
私達が取り組む優先事項は、誰がなんと言おうと前者に他ならない。
良いものを増やすこと、残すこと、作ることへの専心こそ、創意や情熱も刺激され 健全たる復興の要となりえよう。
したがって、どこかで何か“良いもの”を見つけたのなら、すぐデータを保存し、できれば誰にでもアクセスできる状態へとアップロードもしてほしい。
君が才気や能力に溢れたアーティストや文芸者であるならば、その良いものを超える“善いもの”をも創り、新たに公開するというのも ルネサンスの一興だ。
あなたがもし「良いものは独り占めしたい」根性の持ち主で、後世の人々がこれら良品との接点を永遠に失おうと構わないという意向であれば、ここまでの話は縁もゆかりもない事柄なので、さっさと忘れてほしい。
では、なにをもって「良いもの」であるか? に関しては… このあとがきでは語り尽くせぬゆえ、興味のある人は活動日誌の方にて「コンテンツ論」「教養バンザイ路線」という概念で触れておりますので ご参照を。
※コンテンツ論
|
|
上記2つの記事はコンテンツについて語るために書いたものではなく、私の政治活動における総括の一環です。 また「コンテンツ論」という概念は便宜上そう呼び表しただけであり、本文中でその単語は出てきません。
2023.07.10 追伸
初版 2021.11.11
© 2009–2025 星野かなたのホームページ