第2話 令嬢と業人
父親が不在であるのをいいことに、順佑は我が世の春を謳歌していた。無論、一般的なそれとは多分に掛け離れた浅ましく愚かで幼稚な春である。
順佑は古びたスマホを使い、小説のようなものを執筆していた。
小説、とは呼ぶべきでない。無職になって以来、家族以外との会話が殆どない順佑に日本語を巧み操ることなど出来るはずもないのだ。
「おほぉぉぉぉっ!」
顔をだらしなく緩めてスマホを見つめる。墨で線を引いたような細い目をギラギラさせながら、その殆どを人工知能に書かせた、おぞましくも稚拙で幼稚な欲望・願望を込めた駄文に夢中で視線を走らせる。
「おほっ、この小説いい感じだでっ! オラはこうなるべきだで! オラは悪くないんだから! オラは被害者! オラのガチ恋女子はいる! ガチ恋リスナーは絶対にいる!」
順佑に惚れていると自称する財閥令嬢の姉妹が、彼を地獄のような現実から救い出し、逆恨みによる復讐の成就を手伝ってくれるというのがあらすじだ。
一体順佑のどこに好感を抱いているのか皆目検討も付かないながら、順佑を盲目的に慕う財閥令嬢の人物像は、彼以外の者の目には不気味極まりなく映るだろう。
悪の道へと落ちて、女性を道具のように扱う。それでさえ世間の不興を買うだろうが、順佑が人工知能に書かせたおぞましい駄文よりはマシだろう。悪漢を好む者や憧れる者は一定数おり、ピカレスクロマンというジャンルも確立している。
だが、順佑のそれは違う。
女性を道具のように扱いたいという願望を抱くと同時に、オラは被害者、オラは可哀想、オラは救われるべき存在、オラは正義……などと歪んだ妄執に囚われている順佑は『自ら志願して道具のように扱われることを望み、無条件に、無際限に自分を愛して敬う女性』を理想としていた。そして、そうした存在がいるに違いないと、いずれ自分の前に現れるに違いないと、確信していた。
「おほぉぉ、おほっ、ほほ!」
ジェオスミン(カビ臭の原因となる物質の一部)とアンモニアの臭気に満ちた汚らしい小部屋の中で、順佑は滑稽ながらも不気味な笑い声を上げ続ける。
どこか遠くで、子供の笑い声が響いた。順佑の醜悪な世界からは古びた一軒家を隔てた遠い先にある、明るい世界の音は、常人と比べて異様に低い位置にある彼の耳には届かなかった。
「おっ、ほほっ、おほ、おほほ、あへぇ、んおほぉぉ!」
順佑が、重度の精神薄弱者を思わせる所作で気が触れたように笑い続けるのには訳があった。人工知能に書かせた惨たらしい妄想の出来に満足しているだけではない。彼には確信があった。これをネットに公開すれば、大勢から絶賛され、書籍化、アニメ化、実写映画化、ととんとん拍子に進んで行き、今の惨めな人生を逆転させることができる。
「おほほっ、ほほぉぉぉ!!!!」
遂に。遂に、遂に遂に、アンチを見返してやれる! 本当のオラが評価される! みんなオラに憧れる! アンチは涙目!
邪悪に笑っていた順佑が、不意にぽかんとした間抜けな表情を浮かべる。スマホに届いた通知のせいだった。
「お……おほぉ!!」
それは人工知能に作らせた怪文書に登場する財閥令嬢のモデルとなったブーチューバーが、新たな動画を投稿したことを告げるものだった。
『リーナとレーナとルッツのアウトドアチャンネル』――大手アウトドアグッズメーカーの社長令嬢である天津里奈、怜奈の姉妹と、ルッツと名付けられた一匹のボルゾイ犬が様々なアウトドアを楽しむというコンセプトで運営されているチャンネルだ。
自社製品であっても駄目な点ははっきりと伝え、他者製品でも良い物は褒める、そうした姉妹の誠実な人柄や、アウトドアを楽しむ為のテクニックを学び、それを視聴者に共有する姿や、愛犬と共に利用出来る宿泊施設の紹介などで人気を博している。
順佑が彼女達に目を付けたのは、経済的に豊かであり、知名度が高く、若く美しい女性であるからだ。
順佑にはアウトドアを楽しむような感性や、動物を愛でるといった慈しみの心は備わっていない。彼の頭を占めているものは何時だって、極度の他責思考に起因する被害者意識だけだった。
内容は一つも理解出来ないにも関わらず、順佑はしばし動画を食い入るように見つめていた。
「だでっ!!」
モデルとした美人姉妹の姿を見ている内に、邪悪な願望がむくむくと膨らんでいった。順佑はスマホの画面を切り替え、人工知能におぞましき欲望をひり出させた。
アンチを含む大勢の視聴者が見ている配信の最中に、里奈とキスをする。そうしたシーンを出力させて満足したのか、順佑は嘴のように尖った唇の隙間から「フシーィ」と息を漏らした。
精神が昂ぶった順佑はドアに組み付き、常軌を逸した方法で己を慰め始めた。
財閥令嬢とキス! アンチは嫉妬スルッ! オラは勝つんだ! 本当のオラの人生が始まるだで! オラが書いた小説は、ただの小説じゃないんだ! オラの未来! オラの夢! オラの魂っ!
父親が不在であることも相俟って、いつになく激しくドアノブを痛め付ける順佑だったが、達する前に美人姉妹の姿を改めて目に焼き付けておこうと思い立ち、スマホを開いた。
「だ、だで……?」
順佑は強くスマホを握り締める。
画面の中では天津姉妹が、順佑の住まう田荷島(だにじま)のキャンプ場で撮影を行いたいと楽しげに語り合っていた。
「だでええええ!! 来た! 来た! オラのガチ恋が、オラのところに! オラが、オラ、オラとキスする為に!」
無論、天津姉妹は撮影の具体的な場所や日時は口にしていない。
だが、順佑は確信していた。
オラが知っているキャンプに今から行けば、財閥令嬢がオラの物になるだで!!
ニタァ、と笑みを浮かべ、順佑は行動を始める。
ベビー服とも揶揄されたことのある服に着替え、指貫グローブを嵌めると、ニタニタと笑みを浮かべたまま家を出る。長年の無職引きこもり生活によって衰えた足でフラフラとキャンプ場を目指す。
いやっ、オラが向かっているのは、オラの復讐劇の始まりだで!
順佑はそう信じてやまなかった。
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