第4話 天津姉妹の守護者
幸か不幸か、順佑の妄想めいた憶測は一部正しかった。
順佑がその貧弱な体に鞭打って汗水垂らしながら辿り着いた『月影キャンプ場』には天津姉妹が居た。
順佑は息を呑み、それから自身の身だしなみを確かめた。
か、完璧だで、オラの神コーデ!! 二人共惚れ直すに違いないだで! でも、二人がオラを取り合って喧嘩したらどうしよう……!
起こるはずもない事態を懸念してか、或いは単に声を掛ける勇気がない為か、順佑は木の陰から二人の様子を窺う。
天津姉妹は、本番撮影前の下調べを兼ねたプライベートな旅行としてキャンプ場に訪れていた。
タープを張った下に椅子とテーブルを並べ、少し離れた場所にコンロを設置している。コンロの上にはステンレス製の蒸し器が置かれており、蒸気が小さく立ち昇っている。姉のリーナこと里奈がその様子を見ている。
里奈はスカーフを巻いた白いブラウス、涼しげな青色のロングスカートといった格好をしている。大人しそうでありながらも整った顔立ちに、長く伸ばした栗色の髪を二つに分けて流している。そんな楚々とした雰囲気を大き目のイヤリングがアクセントとなってきゅっと引き締めていた。
里奈が蒸し器の蓋を外し、髪を耳に掛けて抑えながら中を覗く。
小判型のハンバーグ、シャトー切りにしたにんじん、くし形切りのじゃがいも、いんげんが美味そうな匂いを立ち昇らせている。
タープの下で椅子に掛け、田荷島の名産品であるいちじくのジュース片手にくつろいでいるのが妹のレーナこと怜奈だ。
怜奈は原色を大胆に使ったオフショルダーのオーバーサイズパーカーをゆるりと羽織っている。ショートパンツは長い裾に隠れており、白い太ももは肩と同様に露出している。髪は里奈と同じ栗色をしているが内側を桃色に染め、ツインシニヨンにまとめていた。ややつり目であることも相俟って、どこか勝気な雰囲気だ。
「どんな感じぃー? お姉ちゃん~」
「もう少し掛かりそうかなあ。でももう美味しそうだよ」
「そっかあ。何か手伝う?」
「うーん、まだ良いわよ。ハンバーグやお野菜は怜奈ちゃんが用意してくれたんだし、ゆっくりしてて?」
二人が朗らかに話す傍らの芝では、ボルゾイ犬のルッツが伏せている。陽だまりの中で自然の音や匂いを楽しむかのように穏やかな表情で眠っている。その細長いマズルの先に蝶が止まる。ルッツはぱちりと目を開けたが、小さく鼻を鳴らしてすぐに瞼を閉じた。
順佑は、そんな光景を暗がりから凝視している。
天津姉妹の体に粘つくような視線を這わせながら、邪心を膨らませてニタリと笑う。
里奈ちゃんのスカートに掛けたいだで! 怜奈ちゃんの太ももに痴漢したいだで!
順佑は無意識の内に、貧相な体の中でも殊更に貧相な部位を撫で付けながら、妄想を膨らませていく。
いやっ! すぐに出来るだで! だって二人はオラのガチ恋! オラに会う為にここに居るっ!
ブシィ、ブシィ、と唾交じりの荒い息を吐きながら、順佑は下卑た顔で天津姉妹の監視を続ける。
不審者の接近を知る由もない姉妹は楽しげに料理を進めている。
ふっくらと蒸し上がったハンバーグを、牛脂を引いて熱したフライパンへ移す。じゅわっ、と肉汁が爆ぜる音が鳴り、食欲を誘う香ばしい匂いが立ち込める。そうして里奈がハンバーグに焼き目を付けている横では、怜奈が付け合せの野菜にオリーブオイルと塩コショウで味を付けている。
「マジうまそーじゃん! 次の動画これで行こうよお姉ちゃん!」
楽しげに言いながら、怜奈が肩同士をくっ付ける。
「そうねえ。凄く美味しそうではあるのだけれど……もう少し工程を簡略化して、リスナーの方が手軽に真似られる様に出来ないかしら」
「ふふっ」
「どうしたの?」
「いや、お姉ちゃんさあ、リスナーさんの事マジ好きだよね」
「当たり前でしょう? 私達を応援してくれる方々なんだから」
野菜の味付けを終えた怜奈が、今度はルッツに与える為のステーキに手を付ける。脂身の少ない牛肉を味付けせず焼いていく。
その様子を細い目で見つめる順佑は、それを自分が食べるものだと何故か勘違いしていた。ここしばらく冷凍食品と、親の目を盗んでコンビニで買った菓子パン以外口にしていない彼にとってステーキは雲の上のご馳走だ。食べたいと願う余り、自分の為に用意していると思い込んだのだ。
ステーキです。意味不明なことを呟き、順佑は獣のように涎を垂れ流す。
「はーい、ルッツの分だよ~」
焼き上がったステーキを銀色の皿に載せてルッツの傍に置く。ルッツは体を起こしたものの、すぐには食い付かず、おすわりの姿勢でじっとしていた。尻尾ばかりは感情を隠し切れずに大きく振られ続けている。
いただきます。姉妹が明るい声音を揃えた。食事が始まる。
ルッツもステーキにかぶり付いた。
天津姉妹は味の感想や、工程の簡略化案などを話し合いながら肉汁たっぷりのハンバーグに舌鼓を打つ。
「そうだ、お姉ちゃん。ハンバーグをもう少し簡単にする代わりに、ハンバーガーにするって言うのはどう?」
その言葉を耳ざとく聴き取った順佑は狂喜した。
「ハンブーグー!」
順佑は、かつて運営していたブリジョボチャンネルに、大手チェーン店のハンバーガーをレビューする動画を投稿したことを思い出していた。
オラの、ブリのネタ使った! ブリネタ使う女子はガチ恋確定! オラのガチ恋! オラの物! オラの所有物! 天津姉妹はオラの所有物!
食事を終えた天津姉妹は食事やキャンプ場に関する所感などをスマホにメモしながらタープの下でくつろいでいる。
順佑が木の陰からゆっくりと這い出てくる。
オラの、オラの、オラの夢が! 本当のオラの成り上がりが始まる! オラのガチ恋! アンチの前で犯す! オラのもの!
天津姉妹の美貌にあてられてか、順佑の狂気が加速度的に膨らんでいく。
順佑の脳内と人工知能にひり出させた駄文の中にしか存在しない出来事が繰り返し思い出される。
あなたのガチ恋よ。そう告げる里奈の姿は現実だったか。私の全てを好きに使っていいの。そう笑った怜奈は現実だったか。ゲリラ配信を行なう中、姉妹が揃って大好きと言って左右から同時からキスをして来たのは現実だったか。否。否である。そんな現実は何処にも、どの瞬間にも存在してはいない。
音もなく忍び寄る順佑は、後片付けを始めたの里奈のすぐ背後へと迫っていた。
髪からほんのりと漂う甘酸っぱいシャンプーの香り、ふんわりとして主張しすぎない石鹸を思わせる香水の匂い。順佑は脳が煮え滾るような興奮に襲われていた。
フシィ、フシィ、と不気味な音を耳にした里奈は悲鳴を上げて尻餅をついた。
知らぬ間に、自分よりも頭二つ分ほど小柄で、老人のようにも子供のようにも見える不気味な顔を持ったベビー服のような物を着た不審者が至近距離に立っていたのだから怯えるのも無理からぬ反応だろう。
里奈の悲鳴を受けて、怜奈がそちらを向く。ルッツは跳ねるように起き上がり、全身の毛を逆立てると共に尾を高く伸ばした。それでも大型犬特有の落ち着きを持って、飛び掛ることも吼えることもせずに様子を窺っている。その顔には警戒の色が滲んでいる。
「な、なん、なんですか、あなた」
里奈が震える声で問う。
順佑は彼女の胸元を見つめてニタニタと笑いながらブツブツと呟く。
「ガチ恋……ガン突き……オラの……オラの……」
「お、お姉ちゃん」
青い顔をした怜奈が手を貸し、里奈を立ち上がらせる。
「フヒッ、フシィーッ、オラ、おばえら……! オラに尽くしやがれ!」
妄想と現実の区別が付かなくなった順佑は、天津姉妹が自分に恋していると信じて疑わず、平生は気の弱さ故に表に出ない傍若無人な本性を露にしていた。
「い、いや、だから、誰なのさ」
怜奈が里奈を庇うようにして前に立ちながら言った。
順佑は怜奈の肩や太ももにねっとりとした視線を這わせながら下卑た笑い声をあげる。
「おほっ、おほ、オラ、オラに、オラに舐めて欲しいんだで? だから出してるっ!」
順佑の顔付きと物言いとが余りにも不気味に感じられ、怜奈は自身の体を隠すようにして抱き締めて一歩後ずさった。
「い、いい加減にしてください! 誰なんですか? 何の用なんですか?」
「分からない……だで……? オラは二人のご主人様だで? ブリジョボプレイのブリだでええ!!」
唾を撒き散らしながら絶叫する中年男性の姿に怯え、姉妹は身を寄せ合う。そんな仕草がますます順佑を狂わせる。
「オラだで! あんたらオラのファンやろが! ガチ恋ファンなんやろ!? ハンバーガー!! オラのネタ使った!!」
「ブ、ブリジョボって……あの……!?」
呟いた怜奈の脳裏に、ネットで少しばかり見聞きしたブリ――順佑の情報が蘇る。幼稚な動画を尊大な態度で公開し、異常な傲慢さで多くの人々の不興を買い、女性への執拗なセクハラを行ない、迷惑系ヴーチューバーとつるんだりしていた男だ。最近では猫に玉ねぎを食べさせて中毒死させたという噂もある。
そのブリが異常な様子を見せながら自分達の前に立っている。その事実に恐怖する怜奈が里奈にしがみ付く。
「や、やばいよ、お姉ちゃん……こいつ……頭おかしい!」
ブチイッ!!!!
刹那、順佑の中で何かが音を立てて千切れた。
現実の天津姉妹が見せる反応を受け止められず、順佑は一層強く妄想こそが現実であると思い込んだ。その結果、順佑はあまりにもおぞましい結論を導き出した。二人は強引に犯されることを望んでいるのだ、と。
順佑はニタァと下卑た笑みを浮かべ、歪な形をした悪臭漂う象徴を露出させた。
怜奈が「うっ」と呻いて口元を押さえる。それと殆ど同時、ルッツが力強く地を蹴った。業人と姉妹の間に割って入る。怜奈が余りにも不気味な物をみた衝撃に耐え切れず、両手を地につけて嘔吐する。
僅かながらに正気を保っている里奈が悲痛な声を上げる。
「駄目! ルッツ! 噛んじゃ駄目!!!!」
ルッツは鼻先に皺を寄せ、牙を剥き出しにしながら順佑へと近付いていく。
天津姉妹に見蕩れてその存在を完全に失念していた順佑は今更のように怯えて後ずさる。無意識の内に醜悪な象徴を守ろうとしてか、衣服を戻す。
「駄目え!!!!」
里奈が泣きながら叫ぶ。いくら相手が不審者とは言え、大型犬が人を噛んで怪我をさせたとなれば穏便には済まないだろう。
ルッツは鬼の様な形相を浮かべ、全身から殺気を放っている。今の彼に飛び掛って来られれば、貧相な順佑でなくとも無事ではいられないだろう。
里奈がぎゅっと目を瞑る。
――しかし。
ルッツは眼前の業人よりも遥かに賢い犬だった。まるで里奈の懸念を理解しているかのように、一つ大きな声で吠え立てたのみで、後は姉妹を守護するかのように二人の前へ座り込んだ。
里奈は安堵して脱力する。だが、順佑はまだ近くにいる。ルッツのおかげで近付いて来ないとは言え、危機は去っていない。ボロボロと涙を零しながら嘔吐を続ける怜奈の背をさすりながら、里奈は通報を試みる。
だが、恐怖の為にか手は震え、スマホの操作は覚束なく、何度も落としてしまう。恐怖ばかりでなく焦燥感にも苛まれる里奈の目からも涙が溢れ出す。
このまま、あの人が我を忘れて向かってる様なことがあれば……。
頼もしい守護者が付いているとは言え、その命と引き換えとなってしまうようなことがあれば……。
絶望が里奈を蝕んでいく。彼女の不安は現実のものとなってしまうのか――否、世界はそう残酷なばかりではない。
通報は既に成されていた。
早くから順佑の存在に気付き、様子を窺っていたキャンプ場の管理人、月影が「浜谷家の穀潰しが悪さをしている」と警察に告げていた。
一人の婦警がもう間もなくキャンプ場へ辿り着く頃だった。
近況ノート
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