第4話 覚醒の王

  エラーで配信が切れ、静寂が訪れる。俺は、今しがた唇に触れた玲奈の柔らかい感触と、モニターに表示された天文学的な同接数に、完全に思考が停止していた。

「……どういうつもりだ?」やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。

「俺みたいな男と絡んで、炎上したいのか!? あんたまで、俺みたいに不幸になりたいのか!?」

 俺が受けた心の傷が、膿のように溢れ出す。人間なんて信じられるものか。

 玲奈は、潤んだ瞳で俺を見つめ返すと、少し怒ったように言った。

「……勝手なこと言わないでよ。神谷さんがアイドルプロデュースするって言うから、嫉妬しただけよ……責任、取ってよね?」

「……帰らせてもらう。世話になったな」

 その言葉の真意を測りかねた俺は、自らの不器用な優しさを、拒絶という刃に変えて、彼女と、この甘すぎる城から逃げ出そうとした。


 決意して玄関の扉を開ける。

 その先に、彼女が立っているとは、思いもせずに。


「お姉ちゃん! 配信見てたよ!? ズルいっ!」


 鬼の形相で仁王立ちしていたのは、学校帰りの莉愛だった。彼女は、ぷんすかと頬を膨らませ、俺と姉を交互に睨みつける。

「モデルの撮影、早く終わらせてタクシーで飛んできたんだから!」

「お姉ちゃんがキスでKくんを落す気なら、私は手料理で胃袋を掴むから! お姉ちゃん、昔から料理だけは壊滅的にヘタなんだからねっ!」

 そのあまりに子供っぽい宣戦布告に、玲奈は「そ、そんなことは…」と狼狽えている。

 修羅場の真ん中で呆然と立ち尽くす俺の、その緊張感をぶち壊すように、

 ぐぅぅぅぅぅ…。

 俺の腹の音が、情けなく響き渡った。


 その音に、張り詰めていた空気がふ、と緩む。莉愛がぷっと噴き出し、涙を拭いながら笑った。

「…そっか。お腹空いてるんだ。任せて!」

 彼女はキッチンに駆け込むと、冷凍庫から取り出した市販のハンバーグを焼き始め、その上に完璧な半熟の目玉焼きを乗せ、特製だというデミグラスソースをたっぷりとかけた。「はい、お待たせ! 私の愛情たっぷり、手作りハンバーグだよ!」と、満面の笑みで差し出す。


 その、温かいハンバーグを前にした瞬間、俺の目から、訳もわからず涙が溢れ出した。止まらない。

「え、どうしたの? Kくん?」莉愛が慌てて俺の顔を覗き込む。

「……莉愛の優しさが、身に沁みたのかしら」隣で見ていた玲奈の瞳も、潤んでいた。

「……ありがとう」

 俺は、嗚咽交じりに、それだけを言うのが精一杯だった。

「もー、口開けて、Kくん」

 莉愛はハンバーグを小さく切り分けると、俺の口元に持っていく。

 俺が素直に口を開けて食べると、肉汁とデミグラスソースの優しい味が口いっぱいに広がった。

「……美味い」

「でしょ! だから、男でしょ? もう泣かないの!」

 莉愛は、そう言って俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。


 食事の後、未成年である莉愛は家に帰る時間になった。執事の車が迎えに来るまで、俺たちは三人で玄関ホールで待機する。やがて現れた黒塗りのセダンに乗り込む直前、莉愛は俺の前に立つと、背伸びをして、俺の唇にチュッと軽いキスをした。

「……これで、おあいこだね、お姉ちゃん」

 悪戯っぽく笑い、彼女は車に乗り込んでいった。


 静かになったリビング。玲奈は俺を豪華な主寝室へと案内した。キングサイズの、巨大なベッドが鎮座している。

「……なあ、玲奈さん」

「何かしら?」

「悪いんだけどさ、こんなデカいベッド、落ち着いて寝れないんだ。別の部屋、ないか?」

 俺の庶民的な一言に、玲奈は一瞬、何かを言いたそうに口を開きかけたが、すぐに微笑みに変えて言った。

「……そう。わかったわ。こちらの客室を使って」

 案内された部屋のドアの前で、彼女は少し寂しそうに立ち尽くしている。

「どうしたんだ?」

「……何でもないわ。おやすみなさい、神谷さん」

 そう言い残し、彼女は自分の部屋へと向かう。シルクのパジャマに包まれた、その華奢な背中を、俺は何も言えずに見つめていた。


 翌朝、玄関ホールで二人を見送った俺は、一人でゲリラ配信を開始した。

「よう、お前ら。昨日の続きだ。今日は、この城のルームツアーでもするか」

 俺はシルバーカードキーを手にルームツアーを敢行。トレーニングジム、プール、そしてシアタールームの豪華さに、コメント欄と共に俺もテンションが上がる。『K、完全に成り上がったなw』『その家に住みてえ!』『家賃いくらだよw』。配信に夢中になるあまり、俺はシルバーカードキーをシアタールームのテーブルに置き忘れてしまった。

 チャイムが鳴り、配信をエラーで切った後、機材を運んできた業者をスタジオルームに案内するが、ドアが開かない。ポケットを探ってもシルバーカードキーはない。ダメ元で莉愛のピンクゴールドカードキーをかざすが、やはり開かない。

「カードキーのシステム、全然わかんねえ!」

 俺はそう嘆きながらシアタールームまで全力でダッシュし、シルバーカードキーを掴んで戻ってきた。


 昼過ぎ、玲奈に教えてもらった住所を頼りに、俺はタクシーで桐島弁護士の事務所へ向かった。

「神谷さん。お嬢様たちが来るまで、まだ少し時間がある。よければ、昼飯でもどうです?」

 タクシーを降りた俺は、桐島に連れられ、オフィス街の路地を歩いた。何を話せばいいのか分からない。弁護士相手に、どんな話題を振ればいいんだ? 俺が内心で焦っているうちに、会話もないまま、目的のうどん店に到着した。


 店を出て事務所に戻ると、ちょうど玲奈と莉愛が到着したところだった。

 広々としたオフィスで、桐島はノートパソコンの画面を俺たちに見せる。

「神谷さんへの誹謗中傷に関する発信者情報開示請求は、すでに着手しています」

 桐島が淡々と説明する中、玲奈は腕を組み、鋭い視線で画面の情報を分析している。莉愛は退屈そうに脚をブラブラさせていたが、自分の炎上の話題になると、悔しそうに唇を噛んだ。俺は、自分の運命が決まる話に、固唾を飲んで画面に食い入っていた。

「桐島、どれくらいかかりそう?」

「二ヶ月でなんとかします」

「もっと早くできないの?」

「お嬢様、これが限界です」

 帰り際、俺は尋ねた。「爆破予告の犯人って、わかりますか?」

 桐島は、黒縁メガネの奥の瞳を光らせた。「心配はご無用です。……抜かりはありません」


 事務所からの帰り道、俺はタクシーを呼ぼうとする莉愛の手を制した。

「もう、逃げる必要はないだろ? 三人で、手を繋いで歩こうぜ」

 俺が手を差し出すと、二人は幸せそうに微笑んでそれを握った。道中、「Kさんですか?」と声をかけてきた女子高生ファンと、俺は気さくに握手を交わし、一緒に写真を撮った。「アンチに負けないでください!」という声援に、俺は少し照れながら手を振る。その光景を、玲奈と莉愛は、少し離れた場所から、どこか誇らしげに、しかし、ほんの少しだけ複雑な表情で見つめていた。


 向かったのは、都心の一等地に佇む高級ブランドのブティックだった。

 莉愛にされるがままに着替えて試着室から出ると、俺は大きな姿見に映る自分を見て、思わず呟いた。

「……似合ってねえな」

 その一言をきっかけに、姉妹のコーディネートバトルが始まった。

「絶対こっちのストリート系が似合うって!」

「いいえ、莉愛。神谷さんには、もっと落ち着いた、知的なスタイルの方がお似合いよ」


 やがて決まった服に、再度着替える。俺が試着室から出てくると、さっきまで騒がしかった玲奈と莉愛が、息を呑んで固まった。

 そこに立っていたのは、もはや製氷工場で働いていた頃の、陰鬱なオーラをまとった男ではなかった。体に吸い付くようなシルエットの、上質な黒のセットアップ。インナーには、遊び心のあるプリントTシャツを合わせ、足元はシンプルな白のスニーカーで外している。自信のなさを隠すように丸まっていた背筋は堂々と伸び、何かに怯えていた瞳は、今は、全てを見透かすような鋭い光を宿していた。それは、まさに、これからエンタメ業界に君臨する、若き「王」の風格そのものだった。


 その変貌ぶりに、莉愛が目を輝かせた。

「Kくん、モデルとかどうかな?」

「いいじゃない。うちの系列のモデル事務所に、マネージャーとして話を通しておくわ」

「……マジかよ」

 俺の呟きは、二人の熱狂にかき消された。

 その時、俺の口から、無意識に言葉がこぼれていた。

「…玲奈さん。あなた、普段はスカートが多いけど、その服も素敵ですが、あなたの本来の魅力を、少しだけ隠してしまっている気がします」

「あなたは、もっと…強くて、華やかな色が似合う。こういう…」

 俺が選んだ大胆なドレスを手に取ると、玲奈は試着室へと向かった。出てきた彼女は、まるで「月」から「太陽」へと変貌したかのように、圧倒的なオーラを放っていた。

「……似合ってる、かしら?」恥ずかしそうに頬を染める彼女に、俺は見惚れていた。

「莉愛も。制服も可愛いけど、君の元気さを活かすなら、もっとポップな色使いで、少しボーイッシュな要素を入れた方が、ギャップで可愛さが際立つと思う。例えば、キャップを逆さにかぶって、ショートパンツで健康的な脚を見せるとか」

 制服姿の莉愛も、俺のアドバイス通りに着替えて試着室から出てきた。

「わ、すごい! これ、気に入った!」

 彼女は、ただの美少女から、誰も敵わない「無敵のアイドル」へと昇華されていた。


 これまで俺がネットの世界で、何千、何万というコンテンツを見てきた経験。その膨大なデータが、俺の脳内で**「プロデュース能力」**として蓄積されていたのだ。俺は、この時初めて、自分の中に眠っていた「才能」の存在に気づいた。


「お姉ちゃん、圭佑くんすごい…!」

 莉愛は興奮した様子でスマホを取り出すと、変貌を遂げた俺たち三人の姿を撮影し、こう呟いてSNSに投稿した。

『新生Kスケ、爆誕! プロデューサーは、神でした。#KスケPの神コーデ』


 その投稿は、瞬く間に拡散された。


 夜。リビングでは、玲奈がノートパソコンに向かい、驚異的な速さでキーボードを叩いていた。その隣で、俺と莉愛は固唾を飲んで画面を覗き込んでいる。

 カタカタカタ……ターン!

 小気味良い最後のエンターキーの音と共に、玲奈が静かに告げた。

「――できたわ」

 モニターに映し出されていたのは、洗練されたデザインと、俺たちの理念が完璧に表現された**「Kスケ『ガチ恋彼女オーディション』特設応募サイト」**だった。

「すげえ……」「お姉ちゃん、さすが!」

 俺と莉愛は、思わず感嘆の声を漏らした。

 その時、莉愛のスマホが鳴った。

「あ、爺がお迎えに来たみたい。私、もう帰るね」

 莉愛は名残惜しそうに立ち上がると、俺に向かって悪戯っぽくウインクした。

「オーディションの報告、楽しみにしてるからね!」

 そう言い残し、彼女は上機嫌で玄関へと向かっていった。


 静かになったリビングで、俺は玲奈と二人、ノートパソコンの画面を見つめる。時計の針が、運命の0時を指そうとしていた。

 SNSの熱狂を背に、玲奈がサイトを公開する。


 その、直後だった。

 ピコン、と静かな通知音が響く。サイト公開と同時に、一件の応募通知が届いたのだ。

 その応募者のプロフィール画面を開いた玲奈が、息を呑んで俺にモニターを向けた。


【氏名】佐々木 美月みつき

【応募動機】神谷さんの切り抜きを見て好きになりました。私を覚えてますか?


 そこには、スーツ姿で控えめに微笑む、佐々木さんの顔写真があった。美月、か。

 俺は、もはや怯えるだけの被害者ではなかった。

 SNSの熱狂が、世間が、そして何より隣にいる女神たちが、俺に自信を与えてくれていた。


 俺は、プロデューサーとして、自らの「過去」と対峙する時が来たことを知った。

「…オーディションに、呼んでくれ」


 それは、怯えていた青年の言葉ではなかった。

 自らの物語の舵を、自分の手で握ると決めた、覚醒した王の第一声だった。

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圭佑と女神の配信劇 浜川裕平 @syamu3132

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