日鉄はルールを決める米国につく 「鉄の交渉人」が論じる国家と企業

聞き手・山本精作

 新旧2人の米大統領がそろって反対に回る逆風を乗り越え、日本製鉄が米同業USスチールの買収にこぎ着けた。日鉄トップの橋本英二会長は1年半に及んだ米政権との交渉を振り返り、「政府が経済への関与を強めるのは世界共通の流れ」と話す。地政学的分断が深まる時代に、日本企業はいかに勝ち抜くのか。

 ――経営難から身売りに乗り出した、粗鋼生産量で世界29位のUSスチールを、世界4位の日鉄が買収しました。かつて世界一を競った両社の統合について、当初「阻止する」と明言したトランプ米大統領ですが、最終的には認めました。

 「トランプ氏には『米国の製造業を復活させる』という明確な目標がありました。これに応えようと、USスチールの設備への投資を約束しました。輸入品に高関税をかけるだけでは再生できないとも訴え、トランプ氏は、最後にはそれに納得して翻意し、買収を認めたのだと思います」

 「トランプ政権の一連の対応は個別特殊なものではなく、世界共通の新たな流れを背景にしたものです。政府が、産業政策を通じて経済・ビジネスへの関与を強める流れです」

 ――といいますと。

 「米中対立などの地政学リスクに対応しつつ、経済成長と地球温暖化防止を両立しなければならない。この二つの大きな課題への対応は、企業だけでも政府だけでもできない。官民が連携するしかないんです。中国は国有企業を優先する度合いを強め、日本も半導体産業を政府主導で再建しようとしています」

鉄鋼産業に目立つ政府介入、その「二つの理由」

 ――経済を、民間と市場に任せる傾向が強かった米国の転換は、特に際立ってみえます。

 「冷戦期に対ソ連の観点から日本を優遇した米国ですが、冷戦に勝つと、今度は経済的に強くなった日本をたたき、中国に優しくしてきました。自由貿易の拡大をめざしてWTO(世界貿易機関)をつくり、2001年に中国を加盟させました」

 「しかし、自由貿易の恩恵を最も受けた中国が強くなり過ぎ、軍事的にも対立するようになった。だから米国は方針転換に踏み切ったのです。この流れは大統領が交代した後も、共和党政権でも民主党政権でも変わらないとみています」

 ――企業への政府の関与は、特に鉄鋼業界で目立ちます。弱った鉄鋼会社を政府が助ける動きは英国や豪州にもあります。

 「理由は二つ考えられます。一つは、鉄鋼会社が破綻(はたん)した時の影響の大きさです。幅広い製造業が鉄を使って成り立っているため、その影響は広く及んでしまいます」

 「もう一つは、生産が余剰になりやすい産業構造です。国が工業化、都市化していく発展段階で、鉄鋼はなくてはなりません。当初は輸入でまかなうが、国産化したくなる。製鉄所は操業開始まで10年はかかるため、内需の伸びに加え、輸出を増やす分も含めた生産能力を構えます。ところが、新興国が発展すると内需はピークを過ぎ、生産能力が過剰になる。中国が今まさにその段階にあります」

 「中国の鉄鋼需要は世界最大ですが、20年をピークに縮み始めています。国有メーカーなどが、不動産不況で余った大量の鉄鋼を安値で輸出し、世界各地の市況を悪化させています。本来なら過剰な生産能力を減らすべきですが、政府は地方の税収や雇用への影響を考え、踏み切れません。市場原理がきかないのです」

 ――日鉄は中国事業を大幅に縮小しました。

 「採算が取れないだけでなく、技術流出の問題もあります。日鉄が誇る世界一の技術を追いかけてきているのは中国です。中国政府は国有メーカーのデータを中央に集め、先端技術の開発に公費を投じています。(粗鋼生産量で)ナンバーワンの宝武鋼鉄集団傘下の宝山鋼鉄と組んでいた自動車用鋼板の合弁は、日鉄の技術が流出する可能性が高いため昨夏に解消を決めました」

 ――世界3位の米国市場で日鉄は、USスチールによる現地生産の強化を通じ、本格開拓をめざします。米中分断が進む中、日鉄は「米国シフト」が鮮明ですね。

 「ビジネスは、国際的なルール、貿易のルールを見極め、その作り手に寄り添わないと負けてしまいます。米国の作ったルールの下で中国が強くなり、米国がルールを変えて中国が苦しくなっている。二者択一しなければいけない時に、日本が米国につくのは当たり前です」

 「米国市場や(世界2位の)インド市場を重視しています。人口の増加が予想され、鉄鋼需要の伸びが期待できます。加えて、中国と政治的に対立している米印の市場は、中国発の安値輸出の悪影響を避けられるという点でも重要です」

 ――約2兆円をかけたUSスチール買収ですが、さらに28年までに1.6兆円の設備投資を約束しました。バイデン前政権に示した4千億円から大幅に膨らみました。

 「大統領選で民主党は組合に大きく依存しています。全米鉄鋼労働組合(USW)との関係を重視するバイデン政権に対しては、組合員が働く製鉄所の更新のみを提示したのです。トランプ政権への約束には、組合のない製鉄所を含め、元から計画していた全ての投資案件を盛り込みました。USスチールの再生と発展に必要なものばかりです。これが買収承認の決め手になりました」

 ――米政府とは国家安全保障協定を結び、黄金株(拒否権付き種類株)も渡します。米側の承認なしに、米国での生産能力を削減しないことなども約束しました。

 「事業の拡大をめざす日鉄と、投資の実行を監督したいトランプ政権の思惑は一致しています。協定や黄金株によって、日鉄のやりたいことを阻害される、ということはありません」

 ――黄金株などでUSスチールの最大9人の取締役のうち3人について選任・承認する権限も米政府に認めましたが、将来的に足かせになりませんか。

 「最大9人のうち過半の6人を日鉄が指名する。何ら問題ありません」

 ――黄金株を発案したのは。

 「日鉄が提案しました。普通株と違い、配当のような経済権益はなく、トランプ氏が好む『黄金』という言葉が入っている。すごいものを取った、と米国民に説明しやすくしたのです」

 「USスチールは長く米国を支え、繁栄させてきた企業の一つです。米国が第2次大戦に勝った背景には、USスチールやフォード、デュポンといった企業に代表される工業力がありました。米政府が買収を承認するにあたって慎重のうえに慎重を期し、投資を監督しようとするのは当然です」

 「想像して下さい。もし、日本製鉄の経営が窮地に陥って韓国や中国といった外国の企業に買われそうになったとしたら。日本政府も経済合理性だけでは判断しないと思います」

 ――出資比率は100%にこだわりました。

 「USスチールの再建には先端技術の共有が必要で、そのためには第三者への技術流出を防げる100%出資が欠かせませんでした。多額の投資に見合うリターンを確保する観点からも譲れませんでした。もし認められなかったら買収そのものをやめる方針をトランプ政権に伝えていました」

 ――橋本さんは、摩擦やリスクを恐れない姿勢から「鉄の交渉人」とも呼ばれます。

 「私が社長を務めていた時、日鉄は自動車用鋼板を大幅に値上げし、インドの製鉄所買収にも踏み切りました。反対論はありましたが、何をやってもリスクはある。一番のリスクは、リスクを取らないまま会社が縮んでいくこと。競合よりもリスクをうまくマネジメントできる企業が勝者になるんです」

 「1979年に私が入社した当時の新日本製鉄は、世界一の鉄鋼メーカーであり、日本一の製造業企業でした。しかし、業界内での存在感は下がっていき、トヨタ自動車にも売上高で逆転されました。車用鋼板のトヨタへの営業を担当していた私は、逆転されたのは自動車メーカーが海外事業にどんどん挑戦してきたからだ、と思い至りました」

 「『縮小均衡』が間違いのもとです。縮小するだけでは、均衡なんてしません。縮小すると人材力が落ち、活力が下がり、さらなる縮小を生むんです。会社というのは、リスクを取って成長にチャレンジしないとダメになります」

 ――かつての日鉄は、必ずしも果敢にリスクを取りにいく気質ではありませんでした。

 「たまたま客観情勢が良かったからです。デフレで原料の調達コストが下がり、働き手もたくさんいて、賃上げしなくても人手を確保できた。金利も低く、一時はマイナスになりました。挑戦しなくても株主への配当原資を確保できました」

 「今はすべてが逆回転しています。物価が上がり、働き手は不足している。金利も緩やかながら反転した。配当原資を出すには、成長に挑戦するしかないのです」

 ――USスチール買収完了時の会見では「もう一度、復権する」と強調しました。買収で世界3位に迫りましたが、国内事業を含む今後の構想は。

 「海外事業の拡大と国内事業の維持は、車の両輪です。内需は減りますが、圧倒的ナンバーワンになることで国内拠点を維持し、脱炭素を含めた技術開発を担います。中国ではつくれない高級品の比重をさらに高め、設備の更新でコスト削減も進めます。そのために必要なカネは、日本だけでは稼げません。海外で事業を拡大して収益を増やし、それを国内にも還流させます」

 「かつて世界一になったころまでは、製鉄所をどんどん造っていました。しかし、1970年代を最後に製鉄所の新設はなく、誰ひとり経験がない。米国では新しい製鉄所を造ります。海外に人を送り込み、機会を与えることで、人材も育っていくのです」

 はしもと・えいじ 1955年生まれ、熊本県出身。79年に一橋大商学部を卒業し、新日本製鉄(当時)に入社。主に営業畑を歩み、輸出や海外事業も担当した。19年社長、24年から会長兼CEO(最高経営責任者)。

「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験
さらに今なら2~6カ月目も月額200円でお得!

この記事を書いた人
山本精作
経済部|素材産業担当
専門・関心分野
人口問題、地域経済、エネルギー、農業、鉄道
日本製鉄のUSスチール買収

日本製鉄のUSスチール買収

日本最大手の鉄鋼メーカー・日本製鉄の米鉄鋼大手USスチール買収をめぐるニュースをお伝えします。[もっと見る]