15-1 不定形の混世魔王1
扶桑樹の洞から目撃した風景の中に、黒い不定形が生じている。
巨大なる染みは当初、不定形のままで形を持っていなかった。が、時間経過と共に森のようなものを形成し始める。不定形が現れる前にも不気味な異形植物の森が突然現れていたが、その異形植物をすべて平らげた黒い不定形の森もまた奇妙で見慣れぬ森だ。輪郭が曖昧であるため正体は不明である。
そして奇妙な森の合間より不定形のまま流動する、液体モンスターがぞろぞろと出陣だ。
この世のものであって欲しくない光景でありながら見覚えがあった。
「あの時の不定形型か!」
黄昏世界に漂流しておよそ二週間。まだまだ見慣れない世界のビギナーだった俺と黒曜を奇襲して分断させた謎の敵が久しぶりに現れた。あの時は倒しても倒しても湧き出てくる液体モンスターに苦戦したため撤退するしかなかった。脅威度としては蟲星の怪生物に並ぶだろう。
正体も弱点も形さえも分からないが、今なら呼び名は分かる。
「混世魔王。それも最強格」
黒い不定形より漏れ出る対人類に偏った復讐心は混世魔王の特徴だ。類似の魔王と何度も戦っていれば判別できるようになって当然である。
けれども、不定形型は本当に混世魔王なのだろうか。
人類に対する復讐心が深過ぎるのだ。これまで遭遇した混世魔王の復讐心も決して浅くはない。ヒマワリも動物裁判の被告となった動物も復讐するだけの理由があり、魔王と呼ぶに相応しい力を有していた。それでも、不定形型は格が違う。深くて見通せない海の底のようで具体的に何が違うのかは定かではないのに、破格の化物である事だけは感じ取れるのだ。
「そんな奴が黄昏世界のたの字も分からない頃に奇襲してきたのか。よく生きていたな、俺も黒曜も」
はじまりの村の道中で魔王が襲ってくる程に大人気ない。それでいて、最初の襲撃に失敗した後は慎重になり闇雲に仕掛けてこない慎重さも有している。比較対象として四足獣の混世魔王がいるが、アイツは一度痛めつけてようやく攻撃を躊躇させられた。
「姿を見せたからにはそれなりの勝算がありそうだが。大方、扶桑樹とぶつかって消耗していると予想したのだろうが……あ、いや、腹に大穴は開いているんだが」
不定形型の襲来の衝撃が大きくて忘れていたが、俺って今、重症だったな。
人間らしく痛みで動けなくなる前に治療薬の請求を、背後に立つ長身の女に行った。
「扶桑樹、妖怪に堕ちた身でも奇跡の力、世界樹の慈悲は失っていないな」
「葉は失っても、樹液までは枯れていません」
伸びてきた枝から滴る樹液を手で溜めてから腹の傷口にぶっかける。主様の奇跡の樹液と遜色ない回復力を発揮して、血の色の蒸気が吹いて弱まる頃には臓器も筋肉も復元されていた。
「不定形型。お前の目論見は外れた。扶桑樹とは停戦済みだぞ」
正体不明の液体モンスターは数を増して地を埋める勢いだ。以前のごとく物量作戦がお望みらしいが、有象無象で世界最大の大樹とどこまで戦えるか見物である。
「混世魔王の相手をしてもらおうか、扶桑樹」
「アレは貴方の世界より召喚された異物のはずですが? 召喚して受肉させたのは御母様ですが、恨みを買ったのは異世界の人類です。私には敵対する理由がありません」
「人違いで俺を散々いたぶった贖罪の機会を見逃すつもりとは余裕だな?」
『斉東野語』が無効化された扶桑樹は苦い顔をした。俺への弱味は最大限使わせてもらおう。
扶桑機が腕を水平に伸ばす。すると、液体モンスターが走る先の地面が割れて、巨大な根が一本せり上がる。そのまま特にひねりもない質量攻撃で範囲内のすべてを潰していった。
「個々の液体モンスターは強くない。蝟集型ほどに弱くはないが、大半はオーク並みか」
液体モンスターの体はスライムよりマシなくらいでしか形を保っておらず、どうにか二足で歩いている奴が多い。そのため何となくという判断になってしまうが、人間とはあまり似ていない。ダチョウの方が似ているだろう。
もしかしてドードーやジャイアントモアが正体なのだろうか。人類の拡大により絶滅した動物であれば復讐者の資格はあるだろうが。
「大型も現れ始めたか」
ドードーとは明らかに異なるトラックのような液体モンスターが、発生源たる謎の森から出現する。突進により邪魔な扶桑樹の根を跳ね除けた。
別の場所ではキリンのような巨大な首を有する液体モンスターを視認できた。レパートリーが妙に多い。人類が滅ぼしてしまった動物の中にあんな大型生物はいただろうか。
「いけるか、扶桑樹?」
「大きいといっても龍と比較すれば容易いものです」
大型種に対しては大きな根を用いず、登攀用のロープのような根を何本も用意して絡めていく。足を引っ掛けて転倒させた後は首に巻き付けて窒息だ。
何だろう。敵でも味方でも強いな、扶桑樹。
対大群戦に弱い俺としては頼りになる。それに、人類復讐者職の対人類特効のスキルの数々は妖怪たる扶桑樹には通じない。扶桑樹は混世魔王をメタっている。液体モンスターの流出量が多くても、扶桑樹がいれば殲滅できるかもしれない。
「ふぅ。混世魔王の登場には驚かされたが、乗り切れそうだな」
「……えっ」
「えっ?」
楽観混じりの一息をついていたのだが、どうした扶桑樹? 手を引っ込める仕草を行って。コピー用紙の端で指先を切ってしまったみたいな動きだったが。
扶桑樹が見詰めている指を、俺も注視する。
人差し指の先が黒く変色していた。まるで凍傷によって壊死してしまったかのような色合いだ。
「毒が……ヒガンバナと同じ」
「毒??」
指先から根元へと伝わろうとする黒い変色。回復は間に合わず、むしろ浸食されているようだ。
早急な治療が必要……とはいえ、変色した指をブチっと千切ってしまうのは荒っぽくなかろうか。痛覚はなさそうとはいえ見ている側も痛い。人間体の動きをトレースしたのか地表の方では黒ずんでいた根が自切されていた。
不定形型に毒なんてあっただろうか。少なくとも扶桑樹が触れただけで壊死するような猛毒があったなら俺はともかく黒曜は無事でいられなかった気がする。
疑問符に対する回答は、いつの間にか隣に着地していた月桂花よりもたらされた。
「申し訳ございません、御影様。悪い知らせです。ヒガンバナがあそこの黒い液体に取り込まれました」
本当に悪い知らせだった。あのヒガンバナ、救世主職だっていうのに魔王に吸収されるなんて名折れではないか。
「誠に申し訳ありません」
「いえ、桂さんを責めている訳ではなく」
「ヒガンバナは天竜川出身の魔法使いで間違いありません。わたくしに対する復讐心に付け込まれました」
「あー」
混世魔王に取り込まれてしまったのはヒガンバナの責任であるが、ヒガンバナが復讐に走ったそもそもの原因が月桂花にある事は否定できない。深入りしても解決できない問題なので今は目を逸らす。
「ヒガンバナによって毒性が混世魔王に付与されたか」
「あるいは、元々、何かしらの毒性を有していたのを、ヒガンバナによって強化したのかもしれません」
混世魔王が己の強化のためにヒガンバナを取り込んだのか、偶然、ヒガンバナの属性と混世魔王の属性が一致していたのか。
どうあれ、ヒガンバナの毒魔法も加算されたとなると扶桑樹だけでは抑えきれない。半世紀もヒガンバナと拮抗状態だったのだ。そこに混世魔王が加われば形勢は大きく傾く。
「黒曜やクゥ達は?」
「要領が良いようで、こちらに向かって逃げていますわ」
一先ず安心だが、何もしなければ扶桑樹の本体付近まで液体モンスターがやってくる。
「とりあえず昼夜逆転の中止をお願いできますか?」
月桂花の仕業と思しき夜空の満月は、扶桑樹の無限成長を抑制するためのものだ。今の段階では無用の長物でしかない。
「御影様のお望み通りに」
月が地平に消えて代わりに赤色巨星が空を占有する。気温が高まって暑苦しくなった代わりに扶桑樹は活性化した。液体モンスターの体に巻きつく根が目に見えて増す。しばらく遅滞に専念してもらおう。
「混世魔王。どいつもこいつも厄介だな」
猶予は得られた。とはいえ、混世魔王を討伐するためには『正体不明』スキルを突破する必要がある。『正体不明』スキルに正体が隠されたままでは死さえ神秘というベールの向こう側に隠されてしまうため殺傷できない。正体が分からないままでは十三日の金曜日の化物や七日で呪う井戸女のように倒す事ができないのだ。
不定形型についてはそれなりにヒントは出ている。
不定形で黒い。
液体のように流動する。
動植物の群体でもある。
地面から無限湧きする。
そして、混世魔王は地球産であり人類に復讐心を抱いている。
ファーストコンタクト時は妖怪だと考えていたため思い至らなかったが……いや、まさかね。
まさか、それだけはあって欲しくない。
俺の脳裏に浮かんだ第一候補が不定形型の正体だった場合、俺の完全上位互換になってしまうではないか。
「どうされました、御影様?」
「いや、何でもあるから気にしない方がいい」
「はい、分かりましたわ。気にしません」
対策をすぐに思いつかない。今は逃げるか退けるかの二択だ。『正体不明』を解除して、混世魔王の正体を露にさせる事だけは回避である。
『――ふんっ。そのような弱腰で、この鉄火場をしのげるものか』
いつの間にか、遠くの丘より巨人が顔を出している。声が聞こえる距離ではないというのに、俺はどうして気付けたのか。
それはそうと、ユウ……なんとか。肩に担いでいる円柱は何だ? 何を遠投しようとして投擲モーションに入っている?
『――嘲笑を止めない愚かな人類よ。投げられるのに最適化された我が身と共に炸裂せよ』