13-5 赤い毒
どんなに体が超回復しても痛いものは痛い。普通の大学生の人間離れが進んでいる昨今であるが、身体を回復する事により人間性を維持する宝貝の効果により、精神性も並か大盛り程度の大学生に留まった状態だ。つまり、ちょっと臓物をいじくられただけでもかなり精神的に弱るのだ。
毎夜、理由不明ながらに扶桑樹による暴行は停止するものの、朝には再開されるという緩急が恐怖を増幅させてしまっている。
随分と憔悴してしまっている。自覚症状ありありだ。それでも体育座りのままガクガクと震える状態となっていないのは、紅という隣人がいるからに尽きる。
近場に見栄を張りたくなる相手がいなければ、こうして、どうにか作製した石器ナイフで髭を剃って身なりを整えたりはしない。
「顎、顎が斬れてんぞ、御影。おいっ」
「大丈夫―。大丈夫ぅー」
「髭なんてどうでもいいだろ!」
何を言うか。ダンディーに整えた髭と、ただの無精髭ではまったく違う。
髭剃りは自分のためではなく、自分を見る他者に不快感を与えないための礼儀作法だ。髪は難しくても髭ならただ剃るだけでも整う。異世界でも可能な礼儀作法はどんな精神状態でも行わせていただきたい。
他者の目を気にしていられる内は、きっとまだ俺は精神崩壊していないのだと信じられる。
と、危うい手元と切れ味最悪な石器で口元を血だらけにしている俺を見ていられなくなった紅が代わりに髭を剃ってくれた。馬鹿力ばかり目立つ彼女であるが、手先は器用だった。
身なりを整えた後は、夜の日課たる周辺探索へと出発だ。
「今日も二手に別れて――」
「ほら、肩貸してやんから。行くぞ」
「ええー」
そんなー。一人になった途端に泣く時間がないではないか。
酷い紅に支えられながら丘を登る。
これまでの二十日間、進展らしい進展はなかったものの、それでも多少の当たりをつけてはいる。
「扶桑樹による包囲は強固だ。地上も地下も厳重に警戒されていて突破はできそうにねぇ」
レインボーブリッジを吊るしている巨大ケーブルのごとき根からスーパーのゴボウまで、大小様々な扶桑樹の根が境界線上に這わされている。一度近づいてみたが、目もないのに獲物を捕らえる食虫植物のような動きで攻撃されたため、強行突破を断念した経緯がある。
「気になるのは警戒の厳重さだ。他に比べて南西方向が特に厳しい。何かあるんじゃねぇのか?」
「何かあるにしても、突破は難しいって話だっただろ」
「調べる価値はあるさ。きっと何かある」
この辺りで一番高い丘を登り切って、全周を見渡す。
紅が発見した通り、南西方向の根の数は確かに多い。編み込むようにして壁を作っているため、丘の上からでも向こう側を確認する事ができない。別の方角、北や東も時折ウネウネ動く巨大根に警戒されているが、それでも合間から向こう側の地形を確認できはする。
「厳重だと思わせて、実は何もないという意地汚い罠という可能性は?」
夜に俺達が探索している事は当然バレている。馬の前にニンジンを吊す遊びを俺達に対して扶桑樹が行っているかもしれない。妖怪の好みそうな事だ。
こういった話がある。水槽にネズミを放り込んで溺死するまでの時間を計測するという実験だ。特に何もしていないネズミは五分程度で泳ぎ疲れてすぐに溺死してしまう。だが、一度救い出して再び水槽に戻したネズミは、一度目の希望を体験しているがために十時間以上必死に耐えるらしい。
俺をいたぶるのを至上としている扶桑樹は、希望を装った罠により、長く俺をもがかせようとしているのではなかろうか。
「だとしても、他に何も見つかっていねぇ。南西に行くぜ」
「それもそうだな」
どうあれ、もがくしかない。他に怪しい地点もないため、俺達は南西に向かう。
精神疲労激しい俺を紅は甲斐甲斐しく支えてくれて、ゆっくりと丘を下っていく。
乾いた赤い砂利の大地は養分に乏しく思えるが、扶桑樹は気にした様子もなく大繁栄だ。近づけば近づく程に、根の規模感が分かる。根の壁は、タンカーを突っ込ませて炎上させたとしても突破できそうにない。
「変わった所は……ないな」
「遠くから見ていた通りではあるな」
根の壁の向こう側は近くに寄っても見えそうにない。隙間は多いのに、重なっている所為で奥が隠されている。
大量の根以外はやはり何もない。風が吹いて砂埃が舞うだけである。収穫は皆無。
「――赤い欠片……?」
何もないと思っていたが、砂の中に異物を発見した。最近、単色な砂しか見ていなかったからか、漂う暖色の違和感に気付けた。
風に乗って漂流しようとしている赤い何かを摘まみ取る。
「何だ、そりゃ??」
「花……花弁だ。そうとしか思えない」
指で擦った感じは花びらだ。ビニールとも異なり生地でもない。生物的な柔軟性がある。
「花ぁ? そんなもの、黄昏世界に自生できねぇぞ。育てる物好きな妖怪もほとんどいねぇから、鑑賞植物なんて絶滅危惧種だ」
この気候ではそうだろう。黄昏世界の外界で青々とした植物を見た例がない。タンブルウィードさえあっただろうか。壁村の中で育てていた野菜はあったが、花をつけるような種ではなかったはず。
扶桑では植生が異なるのだろうか。
あるいは、扶桑樹が開花でもしたのか。黄昏世界の劣悪な環境でも育つ植物と言えば、扶桑樹くらいなものである。
ただ、昼の段階ではそんな様子はなかったはずだ。それに主様の花は桜によく似ていると皐月達から聞かされている。地方都市の怪異になっているらしいが、それはともかく、主様と近縁種と思しき扶桑樹の花びらにしては、形状が合致しない。
花びらは、赤く細長いのである。
「どうして花が、こんな場所に」
「気になるといやぁ、気になるが。花ごときに構っていられねぇぜ。さっさと捨てちま……痛ィッ!?」
「どうしたんだ、紅」
「何だよ、その花」
俺から花を摘まみ取った紅が急に指を離す。
紅の指は深度2の火傷を負ったかのごとく赤く爛れていた。突然の出来事である。
舞い落ちた赤い花びらを再び、慎重に摘まみ上げる。触れた感じは特に痛くも痒くもない。
「御影、お前は大丈夫なのか??」
「俺は特に何も。本当にこの花が原因なのか」
「近付けんなよ。俺はもう触らねぇぞ。俺が火傷するなんてありえねぇ毒花だぞ、それ」
紅が辞退したので、テストのための代理を募集する。
丁度、その辺で壁を形成している根があったので、近づいておびき寄せた。
「やーい、きんぴらレンコン。あ、きんぴらゴボウと間違えたっ」
怒れる根が一本、急速に近づく。槍のごとく腹を刺してきたのを、紅に肩を押してもらって避ける。と同時に、素通り中の根を掴み取って赤い花を押しつけた。
「おおっ。根が、腐っていく!」
効果は劇的だった。
花との接触場所から根がグジュグジュに腐食して先端が分離する。根本の方にも腐食が進み動きが悪くなって地面に落下した。蛇口を捻った塩ビホースの方がまだ活力があり、明らかに弱体化した様子だ。
「世界樹を腐らせる毒花。すごいな、これ」
「俺はそんな毒花を普通に触れる御影の方がおかし……すげぇと思うが」