13-2 取っ組み合い
突然の襲撃に鼻頭を押さた紅孩児。頭突きをされたお前も痛いだろうが、頭突きをした俺の方が釘に頭をぶつけたみたいに鋭角に痛い。だというのに、鼻血一滴流さないくらいに頑丈な鼻が腹立たしい。
「捕食者が被捕食者に対して、意味の分からない怒りをぶつけてくるな!」
「てめぇ、やりやがったなッ」
「それはこっちの台詞だ。俺を喰っておいて吐き散らしやがって! 生産者の前で何してくれてんだ」
「生産者はてめぇの親だろうが!」
鼻を押さえていない方の手で殴られた。
元々、崩れかけていた後ろの壁を背中で壊して飛んでいく。地面に落ちた後も荒地をバウンドしながら別の崩れた建物に突っ込んだ。
眩暈に耐えながら、壊したばかりのブロック塀を手に取って紅孩児に向けて投げつける。
崩れた壁を蹴って現れた紅孩児は、投擲物を虫でも掃うように撃ち落した。
「牛魔王の娘の癖に弱い、とか言いやがったよな、てめぇ。だったら、弱い俺に殴られている無様なてめぇはザコだ!」
スキルを封じられた憐れな俺にマウントを取って嬉しいか。
精神摩耗しているが関係ない。紅孩児は分からせてやる必要性がありそうだ。パラメーターで劣勢であろうと関係ない。これは意地の問題である。
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▼御影
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“ステータス詳細
●力:280 ●守:130 ●速:437
●魔:122/122
●運:130”
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▼紅孩児
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“ステータス詳細
●力:821 ●守:411 ●速:357
●魔:1033/1033
●運:0”
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それに考えてみるがいい。
紅孩児は妖怪としてはかなりのハイスペックであるが、最上位の連中と比較すればかなりの格下だ。御母様はもちろん、父親の牛魔王や先程まで俺をリンチしてくれた扶桑樹よりも弱い。討伐済みの太乙真人にもいいようにやられていた。パラメーターの差などある程度はフレーバーだ。
ふむ。こうして考えてみるとどこに恐れる要素があるだろうか。『守』が高くて頑丈なら一発くらい殴っても問題ないと前向きに考える事ができる。よし、殴って分からせよう。
「なめてんじゃねぇッ!!」
不用意に近づいた途端、大型台風染みた風速が顎を掠めた。強靭なバネが生み出すアッパーカットが、パイルバンカーと見間違う勢いで振り抜かれたのである。
命中していたなら顎の骨の粉砕は確実。頭蓋も一緒に粉微塵になるので今後の流動食生活を心配しなくてもいいのはありがたいが、それってつまり、即死していないだろうか俺。
脳みそが吹き飛んだ場合、さすがの妖怪の宝貝もどこまで回復してくれるか。体に巻かれた鎖による自動回復により殴られた傷はもう完治しているが、散らばったニューロンネットワークまで回復できるかを試したくはない。
「こ、こ、殺す気かっ」
「ああ、死ね! 殺されないまま殺され続ける拷問生活を過ごすより、ここで死んだ方がマシだろう!」
紅孩児の奴、本気だ。本気の殺意を向けて俺を殺そうとしやがった。
不良娘を修正してやるつもりが、割に合わない状況に陥ってしまっている。
赤い夜空を背景に、血走った目で凝視してくる片角の鬼女。
背中に冷や汗をかいた半笑いの俺に向かって、見せた事のない歪んだ口元の大笑いで返してくる紅孩児。
獰猛さを露にキックで俺の腹を蹴り上げた。
無人となり長年放置された結果の廃墟が逆さに見える。夜空を飛びながらこの世の真理に達したが、ボールの方は絶対に人間を友達などとは思っていない。
空中半捻りでどうにか着地してみせたものの、さて、どうしたものか。
スキルなし。
武器なし。
仮面あり。
かなりの縛りが効いた状態で紅孩児を無力化しなければならない。レベルアップを繰り返した近年では感じた事のない緊張に表情筋が硬くなる。
「さあ、クソ救世主職。来いよ! それとも俺から行ってやろうか?」
腕を回して準備運動を終えた紅孩児が俺へと突っ込んでくる。闘牛のような戦法であり、障害物を蹴り飛ばす直進行動だ。動きは読み易くても、最短距離で突っ込んでくる暴力は恐ろしい。命がけの戦闘に慣れているだけの大学生が最小の動きで攻撃をいなして反撃……できるはずもなく、ある程度のマージンを加算して紅孩児の拳を避けてしまう。
精神疲労で足元がおぼつかない状態でなければもう少しマシだっただろうが、扶桑樹め。
「どうした、反撃してこいよ。俺の角を一本折った男だろうが!」
「スキルが使えねぇって知っているだろうっ」
「スキルが使えねぇなら、この程度かっ。情けねぇ!!」
色物が多いながらにスキルが増えた昨今、スキル頼りの戦闘ばかりだった。安定はしていても安易な戦い方だ。温いと思わなくもない。
もしかして、低レベルだった頃のように知恵と作戦だけで戦えなくなっているのではないか。こういった不安を正確に表した紅孩児の言葉に、心が大きく揺さぶられる。
……いや、実際、体が揺れている。
紅孩児が地面を強く踏みつけて地盤を破壊したためだ。地質が脆くて畳返しにはならなかったものの、足底の感覚がなくなって埋まっていく。踏み込めなくなった所為で回避に失敗し、紅孩児のストレートを頬にもろに受けてしまった。
皮膚が裂けて、口に直接侵入してきた拳によって頬骨が陥没する。すると、折れた複数の歯が散弾銃の弾のように口内で暴れ回って傷だらけだ。
ちょっとどころではない痛みに泣いてしまう。
「クソ親父以外に、肉弾戦で俺に勝てる奴がいるかよ」
倒れ込んだ俺を逃がさないようにマウントポジションを取る紅孩児。
逃げ出さなければ何もできないまま殺されてしまう。泣きながらも掴み取った砂を紅孩児の顔に向けて投げつけてやった……が、虚しい抵抗を思い知らせるために瞬き一つしやがらない。
「『力』は俺が上。『速』は多少劣るが、こうして体を押さえつけてしまえば意味がねぇ。このままお前が死ぬまで殴り続けてやっからよ。ありがたく思え」
勝利を確信した紅孩児は勝ち誇り、右の拳を振り絞る。
あっという間に勝負がついてしまったから、笑いたくなるのは仕方がないな。
「あばよ、死ねっ」
「――ブゥウウ」
紅孩児が笑っているからではないが、俺は吹き出した。
笑い、を吹いたのではない。
頬を殴られて生じた口内の傷。そこから流れ出していた血を溜めておき、今、一気に吹いたのである。狙って飛ばした血の塊が狂暴な女の口へと付着していく。
「て、てめぇ、汚ッ。美ッ、おえ――がはっ」
動揺する紅孩児は軽く殴っただけでバランスを崩した。
位置を入れ替えて、今度は俺が紅孩児をマウントしながら胸倉を掴んで殴りつける。妖怪の都に潜入していた時から身に付けているオリエンタルドレスは生地が弱く、ビリリと破いてしまった。頬の皮膚を破かれた制裁にもならないが。
「弱点の知れている紅孩児が、血がかかる肉弾戦をしてくるとはな。お前、アホだろ?」
「クソがぁッ」
激高して反射的に殴り返してきた。腹パンによって内臓が傷付き、喉を昇ってきた血を真正面のアホに向けて吹く。角度が悪くて口には届かなかったが、血が体に付着しただけでも筋肉を縮こませており、明らかに怯んでしまっている。
「おぇ、アホ女がッ」
「おぇ、クソ男がッ」
馬鹿力によって位置が無理やり入れ替わって、再び紅孩児が上になる。
殴られる前に紅孩児の口へと血を塗りたくった指を突っ込んでやる。咽頭らしきものを突けば、反射的に噛まれて痛い。ただ、出血した血を飲まされる紅孩児の方がより苦しげだ。
互いに位置を奪おうとして暴れ回る。
回り回って瓦礫の山へと到達した時、上を取り、紅孩児に跨っていたのは俺である。
首ではなく口を押さえて飲ませた血を吐き出させないように押さえつけた結果、ついに紅孩児は音を上げたのだ。
「ウウううゥ!!」
「俺の勝ちだと認めろ、紅孩児!」
「ウううっ、ウウウウううううゥゥゥッ!!」
口に突っ込まれた手の骨を折るのを止めた紅孩児は、抵抗する代わりに泣き始める。
骨が超回復するのを待って、どうにか手を引き抜く。と、紅孩児の第一声は――、
「――ひどい。や、やめてって、言っても、う。やめて、くれない。こんなの。……うう。うわあああっ」
――まるで暴力で脅された少女のような、しゃくり上げる泣き声だった。
俺の血で汚れて転げ回って引き千切れた結果、ドレスとしての機能を失ったボロを着た女が泣いている。
……何故だろう。真剣な戦いの跡だというのに事件性を感じる状況である。妙だな。