X‘-3 裏話
舞台の幕は下がる。元凶たる白骨夫人の退去により、炎の惨状は急速に落ち着いた。
黒い焦げ跡までは消えないが、熱エネルギーは霧散していき、地表は平熱へと近づいている。
「うッ。痛いッ、頭が痛いッ!」
妖怪も妖魔も徒人もいない、無人となったプロミネンスの跡地に響くミシり、という異音。まるで、巨木を巨大な万力でジワジワ締め上げているような、そんな異常な擬音が聞こえてくる。急速な温度変化を受けた大地の悲鳴だろうか。
「痛いッ、痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!! 頭が割れてしまうッ?!」
継続する軋む音。更に、硬い物体を何度も打ち付ける音が加わる。地表に太陽が現れる程の不可思議ではないので安心だ。
「私は村娘だ。私はただの村娘だ。そうだ、そうに決まっている。私は村娘だ。神罰執行くらい最近は誰でも使っている。ただの村娘だって何かの間違いで使ってしまう。使ってしまっただけ。そうに決まっている!」
赤い液状が弧を描く。
打ち付け続けて、ついに割れた額から飛んだ血である。プロミネンスの炎の弧ではないのでこれも不思議ではない。
「痛いッ。頭痛が止まらない! 痛い。私は村娘だ。痛い。私は村娘だ。痛い。私は村娘なんだ。痛い。痛い痛い痛い痛い痛いッ!!」
やや不可思議なのは、割れた額付近で光る円環だろう。
女の頭蓋を締め付け続ける円環は径を狭くして、ミシりと音を響かせる。
“――禁則なり。禁則なり。天の理に従うべし。汝のソレは禁則なり、許しを得てはいない。苦痛という罰則にて禁則を守らせるが、緊箍の役割なり”
「痛い痛い痛い痛いッ!!」
のたうつ体の元へと転がり、まるで心配しているかのごとく手先に触れてきたのは黒八卦炉の宝玉。番号は陸となっている。
白骨夫人の依り代であった黒八卦炉が無害化したものだ。重要かつ大切なものであるが、頭痛が酷くてそこにある事すら気付かれない。
“――禁則なり。禁則なり。禁を守るべし。行動を悔い改めよ”
「分かってるッ!! 私は村娘。私は村娘。ただの村娘で間違いないから。痛いッ。痛いから早く止めて!!」
光る円環に頭を締め付けられる拷問に泣いているのは、ただの村娘なのだろう。きっと、そうに違いない。
“――禁則なり、禁則なり。汝は、村娘なり。かくあるべし”
――地球、地方都市、某所
黄昏世界より帰還を果たした紙屋優太郎は、軽くなったマイバックを片手に地方都市を貫く天竜川の川辺を訪れた。川辺に向かう途中で召喚されてしまったが、優太郎の今夜の目的地は川辺である。
「買い出し終わったぞ」
川辺と言ってもただの川辺ではない。昨今の天竜川は、世界のあらゆる聖地よりも神性に満ちた神域と化している。
「遅い! プリンはっ」
「向こうの世界が暑かった所為で温くなったが、ほら」
神域化した霧の領域に土足で踏み入った途端、それを咎められる事なく貢物を催促された。
霧の内部はかつての石炭紀に大繁栄し滅んだシダ植物の森と化している。異質な空間だが、そんな異質な空間を気にせず歩いている普通の男子大学生こそが異質だろう。
シダの大木に囲まれたちょっとした広場で、紙屋優太郎を待っていたのは、巨大な翼を有するドラゴンだ。
「早く食わせろ。我は腹が減ったぞ」
「ほーら、お食べ」
「はむっ。温いッ」
「いや、だからそう言っただろう」
スカーフを巻いたドラゴンの口へとプッチンしたプリンを投じる優太郎。ライオン以上の猛獣を目前にしながらまったく動じておらず、手慣れた感さえ見受けられる。
「次はっ」
「次はない。ネズミ共に食われたからな」
「ええい。我だって旦那様の所に馳せ参じたいというのに、羨ましい!」
流暢に人語を発音するドラゴンの正体は、天竜。ウィズ・アニッシュ・ワールド産の悪竜が様々な経緯を経て、現在は御影のペットと土地神を兼任している。
魔法方面ばかり強化されて随分と尖ったステータス表となっている御影パーティーであるものの、フィジカル面では天竜が他を圧倒する。黄昏世界に召喚されれば確実な戦力になるだろうが、現状、天竜は動かせない。
天竜が人型ではない事にも明確な理由があり、天竜を動かせない理由と同一。
天竜は今、アイサの頭を締め付けんとする光の環を掴んで固定し続けている。
「私の所為で、ごめんなさい」
「まったくだ。お前の命は我が握っているようなものだぞ」
以前にアイサが黄昏世界へと召喚されて、地球に帰還してからずっとである。
アイサは禁則を破ってしまった。ゆえに、頭蓋を締め付けられて死ぬ寸前にある。
“――禁則なり、禁則なり。かの者は村娘なり。真実を暴くべからず”
黄昏世界で呪いを受けて戻って来た、訳ではない。
あり方は呪いのようであるが、本質は正反対だ。光の環は聖の属性に満ち満ちてしまっている。
「僕の状況、凶鳥には言っていないよね?」
「安心しろ、御影の奴には言っていない。メルグス……いや、アイサの状況を説明すればアイサがどうして頭を潰されそうになっているのかも説明しないといけなくなる。そうなれば、もう天竜でも支えきれなくなるだろ」
アイサは黄昏世界に召喚された際、『鑑定』で見てはいけないモノを見てしまったのだ。それゆえ、頭に光の環を付けられた状態で地球へと帰還したのである。
見た真実を口にするな。
それがアイサに掛けられた緊箍だ。
禁則を敗れは己がどうなるかを理解していながら、アイサは地球帰還後に、即時、真実を口にした。
真実を語った時点で額が絞め潰されるはずだったアイサが無事なのは、光属性と闇属性の多重属性を有する天竜がドラゴンに変化して輪を掴んで時間を稼ぎ、エキドナが管理神として干渉し、ラベンダーが解析に努めているからである。
どうにか均衡を保っているものの、これ以上、真実を広めればアイサの死は確実だ。
「アイサが命を賭けた甲斐はある。知らせないままでいる方が問題だったのは確かだ。……いや、一番の問題はあいつが知らない事なんだが。いや、それ以上に知ろうとしない可能性が高いんだが。どうしたものか」
最重要人物へと真実を話さない。現状維持以外の方法を優太郎でも思い付かず、やれやれと後頭部をかいていた。
「俺が見て話した限り、すぐの危険はなさそうだったが。……そういえば、俺の偽者の方には会わなかったな。どこに行ったんだ?」
――黄昏世界、妖怪の都跡地
妖怪の都は完膚なきまでに破壊されており、爆心地のクレーターを探しても遺物一つ発見できないだろう。皐月の魔法はそれ程の威力であった。
「……ふんっ。今回は邪魔が多過ぎた。アイツを取り逃して終わりか。まあいい。次に賭けるだけだ」
ならば、爆心地の端とはいえ、原形を留めて動く者の存在は何なのだろうか。
巨大な黒い体が、体に積もった塵を掃って立ち上がっている。
「ど、どうして。私は生きて??」
そして、黒い体が覆いかぶさっていた場所でも、カエル顔の女が生還を果たしている。
「どうして、という程の疑問はないな。どれだけ威力が上がろうとも、俺の背中は既に焼かれた状態だ。同じ女の炎ではこれ以上、焼かれる事はない」
「勘違いだと思いますけど、アナタ、私を庇っていませんでした??」
「察しの通りだ。俺はお前など庇っていない。勘違いだ」
戦う目的を見失い、黒い体は戦闘態勢を解いた。
『巨大化』を解除して本来の大きさに戻り、ユウタロウと呼ばれるブタ顔の巨漢は黒八卦炉の宝玉を仕舞い込む。
カエル顔の救世主職、スノーフィールドの事など、どうでもよさそうに背を向けた。
赤く爛れた広い背が、酷く痛々しい。
「ま、待ちなさい! 爆発寸前に、私に斬られながらも体に被さっておいて、勘違いなどと白々しいっ!!」
「かすり傷によろめいただけだ」
「妖怪の癖して嘘が下手!」
「俺は妖怪ではない。魔族だ」
ユウタロウは背中より炎を噴出する。スノーフィールドの非難を無視して逃走するためだ。
「説明しなさいッ。魔に属する者が、どうして私を助けたのか!! あ、逃げた!」