黒柳徹子さんのプロフィールはもはや不要かもしれません。
終戦から8年後の1953年、テレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団。以降、司会者、ベストセラー作家などさまざまなジャンルで活躍を続けています。
平和の尊さ語るのは「義務」 戦後80年 黒柳徹子さん
テレビ放送の草創期から今も第一線を走り続けている黒柳徹子さん。
長年、ユニセフの親善大使として子どもたちに寄り添うとともに、みずからの戦争体験をメディアを通して発信。平和の尊さを訴え続けています。
なぜ70年にもわたって、こうした活動が続けられるのかと尋ねると、戦争体験や平和について語ることは「自身の義務」だと黒柳さんは打ち明けました。
そのことばに込められた意外なエピソードとは。
(社会部記者 須田唯嗣)
テレビとともに駆け抜けた戦後 まなざしはいつも子どもに
国際的にも、ユニセフ=国連児童基金の親善大使として、およそ40か国を訪問。テレビや本、近年ではSNSも通じて、折に触れて平和の尊さを発信し続けてきました。
こうした平和に関係する活動は主に、子どもたちに向けたものだったといいます。
Q.黒柳さんの話にはすごく子どもが出てきます。特に子どもに発信することに、どんな意味があるのでしょうか?
黒柳徹子さん
「子どもの方が敏感に世の中のことを分かっているような気がするんですよね。だから子どもに伝えれば、なんとかその子どもが覚えてさえくれていれば、二度とね、戦争になるようなことはないだろうと。子どもの記憶力や世の中を見渡す目というものを信じているので。私が子どもの時、やはりそうでしたからね。9歳ぐらい、ちょうど戦争中でしたから。(戦争当時)寒くておなかすいていたので、泣いて歩いていたんですよ。そうしたらおまわりさんが『おい、こら』『なんで泣いているんだ』と言うから『寒いからです』と言ったんですよ。鼻なんかもでてたし、涙も出て。そうしたらおまわりさんがすごく怒って『戦地の兵隊さんのことを考えてみろ』と。戦争というのは泣いてもいけないんだなと」。
鮮明に残る戦争の記憶
黒柳さんは、東京・乃木坂で生まれました。
幼少期、日本はすでに日中戦争(1937年~)に踏み出していました。
本人はその当時の記憶として、1人の若い兵士の姿について語り始めました。
「まだ配給券みたいなものがあると食べ物をもらえる時代、私は母とピアノのお稽古の帰りに、渋谷の食堂みたいなところで何かを食べていたんです。そうしたら若い兵隊さんと相席になった。その人がとても若い兵隊さんだったんですけど、私のことを見てニコニコしていてね。その人が帰ろうとした時に、母に『これどうぞ』と言って、配給券みたいなものをくださったの。私は『わあ、いい人だ、うれしいな』と思いましたけど、今考えると、あの人はこれから戦争に行く人だったかもしれない。私を見て何を考えたんだろう、妹のことを考えたのか、誰のことを考えたのか分からないですけれど、そういう若い人たちが戦争に出かけていったんだと思うとね、今でもちょっと胸がふさがるような感じがします」
1941年に太平洋戦争に突入した日本。黒柳さんは1945年3月の東京大空襲を体験し、その後、青森県に疎開しました。
終戦時は12歳でしたが、空襲の恐怖と飢えに耐えながら過ごした日々を、今も鮮明に覚えているといいます。
「戦争がひどくなると、夜に必ず空襲警報が鳴って、庭の防空ごうに入るんです。ドカンという音がしている間はずっとその中にいて。東京大空襲の時は、空が真っ赤になったのを今でもはっきり覚えています。私ランドセルから本を出してみたら読めたんですよ。夜なのに庭で」
「いつもおなかがすいていて、やっぱり食べ物が悪いと寒いんですよね。それから、『学校に行っている間に家が焼けちゃって、家に帰っても親が死んでいていないかもしれない』という不安が毎日ありました。帰り道に家を見渡せるところに来ると、『ああ、焼けてないな』と思って、家に走って帰って親がいると『ああ、よかった』って思う。毎日そういう生活でした」
平和の尊さの発信は「義務」「たまに」の工夫
黒柳さんはこうした個人の戦争体験について、大ベストセラーとなった『窓ぎわのトットちゃん』はもちろん、出演したテレビ番組、さらに最近はYouTubeなどでも繰り返し語ってきました。
こうした戦争と平和についての発信を長きにわたって続ける背景には、どんな思いがあったのでしょうか。
黒柳さんが口にしたのは「義務」という意外なことばでした。
「私の場合は(戦争体験について)話した方がいいだろうという年代でもあります。子どもたちにこういう思いはさせたくないという感じが強いですよね。ユニセフの親善大使をやっているといろんな国に行きますよね。子どもたちが本当にひどい目に遭っているのをみて本当につらいです」
「テレビに出てよく知っている人がそういう目に遭ったということを皆様が知ってくだされば、意味があると思って。やっぱり義務だと思いますよね。ハリー・ベラフォンテさん(※注)と、この話をしたことがあるんですよ。著名人っていうと変ですけどね、偶然のことからこういうふうに仕事をするようになった人間とすれば、やっぱりこういう自分のポジションを利用して、それをいいことに使う。平和がいいとか、戦争は恐ろしいとか、そういうことはやっぱりそういう人が伝えていく必要があると思います」
(注※「バナナ・ボート」などが日本でも大ヒットしたアメリカの伝説的な歌手)
自身が当時担当していた歌番組でも、折に触れて戦争や差別の問題などを語ってきたという黒柳さん。
ただ、その発信には“黒柳さん流”の工夫があったと明かしてくれました。
「しょっちゅう言わないで、たまにちょっと言うっていうのがわりと大事だって私は思っているんですよね。みんなが、子どもが見ている大きい番組で、差別するのはよくないとか、平和であることがどんなにいいかとか、痛みとはどういうものかっていうようなことを、折に触れて言う。しょっちゅう言うと、子どもは『あのおばさん、うるさいよ』って言われるから、たまにちょっと言う。あとの時は、わりとおもしろいこと言っているなんていうふうにして、間間(あいだあいだ)にちょっと言うっていうのをだんだん覚えてきました」
“好きなもの”を楽しめるのは平和だからこそ
これまでの人生で、黒柳さんは、自分が“心ひかれる物”を数多く収集してきたといいます。
7月、自身が着用したドレスや衣装などを含め、「好きなものとか愛したもの」(黒柳さん)を展示するミュージアムを長野県にオープンしました。
このミュージアムも「きれいなものを楽しむ」ためには、平和が欠かせないという願いが込められているといいます。
「私、戦争中に銀紙とか、千代紙とか、きれっはしでも集めて大事にしていたんだけど、そんなものなんてね、もう空襲があったらいっぺんに吹き飛んでしまいますもんね。本当に戦争になったら何もかもが一瞬にしてなくなるんだって思いました。平和のありがたみというものは、戦争が終わってから感じたものであって、戦争中は平和がどういうものかって、平和なんてことば聞いたこともないような感じですよね。本当に平和だから、ミュージアムを作ることができるので」
世界の戦争 一人ひとりに思いを
ユニセフの親善大使として世界中を回り、戦争や紛争で傷ついた子どもたちを支援する活動を続けた黒柳さん。
ただ、現在の世界は、イスラエルとイランの軍事衝突やロシアによるウクライナへの侵攻など各地で多くの命が奪われています。
そうした報道を目にするたびに、心を痛めているという黒柳さん。
今もこうした戦禍がなくならないなか、私たちに何ができるのかと問うと、こう答えました。
「報道を見ていると、攻撃でわーって火が出るじゃありませんか。ああいうのを見ていると、あの下には子どもがいるんだってすごく思います。みんな逃げたり泣いたりしているんだろうな、親がいなくなったりとかね、離ればなれになったり、けがをしたりする子どもがいるだろうと思うと、やめてほしいってすごく思います」
「何人死んだとかって人数が出ますけど、その一人ひとりに全部きょうだいがいてとか、子どもがいてとか、親がいてっていうのを考えたら、何人であってもやっぱりつらいことですよ。でも、もう数として捉えがちだからね、みんな。きょうどこで何人死にましたとかって軽く言うんだけど、一人ひとりのことを考えるとね、やっぱり本当はそうじゃないんですよね」
「私が発信することで、世界で戦争をやっているのをやめられるっていうふうには思わないんですけど、やっぱりものの考え方ですよね。絶対に戦争は嫌だって、平和じゃなくちゃいけないんだっていうことを、みんなが強く自分自身に思い込んでくだされば、やっぱり少しは違うんじゃないかなって思います。みんなが心して伝えようと努力するっていうことが必要だと、いつも思っています」
黒柳さんの夢 簡単ではないけれど
1つ1つの質問に真摯な受け答えをしてくれた黒柳さん。
6月にも戦時中を含めたさまざまな人との出会いを記した新著を出版するなど、精力的な活動を続けています。
そんな黒柳さんに、今後の夢を聞きました。
「どんなに家族が仲よくしたりとか、勉強したりとか、恋愛したりとか、人に優しくしてあげようと思ったって何したって、一度戦争が始まっちゃうと、もう一切自分の手には入らない。世界中がやっぱり平和になって、子どもたちがみんな、どこの国の子どもも飢えたりしないで、病院にもちゃんと行けて、そういう中で笑って暮らせるようなものがいいっていうふうに思いますけどね。そう簡単にはいかないでしょうけど、みんながそういうふうに思っていれば、うまくいくんじゃないかって思っています」
黒柳さんのインタビューは【NHKプラスで配信中】(2025年7月17日)↓↓↓
【NHKプラスで配信中】
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