少子化ってもう止まらないでしょ
タイトルのとおりである。
この国において、少子化問題はずっとずっと社会的な問題となっており、政治家たちもこぞって
「この問題に全力で取り組みます!」
と言っているが、僕はしばらくの間は解決しないと思っている。
しばらくというか、もうずっと解決しないとさえ考えている。
だって、良くも悪くも、
「この世界で子育てをしたい」
と思う理由がないんだもの。
“良くも悪くも”
というのは、プラスの理由とマイナスの理由があるからだ。
○プラスの理由とは
正確には「プラス」というわけではないのだが、ネガティブではない理由として挙げられるのが、
あまりにも簡単に楽しいものに触れられるから
別に今のままでいいから
である。
その大きな要素の一つが、
“スマホ”
であろう。
スマホを介して、簡単に色々なことに触れられるようになりすぎたのだ。
スマホが存在しなかった時代は、何をやるにしても、労力が必要だった。
いろいろなコンテンツや多様な価値観に触れるためには、実際に出かけて能動的に情報を入手した り、何かしらのコミュニティに参加したりして、人と触れ合ったりすることが必要だった。
だから、身も蓋もない言い方になるが、
当時の「無趣味な人」というのは、本っ当に何もすることがなかっただろうし、何の情報も得ていなかった
のだと思う。
新品の画用紙のように、超まっさらな状態だ。
だが、今はどうだろう。
スマホの中に色々なコンテンツ、様々な人間の価値観が溢れている。
今の時代にも無趣味な人はいるだろうが、そんな人でも寝っ転がりながら一日中スマホをいじってさえすれば、いい音楽に出会えるし、面白い文章も読めるし、動画も見られる。
個性的な人間を見つけることもできるし、気が合いそうな人とコミュニケーションをとることもできる。
おそらく、
「昔の多趣味な人」よりも「今の無趣味な人」の方が、はるかに多くの情報に触れている
のではないだろうか。
そのおかげで、大笑いしたり、大はしゃぎしたりするほどではないにしても、なんとな〜くほのかに楽しく一日を過ごせてしまうのである。
また、自分と全く違う境遇の人の声も目にすることができる。
たとえば、スマホがない時代には、インドア派の独身の人が、
“結婚生活に悩む人の愚痴”
“子育てに苦闘する人の嘆き”
に触れる機会なんて、ほとんどなかったはずだ。
それが今では、SNSのおすすめ欄なんかに自動的に出てきてしまうもんだから、結婚生活や子育てにおける戸惑い、悲鳴、ストレスなどを知ることができてしまう。
もちろん、結婚生活や子育てに悩みが尽きないということは、経験者ではなくても何となく分かってはいる。
ただ、
「実際に結婚したり、子どもができたりしてから初めて思い知った」
という類の大変さもある。
今はそれすらも、経験せずして知ってしまえるのだ。
これらを鑑みると、どうだろう。
すでに、今の時点で「人生が緩やかに楽しい人」が、わざわざその環境を犠牲にしてまで、結婚や子育てをしたいと思うだろうか。
それに、昔は中年になるまで独身だと、周囲からプレッシャーがかかった。
女性については、
「家庭に入るんだから学ぶ必要はない」
みたいな、極端な価値観も横行しており、進学や就職をあきらめてお見合いをして、好きでもない人と結婚をして子どもを持った人もたくさんいる。
ところが今は、スマホを介して自分と同じ考えの人たちの意見を見ることができるし、交流をすることもできる。
「女性は家庭に入るもの」みたいな価値観なんて、今ではそんなことを口にした人が袋叩きに遭ってしまうほど廃れた。
たとえ、独身や子無しが理由で周囲からどんなに圧力をかけられたとしても、スマホの中には何千何万の味方がいる。
「自分の生き方も一つの正解である」
と確信し続けることができるのだ。
○マイナスの理由とは
一方、マイナスの理由は何かというと、
この世があまりにも辛いから
である。
端的にいうと、
こんな世の中に、自分の子孫を残したくない
のだ。
先ほど「簡単に楽しいものに触れられる」と書いたばかりだが、決して矛盾はしていない。
楽しいと苦しいが完全に両立している
のが今なのである。
まず何よりも、
労働というものがとにかく辛い。
労働そのものに関しては、昔の方が辛かったのかもしれない。
でも、
労働者が自身の労働環境に対して「これはおかしいだろう」と思う“感度”は、明らかに今の方が高くなっている。
それは、前述したように入ってくる「情報」が格段に多くなったことから、日々の労働で感じる違和感を、
「でも、社会ってそういうもんか」
と、飲み込まずに済むようになったことが一つの要因だろう。
この国の労働環境は、労働者の犠牲によって成り立っている部分がとても多い。
「これはおかしいだろう」の感度が高くなるということは、それだけ傷つく回数や、腹が立つ回数が増える
ということだ。
今、メンタルクリニックは常に患者でいっぱいであるという。
その理由の多くが、「仕事関係」なのではないだろうか。
そうやって心を病んでいたとしても、働かないと生活ができないもんだから、定年を目指して必死に働いているのに、その定年もさらに伸びるかもしれない。
そして、そんなにしてまで働いても、物価高と地獄の税金攻撃で、生活は一向に豊かにならない。
おまけに給料から社会保険料がごっそり引かれてしまうし、年金も自分たちの番になった頃にはもらえないかもしれない。
しかも、公私ともに人間関係の悩みは尽きない。
他人と接すれば接するほど、人間の愚かさを知るし、社会の汚さを知る。
他人から向けられる悪意の威力というものは凄まじい。
優しさに十回触れたとしても、たった一回触れた醜さによって、いとも簡単に上書きされてしまう。
このように、日々感じている辛い出来事に思いを巡らせると、
「これを自分の子どもにも経験させるのか…」
と、尻込みしてしまうのも不思議ではない。
もっというと、世界中で戦争が起きている今、日本にいるからといって未来永劫、安心安全という わけですらない。
それらを突き詰めていくと、
「こんな世界に子どもを産み落とすなんて、あまりにも無責任だ」
という思考になっていくのである。
やがて、
「こんな世界に子どもを残す人って、よっぽど自分のことしか考えていないのでは」
と、家庭を築く人々に違和感を抱くほどに。
そして自らも、自分を優先して
“子どもを残さない”
という選択をしていくのだ。
○人間ってこうやって絶滅していくのでは
今、多くの人々の生活にあるのは、
チープな楽しさと、深い苦しみ
だ。
まあまあ何とか楽しく生きられるだけのコンテンツに囲まれてはいるものの、日々の生活はストレ スフル。
この
“何となくの楽しさ”
を手放してまで、結婚をしたり子どもが欲しかったりするわけでもないし、そもそも自分の子どもに
「この世界は素晴らしいよ」
なんてとても言えない。
こんな調子だから、いくら子育て世帯が優遇されようが、いろんな補助金が出ようが、少子化は止 まらない。
時々思うのだ。
人間は、人間自身が作り出した楽しさと苦しさによって、ゆっくりと消えていく運命にあるのではないか、と。
現状維持を望みつつ、現状を憂いて子孫を残さないーー
これ、
人間以外の種から見たら、完全に人間の自滅
である。
今は人口が増えている国もあるけれど、やがては同じような道を辿る気がする。
自然災害とか戦争とかではなく、自らの意志で生殖を放棄して、滅びていく。
いびつに脳を発達させた生物の最期として、これは極めて自然なことなのかもしれない。
コメント
2白饅頭こと御田寺圭先生も、同じようなことをおっしゃっていましたね。
> 文明を進歩させて、経済を発展させ、産業を発展させ、医学を発展させ、公衆衛生を改善し、治安を改善し、そうして「身近な死」を克服してした社会は、喜びもつかの間それと一緒に「生きる理由」までもを拭い去ってしまったのだった。
> そのような社会を善かれと思って目指していくこの流れは、われわれから「生きている実感」を失わせ、ひいては「生きている理由」さらに言えば「命をつないでいく目的」さえも見失わせてしまった。
> アフリカではなぜ多くの国がいまだ高い出生率を誇っているのか。
> かれらは2024年現在、世界のどこよりも「死」がリアルに感じられる生存環境で生きているからこそ「生」に対する渇望が他国の人びとよりも強い。だからこそ、かれらは「生きる」ことにも「生殖する」ことにも貪欲だ。
https://note.com/terrakei07/n/nf62387b6ba22
>ユーザー20210214adさん
本当だ!
解像度が段違いで恥ずかしいですね笑