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「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」に思う、「それな!」感と「コレジャナイ」感の葛藤

「3年B組金八先生」シリーズに関して一通り思っていることは書き連ねたので、そろそろ「ドラゴンボール超」の感想でも書こうかなと重い腰を上げる。
今回選んだのは「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」だが、これに関してはブームがある程度沈静化した今のタイミングでこそ書くのが相応しいかと思う。
1回目を見に行ったのは公開されてから間もない状態だったが、ぶっちゃけストーリー・キャラクター共に人造人間編〜セルゲームの焼き直しでしかない。
だから劇場版でのネタバレは大体予想した通りだったし、この内容なら2回見ようが3回見ようが大して評価は変わらないだろうと感想を書こうとすら思えなかった。

ところが、やっぱり「超」から入った方々には意外にも高評価だったらしく、何がそんなに面白いのかと見て回ったら「ピッコロと悟飯が活躍するから」だったそうだ。
まあ別にそれ自体は好みの話だから否定はしないが、「ドラゴンボール」という作品は確かに悟空が最強なようでいて他のキャラも最強になり得る懐の深さが魅力だったりする。
また、「神と神」以降ずっと悟空とベジータの二強路線が続いてきたから他のキャラクターにもスポットを当ててほしいというファンの思いを叶えたという点は評価すべきだろう。
そんな本作に対する私の感想は「評価自体は悪くないが好みには合わない作品」になってしまい、「それな!」感と「コレジャナイ」感がせめぎ合っている

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少なくとも、押しも押されもせぬ歴代最高傑作の前作「ブロリー」には到底及ばないが、その理由をこれから言語化していこう。

悟空のアホ化は本当にやめていただきたい


これはもう誰もが口を酸っぱくして認める本作の欠点だが、「神と神」からずっと続いている「アホ化した孫悟空」という描写は大概ウンザリで、そろそろ本当にやめていただきたい。
私のようなZをリアタイした原体験世代だけではなく「超」から入った新規のファンもきっと悟空のこのアホ化に関しては同じように思っているのではないだろうか。
本作に関しても瞑想トレーニングを始めるベジータにイチャモンをつけるシーンが見受けられたのだが、もはやここに来ると悟空が初期のナルトやルフィのレベルで幼稚化していると言わざるを得ない。
確かに悟空は戦い以外のことに強い関心を持つようなタイプではないが、決して他人のことにイチャモンを付ける小物ではなく、相手の本質を見抜きつつも基本的に寛容な人物であった。


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この1コマを見ればわかるように、悟空は精神と時の部屋に入るのを否定しつつもベジータとトランクスに鍛える余地が残っていることを見抜いていることを伝えている。
原作の悟空は特にナメック星編に入った辺りから己の読みが外れた時以外に取り乱すような描写はなく、戦いに関しては合理的な計算がしっかり出来る男ではあった。
また、「勝つため」ではなく「負けないため」に自分を限界ギリギリまで鍛える男であることが魔人ブウ編でベジータからも言語化されており、それが悟空の魅力だったのである。
私もそんな悟空だからこそ好きになれたわけだし、自分だって体を鍛えて気を高めればいつか悟空のようになれるとその背中に憧れなかった男はいなかったはずだ。

それがこの「超」に入ってから、ネットでやたらとネタにされる「悟空はサイコパスの戦闘狂」「人間味が薄い」だのという薄ら寒いツッコミ系の動画ばかりが妙に持て囃されるようになった。
そしてそれを悟空に限らず「ベジータは愛妻家」「ヤムチャは大ボラ吹きのビッグマウス」だのといったしょうもない部分を公式までもが取り入れてしまい、キャラ崩壊が起こっている。
そのせいで「超」は「公式が同人」とまで言われるようになってしまうわけだが、こと悟空のアホ化に関してはもはや末期症状とさえ言えるレベルにまで深刻化しているのではないだろうか。
あの凛々しくかっこよかった悟空を返せ!」と思ったわけだが、それくらい作り手の中で(鳥山先生含めて)悟空をああいうキャラだと本気で思っていそうで怖くなってくる。

本作で遂にベジータは悟空に勝った、それ自体は素直に嬉しかったし長年のベジータの苦労も報われた感じがあるが、それと別ベクトルで発生している悟空のアホ化はやめていただきたい。
少なくとも原作及び「Z」の悟空は戦闘狂ではあったとしても決して大人の良識がわからないようなアホではなかったし、戦いにおいてはクレバーで絶対的な安心感や求心力があった
それを「GT」「超」とどんどんシリーズが進むたびにその良さが薄れて崩壊していくのは見るに堪えないというか作り手のレベルが下がってしまったのだなあとしか言いようがない。
「どんなに不利な状況でも悟空が来たら何とかなる、何とかしてくれる」という安心感をもう一度思い出してしっかり悟空というキャラの魅力を復権してほしいと願う次第である。

ピッコロと悟飯の強化形態に難あり


2つ目は「それな!」感と「コレジャナイ」感がせめぎ合っている本作の目玉の要素であるピッコロと悟飯の活躍及びに強化形態だが、これがまた手放しで称賛はできない。
まずピッコロに関してだが、ドラゴンボールで潜在能力を解放して強化ってやっていることが漫画版のグラノラとほぼ似通っているのだが、これはまあまだ許せるとしよう。
そんなことができるなら魔人ブウ編の段階でやっとけよと思ったが、デンデが神龍をアップデートするまでに必要な年月がかかったと思えばまあこれも悪くはない。
それに「ドラゴンボール」は誰しもが一度は潜在能力を特効薬で解放するというルートを通っているのだから、ピッコロがこの方法を使ったとしても納得はできる。

しかし、「おまけ」の要素として出て来たスラッグを彷彿させるオレンジピッコロに関してはネーミングセンスもデザインもスペックも流石に擁護はできない
あれは誰がどう見てもおまけのレベルじゃないどころか、グリコのおもちゃや戦隊のミニプラ玩具と一緒でお菓子よりも付録がメインみたいになってしまっているではないか。
しかもそれが破壊神や大神官の元で修行を続けている悟空とベジータという2人の天才が身につけた超サイヤ人ブルーに匹敵かそれを超えるレベルになるというのもどうなんだろうか?
ピッコロの活躍自体は特に問題なかっただけに、どうしてもここで画竜点睛を欠いてしまっているのが惜しまれるというか、完成度としていまいちになってしまったのが惜しい。

そしてピッコロ以上に問題だったのが孫悟飯の新形態である「ビースト」なのだが、あの「ドラゴンボールAF」のような同人臭いデザインはどうにかならなかったのだろうか?
まあそれを言えば孫悟空の身勝手の極意やベジータの我儘の極意、オレンジピッコロも似たり寄ったりだからそれはいいし、セルマックスを完全に圧倒する強さもまあいいだろう。
修業を怠けていた設定だったので心配はしたものの戦いの中で実戦の勘を取り戻していく過程が描かれていたのも違和感はなかったから、それに関しても文句はない。
だが、幾ら何でもピッコロが殺されただけでブチ切れた悟飯が何の修業や下積みもないのに、いきなり悟空の身勝手やベジータの我儘に匹敵する強さを得ても納得できる視聴者は多くないだろう。

確かにビジュアルだけを見ればセルゲームで孫悟飯がブチギレて超サイヤ人2に覚醒した時の原点がオマージュされており、それに関しては特に文句はない。
しかし、セルゲームの悟飯がその覚醒をしても納得できたのは悟空という師匠が居て精神と時の部屋で修業をしっかりやって悟空と対等の強さにステージが引き上がっていたからだ。
その修業による積み重ねがあればこそ土壇場での爆発力が映えたわけなのだが、今回に関してはその悟飯がいつブチギレて覚醒してもおかしくないという下地がなかった。
ただまあ長いこと悟飯は「GT」「超」と不遇の立場を経験してきたので、今回ラストできちんと美味しい見せ場を貰えただけでも良しとすべきかとも思うが、やはり違和感は残ってしまう。

ガンマ1号と2号のキャラ立ちが秀逸


一方で今作の非常に良いポイントとして褒めるべきはガンマ1号とガンマ2号という2人の人造人間の秀逸なキャラ立ちであり、これは今作において最も評価されるべきポイントだろう。
ぶっちゃけ最初にイラストを見た段階では「え?敵のデザインとしてパンチ弱すぎじゃないか?」と思ったが、いざ画面で動いている様を見て「ほう、やるじゃないか」と唸ってしまった。
私は基本的に原作の人造人間編は高く評価していないのだが、この新しいタイプの人造人間はしっかり自分の意思を持って動いており、17号や18号とは比べ物にならないレベルでキャラ立ちしている。
17号と18号はぶっちゃけ孫悟空抹殺以外に目的らしい目的を持たない「今時の若者」という感じだったが、このガンマ1号と2号は最初からはっきりと「正義を掲げるスーパーヒーロー」として描かれていた。

ここはいい意味でドラゴンボールらしさが描かれており、徹頭徹尾自分の正義をブレさせることがなく、例え悟飯たちと和解しても自らの正義のスタンスをそれで崩したり日和ったりすることはない。
これは平成と令和の作品に共通(?)の傾向なのかもしれないが、いわゆる自分の正義を掲げて拗らせてるキャラクターってどうしても見ていてスッキリしない感情に襲われることも少なくないのだ。
例えば「ガンダムSEED」のアスラン・ザラや「コードギアス」の枢木スザク、戦隊で言うなら「タイムレンジャー」の滝沢直人、「仮面ライダー龍騎」の秋山蓮などは歪んだ正義感で動いている。
それはそれで筋は通っているかもしれないが、言動や行動が時と場合によってブレるところがあるため見ていて気持ちがいいキャラではなく、私はこういうグレーな感情のキャラは好きではない

その点、本作のガンマ1号と2号は正義を拗らせているのではなくもう最初から自らを正義と規定しており一貫した美学と理念で動いているために迷いがなく、見ていて非常に気持ちがいい。
だから悟飯やピッコロと戦う時もそこに熱が感じられたし、また和解してからも決して行動理念自体が変わったわけではないのでこれはこれですごいと思ったものだ。
悟飯とピッコロが主役であるにも関わらずいまいち完成度の点で難があったのに比べて、ガンマ1号と2号はまさに原点となる17号と18号を超える完成度のキャラとなった。
特に序盤はキャラ描写が非常に丁寧であり、ここだけでも十分凄いのだが、更に後半〜ラストのセルマックス戦で彼らが自分なりの正義に殉じていく姿もまたかっこいい。

特に2号が散っていくシーンは魔人ベジータが家族のために散っていく様を彷彿させ、まさかあの様な覚悟を決めてのカチコミがここに来て描かれるなどとは思ってもみなかった。
しかも2号がその後ドラゴンボールで復活するなどというインチキくさいご都合主義があったわけでもなく、しかも後に続くピッコロと悟飯の見せ場のかっこよさを引き立たせてもいる。
本作の映画で何よりも素晴らしいのはこのガンマ2号であり、ある意味で本作の真主人公はピッコロでも悟飯でもなくガンマだったと言えるのかもしれない。
それくらい人造人間のキャラクターとの面白さや素晴らしさという、原作の人造人間編ではいまいち伝わらなかった魅力をわかりやすく形にしてくれたのだから。

ドラゴンボールの戦いに正義や大義は必要ない


さて、ここまで賛否両論それぞれに語って来たが、それでもトータルで好きになれないのはやはりこの作品が「ドラゴンボール」だからではないだろうか。
冒頭にも書いたことなので繰り返しになるが、本作の総合評価は「丁寧には作ってあるが、こんなのはドラゴンボールらしくない!」という個人的な好みによる我儘が勝ってしまう。
何だったら本当にベジータや破壊神ビルスになったつもりで、我儘の極意に覚醒してこの作品を存在ごと破壊してしまいたいくらい好みの作品ではなかった。
その理由は「ドラゴンボールの戦いに正義や大義は必要ない」からであって、それは前作「ブロリー」の直後の作品だからこそ余計にそう思うのである。

私が原体験で味わった「ドラゴンボールZ」の魅力はどこにあるかというと、やはり際限なく高まっていく戦闘民族同士の果てしなき戦いの連続である。
サイヤ人編のラディッツ→ナッパ→ベジータ、そしてナメック星編のキュイ→ドドリア→ザーボン→ギニュー特戦隊→フリーザとどんどん上限なしに増していく強さのインフレ。
そしてそれに伴い最終的にはお互いが気功波を放つだけで星をも簡単に破壊してしまうであろう戦闘シーンのダイナミズムとカタルシス、これが「ドラゴンボールZ」の最大の魅力だった。
もうベジータ戦とフリーザ戦は漫画・アニメと何万回見たかわからないくらい大好きだし、リアルタイムで孫悟空が超サイヤ人に覚醒した時の衝撃は半端じゃない。

前作「ブロリー」は正にその全盛期のサイヤ人編〜ナメック星編の魅力を「超」の設定と世界観を使って見事に凝集し再現してみせたわけであり、後半はもう際限のない強さのインフレである。
そして何よりゴジータVSブロリーのあの怒涛のカタルシスはドラゴンボール史どころかアニメ史に残る最高の戦闘シーンであり、これ以上のクオリティの戦闘シーンを他の漫画やアニメでは見たことがない。
この他の追随を許さぬ戦闘シーンのダイナミズムこそが「ドラゴンボール」らしさであり、戦う理由なんてどうでもよく「強いやつと戦いたいから」でいいのである。
悟空・ベジータ・ブロリーの3人の戦いは正にそんな「これぞドラゴンボール!」という魅力をしっかり再現してみせたわけであり、結果として歴代最高傑作となった。

その点で本作は見せたいものははっきりしているし、序盤のシナリオは非常に丁寧で各キャラクターの描写もアホな悟空以外は概ねしっかり描けていたと思う。
だが、やはりどうしても戦闘シーンのダイナミズムやカタルシスにおいて前作を超えるほどの熱量とはならなかったし、やっぱりピッコロと悟飯では悟空やベジータ程の推進力・スター性・カリスマ性がない。
その不足分を本作ではガンマ1号と2号が結果的に補ってくれたものの、やはりどこか「ドラゴンボールらしくないなあ」という印象を最後まで拭うことができなかたのである。
そう思うと、そもそも原作の人造人間編自体がやはり「ドラゴンボールらしくない作り」であるのではないかという身も蓋もない結論になってしまうのだが、悪い作品ではないので見て損はないだろう。

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「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」に思う、「それな!」感と「コレジャナイ」感の葛藤|ヒュウガ・クロサキ
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