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「チェンソーマン」1話のデンジを見て思う大きな夢(物語)の不在と非モテの妄想

Twitterの方でも少しだけ呟いたのだが、どうやらアニメファンの間で最近アニメ化されている「チェンソーマン」の第1話が相当にバズっているらしい。
「チェンソーマン」ならびに「ファイアパンチ」は藤本タツキ原作なのだが、残念ながら私は原作未見なので、今回が初見になるわけだが、どうしてここまで話題になるのかがまだピンと来ていない。
そもそも私が藤本タツキ氏の作品群に対していまいち食指が動かない、もっといえば仙骨が反応しなかったわけだが、3度程見直してやっと少しだけわかった気がする。
私はそもそも作品から感じ取れる藤本タツキの作家性やこの人の生き様が自分とはあまりにもかけ離れていて肌に合わないからかもしれない。

誤解を恐れずに言ってしまえば、この第1話を見た限り根底にあるのが大きな夢(物語)の不在と非モテの妄想がそこにあるからだと感じ取れた。
もちろんこの2つは原作者が意図的に仕込んでいるものなのかもしれないが、ホリエモンら著名人までがこれを高く評価しているというのだからかなり驚きではある。
確かに第1話を見る限り作画や演出も含めてクオリティは高かったし、突飛でぶっ飛んでいると言われているが個人的にはむしろ非常にわかりやすくてシンプルだったから違和感はなかった。
だが、冷静に見直した時に上記2つがどうしても感じられてしまったのだが、具体的に1話だけを見てどこからそれを感じ取ったのか言語化してみようという記事である。

「明日の食事がきちんと食べられることが目標」に見る大きな夢(物語)の不在


まずこれは序盤を見て戸惑ったのだが、何と悪魔と契約したデンジくんは借金取りに追われていて、衣食住に困っている主人公らしいが、この設定が多くの若者の魅力になっているのだという。
この手の「大した目標を持たないその日暮らしの気弱な若者」といえば古くは野比のび太に始まり、ロボアニメだとアムロ・レイや碇シンジくん辺りがこの手の「無気力(を装っている)」系になるだろうか。
また、悪魔と契約するという設定は「デビルマン」「仮面ライダー龍騎」などに見られるダークヒーロー・アンチヒーローの定番なのだが、その武器にチェーンソーを持って来たというのは確かに意外である。
チェンソーという武器はジェイソンなどを見ればわかるように悪党が使うとされている武器であり、ヒーローが使っていた例ももちろんあるがあまり印象的な武器としては用いられていなかった。

まあそんな与太話は置いといて、明日の生活にすら困っていてきちんと普通の生活を夢見ているチェンソーマンの設定は確かに従来のジャンプ漫画の王道とはかけ離れた設定かもしれない。
黄金期の「ドラゴンボール」「SLAM DUNK」「幽☆遊☆白書」はまだ昭和の熱血スポ根のノリが残っていたこともあるが、主人公たちは大きな壁を乗り越えてどんどん高みへ向かっていく物語だった。
また、「ONE PIECE」「NARUTO」「テニスの王子様」も規模としては幾分縮小化しているものの、やはり自分が掲げる大きな夢や物語を持ってそれに邁進するという定石を外していない。
しかし、それら従来の作品群はもちろん他の作品と比べても「日常の幸せを取り戻すために戦う」という卑近な目標のために敢えて悪魔に成り下がるというのは確かにそれまでにはなかった。

こちらの動画を見ると、デンジくんは「自分の欲望に忠実」「特に大きな目標を持たない」という点において視聴者に一番近しい存在らしいのだが、私としては一種のカルチャーショックである。
ということは今の若い人たちは最初から多くは望まないからとりあえず目の前の自分の暮らしさえどうにかできればいいというのは私からすると逆に応援しにくい。
借金だらけの状況で大人たちの汚いエゴによって汚されたデンジくんには真っ当な人としての暮らしさえ望むべくもなかったということだろうが、それが目標のヒーローというのもどうなのだろうか?
別に世界の運命を背負えなどと言うつもりはないが、お金と仕事と住む場所さえあればどうにかなるというのならばわざわざ悪魔と契約してダークヒーローになる必然性は薄いように思われる。

自分の欲望に忠実というのは構わないが、そのためにわざわざ悪魔の力を手に入れて人殺し(正確には悪魔殺し)を働く必要がどこにあるのだろうか?
確かに上っ面の正義よりは自分の欲望をストレートに貫く方が分かりやすいのだが、だからといってマクロな視点での正義(善悪)を全く無視して私的動機に針を傾ければいいわけでもなかろう。
遥か昔からこの手の「ヒーローが戦う動機」は連綿となされて来た議論であるが、平成以降は確かに「人を守る」「星を守る」といった大義だけでは不十分だから横軸として私的動機が用意されていた。
それとも何か、令和の時代においてはその大義すらも全てを捨ててエゴまみれに振り切ればそれが革新的だとして認められるとでもいうのか……申し訳ないが、私はその意見にとても賛同も共感もできない。

ラストの「最高じゃないっすかぁ……」に見られる「非モテの妄想」


さらに、私が「チェンソーマン」の1話を見て「これは絶対に無理」と思ったのが「最高じゃないっすかぁ……」というデンジのセリフだが、出て来た感想は「本当にそれでいいのか!?」である。
それはそうだろう、女に飼われてペットのように必要最低限の食事だけ与えられてチェンソーマンとして働ければ満足ってドMな非モテの陰キャの発想じゃないのか!?デンジには男のプライドがないのか!?
いや別に私は「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」というのはないけど、大して好きでもない女に頭を下げてヘコヘコして飼われて生きる人生なんて真っ平御免である。
他に方法がなかったからといっても、私は基本的に誰の下にも付かないし付きたくないという思いははっきりとあるため、あの公安の女に頭下げて社畜人生送る人生など嫌である。

もちろんデンジが言った「最高」という意味は「普通の日常が送れる」こと、「きちんとした食事が毎日食べられる」ことに対してであって、マキマの配下で働くことに対してではないのだろう。
だが、そんなことを言っていられないくらいにデンジくんには精神的余裕がなく泥水を啜って生きる毎日だったのだと思うと、今の若い男たちはここまでプライドがないのかとも思ってしまうのだ。
まだ現段階では1話しか見ていないのでどうなるかはわからないのだが、何処と藤本タツキの作家性には「非モテ陰キャの妄想」が少なからずある気がする。
何せドラゴンボールマニアで有名なあのBIXですらチェンソーマンの魅力として、そこを理由に挙げていたわけだし、今ではYouTubeなどでも「陰キャが本気出すと最強」みたいなのが持て囃されているくらいだ。

私の中に陽キャ陰キャで区別・差別する発想なんてないが、女のおっぱいを揉みたいとか×××したいとかを一通り経験した私からすると「そんな小せえとこが目標かよ!」となってしまう。
女性としたいのであれば、お金はかかるが風俗へ行けば済む話だし、私は今のところ仕事はもちろん人間関係や食事などにも特別に困っていないし自分が成し遂げたい目標だってある。
だから、私はどうしてもデンジくんの卑近な低次元の欲求で生きていることには共感ができず、高次の欲求で生きている人たちを応援したいし、腐ってもまだ夢を捨ててない人間だという自負がある。
ただ、それはあくまでも私個人の意見であって、これが目標らしい目標があるわけでもなく、しかし欲望だけはすごくある今の若い人たちにとっては共感しやすい要素なのかもしれない。

だいぶ批判的に書いて来たが、悪魔の設定やアクションシーン、声優の演技などストーリーそのものは悪くないし、今後もしかしたら私自身が嫌っている要素も徐々に払拭されていくかもしれない。
だが、この1話だけを見た感想としては魅力的な導入とは思えず、コアな原作ファン以外には外に魅力が伝わりにくい出来なのではないかと思えてしまう。
ここからデンジをはじめとしてどういうストーリーが展開されてどのような人間関係の変化や成長があるのか、まずは様子見なのでひとまず原作漫画の方も追ってみるか。

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コメント

9
ヒュウガ・クロサキ
ヒュウガ・クロサキ

そんなに反論したいのであれば、私に是正を求めるよりご自身でチェンソーマンのコラムでも書かれてはいかがですか?
少なくとも私があなたのいうことを聞く義理なとどこにもありませんので
まあ、あなたにそれだけの文章力があれば、の話ですが

冠康介
冠康介

論点すり替えないでくださいよw

まあ原作未読ならともかく第1話の段階ですら雑語りだから問題なんですよね
貴方が何歳で童卒したのかは知りませんが、デンジくらいの年頃なら童貞は当たり前ですからね。
「最高じゃないっすか…」もパンにジャム塗って食べる事すらままならない極貧だから出てきた言葉ですし、何よりマキマに生殺与奪の権を握られた状態だからあの選択をしたんです。
ここまては全て初回だけでわかる情報です。個人の解釈とかじゃなくて描写されている「事実」です。

ヒュウガ・クロサキ
ヒュウガ・クロサキ

>デンジくらいの年頃なら童貞は当たり前ですからね。

そうですね、別にそれを否定しているわけじゃありませんが、別に私は高校時代「女とやりてえ!」なんて思ってなかったです。それは大人になってするもので、尚且つ妊娠や病気のリスクもあると理解していますので、デンジみたいな思いはなかったです。

>「最高じゃないっすか…」もパンにジャム塗って食べる事すらままならない極貧だから出てきた言葉ですし、何よりマキマに生殺与奪の権を握られた状態だからあの選択をした

それに関しても「もちろんデンジが言った「最高」という意味は「普通の日常が送れる」こと、「きちんとした食事が毎日食べられる」ことに対してであって、マキマの配下で働くことに対してではない」と書いています。あなたこそ本当に私が書いた文章をろくに読みもしないで雑語りしてるんじゃないですか?

ヒュウガ・クロサキ
ヒュウガ・クロサキ

コメントありがとうございます。
やっぱりこの男の妄想を受け入れられるかどうかですよね。私はもうある程度経験しているのと、デンジくんほどのど貧乏を味わったことがないので共感はしにくいです。
ただ、あくまで初見の印象なので、今後どうなるかが楽しみですね。

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「チェンソーマン」1話のデンジを見て思う大きな夢(物語)の不在と非モテの妄想|ヒュウガ・クロサキ
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