法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

加害的な表現をゾーニングすることで法規制されないように抵抗するという話に対して、ゾーニングは潰すことと同義だというkeshimini氏の主張が支持を集めていて困惑させられた

東京都の表現弾圧に国会議員が介入しないことを当然視していたhiroujin氏が、共産党や社民党の何を表現規制と批判しているつもりだろうか? - 法華狼の日記

 実際の発言を見れば、いわゆる自浄作用やゾーニングによって法規制をふせぐという提案であって、現在は自民党赤松健氏らも歓迎していたような表現規制に抵抗する方法論のひとつだろう。
 一応、どれほど加害的な表現でも市場に淘汰させないという立場も原理的には存在するし、ゾーニングもまた表現規制の一種ではある。
 しかし新型コロナ禍においてライブハウスを守ろうと国会で動いたりした吉良氏を表現の自由に対立する議員とあつかう根拠になるとは思わない*2。

 上記のようにゾーニング表現規制の一種ではあるという話をしている上記エントリに対して、はてなブックマークid:keshimini氏が下記のようにコメントして、注目コメントの最上位に入っている理由がよくわからない。
[B! politics] 東京都の表現弾圧に国会議員が介入しないことを当然視していたhiroujin氏が、共産党や社民党の何を表現規制と批判しているつもりだろうか? - 法華狼の日記

keshimini 強要された自主規制も、販路に圧をかけて潰した上での儲からなくなったも、表現手法を奪うことも、全部"表現規制"だよ。逆に、例えば共産党を擁護するこの文章が同様の圧で潰されたら、貴方は何も思わないの?

 強要されるのであれば「自主規制」ではないし、何を指しているのか説明されないとわからない。少なくとも社会的「合意」を提案している共産党のことではありえない。批判に対して納得や妥協で表現を修正したり撤回することは一般的に表現の自由の問題ではないが、自主規制でもない。このブログはコメント欄をほとんど全面的に開放して、はてなブックマークも非表示化したことはなく、抗議が殺到することもたびたびある。抗議が不当だと思えば抗議に対して反論したり軽蔑することはあるが、抗議する権利を強要と考えて反発するつもりはない*1
 個人ブログで発表している明らかに商業性を重視していない文章が、販路に圧をかけて潰した上での儲からなくなることで潰されるという発想もよくわからない。アフィリエイトサービスは利用しているが、これはブログの広告を制御するため有料プランを利用することが主目的だ。ちなみに通報によるものか機械的な判断なのか誹謗中傷とgoogleに判断されてエントリの広告が非表示化されることは定期的にあるが、そのまま文章を修正せずに審査してもらって非表示化が解けなかったことはない。そうした通報が不当なものという考えから「圧」と考える立場もあるかもしれないが、他者が通報する自由を認めるならば甘受できることだと私自身は考えている。
 そしてエントリで例示した話のどこから「強要された自主規制」「販路に圧をかけて潰した上での儲からなくなった」になるのかもよくわからない。単語の一部が似ている表現はあるが、全体の文脈を読んでそのような解釈が可能とは思えない。吉良氏は販路ではなく作品個々の判断を市場にまかせようとしていたように思える。むしろ「販路に圧をかけて」が新型コロナ禍の政索を指していると仮定するならば、その結果として意図せずとも「表現手法を奪うこと」は、まさに吉良氏が国会で抵抗したことではないだろうか。


 ちなみにkeshimini氏は、暇空茜こと暇な空白氏について、人格だけが批判されているかのような構図で状況をとらえて、それ以上に仁藤夢乃氏の人格に難があるかのような主張をしていたことがある。
[B! 増田] 何より一民の当たり前の権利は保障されるべきとして暇空茜を支持する

keshimini 人格に難がある奴はオールキャンセルしろというなら仁藤氏こそ消し飛ぶんだよな。どちらも消えろと主張する人は賛否はともかく筋が通ってるが、仁藤氏に親和的でありながら暇アノンとか言ってる人はダブスタが酷い。

 もちろん暇な空白氏が批判されていたのは、公益ではなく嫌がらせのため監査請求をくりかえして関係各所に負担をかけ、名誉棄損にあたるような虚偽を流していたためだ。
形式的に「当たり前の権利は保障されるべきとして暇空茜を支持する」というなら、「当たり前の権利は保障されるべきとして仁藤夢乃を支持する」ともいえるよね - 法華狼の日記

 暇な空白氏が問題にされてきたのは「性格」ではなく、個別具体的な言動だろう。無理筋な行為を性格が悪いとだけ論評することは、むしろ動機や目的の具体的な問題を見失わせて、問題を矮小化させかねない。
 しかもCapricornus氏は後半で、「性格」や「加害性」の問題が仁藤氏と同等のように主張している。主流の話題になっていない「性格」をもちだしたのは相対化のためだったのだろうか。

 私自身は「暇アノン」という呼称を現在もつかうつもりはないが、2023年9月にもなって暇な空白氏以上に仁藤夢乃氏を批判しなければ二重基準になるかのような主張は、それこそ表現の自由の問題であろう。

*1:なお、抗議を黙殺するためコメント欄を無くしたり、はてなブックマークを非表示化するという選択を否定するつもりもない。