小川公代『ケアの物語』(岩波新書) の帯文を書いたよ
帯文を書くという実績を解除しました!
もう4,5年くらいの付き合いになる、小川公代さんの新著『ケアの物語』の帯です。
強者が押しつける「正しさ」と暴力や分断がはびこる現代社会。そこで置き去りにされているのは、尊厳を踏みにじられた人々が紡ぐ〈小さな物語〉――恐ろしい怪物の物語として知られる『フランケンシュタイン』を、10のテーマを通して多様な作品群と縫い合わせ、読む者をケアの本質へと誘う。想像力を解き放つ文学論。
目次は次の通り
はじめに
1.戦争
2.論破と対話
3.親ガチャ
4.マンスプレイニング
5.レイシズム
6.インターセクショナリティ
7.愛
8.エコロジー
9.ケアの倫理
10.アンチヒーロー
私の書いた帯がこちら。
瞬発的に同調することも、他者の声を代弁することもなく、世界に素通りされてきた人の「沈黙」に耳を澄ませるのに、この本一冊分の時間が必要だった。排除されて孤立することも、コミュニティの中で苦しめ合うこともなく、誰かと「心を通わせる」可能性を探るのに、この本一冊分の言葉が必要だった。
三案挙げたうちの、二案が本命だったのですが、そのうちの一つが帯にそのまま採用されました。特に修正もなく、パッと思いついて書いた案がそのまま通った形です。
ケアという主題を、一般の人にもアクセスしやすいところに提示したのは、ひとえに小川さんの功績ですが、やはり「ケア労働」などのイメージもあってか、何となくウェットで「いい話」の印象を持たれているところがあると思っていて、その背景にある地味な時間の積み重なりへの想像を惹起すれば、たとえば評論を読まないタイプの文学読者とか、ケア論を単にウェットないい話だと思っている人文好きの人にもリーチするんじゃないかなと思って、こういう帯文を書きました。
そして、編集者にも許可をもらったので、採用されなかった残りの二案についてもここで紹介したいと思います。
それぞれが、この本に対する私の感想でもあります。細かな話はトークイベントで話せたらと思っています。
案①
遠くの誰かの苦しみに共感を寄せられても、身近な人の抱える「沈黙」に気づくことは難しい。
沈黙に気づいたとしても、代弁せずに「声」を聞くことは難しい。
声を聞き届けたとしても、「共感」を維持することは難しい。
そういう難しさを忘れさせるくらい、誰かを信頼することは魅力的だということを、この本はゆっくり教えてくれる。
ケアというと、共感がベースで、共感はよかれあしかれ「偏り」があるものです(それが強みでもあるわけですが)。その難しさと魅力をストレートに扱うような帯文を書けたらいいのかしら、と思って書いたもの。
これはたぶん採用されないだろうと思っていました。ちょっと私個人の興味に寄りすぎているし、本に続いていく感情的な道筋が少し少ない感じ。
案②
声の大きな人が力を持ち、状況に真摯であろうとすると気疲れしてしまう時代に、忘れられた人々が強いられている「沈黙」を、そしてその隙間から漏れ出す「微かな声」を、『ケアの物語』は、共感と信頼という横糸で結びつけていく。
そうして作られた、この文章(テキスト)は、私たちの肌を温める織物(テキスタイル)だ。
別案として、こんなものも。
対話が論破に置き換わり、批判が炎上とみなされる時代に、忘れられた人々が強いられている「沈黙」を、そしてその隙間から漏れ出す「微かな声」を、『ケアの物語』は、共感と信頼という横糸で結びつけていく。そうして作られた、この文章(テキスト)は、私たちの肌を温める織物(テキスタイル)だ。
書籍は実際には、フランケンシュタインの物語だけでなく、ヒロアカや進撃の巨人など、いつも通りの小川節というか、多様な物語を参照していて、百花繚乱の感があります。
その小川さんと、東京の代官山蔦屋書店にて、7月9日にイベントします。夜19時からなので、仕事終わりにぜひ駆けつけてください!
会場は有限ですが、オンラインはもうどこまでもいける(400人くらいいける)ので、蔦屋書店が困るくらい申し込んでくださーい!


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