ニュースに潜む「男消し構文」 加害者男性が〝透明〟になる要因とは

ライター・ヒオカ=寄稿

Re:Ron連載「普通ってなんですか」(第5回)

 SNS上で、「男消し構文」という言葉をよく見るようになった。

 SNSに流れてくるウェブニュースの見出しを見ると、ある傾向が感じられる。

 ・事件の加害者が男性の場合、見出しに性別が記載されず、〇〇歳 従業員/知人/同級生といった表記になる。または加害者に関する記述そのものがなく、被害者の属性だけ強調された記載になる。その結果、不自然な日本語になっている場合も散見される。

 例)ミスしたら監督から「性器」意味する言葉のセクハラ、女子サッカー元選手2人が賠償提訴(産経新聞) ※監督は男性

 例)女子大生が悲劇、看護師に襲われる…帰宅中の深夜に 追いかけて押し倒し、体を触った疑い 父が通報「娘がいきなり抱き付かれた」(埼玉新聞) ※加害者の看護師は男性

 例)同僚女性の所持品に体液、「不同意わいせつ罪は成立する」…民放元社員に有罪判決(読売新聞) ※加害者は男性

 ・女性が加害者の場合、見出しに少女・女と性別が記載される。

 ・加害者が複数犯の場合、例えば少女1人、少年4人による犯行でも、見出しは「少女らを逮捕」と書かれるなど、女性が1人でも含まれると「少女ら」「女ら」という表記でまとめられる。

 例)「俺の女に手を出すな」と言いがかり 路上強盗容疑で少女ら5人逮捕(朝日新聞) ※逮捕されたのは、少年4人と少女1人

 ・男性が加害者、女性が被害者の場合、被害者女性の顔写真がサムネイルに使われる。

 ・女性が加害者、女性が被害者の場合、加害者女性の顔写真がサムネイルに使われる。

 ・事件の加害者が女性の場合、卒業アルバムの写真や送検時の写真などがサムネイルになることが多い一方、男性の場合は建物の写真になることが多い。

 このように、男性を透明化するような報じ方を指摘する上で、「男消し」という言葉が使われているのだ。

 もちろん、この法則はすべてのニュースに当てはまるわけではない。ただ、あからさまに男女に非対称性が見られ、「男消し・女強調」の傾向は、読者の主観的な感覚だけでは説明できない、公正さを欠いた、恣意(しい)的な現状があるのではないか。

「女強調」思い当たる数字

 筆者は報道に関わる記者ではないが、メディアで記事を書くことがあるライターとして、「男消し・女強調」が起きる要因として思い当たることがある。

 一番考えられるのは、そもそも事件の加害者の割合に男女で差があり、男性の方が多いという事実による影響だ。「令和6年版 犯罪白書」の刑法犯の検挙人員(男女別)の推移によると、「女性比は、おおむね20~22%台で推移しており、令和5年は21.5%」と記載がある。

 さらに、性犯罪においては、不同意わいせつ罪においては女性容疑者の(もしくは加害者の)比率は0.8%、不同意性交罪の比率は0.7%となっている。

 その事実を踏まえると、女性が加害者の刑事事件は全体に占める割合が少なく、その分社会的インパクトも大きくなる。PVが重視されるメディアで、女性が加害者の事件の方が「ニュースバリューがある」と捉えられている可能性はある。

 多くの人は実感していると思うが、センセーショナルで過激なタイトルはクリックされやすく、その事実が浸透していると、記事を書く側は「男消し」に無意思・無自覚のまま、クリックされるための工夫を行う。その結果、女性が加害者の場合性別を強調するということが、手癖のように慣習的に行われていて、書いている本人も深い意図はない、反射的にやってしまっているという場合も考えられる気がしている。

 しかし、その理屈では、「女強調」は説明できても「男消し」は説明できない。

 ここで、さらに事情を考えると、タイトルの文字制限という条件がある。SNS上で流れてくる記事を見ると、表示される短い見出しでは男消しが発生しており、クリックして元記事の見出しを見ると加害者が男性だと書かれている、というパターンもよく見られる。短いタイトルでいかに読者の関心を引きつけるかを考えた時に、男性が加害者である割合が高い以上、その事実にインパクトはなく、そこに触れることに文字数を使うのは無駄という判断になるのかもしれない。それよりも、被害者の属性などに触れた方が読まれると判断し、加害者が男性である場合あえて書く必要ない、ともはや条件反射的に判断されている可能性も考えられる。

 あくまで推測の話ではあるが、たとえ無自覚であったとして、それが免罪符になるわけではないと思う。

 ウェブメディアなどで執筆していて、実際に、記事のタイトルに「女性」というワード、さらに言えば「10代女性」「20代女性」というワードが入ると、PVが伸びやすいということを実感したことがある。

 この経験の部分は報道ではなく、通常のインタビューやエッセー、コラムなどでの話だ。

 PVが伸びた記事について担当者と分析していると、「この記事は20代女性というワードがタイトルに入っていますよね。やっぱりそれだけで読まれやすいんです。若い女性が出てくると思うだけで、クリックする人はいます」と言われたことがある。私は読まれた理由は内容にあると思っていたので、「若い女性」という属性がタイトルに入ることがPVが伸びた要因のひとつと知り、面食らったことを覚えている。

 報道においても、「事件を起こした若い女性」「被害に遭った女性」の存在が見出しにはいることで、ニュースバリュー(PVが伸びやすい)が出る、ということはありうる ようだ。

 「女強調」の傾向において、「女性」「少女」「女」「女ら」以外にも多く見られるのが、「女子高生」「女子大生」、さらにいえば、「風俗嬢」「トー横・少女」といった、女性という属性にさらにセンセーショナルさを加えた言葉だ。こういった表現を、報道本来の目的を果たすための必要性もないのに、PVのためにあえて使用しているケースもあるのだろう。

 ちなみに、既に報道におけるジェンダーバイアスを危惧する動きはあり、新聞労連の編集チームが2022年に「ジェンダー表現ガイドブック」を作成している。紹介文には「ジェンダー平等を日本で早く実現したい。それにはまず、メディアが発信する記事から見直さなければならない――。この本は、現役の新聞記者たちの強い危機感から生まれたものです」という記載がある。

 「確信犯と無意識の罪」という項目では、ウェブにおいて、PVを稼ぐために扇情的な表現が使われる傾向があり、それを性犯罪の報道にも適用している場合があるという指摘もなされている。

 性犯罪、性暴力に関する記事の見出しで、紙面に掲載されたものがウェブ媒体に転用される場合、扇情的になるケースがあり、実際の例が掲載されている。

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 ・住居侵入などの疑い(新聞)

 →女児入浴中、窓の隙間から…(ウェブ)

 ・盗撮とわいせつ 2教諭懲戒免職 県教委(新聞)

 →「スイッチが入ってしまった」57歳盗撮教諭を懲戒免職(ウェブ)

 紙媒体では逮捕容疑が見出しになるのに対し、ウェブでは性暴力の出口や加害者の供述を強調しています。事件を矮小(わいしょう)化し、性的な表現を含む『コンテンツの消費』を促しているようにも見えます。こうした扇情的な見出しがついた記事が、PV稼ぎにつながり、アクセスランキングの上位に来ることがあるようです。

――――――――――

 指摘されているように、PVを優先するあまり、報道の公正さに「ゆがみ」が生じているケースは実際に存在し、男消しもその延長線上に起きている気がしてならないのだ。

無理心中ニュースに感じた「不自然さ」

 先日、父親による一家無理心中と見られる事件が相次いだ。

 父親が母親を刺し、娘が生き残ったと見られる事件では、まるで両親が無理心中をはかったかのように見える見出しに批判が多く見られた。

 例)「父と母が喧嘩」5歳女児の両親が無理心中図ったか、女児にも刺し傷 大阪(ライブドアニュース) ※現在この記事は削除

 また、もう一件の事件では、「3人死亡 夫とみられる男性も死亡」と、4人が不審死したとも受け取れる不自然な見出しで報じられた。

 例)大阪 住宅で母と娘とみられる3人死亡 夫とみられる男性も死亡 (NHK)

 こうした不自然な見出しが発生するのは、まだ父親が犯人だと確定していないから、という理由もあるだろう。

 例えば、男性が加害者の場合、建物の写真がサムネイルになるというネット上の指摘があるが、容疑者の段階では後に不起訴や無罪になるケースや、冤罪(えんざい)の可能性もあり、顔写真を載せると人権侵害になりかねないゆえに、建物の写真にされていることもあるだろう。様々な報道ルールが適用された結果、「男消し」が発生している場合も一定数は存在する。加害者が男性であっても女性であっても、建物の写真が使われることはあるが、刑法犯の検挙人員の約8割が男性であることを考えると、男性が加害者で建物の写真を使われるケースの母数が多くなるのは必然で、結果的に男性が加害者の場合建物の写真が多いという印象につながっている可能性もある。

 それでもやはり、女性が加害者の場合はニュースバリューがあるため、リスクを負ってでも顔写真を使用するというケースも考えられ、そういった事実があるとすれば大問題だろう。

広がる「男消し」

 「男消し」という現象は、ニュースの見出しやサムネイル選びだけで見られるものではないと感じている。

 例えば、芸能人や政治家の男性による女性への性加害疑惑が報じられる時、いまだに「女性問題」「女性トラブル」という表現が使われる。対して、「男性問題」「男性トラブル」との表現は非常に少ないという印象を抱く。なぜだろうか。

 「女性問題」「女性トラブル」という表現には大きく三つの問題がある。

 ・汚職問題/金銭トラブルなどという表現はよく見られる。「女性」をジャンルのように言う傾向は昔からあり、「酒・女・金」と羅列されることがある。女性をモノ扱いする感覚と地続きである印象を受ける。

 ・一方的な加害行為があった場合も含めて、「トラブル」と表現することで、二者間のもめ事であり両者に原因があるというニュアンスを生む。

 そしてもう一つが、加害者の男性を透明化することだと思う。

 性加害における加害者の責任の透明化を考える上で、「性欲原因論」というものに触れておきたい。

 芸能人の性加害が報道されると、「性欲で人生を棒に振るなんて」「性欲が抑えられないなら風俗に行けばいい」など、性欲が抑えられなかったことに原因を見いだす声が多く聞かれる。そうした言説は、「性欲をかきたてる被害者に落ち度があり、加害者は巻き込まれたようなもの」とする被害者バッシングと、加害者男性の責任の透明化につながっている。

 『性的同意は世界を救う: 子どもの育ちに関わる人が考えたい6つのこと』(斉藤章佳、櫻井裕子著 時事通信社)という本では、「性犯罪について、『加害者が性欲が抑えられなかった結果おきる』という性欲原因論が根強く支持されている」と指摘している。さらに「性欲原因論は誤りである」といったことが明確に書かれている。

 社会に根付く性欲原因論の弊害について、以下の記述がある。

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 斉藤:セクシャルの問題が入ってくると、なぜか犯罪として扱ってもらえないばかりか、被害を受けた側が「落ち度」を責められるというおかしな現象が起こっています。「ハニートラップだ」という二次被害をもたらす言説すらあります。私は、この根っこにあるのが、「性欲原因論」だと考えています。同義の言葉で言えば「レイプ神話=レイプされるような恰好をしているほうが悪い」という考え方です。これが、加害者が自分の加害行為を過小評価して、被害者が自分を責めるという逆説的な状況に繫がっていると私は整理しています。

 櫻井:性犯罪は加害者の「性欲」そのものに加え、性欲をかきたてる被害者が引き起こすものだという社会認識があって、この認識が加害した人間の責任を薄めている。

――――――――――

 つまり、男性は性欲が抑えられないのだから仕方ないとすることで、服装や行動などでその性欲を触発し、かき立てた被害者側に落ち度があるという考え方につながり、結果的に被害者が責められ、加害者の責任が透明化されるという事態につながっているというのだ。

 男性による性加害を、「女性トラブル」「女性問題」と表現することで加害者の責任が透明化されることと、性欲原因論にのっとり自衛を怠った被害者女性に落ち度を見いだし、責めることで加害者の責任が透明化されることは、どこかつながっているような気がする。

 性犯罪における「男消し」は痴漢問題でも見られる。駅の痴漢防止のためのポスターは、「痴漢に注意!」「盗撮されないよう後ろを見て!」と自衛を促すものが多い。SNS上では、痴漢を許さないという、加害者側へのメッセージにするべきだという声もあがり、実際最近では、そういったアプローチのポスターも見られる。

 先日、Yahoo!ニュースで、「ぬれた傘からコンビニのアイスまで 女性の1人暮らしで注意すること」(毎日新聞)という記事が注目を集めた。この記事では、コンビニでアイスを買うと近くで暮らしていることがバレる、女性向けの傘を部屋の前に立てかけると女性が暮らしていることが悟られる、というふうに、徹底して女性に自衛を喚起する内容だった。被害に遭わないために防犯の意識を持つことはもちろん重要だ。しかし、違和感を覚えた。

 まず、なぜ女性ばかりが、ここまで自衛を強いられるのだろう? 強制ではなくあくまで注意喚起であることは理解しているが、犯罪者のせいでコンビニで気軽にアイスを買えないという事実を肯定していることにならないだろうか?

 女性は物件探しでも2階以上のオートロック付きが最低条件となるため家賃を抑えられないだけでなく、生活の隅々まで意識を張り巡らせないといけないのは広義の「ピンク税」ではないかとさえ思えてくる。ピンク税とは女性が買う商品が男性のものより高価になる傾向があることをさす。普通に暮らすために防犯のためのお金や労力がかかるという点で、生活のために多く支払いが発生していると言えるからだ。

 そこまで自衛をしないといけないのは、加害者がいるからなのだが、記事には加害者についての記述は見られない。女性はコンビニでアイスを買うのは防犯上よくないというのは通説になりつつあるが、それが広がれば、「一人暮らしの女性なのにアイスを買って隠さないなんて防犯意識が足りない」と言われるようになりかねないとも思う。実際、男性が住む家に女性が1人で行くのはよくないということは浸透していて、それで女性がレイプされると、「意識が足りない」「性的合意とみなされても仕方ない」と被害者の落ち度を責める声があがる。過剰な自衛をあおる言説は被害者への二次加害につながるのだ。

 芸能人の不倫問題でも、同じように不倫をしても、男性側への制裁は軽く、女性側だけが干されるという話はよく聞く。男性側にも影響がある場合はあるが、明らかに差があるように見受けられる。

 多くのフォロワーを抱えるあるSNSアカウントが、「〇〇(男性芸能人)、△△(女性芸能人)騒動が飛び火してCM放送中止に」と投稿したことで、批判が殺到した。男性芸能人も当事者であるのに、「飛び火」というワードが使われたことに、多くの人が疑問の声をあげたのだ。

 不倫問題に関して殊更に女性ばかりがバッシングされ、女性の問題として扱われるのも、「男消し」の一種ではないか。

 妊娠・出産においても、男消しと言える事象がある。

 例えば、乳児を遺棄して逮捕されるのはいつも女性だ。妊娠は男女がいないとできないが、男性は行為をした後に責任を取らず、女性が追い込まれた末に子どもを遺棄したとしても、罪に問われることはない。

 もちろん、昨今では父親の責任を問う声も大きくはなっている。遺棄事件が起きると「子殺し」「無責任」と非難されるのが常に母親であるという現実に、疑問を感じる人は増えてきたのかもしれない。

 他にも、経済的に余裕がないのに子どもがたくさんいる母親をさして、計画性がない、無責任といった声があがることがある。そういった声に対し、「多産DVという可能性もある」という指摘がされるようになった。

 どうしても、妊娠・出産にまつわることは女性ばかりが責められやすい。

 以前の記事でも書いたが、少子化問題においても女性ばかりがやり玉にあがる。少子化は男女双方の問題であるはずだ。

 それなのになぜか「女性が地方から流出するから」「女性が社会進出したから」「女性が高齢出産のリスクを知らず、焦らないから」と女性の責任にされるのだ。

 近年、研究などで男性が高齢の場合、不妊や流産、その他の様々なリスクが上がることが明らかになったが、いまだに女性の高齢出産のリスクばかりに言及され、男性は何歳でも妊娠させることができるとの見方は根強い。高齢による妊娠リスクについても、男性の責任が透明化されているのだ。

 また、「パパ活」 においても、男消しは発生している。

 SNS上では、パパ活女子が批判の対象となり、やり玉にあがる。それに対し、パパ活は買う男性がいるから成り立つのに、なぜ男性は透明化されるのか?という指摘が出ることがある。

 「売春」においても、売る女性がやり玉にあがることが多い。例えば、街に立つ女性を盗撮し、SNS上に「立ちんぼ(俗語で、街角で売春待ちをする人を指す)」としてアップして揶揄(やゆ)する人が絶えない。しかし、買う男性がいるから成り立つことであるから、「売春」ではなく、「売買春」とすべきではないか、という指摘の声も上がっている。

 不倫問題や、パパ活問題など、性に絡む問題で女性の方が責められやすいのは、女性にだけ貞操観念が求められてきた時代や、女性は男性の所有物のように扱われてきた家父長制の名残もあるのではないかと思う。

 実際の事件でも、男女の非対称性が指摘されることがある。

 例えば、ストーカー事件では、女性が加害者の場合、迅速に検挙され、男性が加害者の場合は殺人に発展するまで大きな介入がないという指摘はよくみられる。男性が加害者の割合が圧倒的に多く、事件化したケースも多いため、対応のばらつきが顕在化しやすいという背景もあるだろう。しかし、その事実を差し引いても、あまりに非対称ではないか、との指摘にもうなずける部分がある。

「男消し」に深く関わる意識や事象

 男消しが起きる前提には、男性中心社会があるだろう。報道各社の意思決定層には男性が多い。警察や裁判官など、司法に関わる人も圧倒的に男性が多い。ものの見方や対応に、自覚がなかろうとバイアスが生じてしまう可能性はある。

 男消しの問題は、単なる見出しやサムネイルの問題ではなく、現実世界の私たちの意識や事象に深く関わっている。

 最後に、「男消し」「男消し構文」という言葉は、多くの方々が違和感を持ち、その事実を指摘しようとする中で生まれた言葉であることを強調しておきたい。

 「男消し構文」という言葉を、ネットのミーム扱いせず、ジェンダーの大きな問題として認識され、検証される必要があるのではないか。ぜひ、この件に関して報道各社はもちろん、メディアの研究者や専門家は検証を行って欲しい。

 1995年生まれ。ライター。投稿サイトで公開した記事が話題となり書き手に。ウェブ媒体「mi-mollet」(講談社)「婦人公論.jp」(中央公論新社)などで社会問題からエンタメまで幅広く執筆。著書に『死ねない理由』(中央公論新社)、『死にそうだけど生きてます』(CEメディアハウス)。

言論サイトRe:Ron(リロン)

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    津田正太郎
    (慶応義塾大学教授・メディアコム研究所)
    2025年7月9日15時0分 投稿
    【視点】

    社会学者の岸政彦さんの著作『断片的なものの社会学』(朝日出版社)に、「普通の人びと」についての話が出てきます。「普通の人びと」とは、多数者や一般市民とも呼ばれうる存在で、それと対比されるのが少数者、マイノリティということになります。 岸さんによれば、「普通の人びと」は「無徴(むちょう)」の存在として生きられると言います。つまり、何もラベルを貼られることなく生きていくことができる。逆に、マイノリティの場合になると、すぐにラベルが貼り付けられる。たとえば「女医」や「女流作家」という言葉はあるのに、「男医」や「男流作家」という言葉はない。マジョリティである男性医師や男性作家にはラベルを貼る必要がないからだというのです。 「男消し」が起きる理由の一つは、まさに男性が「無徴」として生きていることにあるのでしょう。もちろん、この記事で論じられている他の要因も作用していると思います。 この点で気になるのが、いま政治争点化している外国人の問題です。外国人が何か罪を犯せば多くの場合にその国籍がセットで報道されるのに対し、(日本国内で起きた事件であれば)わざわざ加害者が日本人だと明言されることはまずありません。日本国内で日本人は圧倒的にマジョリティであるがゆえに「無徴」の存在だからです。この記事の言葉を借用すれば「日本人消し」ということになるでしょうか。 結果として、日本国内で起きる犯罪の圧倒的多数は日本人によるものであるにもかかわらず、外国人による犯罪は人びとの記憶に残りやすくなり、その脅威が過大に評価されてしまう現象が起きているとも考えられます(少し古い論文ですが、犯罪に占める外国人犯罪の割合を多くの人びとが過大に見積もっていることを示す研究も存在しています https://www.jstor.org/stable/40664243?seq=6)。 本記事の結びにあるように、何気ない言葉遣いがもつ働きについて、もっと注意を払う必要は確かにあるように思います。

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  • commentatorHeader
    小松理虔
    (地域活動家)
    2025年7月9日16時0分 投稿
    【提案】

    アクセス数を追い求めるメディアの「見出し」と「男消し」の関係性、ああ、たしかにそうだな、現実の意識や事象にも関係してるな・・・と思いながら記事を読みました。この記事に対して朝日新聞デジタルのデスクの皆さんはどう感じたのか、見出しについてどのような方針があるのか、改めて聞いてみたい気もします。ぜひコメント欄に!

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