青年学生

誰もが声を上げられる社会、差別・排除されない社会をーー唐井梓さん(お茶の水女子大学大学院)

 大学の学費値上げなどに反対し、学生や教員が声を上げ続けている。その中で唐井梓さん(お茶の水女子大学大学院博士後期課程1年)は、運動のなかで感じた社会の分断や対立を乗り越えようと模索を続けている。思いを聞いた。(文責編集部)

参院選候補者アンケートについて文科省内で記者会見する唐井さん(右から2人目、6月13日)

 わたしたちは今年の2月と5月に院内集会を行い、高等教育費予算の増額や給付型奨学金制度の拡充などを訴えて、各政党や国会議員、文科省など政府機関に要請を行ってきました。

 6月13日には文科省内で、各政党や7月に行われる参議院選挙の候補者に対して行った学費問題に関するアンケート結果の経過報告に関する記者会見を行いました。現在、アンケート結果については公表するためのサイト立ち上げ準備の最中です。

【記者会見】参議院選挙候補者全国共通学費アンケート(6月13日時点)

 参院選の前ですが、学費値上げに苦しんでいたり、生活に困ったりしている学生のなかには、そしてもっと関心を持ってほしい社会においては、政治や社会について十分に知ったり考えたりする時間も、そのような精神的余裕もないというひとが少なくありません。わたしたちが実施したアンケートが現在の政治について考える際のひとつの物差しとなればと思っています。参院選での投票行動が大きな力になることをお伝えしたいです。

批判の背景にある分断

 これまでの取り組みで、仲間と共に学費や生活費をめぐって学生が厳しい状況に置かれていること、また高等教育予算を拡充することの意義や必要性を訴えることに力を入れてきました。その取り組みのなかで、わたし自身は、具体的な体験も言葉にしながら、主に社会による分断とその背景にある構造的な問題について発信してきました。それは以前からわたしの心にあった問題意識で、活動を通してその問題意識を再確認しました。

 わたしたちの活動に対する批判のなかには、学生として学業にいそしむことは世代や国籍を問わずひらかれたものである、とするわたしたちの主張を無視し、若者あるいは学生としてのみわたしたちを位置付け、高齢者や若者世代ではないひと、そして学生ではない「社会人」(わたしはこの表現を支持しませんが)との対立をあおっていると見る声もあります。またSNSでの発信においてはミソジニー(女性嫌悪)に基づいた中傷も見られました。

 しかし、わたしたちのなかには「社会人」をしながら学んでいるひともおり、対立構図を指摘するような批判は、他にもさまざまな点で妥当ではないと感じています。学び続けたいと思うひとたちは、さまざまな背景や理由を持っていて、決して単一のイメージで語れるものではありません。つまり、学ぶことがジェンダーや国籍、世代、障害、特性などを問わず、すべてのひとに開かれたもので、それを今学べているひとたちだけの「特権」ではなく、またこれ以上「特権」としないようにわたしたちが闘っていることを再度強調したいです。

 現在、そもそも声を上げること自体が社会から受け入れられていないことは、わたしたちの主張に妥当性がないからではなく、政治的に抑圧されてきたがゆえに、社会にあきらめや冷笑がはびこっているからだと感じています。

 学ぶ権利が政府によって阻害され、学生が抑圧と困窮のなかにいる現実において、わたしが特に問い直していきたいと思っているものが、「学費の支払いが大変なら学校をやめて働けばいい」「もっと困難な状況のひとがいるのだから我慢しろ」といった反応です。「学ぶことは働かないことであり甘え」だと言われているように思います。

 苦しい生活を強いられているひとのなかには、「苦しいとは言っても大学生は働いていない、家族などからの援助を受け、働かずに大学生活を送るほどに恵まれている」という認識があるのかもしれません。しかし、このような認識が妥当ではないことは、上にも記したとおり、われわれの運動における声をしっかりと聞いていただければわかるかと思います。

 たしかに、こうした声に対し、「実際に苦しい生活を強いられている学生が多数います」「高等教育費を拡充することは未来の日本社会の利益になります」と、反論のように応答することはできます。

 けれども、わたしたちがしなければならないことは、このような声の背景にある構造的な分断や対立を指摘し、それにこそみんなで立ち向かっていこうと呼びかけることです。「みんな苦しいのだから学生も我慢しろ」とわたしたちの声を抑えつけても、学生以外のひとの苦しい状況が変わるわけではありません。多くが軍事費に消え、社会保障費と物価が上がっているのに給与が上がらず、学生たちの声に「我慢しろ」と言いたくなるほどの対立を生んでいる。その「変わらない、硬直した政治」にこそ目を向ける必要があると思います。

 先日行われた都議選では、人権理念や歴史認識に問題のある政党が議席を獲得してしまったりなど、残念な結果となってしまいました。しかし、現実を直視し、冷笑やあきらめに陥ることなく、この国に暮らすすべてのひとびとにとってよりよい社会について考え続けることが肝要だと思います。

大学に求められているもの

 日本社会で声を上げづらいことは、大学という「社会」において声を上げづらい状況が増していることと直結しています。

 近年、当局の意思決定には学生はおろか教員もほとんど関与できない状況となっていることと、学費値上げに反対する声が届かないことは地続きです。2023年10月に、これまでの継続的な人権侵害への抵抗を経て虐殺が開始されてしまったパレスチナの状況を契機に、全国の学生が日本における沖縄やアイヌ、部落問題について自ら考え、植民地主義や暴力について声を上げようとしました。それを大学側が「政治的」として抑圧した事例は数多くみられます。

 6月11日には、学術会議の法人化法が成立し、これによって今後さらに学問や大学への国の介入が強まることへの懸念は膨らんでいます。国の高等教育や研究への姿勢は消極的で、交付金は年々削減され続けています。

 そのなかで大学当局は、政府に対し予算を求めるのではなく、学費値上げという施策を打ち出し、学生に負担を押し付ける形で当局の財政難を乗り切ろうとしています。昨年東大では、学費値上げ決定プロセスに不満を持って学内に集まった学生の行動を、当局が「侵入」という言葉で批判し、武装警察を使って排除することまで行いました。

 わたしは、このような不当な行為自体ももちろんですが、不当なことを正そうとする声が無化され、バッシングによって毀損(きそん)され、冷笑されることに強い忌避感を覚えています。当事者である学生や教員がもっと「おかしい」と声を上げられる状況をつくっていくことが必要ですし、それに耳を傾ける社会からの関心が必要です。

 2月から5月にかけて、多くの教員がわたしたちの運動に賛同してくれましたが、実際に呼びかけを行った時期はそれほど長くなく、もっとたくさんの声を集められる余地はあると思っています。また今年度からの値上げの当事者となっている1年生に対しての呼びかけもまだ十分ではありません。やることは山ほどあります。

 わたしたち学生は、大学という小さな「社会」から、「社会」全体の問題について訴えています。わたしたちにとって学費値上げの問題を訴えることは、「社会」の在り方を問うことにつながる、大事な学びの実践でもあるはずです。

 今後も呼びかけを続け、全国の学生・教員のつながりを強めていきます。そしてその先に、学生だけが声を上げられるのではなく、誰もが声を上げられる社会を実現したいです。そして、困難な状況にあるひとを含め、すべてのひとがなにかをあきらめたりしなくていい社会、「他者」を差別し、排除し、冷笑するようなことが正当化されない社会を、皆さんとともに実現していきたいです。

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