きちんと言語化できるか自信がないが、書き始めてしまう。
今次の参院選のみならず直近のいくつかの選挙では、複数の政党が、多数者におもねって、わかりやすい少数者を見出しては攻撃対象とするという戦略をとっていないだろうか?
背景には、多数者の不満があるのだと思う。現代日本の多数者は、幸せではないのだ。
外国人に対する攻撃に関しては、先日エントリーを書いた。
その後いくつかの記事が出たので、自分の記録のた記録のためブログカードを貼る。ごく一部である。
それ以外にも、OTC類似薬の保険適用除外が水面下で探られていたり…
直近では「終末期医療」切り捨て案が報じられたりした。
ちょっと違う気もするが、被災地・被災者への冷淡な態度も、それに類するメンタリティーが背景にあるように思えて仕方がない。
私のSNS観測範囲では「いつまで能登地震の話をしている」のような無神経な言説が、しばしば目に飛び込んでくる。
被災地の復興は遅々として進んでおらず、そうした状況を伝える報道も決して少ないわけではないのだが。
これらを私なりに言語化したのが、繰り返しになるが「複数の政党が、多数者におもねってわかりやすい少数者を攻撃対象とする戦略をとっていないか」ということで、ブログタイトルにも掲げた。
これも繰り返しだが、現代日本社会のマジョリティーが現状に強い不満を感じているがゆえの、選挙戦略であろう。
こうした状況が好ましいものとは、決して思えない。
人気ブロガーのフミコフミオさんが、こんなエントリーを公開された。引用、失礼します。通知お騒がせします。
自分でも悪い冗談と思いつつ "「氷河期世代」を仮想敵にする政党が出てきても不思議ではありません" というブックマークコメントを投入しました。
X旧ツイッターの関連ポストに投入した引用ポストは、我ながらもっと酷くて…どうかご海容のほどをm(_ _;)m
念のために書いておきますが、「氷河期利権」や「氷河期特権」などというものは実在しません。
逆に言うと、現在人口に膾炙している「✖✖利権」や「✖✖特権」は、あからさまな虚構、デマが多いです。
しかし同世代を対象に打ち出される、傍目にも明らかに的を外した政策たちも、性根の腐った人間には利権や特権に見えるかも知れないぞ。
何が言いたいかというと、まさしくニーメラーの警句であって、少数者を攻撃する政党を支持すると、いつ自分がその少数者として攻撃対象になるかわからないという危惧である。
ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
wikipedia:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき より。
現代日本の多数派の自己認識は、共産主義者でも社会民主主義者でも労働組合員でもニーメラーのようなルター派牧師でもないだろうから、この言葉は響かないかも知れないが、といらぬ憎まれ口を叩いておこう。
これもまた繰り返しになるが「氷河期世代」は悪い冗談としても、誰が次の攻撃対象にされるか、どの属性が次の攻撃対象にされるか、予測できないのだ。
「まさかそんな理不尽な」という属性が、攻撃対象にされないとも限らないのだ。
では、どこに投票したらいいのかという当然の疑問が湧くが、「誰ひとり取り残さない政治」を掲げた政党に投票すべきという代案を思いついた。
しかし、どこかで聞いたことのある言葉だと思って検索したら、この記事がヒットした。
石破首相がそう言っていたのか…いや、あくまで私の意見だが、石破氏は直近の歴代首相の中では圧倒的にまともであり、もし「石破内閣を支持するかしないか」と問われたら「支持する」と回答してもいいと思っている。某野党ガチガチの固定票である私としては、例外的なことである。
「誰一人取り残さない政治」は、自民党だけでなく立憲民主党も謳っているのか。
それぞれ、この言葉が出てきた文脈は違うけど。
ま、個々の候補の主張をよく読んでorよく聞いて投票するしかない、と、ありふれた結論に逃げておこう。
追記:
「そういうお前(私)は、現少数野党という少数者を攻撃しているじゃないか」という自己反論を思いついた。
それに対する自己再反論としては、ポパーの「寛容のパラドックス」を引いておこう。寛容な社会を守るためには、不寛容な相手に対しては不寛容でなければならないのだ。
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