2-6 救済地点の欠如
黄昏世界には、救世主職の退職届が存在した。金を積んでも手に入らない奇跡のアイテムがあるなんて流石は異世界である。それだけでもこの世界に飛ばされた不運を帳消しにするだけの価値がある。
「よっしゃーーっ。これで俺は普通のアサシン職だ!」
ウィズ・アニッシュ・ワールドに在住する某神様。お前のブラック企業から俺は退職だ。退職金はいらないから、もう関わってくるな。
「……いや待て。何を喜んでいる?? 救世主職を失ったと分かっているのか!」
「ブラック職を辞めて喜ぶのが、そんなにおかしいだろうか?」
「おかしいだろ! 救世主職共はその世界において最も救世主に相応しい人物が選ばれる。どんな苦行にも耐えて戦うしかない、そんな脅迫的な世界救済欲に駆られる人物が選出される。だというのに離職で歓喜だと? 馬鹿にするなッ!!」
いや、そう怒鳴られても困る。別に救世主職にアイデンティティは感じていない。この場に黒曜がいたとしても同意するだろう。
「救世主職は世界を救うためのものだろうがッ。いいのか、職を失えば、世界を救えなくなるのだぞ!!」
そう指摘されてもやはり困る。
確かに、俺は異世界の大魔王たる主様を討って地球を救った。だが、順番が逆だ。
俺は救世主職になってから世界を滅ぼす魔王を討伐したのではない。世界を滅ぼす魔王を討伐した結果、救世主職として勝手にヘッドハンティングされたのである。
救世主職に就いた正確なタイミングは不明だ。魔王連合に追い込まれて凶鳥として活動していた時に任命されたのだろうとは思う。俺を救世主職に就職させたあのクソ神様を黒曜にボコさせれば自供するだろうが。
「救世主職の正確な就職条件って何だろうな。座付きの大災害レベルの魔王を倒すとランクが上昇するから、就職条件は座付きの魔王の討伐だとは思うが」
「ゴチャゴチャ言っていないで、もっと離職した事実を恐れろッ。救世主職の恩恵を失って未知なる異世界に挑まなければならない状況に絶望しろッ」
救世主職の恩恵、恩恵ねぇ。
レベルアップ時のパラメーター上昇率が高いのは確かである。とはいえ、この黄昏世界だと何故か経験値を取得できないので恩恵を感じられない。
うん、やはり離職しても問題はないな。
「救世主職からの階級昇華条件があるだろうが!」
「……階級昇華??」
「首を横に、捻るなッ。神に至る道を失ったと自覚しろ!」
このトラ、俺よりも救世主職について詳しい。詳細を聞いておくべきかもしれないが、二度と就かない業種だ。あえて訊ねないでおこうか。
「復職する方法を丁寧に教えてやる。救世主職お得意の救済地点からのやり直しだ。『傲慢離職、山月の詩』を読む前の時間まで逆戻れば、再び救世主職だぞ。さあ、自決して『ZAP』されろ。自分で死ぬのが手間なら、俺が喉を掻っ斬ってやる」
椅子からほとんど動いていない癖に、ゼーゼー、と虎人は息苦しそうだ。
人間を喰う癖に、今更親切ぶって離職状態への対処方法を教えてくれても、手心は加えないぞ。
そもそも、俺には不可能な対処方法だ。
「いや、救世主職はBランクだったから『ZAP』スキルを覚えていない。あんな命を蔑ろにするスキル、覚える前に離職できて本当に良かった」
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“『ZAP』、このスキルを得た救世主はもう後戻りできないというか、後戻りさせられてしまうスキル。
世界を救えなくなった瞬間、強制的に時が戻り、ギリギリ世界を救える救済地点からやり直せる。
汝、死にたまふことなかれ。世界を救い続けよ”
“取得条件。
人類の危機たる座付きの魔王を討伐し、救世主職をAランクにする”
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死んでやり直す破目になるなんて、絶対に精神が病んで命の重さがポケットティッシュ未満にしか感じられなくなる。やはり救世主職はちり紙未満の最低職だ。
「Bランク……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だッ。そんな中途半端な救世主職を、ガマガエル共は召喚したのか?? 昔にAランクやSランクを大量に呼び寄せて失敗しておきながら、今になってBランク?? 両生類共め、何を考えているッ?!」
「救世主職については興味ないが、この世界の事情については色々と知りたいな。教えろよ、虎人」
「馬鹿なッ!!」
椅子に座った状態から天井まで跳び上がった虎人は、俺の脳天目掛けて爪を伸ばした手を突き出してくる。当たり所によっては痛いでは済まされない。というか、虎人は俺を殺す気満々だ。
だから迎撃に動く。
半身分動いて爪を避けて、カウンターでトラの片腕を斬り落とす。斑な胴体も横に大きく裂いておいた。
「ガハッ?! よくも、よくもッ。半端者のBランク救世主職ゥゥッ」
「間違えるな。俺は元救世主職だ」
想像以上に毛皮が柔らかかったため深く斬ってしまった。血を吐いた虎人は既に瀕死状態だ。
地方官程度の妖怪ならば、決してパラメーター的には強くはない。ただし、スキルや妖術といった特殊技能に秀でている傾向がありそうだ。ウィズ・アニッシュ・ワールドの定説ではパラメーターこそが生存率に直結していた。モンスターに対してもその傾向があったはずなのだが、黄昏世界では事情が異なるようだ。
「虎人。助けてやるつもりはないが、知っている事を全部教えろ。教えたなら、楽にしてやる」
「ひ、一つだけ教えてやる。……こ、この黄昏世界にはなっ、救済地点が存在しないッ。もう世界は終わってしまっている。死ぬ寸前の世界で何も分からないまま、せいぜいあがけッ」
自分の血で溺れ死ぬのが希望らしい。
介錯してやるような相手ではないので、そのまま見殺しにする。
……俺の手からエルフナイフを奪ったクゥが心臓を刺さなければ、もっと虎人は苦しんでから死んだだろうに。
「――食べて殺した私の両親にッ、死んで詫びろ!」
妖怪を恐れていたクゥが、ここまで普通に仇討ちに動くとは思っておらず、俺にとっても不意打ちだった。エルフナイフの刃の部分を握って奪ったクゥのために、つい、手を離してしまった程である。
心臓を刺された虎人はもうくたばっている。
それでもクゥは止まらず、ナイフを突き刺しまくっている。刃を握った手の平はザックリと斬れており、赤い血が滴っていた。
「私のお父さんとお母さんを、こいつ、食った。食って殺していたっ。あああッ」
親しげで誰とでも距離感なく接する事のできるクゥの顔が、敵愾心に染まっていた。
壁村の村人なら妖怪が人間を喰っている事ぐらい知っている。知っているのに、多くの人間が抵抗も反撃も行わず、ただただ妖怪に喰われている。それが黄昏世界の常識だ。
けれどもクゥは今、妖怪に復讐を果たしたのだ。
「妖怪め。私の父さんと母さんを返せ! 矢で殺した姉妹達を全員返せッ!」
復讐は何も生まないと言われるが、復讐もできない状況にいた人間にとっては、新しい一歩なのだろう。
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“レベルアップ詳細
●虎人を一体討伐しました。経験値を五三二入手し、レベルが1あがりました
レベルが1あがりました
レベルが1あがりました――”
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▼クゥ
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“●レベル:18 → 24”
“ステータス詳細
●力:3 → 4
●守:4
●速:3 → 4
●魔:16/16 → 24/24
●運:0
●陽:27 → 33”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●実績達成ボーナススキル『耐日射(小)』”
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館の内部を探索して、他の妖怪が残っていないのを確認し終えた。同時に、使えそうな装備がないか物色も行った。
クゥの手に塗った薬も館で発見したものだ。妖怪用の薬が人間に効くかどうかは不明であるが――そもそも傷薬だろうか――、傷口が深いので治療しておく。
薬以外にも女性用の服を発見していた。血で汚れた服を捨ててクゥは着替えている。人間の服だとすると出所が気になるのだが、クゥは一切気にしていない。
「どう、似合うかな?」
「似合う似合う」
「……似合うかぁ。村人ファッションが、似合うかぁ」
帆布のような厚手の生地で出来た朱色の服。日焼け対策で肌を極力見せないコーディネートは、優雅さや可愛らしさを廃し、実用性を極振りしたものになっている。
「帽子は替えないのか」
「お母さんが編んでくれたものだから。もう小さいけど」
館は部屋数が多く、他にも色々な物が存在した。たとえば、妖怪が寝泊まりしている寝室や、青龍刀が立てかけられていた武器庫を発見している。
更に、食糧庫らしきものもあったが……クゥには見せないまま中身を魔法で焼き払った。まだ三割しか回復していない『魔』の浪費であるが、仮面の下が疼くよりはマシである。
宝物庫らしき金銀財宝が保管された部屋もあった。価値は高くとも、かさばって重いだけなので放置である。
「この金の置物を置いていくなんて、勿体ない!」
「荒野を歩くのに邪魔なだけだ」
「せめてお金を数枚、数枚だけ!」
宝物庫の入口にへばりつくクゥを引きながら、木簡と書物が保管された書庫へと移動する。
文字が読めれば文献を改めて、世界事情について調べる事ができたかもしれない。読めないのであれば意味がないので素直に諦める。
「結局、俺が持っていくのはこれだけか」
「すごい、これが本物の宝貝。薄汚れた巻物にしか見えない」
虎人が俺に使用した『傲慢離職、山月の詩』なる木簡のみを背嚢に入れておく。呪いのアイテムであるが効果は素晴らしい。
「それの所為で救世主職を辞める事になったのに持っていくの?」
「はぐれた仲間も救世主職だからな。お土産になる」
館への滞在は半日程度となった。
到着したのは早朝だったはずであるが、今はもう地平線が赤く染まる日没である。日差しが弱まって出発するにはベストな時間帯だ。
「やっぱりクゥは俺に付いてくるのか? ここからはノープランだぞ」
「役に立ったら同行を許可してくれるって約束を忘れたの? こう見えて私もノープランだから、一人で寂しい御影君についていってあげましょう」
「変な女だ」
「仮面の変な男に言われたくない」
地方官の館から、クゥと一緒に歩き出す。
ふと、西の空にうっすらと細長い筋のようなものを幻視した。目を擦ると見えなくなったので気のせいだろうが……何となく、つま先を西に向ける。
「よし、西を目指すぞ」