【あの人は今こうしている】
栗橋茂さん
(元近鉄バファローズの主砲/73歳)
◇ ◇ ◇
猛牛軍団の2度のリーグ優勝に貢献した栗橋茂さんは、長く不動の4番打者として“いてまえ打線”を牽引した。近鉄一筋16年。通算1550試合に出場し、打率2割7分8厘、215本塁打、701打点。筋骨隆々の肉体から「和製ヘラクレス」の異名を取り、グラウンド外では底なしの酒豪としても知られた。そんな栗橋さんの今を追った。
やはりと言うべきか。選手時代は酒の武勇伝に事欠かなかった栗橋さんは、バットをマドラーに持ち替えていた。近鉄の本拠地だった藤井寺球場跡地からもほど近い駅前商店街。その一角にスナック「しゃむすん」はあった。
「別に酒飲みだから水商売を始めたわけじゃないよ。そりゃあ現役時代はけっこう飲んだけど、そもそも酒は好きで飲んでたんじゃない。することがなかったから。早くから寝るわけにもいかないし、じゃあどこ行くかとなると飲み屋になる。当時はスナック経営というものに興味があった。それだけのことよ」
店のオープンは、仰木彬監督率いる近鉄が優勝をかけてロッテとのダブルヘッダーを戦った伝説の1988年10.19の直後。えっ!? 栗橋さんはまだ現役ではないか。
「内緒でね。当時は副業なんて禁止。特に水商売なんてもってのほか。奥さんがスナックをしてることがバレたコーチなんか、店をやめさせられるほど厳しかった。ましてや現役の選手でしょ。だから知らんぷりして、ある人に店を任せたんだけど、球団は知ってたと思うね。店名は南アジアの国あたりで『太陽』の意味があるらしい。名付けたその人が言うてた」
栗橋さんは翌89年に引退。近鉄とは別の球団からコーチ就任の誘いをもらったが、88年オフに阪神から申し込まれたトレードを拒否するほど、栗橋さんにはいてまえ一筋の猛牛愛があった。だから誘いを断り、10席ほどのカウンターの中へ入る道を選んだ。
「やり始めの頃は『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』が言えなくてね。きのうまでプロ野球選手だったから、人に頭を下げることができないんですよ。それに最初は客とけんかばかりしてた。だって随分とエラそうなことを言ってくるんだよ。酒が入るとコロッと態度が変わり、横柄な口のきき方になる。あまりに許せんもんだから、一度若い客に『コラッ。正座あぁぁ!』と怒鳴りつけてやった。そいつ、真っ青になって立ち上がり、ビシッと気をつけをしとったわ」
後輩・金村義明の“イジリ”で注目の的。関東や九州、カナダからもお客さんが
1人で切り盛りするスナック経営は、この36年間、決して楽ではなかった。近鉄時代の仲間や知人、ファンらが足を運んでくれるものの、スナックという形態がすたれ始めた時代だ。起爆剤となったのは10年ほど前。かわいがった後輩・金村義明さん(61)のイジリだった。
繁華街のクラブから日常茶飯事の朝帰り。高知・宿毛キャンプ中に地元漁師と飲み屋でけんか。ホステスへの惜しげもない貢ぎ物……。出演するテレビやラジオ番組で、栗橋さんの酒にまつわる伝説をこれでもかと暴露したのだ。
「おかげで客が増えたよ。『金村さんの昔をイジった話、あれ本当ですか』と店に聞きに来るんだ。関東や九州、カナダから来た客もおったわ。向こうまでラジオが届いてるんやろね。まあ、金村とはボクの伝説をネタに2人でトークショーもしたから、あいつの話はウソではないよ」
今年の3月下旬。往年の大投手だった米田哲也さん(87)が缶酎ハイ2本、303円分を盗んだとして現行犯逮捕された。球界に衝撃が走る中、プロ野球選手の厳しいセカンドキャリアも注目された。米田さんも引退後に兵庫県西宮市内でスナックを経営したものの、失敗。栗橋さんはルーキー時代に阪急の米田さんと対戦し、近鉄でも1年間同じ釜の飯を食う接点があった。
「1・2・3で打ちにいったら米田さんのエグいスライダーが食い込んで、どん詰まりの内野フライだったわ。右投手の350勝はある意味、金田正一さんの400勝より価値があるかもしれん。そんな人がなあ。思うところはあるけど、周りのもんがあれこれ言うことやないよ。そう思うな」
取材中に近鉄時代の盟友・梨田昌孝さん(71)がやってきた。「こんばんは」「おう。ゆっくりしてってや」。いくつになっても熱い野球人だ。テレビに映る阪神戦の評論や魚雷バットの特性など、いつまでも野球談議に大輪の花が咲いた。
♪離さない もう離さない すがりつくあの娘の……。石原裕次郎の「泣かせるぜ」。カラオケマイクを握る栗橋さんの十八番ソングが響く中、藤井寺の夜はふけていった。
(取材・文=長浜喜一)
▽栗橋茂(くりはし・しげる) 1951年8月生まれ。東京・板橋区出身。帝京商工-駒大から1973年のドラフトで近鉄に1位入団。ベストナイン3回。独身。