1.大学講師の担当コマ数削減
シフト制の労働者は大抵の場合、時給制で働いています。そのため、シフトに入れてもらえないと、収入の途を絶たれることになります。しかし、シフト制の労働者に限らず、一般論として労働者に就労請求権は認められません。誰をどのシフトに嵌め込むのかは、基本的に使用者の裁量に委ねられています。
このような状況に置かれたシフト制の労働者が、シフトに入れてもらえない場合に採れる手段として「シフト決定権限の濫用」という法律構成があります。以前、
シフト制労働者-シフトに入れろと要求できるか? - 弁護士 師子角允彬のブログ
という記事の中で紹介したことがありますが、
「シフト制で勤務する労働者にとって、シフトの大幅な削減は収入の減少に直結するものであり、労働者の不利益が著しいことからすれば、合理的な理由なくシフトを大幅に削減した場合には、シフトの決定権限の濫用に当たり違法となり得ると解され、不合理に削減されたといえる勤務時間に対応する賃金について、民法536条2項に基づき、賃金を請求し得ると解される」(東京地判令2.11.25 労働経済判例速報2443-3 有限会社シルバーハート事件)
などという論理です。
これと類似するものとして、担当コマ数と賃金が結びついているタイプの大学講師について、大学当局側が一方的にコマ数を削減できるのかという問題があります。近時公刊された判例集に、これを否定した裁判例が紹介されていました。一昨日、昨日と紹介している津地判令6.12.12労働判例ジャーナル159-42 学校法人享栄学園事件です。
2.学校法人享栄学園事件
本件で被告になったのは、大学・短期大学を設置運営する学校法人です。
原告になったのは、被告との間で非常勤講師として働くことを内容とする労働契約を締結し、1コマ9600円で授業を担当していた方です。この労働契約は期間を1年とするもので、16年以上に渡り継続していたことから、原告の方は無期転換権を行使しました(労働契約法18条)。
その後、被告は無期転換権の行使により労働契約が期間の定めのないものに変更された非常勤講師(無期非常勤講師)の雇用を継続しない方針を決定し、授業担当を消滅させ、「雇用契約終了のお知らせ」と題する書面を交付しました。
これに対し、原告の方が、雇用契約終了の効力を争い、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。
本件は雇用契約の終了の効力が否定されたのですが、無期転換権行使後、担当コマ数が削減されていたことから、バックペイの基準となる賃金額をどのように理解するのかが問題になりました。
この問題を論じる中で、裁判所は、次のとおり述べて、担当コマ数の削減を違法だと判示しました。
(裁判所の判断)
「担当コマ数が法18条1項の「労働条件」に含まれるとはいえないため、無期転換後の各年度の担当コマ数は、
〔1〕従前どおり、被告が提示するコマ数及び賃金に原告が承諾するという個別合意によるか、
〔2〕合意ができない場合には就業規則に基づき被告の裁量により決定されることとなる。
ただし、担当コマ数削減が無期非常勤講師の賃金額減少に直結する本件労働契約の仕組み上、一方的に無限定な担当コマ数削減を許容すると無期非常勤講師に著しい不利益を被らせることとなるから、被告の裁量による担当コマ数の決定が社会通念上著しく合理性を欠く場合は裁量権の濫用として違法無効となる余地があると解すべきである。」
「令和2年度は、前年度を下回る前期4コマ、後期4コマとする雇用契約書が作成されているところ(甲26)、原告は平成31年度(令和元年度)の担当コマ数の水準の賃金を請求しているので、当該雇用契約書の作成経緯等を踏まえて雇用契約書どおりの個別合意が存在しているといえるか(〔1〕)、個別合意が否定される場合に被告の裁量による担当コマ数削減が権利濫用として違法無効となるか(〔2〕)、検討する。」
「被告においては、従来、日本語能力の低い留学生向けの日本語クラス(以下『下位クラス』という。)の学生のために,日本語科目については、1回につき2コマ連続で授業を実施し、原告ら無期非常勤講師がこれを担当していた。しかし、日本語科目で2コマ分を要する状況が他の専門科目の展開を圧迫し、時間割の編成に支障をきたす状況にあったため・・・、被告は、令和2年度以降、各日本語科目は1回につき1コマとし、下位クラスの留学生には時間割外の有料の補講(非常勤講師が担当しないもの)を設定する方針とした。そして、学部長が、原告ら無期非常勤講師に対し、上記方針及びこれに伴い非常勤講師の担当コマ数が減る旨を通知した。・・・」
「上記・・・の被告の方針に対し、原告ら無期非常勤講師は、下位クラスの留学生の日本語能力の習得が不十分になる、担当コマ数が削減されると給料が減るなどとして受入れられない旨抗議して、本件組合を通じた団体交渉を試みた。しかし、被告が上記方針を変更しないまま令和2年度の始業を迎え、被告から、被告が準備した雇用契約書(前期4コマ、後期4コマと記載があるもの)に署名しないと授業を担当させることができないのでとにかく署名して提出するよう言われたため、原告は、令和2年7月頃、当該雇用契約書に署名押印した。・・・」
「原告の担当コマ数は、別紙2のとおり、平成31年度(令和元年度)から令和2年度にかけて合計7コマ(前期3コマ、後期4コマ)減少した。これにより、原告の賃金は、平成31年度(令和元年度)から令和2年度にかけて100万8000円減少した(平成31年度の年収216万0000円-令和2年度の年収115万2000円)。なお、原告は、同期間には被告のほかに就労先はなかった。」
「また、上記・・・で予定された補講は、日本語試験対策用の一部講義を除き実施されなかった。・・・」
「まず、被告が上記・・・の方針を一方的に通知したことは、原告ら無期非常勤講師の強い反発を招いており、雇用契約書の作成及び原告の署名押印が令和2年度の始業後である同年7月頃まで遅れたことからも、労使間の実質的な合意形成に困難があったことがうかがわれる。雇用契約書作成までの事情を踏まえると、原告は被告に催促されてやむを得ず雇用契約書に署名押印したに過ぎず、令和2年度の担当コマ数を前期4コマ、後期4コマとすることにつき、原告が有効に同意していたとはいえない。」
「次に、被告の裁量による担当コマ数削減が権利濫用として違法無効となるかを検討する。担当コマ数決定の合理性は、担当コマ数の削減を必要とする客観的事情の有無及びその相当性、それに先立つ労働者への情報提供及び説明の内容及び程度、労働者にもたらされる不利益の内容及び程度等諸般の事情を総合的に考慮して判断する。」
「前記・・・並びに上記・・・を踏まえると、日本語科目について原告ら無期非常勤講師が2コマ連続で担当していた授業を1コマ分としたことは、日本語科目以外の専門科目を充実させる狙いがあったとはいえ、当初予定されていた下位クラスの留学生向けの補講は実際にはほとんど行われなかったというのであるから、既に在籍する留学生にとっては単に正課で日本語教育を受ける機会が半減したといわざるを得ず、令和2年度における原告の担当コマ数の削減を正当化する事情としては直ちに合理性を見出し難い。そして、原告の平成31年度(令和元年度)の担当コマ数及び賃金に鑑みると、令和2年度の担当コマ数の大幅な削減は、他に就労先がない原告に重大な不利益を与えることは明らかであったといえる。また、原告への説明も十分になされていたとはいえない。」
「以上の事情に鑑みると、令和2年度の原告の担当コマ数を削減した決定は、社会通念上著しく合理性を欠くものといわざるを得ず、被告による権利濫用として違法無効である。」
3.自由な意思の法理を彷彿とさせる論理展開
本件で興味深く思ったのは、違法/適法の分水嶺として、
「被告の裁量による担当コマ数の決定が社会通念上著しく合理性を欠く場合」
というかなり使用者側に有利な規範を定立している反面、その内実において、自由な意思の法理を彷彿とさせる論理展開がなされていることです。
自由な意思の法理とは、最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件が判示する、
「使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)。」
というルールのことです。
従前から労働者の自由な意思に触れる最高裁判例は幾つかあったのですが、これらは、
自由な意思があれば退職金債権と会社に対する損害賠償債務を合意相殺することも許される、
といったように、労働者の権利を制限するベクトルで用いられてきました。山梨県民信用組合事件の最高裁判決が画期的だったのは、自由な意思がなければダメだといったようにベクトルを労働者を保護する方向に改めた点にあります。
本件で用いられている規範は上述のとおりですが、やっていることは山梨県民信用組合事件の最高裁判決が行っていることと大差ありません。
署名押印した雇用契約書があったものの、錯誤や詐欺・脅迫等の意思表示の瑕疵に触れることなく、それは無効だと判示しました。
そのうえで、
担当コマ数の削減を必要とする客観的事情の有無及びその相当性、
それに先立つ労働者への情報提供及び説明の内容及び程度、
労働者にもたらされる不利益の内容及び程度等諸般の事情
という山梨県民信用組合事件で言及されている要素と近似する視点から権利濫用性を判断し、本件のコマ数削減の決定は違法だと判示しました。
これは独特の判断で、シフト決定権限の濫用とも関連し、実務上参考になります。