その後の彼と彼女
前作「魔法少女を助けたい」が1万ポイントと、作者的に空前絶後の単位にいたりました。
助けたいシリーズを読んでいただいたすべての読者に感謝いたします。
お礼に、ちょろっと、その後の二人について短編を。
蛇のように舌を出し入れしながら、その妖怪は僕に言い放つ。
「――生贄を用意せよ。年齢は十二歳までの子供。それ以上は肉が固く、ワレの好みではない」
言葉通り、ソイツは大人を喰うタイプの妖怪ではないらしい。
ただ、喰わない代わりに、細長い体を足元から頭の先まで巻き付けて、引き絞っている。外圧に押されて行き場を失った血や肉が、僅かな出口を求めて、はみ出していた。
ミミズを素手で握り潰せば似た状況となるだろう。気持ちよい光景ではないというのに……目を離せない。
血で赤く染まった袖口が見えている。その柄は今朝、母が着ていた服と同じだった。
「貧しい壁村だ。数は、三匹で勘弁してやろう」
村の四方を囲む壁を乗り越え、妖怪は現れたのだろう。
僕は気がつかなかったけれども、母は危険な気配に気がついた。だから、僕の体を押し倒した。僕が地面で頬を擦り剥いただけの軽傷で済んでいる理由だった。
僕は、拳を握り締めながら、妖怪を睨めつける。
「殴りかかるのも構わないが、歯向かう相手は考えた方が無難だ。ワレは、かの混世魔王。世に魔王と誇れる妖怪は多かれど、混世魔王ほどに恐れられた者はいない。外界に怯え、壁の中で身を縮めて生きているだけのお前達でも、聞いた事があるだろう?」
混世魔王。
名前を聞いただけでも拳を握った手が震え始めた。他の壁村に出向いた経験のない僕でも、恐るべき偉業の数々を聞いていた。
いわく、その魔王は天の高みより降りてくる。火を纏いながら轟音と共に現れると、壁村をあっという間に焼き尽くす。
いわく、その魔王は地面を割って姿を見せる。閉ざされた鉄扉のごとき姿であり、重低音を響かせながら扉が開かれたなら最後。内部より噴出する炎ですべてを焼き払う。
いわく、その魔王は火のついた車輪である。墓場に出現して死肉を喰らう性質を有する比較的温和な魔王である。ただし、埋葬されている死体の数が少ない場合は注意せよ。壁村に大爆発をもたらし、足りない死体を補充する。
……噂とは異なり、僕を見下ろす妖怪は蛇のような外見であるが。噂話自体がバラバラなので、気にするだけ意味がない。
どうあれ、僕を見下ろす妖怪を倒せるだけの力が僕にはない。子供の僕はただの捕食対象。大人であっても簡単に潰される。徒人と妖怪としては珍しくもない。
けれども、僕は――。
「伝えたぞ。ワレはあそこに見える山の洞窟で待つ。明日の朝にやってこい」
混世魔王は長い体で壁を登って去っていった。
僕が見逃されたのは、他にメッセージを残せる相手がいなかったからに過ぎない。村人達は家に引き籠り、被害が自分に及ばないように息を潜めていた。その利己的な保身が、僕の命を救った。
残されたのは、変わり果てた母の姿。
母から流れる血が乾いた赤土の大地へと吸い込まれて、更に、空の多くを占める赤い太陽に熱せられて蒸発して、すぐに干上がってしまう。
ここが、僕の住む世界。
妖怪に怯え、それ以上に太陽の熱に怯える徒人にとって過酷な不毛なる世界。
太陽が沈まないのに、黄昏、と呼ばれる世界だ。
混世魔王を前にした時は緊張で心臓が鳴り響いていたというのに、その後の行動は淡々としていた。
村人に生贄を所望された事を伝えて、父と共に母を埋葬する。長く時間がかかった気がするのに、いつの間にかすべて終わっていた。
母が殺された。ゆえに、次は僕の番なのだろうと勝手に覚悟していた。が、夜遅くになって――夜と言っても、山脈の稜線が赤々と光っているのだが――父からは心配するなと伝えられる。
僕は生贄の対象年齢であったものの、母が犠牲となったため対象外となったらしい。
つまり、僕以外の子供が三人生贄となり、混世魔王に喰われて死ぬのだ。狭い壁村に住んでいる。犠牲となる子供を、僕は知っているのだろう。
「……行かなくちゃ」
だから、僕は初めて壁村を出た。武器がなかったので、母の使っていた包丁を手にしている。
夜の内に動かなければ、明日の朝に間に合わないから村を出た。そもそも、日中は日射と熱風の厳しい外を子供が出歩く事自体が自殺行為である。多くの森は枯れて、海や川も蒸発してしまったぐらいに日中は暑い。タイムリミットはやはり朝となる。
山の洞窟までの距離と所要時間が不明であるので、できるだけ急がなければならない。
「何も変わらなくても、僕は行かなくちゃ」
どうして、生贄の対象外となった僕が混世魔王の所へと向かうのだろう。父には悪い事をしていたと思うのに、足は止まらない。
意味がない。
無駄な行動。
子供の無謀。
僕もそう思う。
けれども、それの何が悪いのだろうか。一番悪いのは混世魔王に決まっている。
そして、そもそもの話となってしまうが、壁村の壁は妖怪から徒人を守るためのものではないのだ。徒人を封じ込めて一定数まで養うだけの籠。今日を生き延びても、明日は分からないのが実情である。
そうでなくても、年々、環境は悪くなっていると聞く。去年よりも日差しは確かに強くなっている。妖怪に襲われなくても、太陽の熱に焼き殺される日は近い。
「だから、行きたい。何も出来ない事と、何もしない事はきっと違うはずだから」
僕は殺される覚悟を持って赤い夜道を走った。死ぬ覚悟を持って走っているのだから、初めての壁村の外だろうと、怖いものは何もない。
妖怪が現れたとしても、今の僕ならば立ち向かえる。
「――あ、あれ……はっ?!」
……結論から言うと、僕は子供だった。
死ぬ覚悟さえ持っていればどんな恐怖も恐ろしくないなどと、酷い勘違いをしてしまう程に幼かった。
「見た事のないもの……何だろう。枯れ木、でもない。岩、でもない」
山へと続く荒野の真ん中に、真っ黒い、不気味な何かが鎮座している。大きさは五目程はあるだろうか。表面に突起は見えず、純粋な球面に近い。
生物には、見えない。
では、何に見えるのかというと……井戸の底の泥水を、より一層黒くしたものだ。
害意がない代わりに、生気もない。僕の足は怖気づく。
「アッ」
黒くて内部は一切見えないのに……無数の手が、おびただしい数の死人の手が伸ばされて僕を捕える。そんな末路を幻視してしまった。
「ァアアアッ!!」
叫びながら壁村へと引き返す僕であったが、今更が過ぎた。
真っ黒いソレは滑るように地面を動いて、僕を追ってきた。幻視した通り、僕の体を取り込んで肉を引き剥がし、魂までもを解体するためだ。
そんな最後は想像していなかった。混世魔王に殺されるにしろ、生贄一人分にはなるという意味はあったのだ。
無意味に終わりたくない。
いや、真っ黒いソレに取り込まれて無意味になりたくない。
そう願って逃げる行動自体が無意味だったが。あっという間に追いつかれた僕は、黒い境界面に沈み込んでしまう。
黒い内側では、何も見えず、僕の口から発せられる悲鳴さえも聞こえない――。
洞窟で生贄の到着を待つ混世魔王は、目を覚ました。
徒人の気配が洞窟へと近づいている。夜明けはまだ遠く、まだ深夜と言える時間帯。朝という曖昧な指定をしたとはいえ、生贄の到着には早過ぎる。
「……一匹だけか。数も合わんが、拙いながらも気配を殺しながら接近するとは、どういう了見だ?」
混世魔王に接近を察知されたと知ったからか。徒人の気配は慌てて岩の影に隠れた。
「混世魔王っ!」
「子供の声だな」
岩陰から聞こえる徒人の子供に、ひとまず混世魔王は安心する。大人の徒人は肉が固くて、殺しても食事に使えないのだ。
「生贄の子供は朝に三匹、と指定したはずだが?」
「母の仇だ。か、覚悟っ」
「覚悟、ときたか。ふっ、笑わせる」
子供が岩陰からチラつかせたのは、刃の欠けた包丁である。
そんな料理するのにも苦労する刃物で脅されても、どう覚悟すればよいのかと、混世魔王は鼻で笑う。徒人ごときが剣を手にしたとしても、鱗一つ、皮一枚、傷付く事はない。
涙ぐましいとも思わなくはない混世魔王だったが、反抗は反抗。真っ当な妖怪らしく、子供のいた壁村の徒人は皆殺しにしようと決心した。もちろん、子供は全員、食して殺す。
一人目を喰うために、洞窟から這い出る混世魔王。先が二つに分かれた舌を出して、大気越しに子供の味を確かめている。
……ふと、蛇の顔が、えぐ味に歪む。
「……む、何だ、この味はっ。形成されて千年以上過ぎた腐葉土の味がするぞ」
「誰が腐葉土だッ! あ、しまッ、怒りで『オウム返し』が途切れた?!」
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“『オウム返し』、他人の真似を得意とするスキル。
己以外の何かを擬態するのが得意になる。
他の擬態、物真似スキルとの大きな違いは姿形を変更せず他人に化ける機能にある。それゆえ、真似る相手の体形が大きく異なると擬態率が低下する。
ただし、声に関しては完璧に見分けがつかない”
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子供が隠れているはずの岩陰から、子供のものではなく、女の声が響く。
気配の数は変わっていないのに、どうして女の声がしたのか。混世魔王は疑問を感じてその場で停止する。
しかし、蛇の体はもう洞窟の外に出てしまっている。
「ごめん、パパ!」
「いや、十分だぞ」
突如、混世魔王の背後から声が聞こえた。
ほぼ同時に、混世魔王の背中に突き入れられたナイフ。胸から刃先を飛び出す。
「かはッ。ばかナッ?!」
混世魔王は首だけを動かして、背後から自分を襲った男の顔を見る。が、残念ながら幸運にも、ベネチアンマスクに阻まれて素顔は確認できない。
「キサマは、何者ッ」
「お前こそ何者だよ。俺の顔を見て恐怖していないよな。『魔王殺し』が効いていないなら、なんちゃって魔王か」
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“『魔王殺し』、魔界の厄介者を倒した偉業を証明するスキル。
相手が魔王の場合、攻撃で与えられる苦痛と恐怖が百倍に補正される。
また、攻撃しなくとも、魔王はスキル保持者を知覚しただけで言い知れぬ感覚に怯えて竦み、パラメーター全体が九十九パーセント減の補正を受ける”
“実績達成条件。
魔王を討伐する”
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「ッ! ワレを侮辱する、か!! ワレは恐怖の混世魔王なのだぞ。徒人ならば、もっと恐れよ!!」
「魔王ではないのに言葉が通じるのも妙な。幹部級でもないだろ、お前。それを言うと、途中で保護した少年もだけど。……ホント何だろうな、この世界」
「ワレの言葉を、無視をするなッ!!」
「分かった。お望み通り、無視せずさっさとやろう。『力』が280もあるからサクっと」
マスク男はナイフ一本で混世魔王を背開きにした。心臓を発見すると縦に裂き、首も両断しておく徹底ぶりだ。妖怪の体を破壊するとは、徒人にあるまじき剛力だった。
混世魔王は絶命する。動き出す様子はない。
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“――――”
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「経験値入手の通知もなし。世界が違うからなのか、別に理由があるのか、謎が深まる。まだ検証が必要か」
マスク男も謎の多さでは負けていないのだが。
「黒曜、終わったぞ」
男に名前を呼ばれて、岩陰で子供の声を真似ていた女が姿を現す。
女はマスク男の仲間のようだ。褐色の肌は生まれたてのように滑らか。深紫の瞳がやや鋭いものの、とても美しい女性である。長い耳もチャームポイントなのは間違いない。
「パパ! 俺は綺麗だろ、腐葉土感はないはずだろ!」
「この世界に風呂はあると思うか、黒曜?」
「パパっ?!」
容姿の異なる――年齢も桁違いに異なる――二人の関係性は複雑怪奇だった。
「今回も外れだった。魔王なら世界に関する情報を知っていると期待していたが、ただの騙り、偽者だった」
「早く帰還方法を見つけないとマズいよ、パパ。『カウントダウン』が安定していない。この世界を滅亡に追い込んでいる魔王は、随分と気まぐれだ」
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“●カウントダウン:残り一年……、十年……、千年……、三日”
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「それも気になるんだよな。……よし、暑いが日中も移動するぞ。昨日実験した限り、二人で交互に『暗澹』を繰り返せば連続使用できる。太陽光に日焼けしなくて済むぞ」
「一分ごとに交代するのが忙しいから、普通に外套を使わない? 耐え切れなくなったら『既知スキル習得(A級以下)』スキルで蟲星共の『環境適応』を使えば済むし」
二人は山の洞窟から離れていく。
数時間前に保護した少年を家に送り届けるついでに、村人から危険な妖怪について新しい情報を入手するつもりだ。危険な妖怪であればあるほど、太陽が照り続ける異常気候の原因や、世界を渡る神秘について情報が得られる可能性が高い。
当然、命の危険は高まるものの、レベル100以上の救世主職しかいないパーティーが、普通の妖怪や魔王を恐れるはずがない。
「今回の異世界転移は、黒曜と一緒で助かった」
「俺もパパと一緒で嬉しい。……他の邪魔な女共がいないのが、最高」
「ん? 最後の方が聞こえなかったぞ、黒曜」
その後、二人は壁村にて、天竺の噂を耳にする事になる。
黄昏世界において、徒人が唯一助かる救済の土。熱病に犯された世界が燃え出すまでに辿り着いたならば、世界を抜け出せる。そういった内容の噂だ。
と、いう訳で、二人はその後、西を目指すようです。