21-19 胃から腸へ
鉄扉を開いて畜産場へと侵入する。と、大気が大きく動いた事で内部の人間族達は俺達に気付く。
そして、異常な驚きを見せる。
「箱舟に人がっ!?」
「迷宮魔王の見使いじゃないのか! 子供を隠せーっ!」
村にモンスターが侵入してきたかのような慌てぶりで人々が逃げていくのだ。閉鎖された環境だから外から人がやってきて驚くのは分かるが、俺達は敵ではないのでそこまで驚く必要はない。
「別の村の者じゃないぞ!」
「ひぃっ、逃げろッ」
けれども、俺達に向けられる彼等の視線には、恐怖と敵意が混じっていた。
初代救世主の言う通りなら、ここにいる人間族は家畜と同等だ。最終的に、迷宮魔王に喰われる運命にある。
「あ、あのー。逃げるために助けが必要なら手を――」
助けるべく手を伸ばすべき相手だと思うのだが……本人達にその気はないようだ。
「今更現れてまやかしの希望を見せるな。出て行け!」
一人の男が俺の言葉を遮る。四十代の男性で少々年若いが威厳がある。村長のような立場の人間だろうか。
「自分達は迷宮魔王の討伐部隊です。迷宮魔王を倒した後、迷宮がどうなるかは分かりません。避難のために手を――」
「出て行けというのが分からんのか。ここにいる者は誰もお前達を必要としていない」
随分な言われようで手を振られてしまった。訪れて一分と経過していないが、何か嫌われるような事をしてしまったのだろうか。
「我々は迷宮魔王様に選ばれた家畜だ。家畜ゆえに、外の世界と異なり安定した生活を得られる」
違う。彼等が迷宮で飼い慣らされてしまったのだ。
「家畜はいつか消費されて死にますよ」
「当然であるが、外の世界ほどに理不尽ではない。魔族の気まぐれで殺されず、自然の暴力に殺される心配さえない。ここは閉じた楽園。外の世界はじきに滅びるだろうが、ここは悠久に続く。つまりは箱舟だ」
変わった考えを持った村長である。檻の中にいる動物が幸せだと本気で言っている動物愛護者のようだ。
一人の年長者の意見が絶対ではない。村長以外の人間の中には、外に出たいと願っている者もいるはずだ。
俺は家畜場にいる人間全員に聞こえるように声を大きくする。
「それはアナタ一人の考えでは。本当にこんな場所が幸せだと、ここにいる全員が思っていると??」
「当然だ。自分以外は全員、ここで生まれた子供だ。外を知らぬ者がどうして外に憧れる」
まさか、と心の中のみで声を上げてから、屋内に隠れた顔を出している人々を見渡す。
大学生の俺よりも少し若いぐらいの男女が十組、十代半ばの男女が十組、残りは全員子供。人口のピラミッドが土台部分しか存在しない。老いた住民を口減らしにするにしても、ここまで露骨では集落そのものが崩壊してしまう。
「ほぼ全員がここで生まれた……と。では、親はどこに消えた」
「だから今更と言ったのだ。この家畜場が作られてもう二十年は経過している。迷宮魔王に逆らう者は奥の門を通って二度と戻ってこない。逆に言えば、大人しく年間畜産量を維持していれば生きていられる」
迷宮魔王が登場したのは直近百年ではない。もっと過去から、それこそ千年、ニ千年を生きている。それを考えればこの畜産場は比較的新しいと言えた。
猪とて、世代を重ねれば牙が失われて豚となる。
品種改良という単語が脳裏に浮かぶ。迷宮魔王は従順な人間族を優先的に残して、無害で世話のし易い新しい人間族を生み出そうとしている。
「出て行け、出て行ってくれッ」
複雑な感情で圧力をかけてくる村長に臆したからではないが、確かに今更何かできる事はないと悟り、俺達は無限で畜産場を通り抜けて行く。
――恐怖とは永遠に持続する原動力である。
怒りはいつか冷え、楽しみはいつか慣れる。しかし、恐怖は最初から冷たく心に突き刺さるものであるため、耐えたり克服したりはできても忘れる事は絶対にない。
だから、食欲のみの怪物であった彼を劇的に変えてしまった元凶の正体は、恐怖以外にありえなかった。
森の中で『正体不明』の何者かに両目を潰されて、彼の怪物は地下へと逃げ込んだ。機能しない視覚ではそれまでのように狩りができなかっため、土を喰って無理やり腹を膨れさせていたというのは建前でしかない。
木の根やケラ類を貪るだけでは当然満腹にはならないため、怪物は栄養価の高い食事を目指して地下に潜り続ける。地上は完全に無視だ。
もっと歯ごたえのある食事を。
もっと体力の付く食事を。
もう恐怖に負けない何かを。
そうして、盲目のワームは大空洞を掘り当てる――。
畜産場、胃区を通り抜けて腸区に足を踏み入れた。畜産場から連れて行かれた人間が帰ってこない場所なのだから、大層な地獄が待っているのだろうと期待していれば拍子抜けだ。
曲がりくねった道は床の舗装がなくなり、壁のレンガが消えてただの坑道と化す。
そして現れたのは、ただただ広い空間。地下でありながら向こう側の壁が見渡せない空洞が出現する。
鍾乳洞のごとく天井では鍾乳石のつららが連続しているが、その天井までも高さがあって遠かった。
「何もない空間……という訳ではないのか。血臭が漂っている」
以前、ここを訪れた者が仕出かしたのだろう。掃除し忘れた石の下に黒く変色した血糊が残っている。地下の循環しない空気に混じる腐った血の臭いが鼻を突き刺す。百人、いや千人かそれ以上の人間族が虐殺されたのだろう。砕けて鋭くなかった岩などの痕跡から化物が大暴れしたのだと想像できる。
ただ、血を流した死体は一つも見当たらない。
“――迷宮魔王も恐れを知らない。禁忌の大空洞を取り込んでいたのか”
きっと、空洞の真ん中に見えている巨大な穴へと捨てられてしまったのだ。
「禁忌の大空洞とは何です?」
灰色の巨大地下空間は二つの漏斗をくっ付けた形状をしている。中央に近付くほどに天井は高くなり、地面は沈降する。目視による比較なので頼りにならないが、地面の穴の方が大きく深い。
“原型一班と同じく、僕の所に辿り付いてから伝えたかったけど……仕方がないか。これが僕達の世界を死に至らしめる大傷だよ”
「分かるような分からないような。もう少し詳しく」
“原型一班の時は具体的に話し過ぎちゃったから、詳しくは言い辛いのだけど”
地面の穴の端まで接近して穴の底を見下ろす。『暗視』スキルを有する俺でも底は見えそうにない。
傍にあった小石を落としてみるが、一分以上まっても衝突音は響かなかった。
“ちょッ、下手に刺激しないのが得策だ。異世界に竜頭がいるとはいえ、好奇心あるモノを招いてしまうかもしれない”
良く言えば達観した、悪く言えば軽薄な口調の初代救世主が珍しく緊張していた。そんなに小石を落とすのは不味かったのだろうか。
“ここは世界の端なんだ。世界の法則が曖昧化してしまっている。セーフティが効いていない。恐らく、ここでモンスターが人類を殺せば経験値を入手できてしまう”
「地球と同じ特殊条件が整っているのは異常ですね」
“違うよ。森の種族のように長寿命種が微かに伝える禁忌の土地は、君達の生まれ故郷ではないんだ。近しい場所ではあるけど勘違いしている”
地図を渡してきたオルドボが示したポイントもこの禁忌の大洞窟だ。穴しかないだだっ広いだけの空間に恐怖など転がっていないというのに、何を恐れているのか分からない。
“真の禁忌の土地は、その穴の向こう側さ”
底無しの地獄に通じていそうな穴の底にも何かが潜んでいるようには思えない。
……だというのに、悪寒がした。
何もいないはずの穴の底で、何者かが笑ったと勘違いしてしまう。