天皇皇后両陛下 モンゴル公式訪問 首都ウランバートルに到着

天皇皇后両陛下は、6日午後、モンゴルの首都ウランバートルに到着されました。

両陛下を乗せた政府専用機は、羽田空港を出発して4時間半余りたった現地時間午後3時前にウランバートル近郊のチンギス・ハーン国際空港に到着しました。

天皇皇后のモンゴル訪問は初めてで、おふたりはタラップの下で現地の伝統的な歓迎を受け、銀の杯に入ったアーロールという乳製品の伝統菓子を口に含み、花束を受け取ったあと、出迎えた人たちとことばを交わされました。

到着の様子を現地の複数のテレビ局が生中継する中、両陛下は車で市内のホテルに向かわれました。

今回は国際親善のための公式訪問で、天皇陛下は、7日、モンゴルの歴史と文化を伝える国立博物館や、日本の支援で整備された上下水道供給施設を視察されます。

8日は、皇后さまとともに国賓として歓迎式典に臨んだあと、フレルスフ大統領夫妻と会見し、夜には宿泊先のホテルで歓迎の晩さん会に出席されます。

また、この日の午後には、敗戦後旧ソビエトによって抑留されてモンゴルに送られ過酷な労働などのため命を落とした日本人の慰霊碑を訪ね、犠牲者の霊を慰められます。

日程の終盤には、弓や競馬などの腕前を競う国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席し競技を見るなど、モンゴルの歴史や文化にも触れられる予定です。

慰霊に立ち会う遺族は

両陛下の慰霊には、日本遺族会の会長や抑留中に命を落とした人の遺族も立ち会う予定です。

このうち、7日、日本をたって現地に向かう東京 狛江市の鈴木富佐江さん(88)は、終戦の3か月前に召集された父、荒井醇さんを亡くしました。

商社勤めで、家族とともに旧満州で暮らしていた父は、終戦後ソビエトによって抑留され消息不明に。

翌年日本に引き揚げてきた鈴木さん一家は、ラジオの尋ね人の番組を聴きながら来る日も来る日も父の帰りを待ち続けましたが、父はモンゴルで肺結核を患い昭和22年3月に亡くなりました。

鈴木さんは、抑留から生きて戻った元兵士や遺族などでつくる「モンゴル会」に参加し、10回以上モンゴルに渡って現地で慰霊を続けてきました。

両陛下の歓迎式典が行われるウランバートル中心部の政府庁舎前の広場を訪れた時には、抑留経験者から「ここは僕たちが作ったんだよ」と聞かされ、驚いたといいます。

鈴木さんは、「食料もない酷寒の地で過酷な生活を送りながら広場や建物を手作業の力仕事で作り上げるというのは、どんなに大変なことだったかと思いました。一方で、現地の人から、『食料もない貧しい街に突然1万4000人もの日本の兵隊が来て自分たちも困ったが、凍えている兵士に食料や毛布、布団を届けた』という話を聞き、父たち抑留者が作った建物がいまも残っていることは平和への強いメッセージだと感じています。両陛下にぜひそうした建物を1つでも多く見てほしいです」と話していました。

両陛下の訪問に合わせて再びモンゴルに渡ることを決めた鈴木さんは、高齢化のため解散した「モンゴル会」の仲間の思いを届けたいと、先月末、兵庫県に暮らす100歳の抑留経験者の男性に電話で連絡をとり、「抑留中に亡くなった皆さんも、両陛下の慰霊を喜ぶと思います。慰霊碑まで来て下さってありがとうございますと伝えてほしい」というメッセージを受け取りました。

鈴木さんは、「抑留を経験した皆さんが健在なうちに両陛下の慰霊が実現していたらどんなによかったかと思いますが、遅くはないです。戦後モンゴルに抑留され過酷な労働でたくさんの人が命を落としたことは、埋もらせてはいけない歴史の1つだと思うので、そのことに光を当ててくださることはとてもありがたいです」と話していました。

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