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『ドラゴンボールZ 神と神』感想〜「風の時代」の到来を告げる作品〜

さて、来月にはいよいよ「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」が公開されるので、それまでに何とか「神と神」「復活の「F」」まではレビューしておこうと今改めて見直してます。
今日はその中で「神と神」を久々に見直してみたわけですが、この作品は改めて最初に見た時と後に見直した時とで全く印象の異なる作品となりました。もちろんいい意味で。
というのも、私がこの作品を初めて見たのは実はアニメ版「ドラゴンボール超」を見た後だったのですが、その当時はもうただただ怒りと批判しか来ませんでした。
何故ならば「何で原作者自ら原作レイプじみた真似なんかするんだ!」という怒りがあって、「あの素晴らしかった「Z」の時代を返せ!!」なんて思ったものです。

ただ、それは良くも悪くも私がそもそも鳥山ワールドがどんなものかということへの理解が不足していたこと、そして鳥山先生が決して目先ではなくもっと先を見据えていたことへの理解が足りなかったからでした。
よくネットでは「原作者が一番のにわか」「鳥山は「DB」に口出すな」なんて悪く言われていますが、それもこれも全ては鳥山先生が孫悟空のような常識に縛られない生き方をしている人だからなのかなと思います。
あれからもう9年以上経過したわけですが、今この時代になって改めて腰を据えて見直してみると、本作は単なる目先ではなく10年・20年先を見据えて作られた普遍性のある作品だったことが見えて来ました。
ただ、今までの「DB」の劇場版と根本的に作りが異なっているため、そりゃあ初見ではこの「神と神」のタイトルの意味も含めてその本質を一発で理解できるわけじゃないんだよなあとは思ってしまうのです。

ドラゴンボールの劇場版で現時点での最高傑作はいうまでもなく「超ブロリー」なのですが、本作も決して捨てたものではないと改めて見直して思いました。
ただ、これから私が書くことはこれまでの「神と神」の批評ではあまり言われてこなかった言説だったので、もしかしたら「どういうこと?」と思われるかもしれません。
しかし、私は間違いなく本作は「ドラゴンボール」の劇場版の中でも普遍性のある名作だと断言します、少なくとも「Z」時代に濫造された旧劇場版よりは大好きです。
では果たして本作の何が魅力的なのかを改めて2022年5月現在の視点から見直してみましょう。

(1)作風と世界観の「揺り戻し」と「刷新」



まずこれは本作を見た第一印象として感じ取ったことですが、本作で鳥山先生をはじめとして作り手は「ドラゴンボール」という作品自体の「揺り戻し」と「刷新」を行った作品です。
それぞれ具体的に言いますと、「揺り戻し」とは無印時代、つまり悟空とブルマの出会いからマジュニア編の頃への自由闊達な作風への揺り戻しが行われています。
そして「刷新」とは、「Z」「GT」までで形成されていた「ドラゴンボール」のイメージを大きく塗り替える試みであり、本作は単なる懐古主義の同窓会フィルムではありません。
温故知新の作品であり、私のようにリアタイで原作を楽しんだ世代に懐かしさを感じさせるだけではなく、これから「ドラゴンボール」の作品を楽しむ子どもたちを引き込んでもくれました。



本作では基本的に終始緩めのギャグで進行していくわけですが、最初私がこれを「ふざけるな!」と感じ取ったのは私が熱狂していたサイヤ人編以降のシリアスでハードな作風のイメージが強かったせいです。
しかし、元々鳥山明先生自体が「Dr.スランプ」のようなギャグ漫画からスタートした作家であり、寧ろサイヤ人編以降のシリアスで重たい作風こそが「鳥山ワールドらしくない作風」だったと気付きました。
鳥山先生としてもそのあたりのデトックスを行いつつ、本当の意味での「原点回帰=Dr.スランプの頃に立ち返る」ということを本作でやりたかったのではないでしょうか。
そこには単なる「3.11(東日本大震災)の傷を癒したい」「旧来のドラゴンボールファンを楽しませたい」以上の意図があったのです。



そしてその意図こそが本作で見られた「刷新」であり、本作は目に見えない形でのパラダイムシフトが行われているのではないか、というのが改めて見直して私が感じたことでした。
本作で行われた「刷新」とは「本当の強さとは目に見えることではない」というのを改めて受け手に対しても悟空たちに対しても破壊神ビルスを通して突きつけたことにあるのではないでしょうか。
とはいえ、これ自体は特別なものではなく、そもそも鳥山ワールド自体がギャグをベースにしながらも「能ある鷹は爪を隠す」みたいな感じで強さを演出してきた作品です。
本ブログで再三述べてきたことですが、鳥山ワールドの法則として「本当に強い人は一見弱そうな見た目をしていて強そうには見えない」というルールがあります。



たとえば単なるエロオヤジにしか見えない亀仙人が拳法の達人だったり、痩せこけて見えるピッコロ大魔王が意外に強かったり、あるいは部下よりも小さいはずのベジータフリーザの方が強いのです。
人造人間編でもそんなに強そうに見えない17号・18号の方が強かったですし、魔人ブウでさえ見た目を裏切るチートじみた強さでしたから、原作から一貫して描かれた要素でありました。
それを改めて単なる「戦闘力の強さ」だけではない形で提示したのが破壊神ビルスであり、それがあのコミカルなキャラクター像につながっているのではないかと思うのです。
中川翔子氏との対談の中で鳥山先生はこのようなことを仰っていました。

  僕が描く「神」って偉い感じがあんまりないんですよ(笑)庶民的にたこ焼きを食べているような神様が好きです。いかにも強そうな敵は好きじゃなくて、人間型の敵は散々やってきたので、今回はうちで飼ってる猫を見て「こんな感じにしようかな」と。

いかにも鳥山先生らしい答えですが、同時にそんな鳥山先生でなければあの破壊神ビルスや大神官ウイスのようなキャラクターは誕生しなかったのではないでしょうか。
この2人の凄いところは神様・天使と呼ばれる立場でありながら「カリスマ性」と「親近感」の相反する要素を破綻することなく自然に持ち合わせていることです。
アニメ版や漫画版の「超」でも描かれていますが2人とも圧倒的な権力を持ちながら決して偉そうにせず、普段はどこか庶民的に地球の食べ物を味わって食べています。
つまりここからわかることは本当に凄いものや強いものは見た目でわかるものではないということであり、それこそが「ドラゴンボール」というか鳥山ワールドの魅力だということでしょう。

(2)実質の主人公・ベジータデウス・エクス・マキナの悟空

本作の大きな特徴として、悟空とベジータの役割が入れ替わっていることが挙げられるのですが、本作では実質の主人公にして狂言回しがベジータであり、真打ちの悟空がデウス・エクス・マキナの位置にあります。
最もこれは原作のある時期、具体的には魔人ブウ編からそうなっているのですが、本作は誰の目にもわかる形でそれを提示してみせており、それがわかるとまた違った楽しみ方ができるのです。
今回心情面での揺れ動きが最も激しかったのがベジータであり、悟空は基本的に冒頭と終盤以外表に顔を出さずに事態を静観していて、どうしてもやばくなった時のデウス・エクス・マキナとなっています。
それこそ鳥山先生が大好きな「ウルトラマン」に例えるなら、孫悟空ウルトラマンベジータ科学特捜隊のイデ隊員とムラマツキャップを掛け合わせたような立場にあるという感じでしょうか。

特にベジータの揺れ動きはかの「楽しいビンゴ」も含めて必見であり、「Z」時代までのベジータのイメージからするととんでもなく悪い印象を持たれてしまうかもしれません。
しかし、「殻を破る」「思考の枠を外す」という意味では、これまでのベジータらしくないことをさせるという意味では必要なことだったのではないでしょうか。
そして、それがあるからこそブルマがビンタされた後の「俺のブルマ」発言からのすげえ超サイヤ人超サイヤ人3を超えた超サイヤ人2)があるともいえるのです。
その意味で、ここから先の「超」に至るまでの物語の主人公は悟空よりもベジータなのではないかと思いました。

まずベジータの楽しいビンゴに関しては賛否両論ありますが、そもそも「ドラゴンボール」自体がかっこいいキャラにこそギャグをやらせてきたシリーズです。
天津飯だって最初はやや高圧的な感じのある修行僧として登場しながらも排球拳というギャグを悟空戦でやってましたし、ピッコロだって魔人ブウ編でそのギャグをやっています。
そしてベジータもまた原作で以下のようなギャグじみた発言をしているシーンがあり、そもそも鳥山ワールドの常連になった者の避けられない宿命だったのかもしれません。
かのフリーザ様ですら「復活の「F」」以降ではギャグをやるようになったりかませ犬になったりしていますし、「超ブロリー」では1時間も岩盤耐久レースでした。

そしてファンからネタにされる「俺のブルマ」発言ですが、ここで大事なのは発言やパワーアップ自体よりも、なぜその瞬間的なパワーアップが可能だったのかということです。
単に瞬間的に悟空の超サイヤ人3を上回るだけなら別に孫悟飯でもよかったわけですし、現にセルゲームでトランクスを殺された時にベジータは怒りましたがパワーアップはしませんでした。
ではなぜ今回に限ってパワーアップしたかというと、ベジータビルスの恐ろしさを理解した上で本当に奥底からブルマを大切に思っていたからというのがあるからです。
セルゲームの時は頭で「家族が大事」と理解しつつも、心底から潜在意識の部分で「家族愛」というものが根付いていなかったから怒ってもパワーアップをしなかったのではないでしょうか。

そしてもう1つが血筋であり、元々サイヤ人編の時点でベジータは悟空以上の天才戦士と設定されており、単純な戦闘のセンスや戦士としての実力は悟空よりも上のはずです。
それが連載を長期化した影響からか悟空の方が天才ということになってしまいましたが、ここで超サイヤ人3悟空やアルティメット悟飯ですら一発もビルスに与えられなかったのをベジータが超えました。
要するに単純な戦士としての実力やスペックではベジータが上という力関係に戻したわけであり、亀仙人が「悟空を超えたかもしれん」というのはそういう意味で言ったのです。
しかし、悟空は悟空で最後に超サイヤ人ゴッドとして戦うというデウス・エクス・マキナとしての役割があったわけですが、この役割分担が実は後述する(3)の要素へ繋がっています。

(3)破壊神ビルスと大神官ウイスベジータと悟空の将来像

これは「超」がアニメ・漫画共に進んだ現在から振り返った今だからこそ気づけることですが、破壊神ビルスと大神官ウイスベジータと悟空の将来像であるということが読み取れます。
今でこそ悟空が天使、ベジータが破壊神の方向に進むことはファンの共通了解となっていますが、本作が出た時はそこまで予想するファンは少なかったのではないでしょうか。
しかし、実は既に本作を見直すとその伏線らしきものは示されており、実はこの時点で鳥山明先生の中には悟空とベジータをこの先どういう方向にしようかという構想があったと伺えます。
そうでなければ、かのビルスをして悟空とベジータを認める発言をさせないはずでし、ベジータが悟空を超えたり悟空が二度も負けるように仕向けることはしないでしょう。

破壊神ビルスはとんでもなくわかりやすい「破壊」の象徴として描かれておきながら、地球の食べ物の美味しさにほだされて地球破壊を辞めているのです。
特に最後のわさびだけを食べて悶絶するシーンなんて噴飯もので、あれだけ猛威を振るったビルス様があんなに悶えるシーンを誰が想像したでしょうか?
漫画版と比較しても特にアニメ版ではコミカルさが強調されているビルス様ですが、これがベジータの将来像であることが何となく示されています。
逆に言えば、だからこそベジータではビルス様を超えられないのも納得で、完全な自分の上位互換を倒すことはよほどの奇跡でも起きない限りは不可能だからです。

一方それはウイスも同じであり、大神官ウイスもまた悟空が天使の方向に進むための伏線となっているキャラクターであるといえます。
基本的にウイスは干渉せずニュートラルな態度を貫いており、ビルスの破壊を止めようともせず、地球での誕生日パーティーを淡々と楽しんでいるのです。
しかし、ラストでビルスがわさびに苦しんでいるのを見ると、即座にステッキ1つであっさり止めて見せるわけであり、実はこの時点でウイスの方が力関係は上となっています。
上記した「一見強そうじゃないやつこそが実はとんでもなく強い」という法則はウイスビルス様の2人の関係にもいえるのではないでしょうか。

実は悟空とベジータのラストシーン、「俺のブルマ」発言をいじる悟空のシーンも実はウイスビルス様のラストリーンとの対比になっているのです。
一見強気なベジータの方が上のようでいて総合的には悟空の方が上という力関係が示されており、同時に鳥山先生の中で2人のイメージが完全に固まったシーンでもあります。
ただ、悟空とベジータはあくまでもサイヤ人=人間であるわけであり、ピッコロとブルマも同一空間にいるわけです。
表面上はピラフ一味も含めて既存のキャラを全員出してお祭りの雰囲気を出していますが、実質は悟空・ベジータウイスビルス様・ブルマの5人が中心となっていました。

だから悟空が超サイヤ人ゴッドになったとしても勝てなかったのも決してかませ犬にしたわけではなく、これから始まる新たなステージへの誘いとなっているからです。
これまで最強で負けなしを誇ったはずの悟空が最初の頃の負けっぱなしの挑戦者という立場に引き戻される、これがよかったのではないでしょうか。
まさに「GT」の悟空一強とは真逆のスタンスを原作者自ら打ち出したわけであり、また単純な力の強さで勝つわけじゃないということも示しています。
この構造を読み解くことができた時、「ドラゴンボール」はまた新たなステージというか高みへ登っていくのだなあということが読み取れるのです。

(4)様々な意味の「神と神」

さて、本作の「神と神」というタイトルの意味ですが、メタ的に見ても様々な意味の神様であることが読み取れ、実に秀逸なタイトルです。
作品内の解釈としては破壊神ビルス=神と超サイヤ人ゴッド悟空=神という意味ですが、他にもいろんな意味が考えられます。
まずは声優界の神である破壊神ビルス山寺宏一氏と孫悟空野沢雅子氏という神という意味でも十分に成り立つのです。
野沢雅子さんも凄いですが、それに負けない演技力と存在感を発揮している七色の声を持つ山寺宏一氏もあたある意味では神様なのでしょう。

他にもめざましテレビで見られた貴重な漫画界の神=鳥山明先生と声優界の神=野沢雅子、またスペシャル対談の漫画界の神様=鳥山明先生とドラゴンボールファンの神=中川翔子氏とも取れます。
そして何よりも原作者の鳥山明先生と本作を楽しんでくれる受け手の人々、これこそが「神と神」の意味ではないのかと私は解釈したわけであり、様々な意味が解釈されるのです。
ここを見ていった上で本作に散りばめられたメッセージは「さらなる魂のステージへ」という新たな決意ではないでしょうか。
そこにこそ本作を製作された意義があり、これを今日の視点で捉え直すと「目には見えない高次元のステージ」こそが本作の提示したかったものだと思うのです。

ビルス様が言っていたように、超サイヤ人ゴッドとは「神の気」という、それまで打ち出されていた超サイヤ人の概念とは根本的に異なるものでした。
原作の超サイヤ人とはいわゆる「気の可視化」と「変身」という要素を掛け合わせたパワーアップの表現の1つの到達点ですが、そこから先のパワーアップの概念を原作は打ち出せなかったのです。
超サイヤ人1〜4は見た目こそ異なれど結局のところは「体内の出力を瞬間的に上げているだけ」であり、気の質が根本的に変わったことを意味するものではありません。
いうなればエネルギーの出力を修行などによって上げているだけで、体質そのものが変わったわけではないので、そんなに強くなったように見えないのです。

その点、本作の超サイヤ人ゴッドは傍目には感じられない神の気というクリアな気を新たな概念として打ち出すことによって、さらなる高みを悟空たちが目指すことを可能としました。
これはスピリチュアルな観点から見ても理に適っており、肉体を極限まで鍛え上げたら、次は精神統一や内観によって魂のステージを高めることが必要となるからです。
しかし、かといって誰もがそれになれるわけではなく、恒常的に強さを求めて努力できるものでなければならないから、結果的に悟空とベジータのみがこの領域に入ることを可能としました。
つまり「超」以降で示された悟空とベジータの2強路線は決して贔屓でも何でもなく、神の次元へ進める飽くなき向上心と潜在能力・経験値を持った悟空とベジータしかいないことがロジカルに示されているのです。

これは魔人ブウ編までを振り返りつつ、鳥山明先生が作ったキャラの中でもやはり悟空とベジータは別格に思い入れがある動かしやすいキャラクターではないでしょうか。
そしてまた、人造人間編以降でファンから指摘された欠点の1つだった「超サイヤ人のバーゲンセール」を防ぐためという意図もあると思われます。
そう何人もポンポンと神の領域に入られるとまた安売りかと批判されてしまいますから、悟空とベジータのみがこの先へ進めると示されたのが本作の答えなのかなと思うのです。
これは原作のベジータへの救済措置であると同時に、悟空とベジータ以外のZ戦士にはその可能性がないという容赦のなさでもあるのですが。

英訳すると「Battle Of Gods」ですが、まさに地球を守るための戦いとかではない純粋な強さを求める戦い、それを更なる神の次元として提示したのです。
鳥山先生がここまで考えていたかは別としても、非常に秀逸なタイトルではないかと思いました。

(5)まとめ

本作は原作終了後18年ぶりとなる原作者自ら手がけた新作だったわけですが、今日の視点で見直すと「地の時代から風の時代へ」というのを10年近く前にして既に先駆けて示していたと言えます。
目には見えない神の気、それはつまりこれから現実が「地の時代」から「風の時代」へ進むことを意味し、また超サイヤ人ゴッドという概念自体が「風の時代」の象徴ではないでしょうか。
そもそも原作の「ドラゴンボール」自体が既存の権威を次々と打ち倒していく物語としての側面があったわけであり、最強の権威たるものを次々と悟空が倒してきたといえるわけです。
その悟空がまたもや最強の座から引き摺り下ろされ、そしてまたベジータも更なる神の次元へ進むことが可能となった、かなりスピリチュアルな世界観だといえます。

だから、「原作に比べて戦いに緊張感がない」「薄っぺらい」という批判は決して当てはまらないわけであり、この作品がどう見えるかによってその人の「見る目」が問われているのです。
映画作品ではたまに「見方」ではなく「見え方」が大事な作品があるのですが、本作まさにその部類でいわゆる「踏み絵」のような作品なのだと思います。
本作の表面上のギャグに散りばめられ隠された本質を見抜いてそのすごさを感じ取るか、それともそこに気づかず表面上だけを見て「つまらない」と切ってしまうか。
もちろん後者の評価を悪いというわけではありませんが、私は改めて見直したときにすごくいい作品だと自分なりに読み取ることができました。

いかにも偉そうにしている神様ではなく、確かな実力と自信がありつつもコミカルな要素を持っている庶民的な神様というのが「ドラゴンボール」らしさ、鳥山ワールドらしさではないでしょうか。
目に見えるものからいかに目に見えないものを感じ取ることができるか、それを本作は突きつけて受け手を試していることが伺えますので、単なる同窓会フィルムではないのです。
その世界に足を踏み入れる悟空とベジータ、まさに世界が三次元から四次元へと進んだかのように感じられます。
ラストの悟空とビルス様がそうであるように地球規模から宇宙規模へ、そして多元宇宙へ……原作が持っていた世界観の拡張が改めてなされているわけです。

バトルの激しさが決してないわけではないのですが、そこよりもいかに「更なるステージへ」という要素を打ち出せるかが本作の醍醐味といえます。
人知を超越し本格的に「地の時代」から解き放たれた真の意味での「神=視覚化が不可能な世界」が本作以後の世界観ではないでしょうか。
総合評価はA(名作)、庶民的・具体的なものの中から超越的・抽象的な世界へ移行した意義深い作品です。

  • ストーリー:B(良作)100点満点中75点

  • キャラクター:S(傑作)100点満点中100点

  • アクション:A(名作)100点満点中80点

  • 作画:A(名作)100点満点中85点

  • 演出:A(名作)100点満点中80点

  • 音楽:A(名作)100点満点中85点

  • 総合評価:A(名作)100点満点中84点

評価基準=SS(殿堂入り)、S(傑作)、A(名作)、B(良作)、C(佳作)、D(凡作)、E(不作)、F(駄作)

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