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スーパーロボット大戦30周年企画・ロボアニメレビュー7作目『無敵超人ザンボット3』(1977)

勇者ライディーン」の次は是非「コン・バトラーV」について書こうと思ったのですが、Twitterのフォロワーさんからの熱いご要望にお応えして、「ザンボット3」について書きます。
ザンボット3」と言えば、ロボアニメ史上でも「ダイターン3」「ガンダム」「イデオン」と続いていく全盛期の富野監督の代表作の1つですが、スパロボでも実は原作再現がなされているのです。
代表的なのは後半で見せる人間爆弾ネタと、ブッチャーの最期などなどありますが、ただいずれもが断片的かつ一番大事な「民衆から迫害されるヒーロー」という要素は再現されていません。
しかも、「ザンボット3」の場合は他のロボアニメとの共存でそうした鬱フラグが悉く回避されるので、本作の魅力は実際に作品を見たものにしかわからないのではないでしょうか。

さて、そんな本作の魅力ですが、改めて今この時代にこの作品を見直して私が何かを特別に感じるかと言えば、ぶっちゃけそんなにないのですよね、というのも後年の作品が本作の問題点を乗り越えているから。
しかも、演出や脚本の素晴らしさはともかく作画が本当に酷く、この時はまだシリーズ通しての作画監督を置いていないので、本当に初期は小学生が描いたかのような絵の酷さだったりするのです。
しかし、そんな作画の酷さすらも覆してみせるだけのクオリティは間違いなくあり、ロボアニメの歴史を語る上で絶対に避けられないであろう作品であることは間違いありません。
本作に関しては単品として見るよりも寧ろお隣の「ボルテスV」や「マジンガーZ」から続く歴代ロボアニメとの比較の中で見ていく方がより有意義なものとなるのではないでしょうか。

もう既に評価も固まり切っているので、今更私ごときがそんなに特別な評論を書けるなどという烏滸がましいことを思ってもいません。
しかし、スーパー戦隊シリーズの歴史でいわゆる「ヒーローの戦う動機」などをベースに考えていくと、本作はかなりその辺りストレートでわかりやすいのも事実です。
そのため、今回の記事に関しては「スーパー戦隊ファン脳によるザンボット批評」みたいなものだと思っていただければと思います…というか、私が書くロボアニメ評なんてほとんどそんな感じですが。
前置きが長くなりましたが、改めて今日見直してみての「ザンボット3」の特徴や魅力などを因数分解しつつ語ってみましょう。

(1)「戦いを知らない民衆」がいきなり戦場の狂気に巻き込まれたら?

本作の第一の特徴は勝平たちザンボット3パイロットが「マジンガーZ」の兜甲児以上のど素人として描かれているということです。
勝平のキャラクターはいわゆる「正義感が強い」というより幼い正義感を暴走させているだけのワガママなクソガキでしかありません。
また、皮肉屋の宇宙太や気の強い恵子なども勝平に比べると幾分理知的とはいえ、基本的には等身大の少年として描かれているのです。
いわゆる兜甲児やゲッターチーム、またお隣の「ボルテスV」のボルテスチームなどと比べても明らかに「ど素人」ぶりが強調されています。

戦隊シリーズファンとして面白いのはまず勝平たちザンボット3のメンバーが第一話で勢揃いせず、3話かけてようやくザンボット3が出てくる点です。
これはスーパー戦隊シリーズだと史上最大の革命作である「ジェットマン」の1話・2話でようやく実現するものであり、同じ手法を富野監督は「機動戦士ガンダム」でも使っています。
スーパー戦隊シリーズがポスト冷戦の1991年に入ってようやく実現することを富野監督ら当時のサンライズスタッフは70年代末期にして既に実現していたのです。
そして3人の足並みが揃った時にようやくザンボット3への合体が可能になるという、いわゆる「なぜヒーローは団結できるのか?」ということまで描かれています。

ゲッターロボ」「コン・バトラーV」でもチームが団結していくドラマは描かれていますが、大体はもう最初の数話だけで描かれて、あとは綺麗なヒーロー作品にしているのです。
それに対して本作では勝平たちザンボットチームは喧嘩もするしわがままも言うし、いわゆる「等身大の正義」以上のものを持たず、いわゆる立派な正義感や理念はありません
つまり歴代のロボアニメがヒーローたちを「完璧超人」という、一種の高みに置かれた存在として描かれているのに対して、本作の勝平たちは普通の子供として描かれているのです。
こうすることによって、富野監督はまずロボアニメの中にあったヒーローの神話のシステムそのものを崩しにかかったということが読み取れます。

そしてそれを可能にしたのが勝平たちが「睡眠学習」で戦えるようにしてあるという一種の洗脳システムであり、だから勝平たちには「死」への恐れはありません
このような設定になっているのはお隣のボルテスチームら歴代のロボアニメ主人公が皆最初から命がけの戦いに対して簡単に覚悟完了してしまうからです。
しかし、ボルテスチームのように敵組織の襲来に備えて鍛え上げられたプロフェッショナルならともかく、普通の生活しかしていないアマチュアがそのようにすぐに戦えるでしょうか?
それが可能であるとすれば戦時教育のように子供を戦う兵士へ洗脳するしかなく、極めて残酷な設定であると言えますが、子供というのはそれだけ大人にとって戦争の道具に利用しやすいのです。

初期段階で描かれているのは「「戦いを知らない民衆」がいきなり戦場の狂気に巻き込まれたら?」であり、これが2年後の「機動戦士ガンダム」で1つの形に結実します。
また、本作の20話ではそんな勝平たちと対比させる形でプロの軍人がザンボット3を押収して戦わせるも失敗に終わるエピソードがあるのです。
これは意図的な「勝平たちに戦わせるくらいならプロの軍人に戦わせればいい」というありがちなツッコミに対する反駁だったのでしょう。
プロにはプロの、そして素人には素人なりの戦い方があるというのを示したのも面白く、これは戦隊だと「ジェットマン」のジェットマンとネオジェットマンで描かれていますね。
足元の設定からしっかり崩していくことによって、ロボアニメの定石をしっかり覆していったことにこそ本作の妙味があるのではないでしょうか。

(2)公的動機と私的動機の逆転

その上で面白いのは実はザンボットチームが一般的な公的動機ではなく私的動機で戦っていることであり、洗脳されているとはいえ、勝平たちはあくまで個人の決断に基づいて戦います。
いわゆる兜十蔵博士の遺志を継いだ兜甲児や恐竜帝国に真っ当な正義の怒りを燃やすゲッターチーム、また戦闘のプロとして鍛え上げられたボルテスチームと比べると、彼らの正義感はさほどの強固さを持ちません。
そして逆に面白いのが、終盤で明らかとなりますが、敵側であるはずのガイゾックが完全な公的動機で戦っていることであり、これもまた本作ならではの面白さではないでしょうか。
つまり公的動機と私的動機が完全に逆転しているのですが、このようなことが可能になったのも、その下地として長浜ロマンロボアニメの流れがあったからです。

富野監督が最初に手がけた「勇者ライディーン」は後半になると長浜監督に替わっていわゆる「母もの」をテーマとして物語を展開することになりました。
そして続く「コン・バトラーV」の前半では敵側であるガルーダが実は自分を優秀な衛兵だと思い込んでいる無数のロボットの一体に過ぎなかった事実が明かされています。
それを踏まえ、ある意味で長浜ロマンロボの集大成とも言うべき「ボルテスV」では公的動機と私的動機が完全に対等のものとなっているのです。
本作のスタッフはそれこそお隣の「ボルテスV」にも参加されていますから、ボルテスチームをかなり意識的にライバル視していたのではないでしょうか。

これは「ボルテスV」の総合評価でも比較して語りたいのですが、あの作品の特徴はなんといっても主人公たちボルテスチームに私的動機が加えられたことです。
地球の平和、宇宙の平和を守るだけではなく、後半になると健一たちの実の父親と再会することが1つの私的動機として設定されるようになります。
しかもそれが単なる戦いの動機に終わるのではなく、ライバルであるはずのプリンス・ハイネルの設定やボアザン星人の問題とも深く関連しているのです。
つまりあの作品で主人公たちの戦いの動機である公的動機と私的動機が完全に対等のものになったといえ、「ダイモス」の一矢は地球の平和よりエリカの方が大事と言います。

長浜ロマンロボの大きな特徴は「ボルテスV」「ダイモス」を通して完全に主人公の戦う動機を公的動機から私的動機へと反転させたことにあるのです。
その下地があればこそ、富野監督が本作と「ダイターン3」、そして「ガンダム」で長浜監督とは違うアプローチで「等身大の正義」で戦う主人公たちを描けたと言えます。
そしてなんといっても面白いのが、敵側のガイゾックとザンボットチームが特別な因縁を持たない者同士であるということです。
これもまた意図的に仕組んだ対比であり、勝平たちがザンボット3で戦うことになったのはあくまでも全くの偶然でしかありません。
望んでなったわけでもなければ望まれてなったわけでもなく、しかしその上で家族全員で一致団結して戦うことを彼らは決めたのであり、そのことが終盤の壮絶な展開に繋がります。

(3)民衆とヒーローにとっての「戦い」の温度差

さて、本作で全編を通した特徴として「民衆とヒーロー」というテーマがありますが、実はもうすでに「ジェットマン」「カーレンジャー」「メガレンジャー」に先駆けてこの辺りのテーマを突っ込んで描いています。
勝平たちザンボットチームは一般民衆から迫害されるところから始まりますが、これは単に民衆の愚かしさを描くことだけを目的としているわけではありません。
民衆たちにとってザンボットチームとブッチャーたちとの戦いはあくまでも対岸の火事という認識であり、戦場の狂気に巻き込まれるのを避けたいだけなのです。
この点に関して著名な富野ブロガーの方が以下のような評価を残していましたが、ちょっと抜粋してみます。

まどかマギカとか龍騎もあんまり一般人は死んでないですからね!サークル内の内輪揉めの殺し合いの方がピックアップされている。最近のアニメはモブに優しい。(ただし、仮面ライダークウガはモブが毎週大量に殺戮されていて、クウガのオダギリジョーも人格をむしばまれているので、面白いです。久しぶりにクウガのムック本を読んだら滅茶苦茶人が残酷に殺されてて気分が悪くなった)

この部分に私は同意すると同時に強烈な反発心が沸き起こったのですが、なぜ最近のアニメがモブに優しいのかというと、平成以降の日本には「命の危機」を実感する機会がないからです。

この時代にはまだ学生運動の余波が残っていたこと、そして何より冷戦という緊迫した状況で世界がいつ滅んでもおかしくないという緊張感が世界を覆っていました。
だから、日本人の中にも命の危機が常に切迫していたわけであり、次々と殺されていく民衆という設定や描写にリアリティがあるのですが、今の時代に「人の死」で戦いの残酷さを描くのはかえってリアリティがありません
モブに優しいということではなく、我々が命の危機を実感するほどの出来事が平成以降は社会全体の問題としてないから、人が次々と死んでいく描写をやってもリアリティがないのです。
その意味では仮面ライダークウガ」の次々とグロンギが人々を大量虐殺していく様はかえってリアリティがないということもできます。

本作の民衆の死がなぜ印象に残るのかというと、「死んだこと」そのものよりもむしろ「死なせ方」のプロセス、持っていき方が絶妙に面白くできているからなのです。
その最たる例が終盤に出てくる人間爆弾であり、特に17話の「星が輝く時」でそれまで死から目を背けていた少年が死の寸前になると急に発狂して「死にたくない」と幼児退行化してしまいます。
これは序盤で民衆が勝平たちを迫害してしまったことへの罰でもあり、同時に「死」というものを恐れない人はいないはずだという富野監督なりの強烈なメッセージなのでしょう。
ジェットマン」でも18話で結城凱が「死にたくねえ!」と好きな人である香を前に叫び、実際に一度仮死状態に陥るのですが、その原点のようなものが示されています。
つまり戦場の狂気に洗脳によって身を染めている勝平たちと、そうではない民衆である人間たちとの温度差が描かれているのも本作の大きな特徴ではないでしょうか。

(4)「救い」であると同時に「罰」でもあるラスト

そして、本作を語る上で外せないのは何と言っても最終回、勝平がコンピュータードール8号を相手に完全に身ぐるみを剥がされてしまい、1人残されるラストです。
民衆と和解して勝平のみが残されるラストであるのですが、あのラストは単純なハッピーエンドでも、そしてバッドエンドでもありません。
あのラストはハッピーでもありバッドでもある、強いて言えば「ビター」というべきエンドだったのではないでしょうか。
結局のところ、勝平はコンピュータードール8号が問いかけてくることに対して、完全に理論で負けてしまったのです。

「この悪意に満ちた地球にお前たちの行動をわかってくれる生き物が1匹でもいると言うのか?」はその最たる例であり、勝平はその質問で完全に足場を失いました。
それまで信じていたものがボロボロに崩される展開は「メガレンジャー」終盤でもありますが、あれは自己犠牲をやってきた勝平たちへの問いであると言えます。
もちろんコンピュータードール8号の言い分も決して完璧に正しいわけではなく、むしろコンピューターの癖に随分身勝手なことを宣うものです。
要約すれば、ガイゾックの言い分は「敵が武装するのは許さんが、自分たちは理念のためにやっているのだから正しい」ということでしょう。

しかし、これ自体がそもそも矛盾の塊であり、理念を掲げていながら、その理念自体が完全にガイゾックの私情ありきで組まれたものと言えます。
この手法は後の「ガンダム」のジオン公国を乗っ取ったザビ家に継承されていきますが、結局は敵も味方も私的動機で戦っていたのです。
本作から「ガンダム」、さらには「イデオン」まで続く富野監督のロボアニメにおける戦いとは完全なる「私戦」でしかありません。
それは表向き完璧超人を装った次作「ダイターン3」で明らかとなりますが、その上で本作では勝平のみが救いにして罰として残されます。

あのラストは勝平にとっては「救い」でもありますが、同時にそれまで勝平たちを迫害し続けた民衆に対する「罰」でもあるのです。
なぜかというと、実はガイゾックの脅威は完全に去ったわけじゃないからであり、勝平たちが倒したのはごく一部に過ぎません。
これから第二、第三のガイゾックがまたやって来ないとも限らず、しかし神ファミリーたちは死んでしまいました。
そのことを民衆たちは知らないまま安直に勝利を喜んでいるのであり、あのラストを素直に喜んでいいものでしょうか?
戦いが終わったから完全な平和が訪れるわけではない、私があの最終回の結末で見た苦さや割り切れなさはそういうものであると思います。

(5)「ザンボット3」の好きな回TOP3

最後に「ザンボット3」の好きな回TOP5を選出いたします。

  • 第5位…21話「決戦! 神ファミリー」

  • 第4位…5話「海が怒りに染まる時」

  • 第3位…17話「星が輝く時」

  • 第2位…18話「アキと勝平」

  • 第1位…20話「決戦前夜」

まず5位は神ファミリーの壮絶な絆が集大成として結実した回であり、かなりわかりやすく描かれています。
次に4位は「ザンボット3」の基本設定が完成した序盤の傑作回であり、ヒーローと民衆に対する本作の価値観を決めました。
3位は本作を象徴する人間爆弾の回として極まった姿が描かれており、民衆に対する最高の罰ではないでしょうか。
2位はそれを踏まえて、お互いに男女の意識があった勝平とアキの壮絶な別れを描いています。
そして堂々の1位は総集編の体裁を取りつつ、プロとアマの違いを本作なりの形で示した傑作回です。

どのエピソードも無駄がありませんが、中でも私の中ではこの5本が印象に残りました。

(6)まとめ

ロボアニメの歴史を大きく塗り替えたのは「機動戦士ガンダム」ですが、本作はそのための第一歩として描かれました。
「無敵超人」という名前を冠していながら、内実は無敵でも超人でもない人たちの物語として描かれているのです。
そうしていくことによって、ロボアニメが持っていた神話をことごとく破壊することに成功したのではないでしょうか。
そしてその完璧超人を打ち崩す試みは次作「ダイターン3」でも形を変えて結実し、作画がひどいことを差し引いても十分に御釣りが来るクオリティです。
総合評価はS(傑作)、同年の「ボルテスV」が王道を歩んだ「」の作品ならば、本作は道無き道を行く「」の作品でありましょう。

  • ストーリー:S(傑作)100点満点中100点

  • キャラクター:S(傑作)100点満点中100点

  • ロボアクション:S(傑作)100点満点中100点

  • 作画:E(不作)100点満点中40点

  • 演出:S(傑作)100点満点中100点

  • 音楽:S(傑作)100点満点中100点

  • 総合評価:S(傑作)100点満点中90点

 評価基準=SS(殿堂入り)S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)、X(判定不能)


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スーパーロボット大戦30周年企画・ロボアニメレビュー7作目『無敵超人ザンボット3』(1977)|ヒュウガ・クロサキ
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