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ドラゴンボールGTは何がいけなかったのか?

スーパー戦隊シリーズのことばかり書き続けているので、たまには違うトピックをば。

今回の話題は「黒歴史」と評される『ドラゴンボールGT』についてです。
近年この批判がより強く話題になっているのは「黒歴史と言われたGTの方がマシだった」という擁護派が出たためです。
基本的に原作至上主義者であるほどこの意見は強く、現在はドラゴンボールもファン層が色々います。
分けても「GT」と「超」に関していえば、「どちらも好き」「GTは好きだが超は嫌い」「GTは嫌いだが超は好き」「GTも超も嫌い」の4つに分かれるでしょう。
ちなみに私はと言いますと、3つ目の「GTは嫌いだが超は好き」というタイプで、もちろん「超」も全部を好きというわけではありません。
しかし、総合的に見ると、やはり「超」の方が色々新しい物語を作り出そうという前向きさが感じられるので「超」が好きなのです。
それでは「GT」の何がいけなかったのか、リアタイ視聴した世代としての記憶も踏まえつつ、批判的な視点で論じていきましょう。
GTファンの方にとっては辛い内容になっていることと思いますので、あくまでも私の個人的見解としてご容赦いただければと思います。

(1)全くやり直す意味がない初期2クールのドラゴンボール探し

 まず初期2クールを見て疑問だったのが「どうして今更悟空が少年の姿に戻ってドラゴンボール探しをやり直さなければいけないのか?」です。
本作では悟空を小さな少年にした究極のドラゴンボールが宇宙に散らばったので、それを1年以内に元に戻さないと地球が爆発してしまう設定になっていました。
しかしこの設定からして突っ込みどころ満載であり、まず神龍がピラフ一味の言葉の意味を勘違いして悟空を少年の姿に戻したという流れ自体があり得ません。
原作及び「Z」までの神龍には「叶えられない願い」はあっても「勘違いで間違った願いを叶えた」なんてアホなことをしたことは一度もないのです。
また、究極のドラゴンボールを1年以内に全て集めて元の場所に戻さないと地球が爆発する理屈もよくわからず、原作では地球とドラゴンボールにそんな運命共同体的関係はありません。

仮に1年後に爆発してしまうのだとしても、その時は魔人ブウ編のように新ナメック星のポルンガを使って地球を復活させ、究極のドラゴンボールを元に戻せばいいだけです。
それをわざわざ悟空、トランクス、パン、ギルで探しに行く意味がわかりませんし、そんな義務感の伴うドラゴンボール探しでワクワクできるわけがないでしょう。
原作初期の悟空とブルマの出会いから始まったドラゴンボール探しはパオズ山から一回も出たことがない少年悟空が色々なことを知って成長していく「冒険の過程」に面白みがあります。
ドラゴンボールを集めるのも各自叶えたい願いがあるから集まっただけであって、決して義務感から生じた冒険ではなく、ピッコロ大魔王もあくまで個人的な願いのために集めていました。

しかし、「GT」の悟空はもうとっくに人生の酸いも甘いも嚙み分けた大人ですから、少年期の冒険をやり直す意味はないのです。
これならまだ修行を終えて強くなったウーブがドラゴンボール探しがてら、強いやつとの戦いを求めてパン、トランクスとともに出かけるという設定の方が筋が通ります。
実際この初期2クールは物語としての大きな動きがあるわけでもなければ、冒険の内容自体も戦闘シーンも全く面白くないので、印象に残ってるシーンが1つもありません。

(2)安易な過去ネタの流用である3クール目と4クール目

 1・2クール目よりも更に顕著だったのが、3クール目のベビー編や4クール目の人造人間編(超17号編)がそうであるように、安易な過去の焼き直し、流用が見られる点です。
例えば3クール目のベビーがツフル人の作り出した生体兵器という設定は「サイヤ人絶滅計画」に毛が生えた程度のネタの再利用でしかありません。
また、ベビーだっていくらベジータを乗っ取ってもあそこまで強くなれるでしょうか?原作の最終回時点ではどうかわかりませんが、悟空が4にならないと倒せない設定には違和感があります。
せめてベジータ超サイヤ人3に変身できるくらいに強くなっているのであれば納得できますが、ベビー単体ではそこまで強いやつには見えませんしね。

また、悟空にそんな復讐の意図でやってくる敵を倒させるというのも違和感がありますし、悟空はそんな風に復讐や使命が乗っかった戦いは忌避するはずです。
そして4クール目ですが、なぜわざわざパワーアップした17号や復活したフリーザたちと戦わなければならないのでしょうか?
実はパーフェクトセルより強い設定だったというのも原作と矛盾する話ですし、かといって「超」のパワーアップした17号のように強さの裏付けもありませんしね。
しかもトドメが悟空の龍拳というのも安易な旧劇場版の流用で、こういった安易な焼き直しが目立ち、まるで新鮮味がないのが後期2クールの特徴です。

(3)原作のテーゼを完全否定してしまった5クール目

そしてもっと物議を醸し出したのが、最終クールの七匹の邪悪龍編であり、これに関してはファンの間でも未だに賛否両論です。
ドラゴンボールがついに敵となって現れ、悟空たちと現れるなどというやってはならないタブーを勝手にやってしまったのですから。
しかもピッコロに「ドラゴンボールなどない方がいい」と言わせてしまい、決着をつけた挙句に悟空が神龍と共に去って行く。
このラストに感動したというファンも一定数いるようですが、私は当時このシーンに全く感動できませんでした

ドラゴンボールの良し悪しについては鳥山先生自身が既にマジュニアとの武道大会でその答えを出しているからです。
悟空とマジュニアとの武道大会で神様は「ドラゴンボールなどない方がいい」という結論を出しましたが、亀仙人がそれに反論しました。
そう、「ドラゴンボールがあったから悟空たちとの出会いがあり、数々のロマンがあったのだ」と…ここでもう鳥山先生はドラゴンボールを肯定しています。
確かに、人造人間編以降は安易な死人復活の道具として軽んじられるようにはなりましたが、それでもドラゴンボールというガジェットそのものを否定していません。
その辛うじて守られていたルールを破ってしまったのがこの最終クールであり、原作者の許可なく作品の世界観そのものを否定されたのはたまったものじゃないでしょう。
あの最終回は一見感動的なようでいて、その実「いつまでもドラゴンボールなんて夢見てんじゃねえよ」と原作ファンをバカにしたような最終回にしか見えません。

「悟空がいたから楽しかった」のは事実ですが、私はだからと言って悟空と今生の別れみたいなものを体験したくて「GT」を見たいわけじゃないのです。
こんなタブーを犯しておきながら、それを美談にすり替える悪手を平然とかますのは某24時間TVと同レベルの「感動の押し売り」でしかないしょう。

(4)明らかにおかしなキャラ付け

 また、「GT」はキャラ付けが根本からおかしく、作品中の誰にも感情移入することができませんでした。
中でも酷いのはパン、トランクス、ブラ、悟天辺りでしょうか…特にパンとトランクスは出番が多い分酷かったですね。
まずパンは原作最終回だと気が強いながらも基本は優しい子だったのですが、なぜか「GT」では口の悪い不良娘になってしまっています。
トランクスに関しても現代トランクスは未来トランクスとの書き分けで根っこがややチャラい子なのに、なぜか本作では未来トランクスばりの生真面目な青年です。
この設定はファンからも散々に突っ込まれており、未来トランクスの生真面目さはあの絶望的な世界観と未来悟飯の生真面目さの影響を受けてのものです。
いくらブルマから社長を受け継いでなったものだとしても、なぜああまで生真面目な設定として描かれなければならないのでしょうか?
ブラに関しても同様にやたらキャピキャピしたお転婆娘ですが、まあこっちはあのブルマの破天荒さが受け継がれたと思えばいいでしょう。

そして問題は悟天…なぜかスネ夫ヘアーのチャラ男にされてしまいましたが、これは原作最終回の「デートの約束」発言を受けてのものと思われます。
しかし、あれは単に「地球人として普通に生活したい」という悟天の普通の男の子っぽさの現れであって、それをチャラ男と解釈するのは安易です。
他にもベジータが言う「サイヤの誇りを持った地球人だ」も悟空の言う「地球育ちのサイヤ人」の逆を意識したつもりでしょうが、原作のベジータは絶対こんなことを言いません
あくまでもベジータは「サイヤ人」であり、ブルマやトランクスを大事に思っているから地球に留まっているにすぎず、地球や地球人への愛着はないでしょう。
よく「超」では悟空とベジータのキャラ崩壊がネタにされていますが、キャラ崩壊という点では「GT」の方が余程酷いのではないでしょうか。
「超」のキャラ崩壊はあくまで表面的な枝葉の部分のみですが、「GT」の場合は根本からスポイルされてしまっているという感じです。

(5)悟空一強というパワーバランス

 そして一番不満だったのが悟空だけが異様に強く、その他は全員かませ犬すらも厳しい雑魚扱いというパワーバランスの悪さです。
悟飯はアルティメットという最強設定が忘れられ、トランクスや悟天も戦闘シーンではかませ犬すら務まらないほど弱体化しており、ゴテンクスにもなれません。
邪悪龍編では超サイヤ人4になったべジータでも自力ではなることができず、かつ単独の見せ場が爆フュージョンの合体要員になっただけです。
確かに原作漫画やアニメの「Z」「超」でも最終的に悟空が味方最強のイメージはありますが、悟空以外のキャラクターの活躍も盛り込まれていました。

特に「超」は原作のセルゲーム編で開いてしまった悟空とベジータの格差が是正され同格になっただけに、余計に扱いの酷さが目立つのです。
第一話の段階では活躍を期待されていたウーブもまともな見せ場がもらえず、原作及び「Z」の悪いところだけが出てしまった印象でした。
ちなみになぜ原作では悟空が最強なのかというと、あくまで原作「ドラゴンボール」のモデルが「西遊記」の孫悟空であり、悟空が悪人を善化する物語だからです。
お前強いやつだからもう一回戦いたい」が悟空が悪人だった奴を許す理由であり、悪人が徐々に善人になっていく過程も描かれています。

しかし、本作で悟空は別に「善化すべき悪人」もいないしその役割も背負ってないのに、ずっと戦闘シーンで最強と優遇されてばかりです。
ピッコロに至っては死ぬためだけに出てきたようなものですし…この点はまだ「超」の方がパワーバランスはマシだといえます。
悟空、ベジータの2TOPはもちろんフリーザ、17号も強化されていますし、悟飯、ピッコロ、クリリン亀仙人なども力の大会で大活躍です。

(6)描写に不満の残る超サイヤ人4

 本作で唯一褒められる戦闘シーンといえば一神龍を圧倒した超ゴジータ4ですが、まず超サイヤ人4というキャラデザイン、設定は良しとしましょう。
また、ベジータからフュージョンを持ちかけるくだりも多少の違和感はあるものの、ベジータの成長と捉えれば許容範囲ではあります。しかし、問題は性格がゴテンクスもしくはベジットのように「余裕を持って遊ぶ」にされてしまったことで、これは相当な違和感です。
原作のゴテンクスがああいう性格なのは戦いをガキの遊びの延長線上でやっている悟天とトランクスのキャラだからでした。

そしてベジットが余裕で悟飯吸収ブウを圧倒したのも、あくまで「一度合体すれば解除不能」というポタラの設定があるからです。
しかも、最終的なベジットの目的は敢えてブウに自身を吸収させ、体内に侵入して悟飯たちを助け出すという狙いがあったからでした。
要するに原作でのゴテンクス及びベジットは意味もなく舐めプをすることはなく、何かしら納得できる理由があってのことだったのです。
その点ゴジータは「復活のフュージョン」や「超ブロリー」を見ればわかるように、短期決戦で容赦無く相手を倒しに行くキャラとして描かれています。
制限時間が30分しかないのですから、ゴジータ4が一神龍相手にあそこまで舐めプをかまして遊ぶ理由はありません。

結果として事態を悪化させて、悟空が元気玉でとどめを刺すのですが、これも結局魔人ブウ編の焼き直しでしかないのです。
この扱いの悪さが納得いかない部分であり、しかも「大猿の力を取り込んだサイヤ人」は「超ブロリー」のブロリーでしっかりリブートされています。
この超サイヤ人4の設定の壮大さに反する劇中での扱いの悪さ・消化不良感も大きな不満点として残るのではないでしょうか。

(7)示された作風と視聴者が求めるもののズレ

 数少ない点として「DAN DAN 心魅かれてく」などがそうですが、「GT」は全体的に「しんみりしたおしゃれさ」「綺麗な感動」を基調としています。
上記してきた過去作品のアイデアの流用ばかりが目立つのも、よくいえば「旧作のファンに向けたセルフオマージュ」のつもりかもしれません。
しかし、「Z」までの「ドラゴンボール」はそうしたウェットさよりもガンガン前に攻め込んで行くハードさ、ドライさが魅力的でした。
毎回「ええ!?こんな衝撃の展開が!」という驚きの連続で、しかも最後は必ず悟空の「おらワクワクすっぞ!」という前向きさを持って終わっています。
この点もまた制作側が示した作風と視聴者がドラゴンボールに求めるものの間でズレがあったことの証左ではないでしょうか。

本作のスタッフは決していい加減な作品を作ったのではなく、寧ろ「Z」の世界観を守りながらいい作品を作ろうとしたのでしょう。
しかし、本作はそうした制作側の思い入れがことごとく裏目に出てしまい、かえって何を見せたいのか伝わりにくくなってしまったのです。
この点「神と神」以降が示す「超」の方がまだビルスウイス超サイヤ人ゴッド・ブルーなど新趣向のものを見せようという前向きさが見えます。

(8)どの視聴者層に向けて作っているのかわからない作品

 ここまで数々の批判点を論ってきましたが、総じて「ドラゴンボールGT」は「どの視聴者層に向けて何を見せたいのかわからない作品」というのが私の結論です。
この点は原作者の鳥山明先生が直接に関わってないことが大きく影響していますが、要は当時の作り手がファンのニーズを理解できていなかったのでしょう。
だからこそ、新しいものを作っているようで寧ろ守りに入ってしまい、無難な方向にまとめようとファンの好きそうなネタで適当にお茶を濁したのだと思われます。
「超」はこの点明確に旧作ファンに狙いを絞り、「神と神」で超サイヤ人ゴッド、ウイスビルスを出して「これから新しい物語が始まる」というワクワクを打ち出しました。

だからこそ、批判点も多いものの、私は数々の新機軸を打ち出していいものを作ろうとしている「超」の方が面白いという結論に至りました。
何より悟空が常に不完全で上には上があると示されたことで、常に前向きに戦い続けることができるのが「超」の良さであると思います。
「GT」は結局のところ「守りに入ってしまった作品」であり、そういう後ろ向きなものの中から名作が生まれるわけはないのです。

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