ソクラテスという名の個物を対象とするとき、ソクラテス性、すなわちこのもの性を吟味してかかることがありうる。
個物の個別性をこのもの性として捉えた。『花一般』という『〜一般』という概念が花そのものにはある、とドゥンス・スコトゥスは考えた。
花このものというのは個別的概念である。花そのものとは一般概念であり、花"このもの"とは区別される。花このものを対象とするとき、その花のこのもの性を見出してなくてはならない。その花のこのもの性を吟味するとき、花の咲き方が分析されうるであろう。桜🌸については桜そのもののこのもの性を吟味することが懸念される。
桜の七分咲きや満開の咲き方は検定されることがあり、桜そのものの個別性を評価されることは少なくない。
桜の咲き方は開花、三分咲き、五分咲きというものもあり、個別性が充分に見られることが考えられる。
しかしながら、桜Aと桜bが似ていることも考えられる。三分咲きの桜同士の桜Aと桜bというパターンもある。一個だけ違った咲き方をする桜は見られないはずである。したがって桜Aも他の桜たちと同じ咲き方をしており、桜Eも桜Aと似ているかもしれない。
しかしながら、こうした桜の形相だけではなく、ミクロ的な素粒子はどうであろう。同じ素粒子を似ている桜同士で一致しているだろうか。素粒子レベルでは、原子や原子核に差異があるだろうか。存在はミクロ的な素粒子という観点では全く異なることがあるだろうか。まだまだ課題は残る。〈完〉