普遍論争

「一般」と「普遍」の差異について、考えていきたい。

 

「一般人」という語は、普遍的な民衆のことであろう。

 

普遍人とは言わない。普遍的民衆という言い方ならあり得る。

 

「一般人」と普遍的民衆は同じ対象を指すかもしれないが、後者は堅苦しい表現である。

「一般人は嘘をつかない」という命題があるとき、普遍的に存在する人たちは嘘をつかない、というニュアンスとなる。

 

これは多くの人々は嘘をつかない、という捉え方もできる。

 

しかし、「一般」と「多数」の明確な境界線があいまいなまま書き込む予持もハイデガーは考えていた。この微妙なニュアンスの違いがハイデガーの専門分野であろう。

 

「存在一般」は、というとき、存在する各々の中の一般的な存在をニュアンスしている。この際には人間たちや蛙たちの中の一般者を指していることが懸念される。

 

それだけではなく、らくだの中の一般的ならくだをも指していることが懸念される。

 

それだけではなく、トナカイの透明人間の中の一般的なトナカイをも指している。

 

存在一般は、みな悪いことをしない、という命題がある。蛙の中の一般的な蛙は悪いことをしない。らくだの中の一般的ならくだも、一般的なトナカイの透明人間も、悪いことをしない傾向にある。

 

しかし、一般的な人間は悪いことをしがちである。存在一般は悪いことをしないとは言えないはずである。一般的な蛙は悪いことをしない、という風に「一般的という転換」と「人間から蛙へ」限定的に転換するのなら、嘘ではないかもしれない。