ワインメーカーになるまでの道のり
SHINDO WINESのワインメーカー、阪本開(さかもと・はるき)です。
福岡県中南部の朝倉市とうきは市で、2021年からワインを造っております。
このnoteでは、主に新商品の紹介や、国内・海外でのワイン造りの経験などを記してきましたが、これまで私自身の経歴をきちんとお伝えできていませんでした。
お酒であれなんであれ、自分の商品にこだわりがあるならば「どういう人が、どういう想いで造っているのか?」を、お客様にきちんと伝えることが大事だと思っています。
そこで今回は、私がワインメーカーになるまでの道のりをお話させていただきます。
ラグビーの本場に留学
私は山口県に生まれ、その後は奈良県で過ごしました。
父親の影響でラグビーを始め、小学校1年生から地元のラグビークラブに所属していました。
中学〜高校は大阪の中高一貫校に通いましたが、そこではグローバル教育に力を入れており、ニュージーランドの高校と交換留学の制度がありました。
ニュージーランドといえば、世界屈指のラグビー強豪国です。
そこで、本場でラグビーをプレイしながら英語を修得したいと考え、高校1年生のときにニュージーランド南島のネルソンという場所の近くにある、モツエカ高校に留学しました。
現地での生活は、想像以上に素晴らしい経験でした。
モツエカ高校の近くにはエイベル・タスマン国立公園という自然豊かな海辺の公園があり、よくトレッキングやカヤッキングを楽しみました。
町や学校の雰囲気も良く、人々も非常にフレンドリーですぐに馴染むことができました。
人生を変えた、レストランでの出来事
留学は1年間の予定でしたが、この地でより長く学びたいと考え、日本の高校を中退してモエツカ高校に転校する道を選びました。
高校のラグビー部では、同期にNZU17の代表選手や、のちにオールブラックスのメンバーとなるデービッド・ハヴィリが後輩にいたりと、ハイレベルの選手に囲まれてラグビーの試合に出場しました。
「いつかは本場のニュージーランドでプレイしたい!」という夢を叶えることができました。
また、当時のホームステイ先は羊飼いの農家でした。
学校から帰宅すると、よく彼らの農場で作業を手伝いました。
実際に農家の生活を体験することで、 将来は農業に関わる仕事がしたいと漠然と考えるようになりました。
高校の最終学年に入ってからは、町のタイ料理屋さんでホールやキッチン補助のアルバイトを経験しました。
そこである日、ホールに立っていたときの出来事です。
カップルのお客様が白ワインをボトルでオーダーし、心の底から楽しそうにグラスを重ねていらっしゃいました。
その光景を見たときに「ワインには、こんなに人を楽しませる力があるのか!」と衝撃を受けたのです。
いつかは自分で造ったワインで人楽しんで欲しいと、心に思いました。
海外の大学でワイン造りを学ぶ
このときの経験が、人生を大きく変えるきっかけになります。
ちょうど進路を選択する時期だったこともあり、ニュージーランドで唯一ワイン造りを学ぶことが出来る、リンカーン大学への進学を決心しました。
必死に勉強し、なんとか大学に入ることができました。
入学1年目は、ワイン造りを学ぶために必要な基礎教科である、化学や微生物学、農地マネジメントなどを専攻しました。
そしてワイナリーや畑を訪問し、実際のプロセスも学びました。
ワイン造りの基礎となる「ブドウ畑の環境」についての知識を得たいと考え、2年目からは土壌学や水力学などについても学び、無事に卒業しました。
大学卒業後は、より学びを深めるためにドイツへ飛び、ミュンヘン工科大学大学院で土壌学を専攻しました。
なぜドイツかというと、高校のときに出会ったドイツ人女性と交際していた関係で、先に母国に戻った彼女を追って同棲することにしたのです。
その後、彼女とはドイツで結婚しました。
大学院のときは、ドイツで翻訳業務に就いていました。
BMWやダイムラーといった、ドイツに本社がある自動車メーカーのために、日本人が投稿した車のクチコミを英語に翻訳してレポートしたり、弁理士の事務所で特許関係の翻訳を担当していました。
海外生活に区切りをつけ、帰国
16歳でニュージーランドに留学、そこからドイツに渡って就職し、私の海外生活は10年を迎えました。
この節目をきっかけに、そろそろ日本に戻って故郷のために貢献したいという想いが強くなっていきました。
そこで、これまで海外で学んだ知識や経験を活かしたいと考えたときに、日本酒造りにチャレンジしようという気持ちが湧き上がりました。
「そこは日本ワインじゃないんかい!」と突っ込まれそうですが、まずは国酒である日本酒造りを知ることが大事だと考えました。
酒造りの現場で学んだ大事なこと
2018年の2月、妻を伴って日本に帰国し、幼少期を過ごした奈良で新たな生活をスタートさせました。
地元の酒造会社に就職し、そこで約二期、みっちりと日本酒造りを学びました。
繁忙期は朝5時に出社し、深夜まで仕事が続く超ハードな環境でしたが、ここで叩き込まれた教えは、私のお酒に対する考えやアプローチの礎になっています。
少し長くなりますが、またとない機会ですので、私が日本酒造りから学んだ5つの大事なことを共有させてください。
①「酒造り=洗い物」と心得よ
酒造りというと、はっぴを着た杜氏さんが大きな桶の上に立ち、一所懸命にもろみに櫂を入れているシーンを、テレビなどの報道からイメージする方も多いでしょう。
しかし、このような晴れやかな仕事は、酒造りのほんの一部分に過ぎません。
なぜなら、テレビ的にはまったく画にならない、地味な洗い物こそが酒造りの本質といっても過言ではないからです。
酒造りの工程には、さまざまな道具が必要です。
米や液体を運ぶ「ため」(ためしおけの略)、ホース、タンク、布、櫂棒、ポンプなどなど……。
これらが少しでも汚れていると、意図していない微生物がそこから繁殖し、欠点となる香味が酒についてしまいます。
杜氏さんや蔵人さんのスキルがどんなに高くても、洗い物を怠ると決してうまい酒は造れません。
私が働いていた蔵では、作業後はコメ一粒すら残さないように、何度も繰り返し洗い物を行っておりました。
この考えは日本酒に限らず、ほかのお酒にも共通すると思います。
②酒造りは、栽培からお客様に楽しんでもらうまでが仕事
尊敬する杜氏さんの言葉です。
「酒造りは一から百まで。杜氏の仕事は畑で米を作るところから、お客様に酒を楽しんでいただくところまでがセットだよ」
それこそが、本来の杜氏の仕事だと教わりました。
③細部にこそ、神が宿る
麹室で作業をしているときに、教えていただいたことです。
日本酒は数多くの製造ステップを経て、でき上がります。
どんなに小さな作業でも、手を抜いたり落ち度があると、望んでいた味には仕上がりません。
酒は、生き物です。
造り手が小さな努力を一つ一つ大事にしながら積み重ねていけば、酒もきっと応えてくれると信じています。
④温度を管理し、酒質を理想に近づける
酵母には、それぞれの成長に適した温度帯が存在します。
それゆえ、吟醸酒造りでは細かく温度帯を管理して、理想の酒質にもろみを近づけます。
自然派ワインの製法には、発酵時の温度をコントロールしない方法も存在しますが、ほったらかしがいいとは私は思いません。
温度をコントロールすることは、微生物をコントロールすることであり、それが酒造りには大事です。
⑤いちばん大事なのは「愛」
「愛」という非科学的な概念が、酒質に影響を与えるのか?と思う方もいらっしゃるかもしれません。
それでもやはり、いちばん大事なのは「愛」だと思います。
酒に対しての「愛」。
お米をはぐくんでくれた自然や、生産者さんへの「愛」。
一緒に酒造りを行う仲間たちへの「愛」。
酒をいろんな場所に届けてくれる酒販店さんへの「愛」。
そして、私たちが造った酒を飲んでくださるお客様への「愛」。
これらの「愛」がなければ、高いモチベーションを維持しての酒造りはできません。
醸造家としてはまだまだ若輩者ですが、目の前に置かれたワインに「愛」が込められているかどうかは、ひとくち飲めば判断できるつもりです。
そして、日本ワインの道へ
2019年に日本酒造りの修業を終え、株式会社篠崎に転職しました。
篠崎は江戸時代後期に創業した、福岡県朝倉市の老舗酒蔵です。
SHINDO WINESは直近のプロジェクトですが、これまで焼酎、甘酒、日本酒、リキュール、ウィスキーと事業の幅を拡げてきました。
入社のきっかけは、篠崎の現社長と日本酒のセミナーを通じて知り合ったことがきっかけでした。
当初は、語学力を買われて海外との連絡役や新商品の企画を手掛けていましたが、2020年の後半にワイン事業のプロジェクトが立ち上がることになり、志願しました。
2021年のワイン事業初年度は、ブドウを供給していただく農家さんと交渉したり、新たに取得した自社畑を整備したり、ブドウを収穫し、そのまま醸造作業を行ったりと、ワイン造りのプロセスをひと通り経験しました。
このときの詳細は別記事にありますので、よろしければご覧ください。
「ワイナリーを立ち上げて初年度を乗り切るのは、大変だったんじゃないですか?」と、よく聞かれます。
語弊を招くかもしれませんが、実感としては覚悟していたよりも困難ではなく、つらいと感じたことはありませんでした。
というのも、前職の日本酒造りのほうがワインよりもプロセスが複雑で、仕込みの量も段違いに多かったからです。
無事に初年度をこなせたのは、日本酒の現場でみっちり鍛えられたおかげと、前の職場の先輩方には感謝しております。
もちろん、ワインは瓶詰め後も味わいが大きく変わりますので、先々のクオリティの見通しがまったく立たない難しさはあります。
また、営業やプロモーション活動といった、これまで未経験の仕事で結果を出すことの難しさは、日々実感しております。
「いつでも、どこでも、誰とでも」楽しめるワインを
以上が、ワインメーカーになるまでの経歴です。
あらためて自分の人生を振り返ると、紆余曲折だらけですね。
しかしながら、私がワインメーカーを志したきっかけは、高校生のときのアルバイト先でお客様がワインを楽しむシーンを目撃し、その情景に憧れを覚えたことでした。
そういう意味では、当時の想いを忘れることなく初志貫徹したと思っております。
いま、こうしてワイン造りに取り組んでいること。
ワインを楽しんでくださる方々が、日本をはじめ世界にも広がりつつあること。
多くの方々や大事な家族に支えられている自分は幸せ者だと、心から感じます。
これからも、福岡産のワインがもっと盛り上がるように精進してまいります。
引き続き、SHINDO WINESをよろしくお願い申し上げます!
SHINDO WINESの最新情報は、阪本のInstagramで随時お伝えしています。