そんなものは全然普通です。
京都在住の女性K様から「七夕を一緒に過ごしたい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。人生的に破滅を迎えかけていたK様は、風営法的にかなりギリギリの仕事の面接に行った。ここでしか自分は稼げないと思い、研修みたいな時間になったら「店長とキャストで実演します」となり、男性店長と自称三十代の実年齢五十代の女性がギリギリアウトなプレイをやってみせるものだから「私には無理!!」となって、職場を逃げ出した。私はどうすればいいでしょうかと聞かれたので、私は「そのままでいいよ」と言った。
元気な時は一緒にいられるけど、元気がない時や風邪の時は一緒にいるのがしんどいな、と感じる人がいる。K様は、病み上がりの私でも楽で楽しい時間を過ごせた。K様は、自分を「メンヘラの泥」と言ったが、私にはとても良い泥に見えた。メンヘラなんかじゃない。怠惰な女の子だよ(矢沢あい『天使なんかじゃない』参照)。ギリギリまで追い詰められないと動けないだけで、追い詰められても嫌になるとさっさと逃げ出す。そして「私はどうすればいいでしょうか」と他者に答えを求める。トータルで、自分で決めて自分で動くことをさぼっているだけの、愉快な女性だった。
K様の親はあらくれもので、お金を渡してもすぐに酒に使う。そんな親を憎んだ時期もあったが、気がつけば自分も親と同じになっていた。臨時収入があっても、貯金をしないで酒を飲んだり美味しいものを食べたり謎のセミナーに参加して、即座に散財してしまう。毎日「明日から頑張る」と思いながら、かれこれ十年以上の月日が流れた。資格も技術も何もない。時々すごい怖くなる。変わりたいのに変われない。最悪の場合は、狩猟免許を取って猟銃で自分の頭をぶち抜くことも考える。私はどうすればいいでしょうかと聞かれたので「今世は諦めてください」と言った。K様は自らを恥の権化のように感じていたが、この期に及んで恥ずかしがることが一番恥ずかしい。ちゃんとできていたら、こんな人間にはなっていない。
K様のような人は合法的なロマンス詐欺師に向いていると思った。金を稼ぐのが苦手な人は、金を貰うのが得意な人だ。この世の中には、誰かにお金をあげたくて仕方がない人たちが結構いる。現に、K様も他者から養われることで命を繋いできた。それを「ちゃんとしていない」と思うから苦しくなるのであって、与える喜びを与えているのだと強気に出れば、居直ることができる。一番よくないのは、ジメジメすることだ。ジメジメすることが一番よくない。正々堂々、ヒモになることだ。ヒモにはなっても、卑屈にはならない。私はお前に夢を見させてやっているのだ、私は与える喜びを与えてやっているのだと開き直ることだ。
俺は知っている。どうせ、あなたは暇な時間はスマホで漫画を読み漁ったり、ホストの動画を見たり、自分より不幸な人の話を聞いて安心したり、誰かのために生きたいと思いながらも一日中ベッドの上で過ごしているのだろう。それでいいし、それがいいのだ。そんなあなたを「可愛い」と思う人間は確実にいる。一緒にいてもストレスがなく、楽で、楽しい時間を過ごせる可能性がある。自分を特別と思わないことだ。自分には何もないとか、自分が恥ずかしいとか、自分をよく見せたいと思ってしまうとか、そんなものは全然普通です。何もないまま楽しく生きることは可能。恥ずかしいまま楽しく生きることは可能。自分をよく見せたいと思ったまま楽しく生きることは可能。何者かになれないことが苦しいのではなく、何者かになりたいと思うことが苦しいのだ。あなたは立派なロマンス詐欺師だ。是非、その腕に磨きをかけてください。星に願いを。短冊に「玉の輿に乗りたい」と書いてください。七夕の夜を一緒に過ごしたいだなんて、ロマンチックな部分もあるじゃないか。こうやって会えて、こうやって一緒に酒を飲むことができる。人生は、捨てたものではないはずだ。ロマンチックな我々は、暑い京都を彷徨った挙句、七夕の夜を天下一品で締めた。
おおまかな予定
7月8日(火)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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