カルマの意味を知るRPG『テイルズオブジアビス』感想録
『カルマ』って聴いたことありますか?
ゲーム『テイルズオブジアビス』の主題歌であるBUMP OF CHICKENの『カルマ』、きっとこの記事を開いた人の99%は聴いたことがあると思います。
というか聴いたことがない人は今すぐブラウザバックしてカルマを聴いてテイルズオブジアビスをクリアしてきてください。話はそれからです。
私も何度も聴いたことがあり、この曲がTOAの主題歌ということも知っていて、さらに言えば一度3DS版をプレイしたこともありました。
ただ当時はいまいちハマれず序盤だけ遊んで放置してしまっていました。
それから1~2年ほど経ち、また最初から遊び始めたところものの見事にドハマリし、ストーリーを進めていくたび人生で何回と聴いてきた『カルマ』という曲の味わいが変わっていく体験が本当に凄まじかったので、備忘録として記事に残します。
一周目クリアから気がつけば数ヶ月経ってしまったせいで、初見時の感想とクリア後の感想が混じっていたりします。そういうこともあるよね。
以降はめちゃくちゃネタバレします! まだプレイしたことない方は先に遊んでください。後生なのでお願いします。
『カルマ』と言えば、ネタバレソングなんて言われるほどに歌詞にテイルズオブジアビスの物語が詰まっています。
ところで早速厄介オタクみたいなこと言い出すんですが、「カルマって歌詞がネタバレだよね」みたいなことだけを言われてしまうとつい眉間に皺が寄ります。
たしかにネタバレしてくるけどさぁ……!それだけじゃないじゃん……!
物語を進めて初めてカルマの歌詞がちょっと理解できるようになる箇所といえば、やっぱりアクゼリュス崩壊後、ルークがアッシュのレプリカであることが判明するところです。
ガラス玉、陽だまり……。歌詞に登場するフレーズがどんな意味を持っていたのか、そしてこの曲が何を描いているのかがちょっとずつわかり始めてきます。
ひとつ分の陽だまり
正直、カルマに関しては何をどう言葉を並べようともう歌詞原文を読んでもらう方が早いです。それが全てなので。藤原基央が全部答え出してる。オタクが言うことは何も無い。
ただ、それじゃああんまりすぎるので一つカルマの歌詞の中で好きな単語について書こうと思うのですが、私は「ルーク・フォン・ファブレ」という存在を「陽だまり」と表現しているのがものすごく好きです。
一番の意味としてはルークという名前が「聖なる焔の光」という意味を持っているところから来たのかなと思うのですが、それ以外にも公爵子息、第三王位継承者であるという地位を持った存在であること、また家族や友人を持ったあたたかい場所(実際のところはアレなんですが….…)というのも「陽だまり」という語にかかっているのかなぁと考えています。
実際この捉え方が合っているのかはわからないのですが、ルークという存在が持つものを、陽の光が当たる暖かいところという意味の「陽だまり」という一単語で表しているのが本当に鮮やかだと感動しました。
うーーん、藤原さんってやっぱ天才なんだな……。
ケテルブルクとジェイドのカルマ
このゲームの主題歌のタイトルが「カルマ」なのってそういうことなんですか!?!?
カルマ二度目の味変。テイルズオブジアビスというゲームの主題歌が「カルマ」というタイトルを背負っているの天才が考えた?
「今でこそ優しげだけど子供の頃は悪魔」
「大人でも難しい譜術を使いこなし、害のない魔物でも惨殺して楽しんでいた」
「生き物の死が理解できなかった」
(中略)
「息絶えそうな先生を見て考えたのです」
………………。
初見のとき怖すぎてここでしばらく止めました。
そういう……そういうことだったんですか……なぁジェイド・バルフォア……。
アクゼリュス崩落から再び外殻大地へ戻った後、ベルケンドでフォミクリー技術の生みの親がジェイドであることを知ったものの、それがなぜ生まれたのかは明かされていませんでした。
ジェイドの故郷を訪れ、幼少期を知ることでその謎はようやく解けます。
死が理解できず、命を奪うことを何とも思っていなかったこと。誰より頭が切れ特出した能力を持っていたこと。壊れた人形を目にした時、直すでもなく新調するでもなく複製を作るという価値観を持っていたこと。
死にそうな人間を前に「レプリカ」を作ろうとしたこと。
能力の高さと普通とは異なる倫理観、そして起こった悲劇の結果。途方もない事実を突きつけらます。
「私はネビリム先生に許しを請いたいんです。でもレプリカに過去の記憶はない。許してくれようがない」
「私は一生過去の罪に苛まれて生きるんです」
どれだけ謝っても許されない、それ以前に謝る機会すらもう二度とこない罪、それがジェイドの背負ったものだったんですね……。業……。
罪を背負っていたのはルークだけじゃなかったんだ。
このゲームの主題歌がなぜ「カルマ」というタイトルなのか、ここで少しわかったような気がしました。
バチカルとナタリアのカルマ
「カルマ」の物語じゃん、これ…………。
カルマ三度目の味変。文字通り「カルマ」の物語なんですよテイルズオブジアビスって……。
ジェイドの話を聞いた後くらいに「カルマ」という語の意味を調べ直していたところ、おおよそ「行為の結果、積み重ねたものがどう返ってくるか」という意味だと改めて知りました。
それまでは「罪」とかそういう、悪い意味の言葉だ思っていたのですが、どうやら良い意味でも悪い意味でも自分のしたことがその通り返ってくる、という意味だったそうです。
という確認をしたところでナタリアの話題に戻るのですが、ナタリアの物語は良い意味でも悪い意味でも「カルマ」を体現しているんですよね。
ルークがレプリカで、将来を誓った相手は実はアッシュだったということが判明し、「本物」とは何なのかとずっとルークとアッシュの間で揺れていた時、ナタリア自身が本物の王女ではなかったという事実を突きつけられます。
自分のアイデンティティが揺らぐ経験がナタリア自身に返ってきたわけです。
そして、バチカル王家の血を継ぐ存在ではなく、王女の名を騙っていたとして国を追われた時、彼女を守ってくれたのは他でもないバチカル市民たちでした。
ナタリアが王家の血を引いていなくても関係ない。
ナタリアがそれまで市民を救ってきた事実が、巡り巡って「王女」ではなく、ナタリア自身を救ってくれたのです。
ウワーーーーーーーーッ!!!!!! めちゃくちゃカルマの体現者じゃん……………!!!!
自分の行いはいつか全て自分に返ってくる。
そういう物語なのだとわかったとき、このゲームの主題歌が「カルマ」という名前を冠していることにすごく衝撃を受けたのを覚えています。
藤原基央、天才なのか……?
この後のイニスタ湿原での会話も良いですよね……。
「ケガでもしたらバチカルのみんなが泣く」
「バチカルのみんなはキムラスカの王女じゃなくてナタリアが好きなんだよな」
私はこのガイのセリフがすごく好きです。
「王女」という役割ではなくナタリア自身を認めて肯定してくれているというのもそうですが、「バチカルのみんな」という言い回しをしているところがガイのらしさが出ていて良いですよね。
鏡なんだ 僕ら互いに
さて、ここまでなんやかんやでカルマの歌詞ではなくタイトル部分の話をしてきました。
そろそろ歌詞の話に戻るのですが、話を進めるたびに「ルークとアッシュの関係」だけを歌っているのではないことがわかってきます。
全体を通して見ると確かにルークとアッシュが主軸にはなっているものの、ほんとうの王女ではなかったナタリアや、ルークと同じようにレプリカとして作られたイオンなど、そこにいるはずだった誰かではなく自分がそこにいる、という役割を与えられたキャラクターは他にもいました。
特にイオンは、同じように他に六体のレプリカが作られた上で能力が基準を満たしていると判定を受けた七体目が「導師イオン」としてその座に就いています。もしかしたらそこにいたのはシンクだったかもしれないしフローリアンだったかもしれない。
それでも一人分の「イオン」の居場所に、一緒にチーグルの森へ行ったイオン様が残ったんです。
というように、物語を進めることでカルマの歌詞は他のパーティメンバーにも掛かっているのだと気付きはじめた瞬間が印象に残っているのですが、中でも印象的なのがCメロ(で合ってるかな)の歌詞です。小見出しにも書いたところね。
同じようにレプリカとして生み出されたルークとイオンや、けっして逃れられない罪を背負ったルークとアニス、レプリカを生み出したジェイドと、レプリカとして生まれたルークなど、キャラクターそれぞれが、互いに背負った同じもの、あるいは違うものを見つめることで自分の在り方を見つめていくのがテイルズオブジアビスなんですが、オリジナルとレプリカとして対峙していくルークとアッシュだけでなく、パーティメンバーの姿も歌詞に組み込まれているのがさすがに作詞がうますぎるだろ藤原基央…………となる。
この記事ずっと藤原基央のこと褒めてんな。そういう記事です。
僕らはひとつになる
ネタバレするなーーーー!!!!!! 藤原基央!!!!!!
……いやそれ言ったら歌い出しからネタバレでしょという話にはなるんだけど……。
覚えていますか? ワイヨン鏡窟にいたチーグルのスターのこと……。
スターにまつわるサブイベントを読むと、どうやらスターにはもう一匹いたチーグルが入り込んだ、つまりルークとアッシュの関係に似た二匹が一匹に統合されたとかなんとかそんな感じの話をされます。
初見のときは混乱のあまり何言っとるんや……となっていましたが少なくともなんとなく何が起きたかは理解できました。
……僕らはひとつになったんですか?
チーグルの身に起きたことがわざわざ語られるってそれ絶対ルークとアッシュも同じこと起こるじゃん!!
「僕らはひとつになる」じゃん!! なるなよ!!
それ以降も事あるごとにコンタミネーション現象にまつわる情報が小出しにされていきます。そしてちらつくカルマの歌詞。怯えるプレイヤー。
もうストーリー読んでカルマの歌詞ってこういう意味だったんだ、と気付くよりも歌詞を読んでその先の物語を考えるほうが辛かった。最後までどうか間違ってくれと祈っていたことが間違いじゃなかったことが悲しかった。
初見プレイ時、紆余曲折(ほんとに紆余曲折あった)の末にエンディングを迎え、タタル渓谷に現れた「彼」の、ルークでもアッシュでもない、そして少し大人びた声を聞いたとき、「あぁ、これまでずっと一緒に旅をしてきたルークも、旅の中で出会って一緒に戦ってきたアッシュももういないんだ……」とどうしようもなく寂しく感じました。
なんで……なんでこんなことするんですか……なるなよ一つに……。
だってアッシュは自分のこと「ルーク・フォン・ファブレだ」って言ったじゃないですか……。ルークだって自分をルーク・フォン・ファブレだと定めたじゃないですか。
どちらが本物ということではなく各々が自分で自分を認めたというのに、彼らは別人なのにひとつになんてしないでほしい。
まぁ……プレイヤーが何を言ったところで本編は変わらないわけですが……。
序盤に自分で書いたことと矛盾してしまうのですが、確かに巷で言われている通り、カルマはネタバレ曲なんだと思います。
でもそれだけじゃない。
ネタバレ含んだあらすじでも読めばゲームを遊んでいなくても、この歌詞ってこういう意味ね、と理解できるようになるかもしれません。それでも、やっぱりきちんとゲームを遊んでルークたちの歩んだ物語を知らないと『カルマ』という主題歌がどれだけテイルズオブジアビスに寄り添って書かれたものか、どれだけテイルズオブジアビスの物語が込められているかはわからないと思います。
実際ゲームを遊んでみて、これまで何度も聴いてきたカルマの味わいが何度も変化していく感覚は凄まじかったですし、ものすごく衝撃的でした。
そういう点でも、最後までテイルズオブジアビスを遊び切ることができて本当に良かったなと思います。
ちなみにこれは本当に余談なので読まなくていいんですが、初見でちゃんとヴァン倒したのにそのあとゲーム切って決戦前のデータから二回目のヴァン戦やったんですよね。
というのも、ヴァン倒した後って勝手にストーリー進むようになっちゃうじゃないですか。「え!? ゲームバグった!?」って慌ててPSボタン押して、しばらく仕様かバグか調べた結果どうやら仕様らしいと知ってゲームに戻ったら勝手にエンドロールが始まっていて。
「アリエッタ 雪野五月」の文字列が印象的でした。致命的なネタバレに掛かる前だったのが救いというかなんというか……。
というわけですぐにデータ読み直して二回目始めたんですが一回もエルドラント出なかったのでアイテムも枯渇している中のジリ貧戦を耐えてようやく勝って……。せっかく勝ったのにさらにもう一回やるのか……って絶望しました。がんばった。もう二度と中断のつもりでPSボタンは押さない。
ここからは本編プレイしていて印象的だったエピソードや台詞の話を飽きるまでします。たぶんこっちの方が前半よりも長い。
正しくありたいと思うこと
「恐れる者」
戦場とはいえ人を殺すのは恐ろしい……。それは人として普通のこと。
決して明るい内容のものではありませんが私はこの「恐れる者」の称号テキストがなんか好きでルークの称号の中でも特に印象に残っています。タルタロス脱出後辺りに獲得するやつ。
死ぬのは怖い。人を殺してしまうのは怖い。そういう当たり前のことを当たり前のこととして受け止め肯定してくれているからかなぁと思います。
テイルズオブジアビスというゲームはこの、人間の生死というものを一本通して描いていて、「恐れる者」のテキストも今この瞬間だけのものではないというのがいいなと思っています。
また、一回目のヴァンとの決戦を前にした際のジェイドとの会話で、これ以降も旅の間ずっと、人を手に掛けることを恐れ続けていたことがわかって息を呑みました。
ルークはずっと「恐れる者」だったんだな……。
「逃げることや身を守ることは恥ではないんです」
ついでに書くとここのジェイドのセリフも好きです。
彼は軍人で、かつ今いる場所が戦場である以上、戦うことに迷いのある人間は正直一番邪魔な存在です。
結果としてルークは戦力として戦うことになりますが、殺人を恐れることを決して否定はしないでいてくれたことが、なんだか当時の私は嬉しかったんですよね。
後々この男が子供時代、そもそも命を手に掛けることをなんとも思っていない人間だったことが判明しますが、自分が決して持ち得ない感覚を持つルークのことをこの時のジェイドはどんな風に思っていたんだろう。
ランバルディアの子
ナタリア「……私、王族としての責務を果たしてきた『つもり』でしたわ」
アニス「つもりじゃないでしょ? 港の開拓事業とか、療養所の設置とかしてたじゃん」
ナタリア「でも、それが自己満足ではないと言い切れますの?」
ティア「現実にこの街の人々は、ナタリアに感謝していたわ。自己満足ではないでしょう?」
ナタリア「そうでしょうか……」
ジェイド「全ての行為は自己満足から始まるものですよ」
(中略)
ティア「例え自己満足でも、それが多くの人の賛同を得た時、それは自己満足の域を超えるのではないかしら」
この一連の会話大好きなんですよ……。
バチカル城でのイベントを終え街に降りてきた際のサブイベントなんですが、アニスちゃんが「つもりじゃないでしょ?」と言ってくれたところでバチカルの街並みが映る演出すごく良くないですか?
アニスちゃんやパーティメンバーだけでなく街のみんなもナタリアちゃんのこと認めているんだよって言外に示すかのような演出でいいなぁ……としみじみしました。
ティアちゃんが「みんなが感謝してくれているのなら自己満足ではない」と言ってくれるのも、ジェイドが「全ての行為は自己満足から始まるものだ」と言うのも全部好きで印象的なイベントでした。
アビスって、正しくない……というか本当に正しいのかは誰にもわからない人たちの物語で、その上で正しくありたいと思い、そのために行動することを肯定してくれる(報われるとは限らない)物語だったと思っています。
そしてこのナタリアちゃんのサブイベントや先ほどの「恐れる者」のイベントもその一部だと思っています。
自分のしていることは誰かのためなんて言えないんじゃないか、結局これってただの自己満足なんじゃないかという人生で一度は悩むことを、そもそも全部自己満足だとしたうえでそれが誰かから認められたのなら自己満足ではないと、一度受け止めて肯定してくれるところがすごく優しくて好きだなと思います。
ところで上記のセリフからもわかるように、ナタリアちゃんは自分が誰かの助けになろうとすることを立場に驕らず、というよりもむしろ立場があるからこそそうするべきだという風に認識しています。ノブレス・オブリージュというやつですね。
ここに限らず、ナタリアちゃんのセリフからは彼女が王族の人間だという自負が強いことが何度も読み取れるのですが、「王族の人間だからこそ」という点に重きを置いているナタリアちゃんが実は王家の血を継いでいなくて……という展開になるのはキャラクター造形がうまいな……となります。アビスってそういうところあるよね。
演技の話
親善大使とデオ峠
ルークといえば物語の中盤で断髪し、長髪時代と短髪時代とで、見た目はもちろん言動や考え方が大きく変化することが印象的なキャラクターです。
長髪時代のルークは買い物の仕方から自国の現状と他国との関係まで、あるいは周囲の人間との接し方など、とにかくあらゆる一般常識(あまりこういう言い方は好きではないのだけど)を知らない子でした。
というのには理由があり、本編でも語られているようにレプリカとして生まれ赤子のような状態から七年間屋敷に軟禁され続けたことが原因なんですが、そもそも何かとくべつ身体が悪く屋敷で療養するしかない等の事情があるわけでもないのに、ただひたすら家に閉じ込められ世間を知る機会も得られず、人との関わりを学ぶこともできず、というのはシンプルに虐待だよな……と初見時から思っていました。
実際に遊んでいたときはルークのガキ大将ムーブに気を取られていましたが、改めて考えると初めの時点で主人公の生い立ちがあんまりすぎる。
物語が進むとこの何も知らない主人公に「親善大使」という役割を与えてしまうのでさらにたちが悪くなる。
案の定、周囲を鑑みず自分の意向を押し通そうとする、権力を握らせてはいけない人間代表のようなムーブをし始めるわけですが、私はわりとここのルークのことが好きです。というのも演技がめちゃくちゃ良くて……。
親善大使ルークの演技が光るところといえばやっぱりデオ峠です。半分くらいトラウマ。
早くヴァン師匠のもとに辿り着きたい、と初めは多少気にかけていたイオンの体調を考慮する余裕もなくなり、周りの声にも反発して声を荒げるようになっていくルークですが、この余裕無く無差別に怒りをぶつける演技があまりにリアルで初見当時はごめん……許して……と怯えながらプレイしていました。
いやここだけ書くと褒めてるのか怪しい感じになってしまうんですがめちゃくちゃ褒めてます。
飲み込み方のわからない怒りを、ぶつけ方のわからない怒りをすんでのところまで抱えて、それが全部溢れてしまったみたいな勢いの怒り方なのがすごく質量を感じる。
怒らないでくださいですの……って怯えるミュウにキレてるスキットの演技とかいいよね……すごい怖くて……。それはそれとしてミュウ虐しんどいからやめてほしい。
今はルークの演技を挙げたけどアビスってどのキャラも演技がすごく良くて……。
ルークとアッシュの一人二役も、二人がそれぞれ別人でありながらふとしたところでキャラクター的にも声帯は一緒なんだよな……そうだった……と思わせてくるバランスが絶妙だったり、これは演技がというより演出が、になるんですがイオン様の死後シンクがイオン様と全く同じ声音で話すところとか一人二役キャラの使い方がうますぎて悲鳴上げると同時に正直めちゃくちゃ興奮した。
オタクは一人n役が好きですからね。(クソデカ主語)
後はティアちゃんの演技がものすごく好きだったんですが、ティアちゃんはまだ16歳でありながら常に軍人然とした子で、その声音も落ち着いています。ただそれも「そうあろうと努めている」姿であって、その奥に持っている本心が表に出るようなシーンで彼女もまだたった16歳の女の子なのだと再認識させてくれる演技になるのが印象的でした。
後半は特にレムの塔での叫びや、余命宣告後のルークの私室での会話など、ティアちゃんの、自分を律して抑え込もうとするのではないありのままの感情が出る演技を聴くたび辛くて泣いていました。
レムの塔
レムの塔のエピソードは作中でも屈指の鬱イベントだと思っていますが、それと同時に創作物としてはものすごく好きです。というわけでレムの塔の話します。
「だったら! 障気なんてほっとけ!」
ガイ……………………………。
障気中和についてアッシュではなくルークと一万人のレプリカを犠牲にするという選択肢が挙がった後、それぞれに話しかけた際のガイの台詞なんですが、私はこの台詞がしばらく引き摺っていたくらい好きで……。
ルークを選びたいのはみんなそうなんです。みんなルークに生きていてほしく、でもじゃあ障気はどうするのって。
障気を放っておくなんてできないことはガイもわかっているはずで。それでもルークただ一人を選びたいという我儘をぶつけてくれたことがすごく嬉しかったんですね。
自己犠牲が話のテーマになったとき世界と個人の天秤で個人を選ぶキャラクターが大好きなのでそういう話を描いてくれたのめちゃくちゃ良かったですね……。
「みんなあなたを引き止めてくれたんじゃないかしら。でも……私は止めないわ。(中略)あなたも決心したというなら、それだけの考えがあってのことだと思うわ。でも、あなたのすることを認めた訳じゃない。あなたがその選択をして、そして障気が消えたとしても……私はあなたを憎むわ。みんながあなたを賛美しても私は認めないから」
ここも好きな台詞です。自己犠牲にまつわるお話の中で、こうして自己犠牲は賛美されるものではないという価値観をきちんと出してきてくれたことでこの物語に対する信頼がかなり上がりました。
ティア「ルーク! やめて!」
駆け寄るティアと制止するガイ
ルーク「……ガイ。……ありがとう……」
ガイ「……馬鹿野郎が」
先程の台詞を踏まえた上で、「私は止めないから」と言っていたティアちゃんが悲痛な叫び声をあげてルークに駆け寄ろうとして、それを「障気なんてほっとけ」と世界よりルークを選ぼうとしていたガイが止めるという、互いの構図がすごく苦しくて、でも創作物としてあまりに好きでめちゃくちゃになった。
ティアちゃんも世界とルークの二択でルークを選ぼうとしたんですよ……。
しかもこの時、ルークはティアの声を聞きながらも振り返っていないのでガイがティアを止めたことは見えていないはずなんです。それでもガイが、女性恐怖症でありながら女の子であるティアちゃんを止めたことに気付いているという部分でさらに情緒が大変なことになった。
そしてそれに「ありがとう」って返すんですよ……。
レムの塔でのお話は自己犠牲に対するそれぞれの向き合い方や構図の対比がものすごく好きだったな……と今でも思います。その分いちばんしんどかったけど……。
ゲームとしての仕掛け
ミュウの存在
ミュウといえばやっぱり物語全体を通してずっとルークを「ご主人様」と呼んで慕い続けてくれたことが印象的です。
アクゼリュス崩落後、ティアやガイすらも「少しはいいところもあると思っていたのに……」「あまり幻滅させないでくれ」とルークを見放す中で、ミュウだけは唯一ルークと同じように罪を背負った者として、決してルークを責めることなく寄り添ってくれます。
さらにここで日記を読むと、眠っていて日記を書けなかったルークの代わりにミュウが代筆してくれていることがわかります。
ルークのものと比べると拙い文章ながら、ルークのために書いてくれたのがあまりにも愛おしくて……。
キャラクターとしてのミュウのすごく好きなところとして、マスコット枠としての可愛い役回りを持ちながら旅の仲間としてただマスコット枠に収まるだけではない、という部分があります。
この一件でのミュウは、何よりもマスコットという枠を超えて、物語でもシステム面でも重要な役割を担っているところがとても良いなぁと思っています。
システム面というとミュウは旅の中でも重要な役割を持っています。そうです、ギミック解除の能力です。
火を吹き岩を砕き空を飛び……。ミュウの能力(ソーサラーリングによるものというのはさておき)はダンジョン探索の中で必要不可欠です。
戦闘中は道具袋の中に隠れてる(かわい〜ね)けどきちんとミュウもパーティの一員なんだよと思わせてくれる仕様になっているのがとても好きです。
ルークの日記
アビスで印象的な仕様のひとつとして主人公の書く日記があらすじになっている、というのがあると思います。
先程も触れましたがルークは記憶障害が再発した際の助けになるようにと、長年の習慣として日記を書いています。
これだけなら単にキャラクターの設定のひとつ、くらいになると思うのですがゲームではあらすじを兼ねており、ルークの他にはプレイヤーだけが(一部例外あり)読むことのできるテキストとなっています。
……実際のところってどうなんだろうね。ミュウはアクゼリュス崩壊後に日記代筆してるしティアもちらっと読んでそうなこと言っていたけど全部は読んでないだろうし……。あと本編後の日記の行方ってどうなってるんだろう。
この日記、日記である以上ルークの心情がこれでもかというほど記録されています。
物語最序盤、ティアに関して「顔は美人なのにな……」的なことを書いていたのもアクゼリュス崩落前に「みんな死んじまえ!」と書いていたのも、レムの塔での一連の話やその後に死を前にして何を思っていたかもプレイヤーは全部知ることになるわけです。
この仕様ほんとうにすごいな……と思っていて後半はもうメインストーリーを進めてから日記を読むたび悲鳴を上げていました。
本編では触れられない、あるいは見えない主人公の考えや心情がプレイヤーにだけ見えるというのは、間違いなくテイルズオブジアビスの物語としての面白さを底上げしてくれた要素だと思います。
みんなとは楽しい思い出を作っておきたい。残りの日記がいいことだけで埋まりますように。
いちばん印象的だった一文。いやインパクトで言えば「みんな死んじまえ!」のほうがビビったけど……。
レムの塔からのノンストップ余命宣告でこれを出されてもうだめだった。思い出して泣きそうになってる。
アブソーブゲートでの分断
探索がクソ面倒だった(シンプルな悪口)という部分を差し置いても好きな要素です。
アブソーブゲートを進んでしばらくするとルークとティアとミュウ、ガイとナタリア、ジェイドとアニスの三手に分断されるイベントが発生します。
分断されたキャラクターそれぞれが互いに信頼を確認する会話イベントとかも好きなんですが、ここではルークとミュウが一緒にいることで(ミュウのご主人様はルークだもんね……)ギミック解除の役回りがほとんどルークに集まっています。
ルークたちがギミックを解除することで他の場所にいるガイやジェイドたちパーティメンバーが先へ進んでいける。そして最後は残りの二組がギミック解除のサポートをすることでルークたちが仲間と合流できる。
こうやって書くとシンプルだけど熱くて好きな仕掛けです。
最後にルーク操作でガイとジェイドが立っているところまで走っていく構図いいよね……。
ジェイドの話
好きなシーン挙げようとしたらめちゃくちゃジェイドの話になっちゃったのでこの人だけ単独見出しです。なんか書きすぎちゃった……。
ジェイドに関しては、本編読むとなんかこの人だけ広げたカルマの風呂敷3倍くらいになってるよな……と思っています。
確かにだいたいこの人から始まった物語だなぁという部分はあるんですよ。わかるよ元凶って呼びたくなる気持ち。
にしたってこの人だけカルマのバランスおかしくない? カルマってそういうもん? そうだね。
師匠
ルークとジェイドの関係って、めちゃくちゃ良いですよね……(唐突)
という感情の論拠が一回目決戦前のケテルブルクでの会話にあるのでその話をします。
「正直言って、あなたと最初に出会った時は絶対に好感を持てないと思ったんですがね」
「俺だってそう思ったぜ。嫌味でむかつくって」
「まぁ、こうやって旅を続けているうちに、あなたのことも、そう悪くないと思えてきましたよ」
「……ほんとかよ」
「ええ。……知っていますよ、私は。あなたが今でも夜中にうなされて目を覚ますこと」
「……」
「……あなたにとって、アクゼリュスの崩落は、まだ過去のものではないのですね」
「……当たり前だ」
「盗賊や神託の盾の兵を切った夜は眠れずに震えている」
「……臆病だろ、俺」
「いいえ。あなたのそういうところは私にない資質です。私は……どうも未だに人の死を実感できない」
「ジェイド……」
「あなたを見ているうちに私も学んでいました。いろいろなことをね」
「俺、ジェイドと旅して良かったと思う。ジェイドのおかげで俺がやらなきゃいけないことがわかったんだ」
「ヴァン師匠とは違うけどジェイドも俺の師匠だな」
「弟子は取らないんです。教えるのは嫌いなので」
「いいんだよ。勝手に盗むんだから」
「そうですか? フフ……まあ、好きにしてください」
せ、せんせい…………。
決戦前の会話はどれも好きなんですがジェイドとの会話が一番脳焼かれた気がします。師匠、かぁ……。
ルークがジェイドに対して「ヴァン師匠とは違うけどジェイドも俺の師匠だな」と言うの、ルークにとって、年長者に対するこの上ない好意や尊敬という感情の表れだと思い、ウワ~~~~~~ッとなりました。
さらに、ここで「師匠」と呼ばれたとき本気で嫌そうにするんじゃなく「フフ……まあ、好きにしてください」ってまんざらでもなさそうに返すジェイドも良いですよね。彼なりにルークのこと認めてくれているんだなぁ。
この辺りからルークとジェイドの関係性も良いな……と思い始めてきたのですがたぶん擬似親子に対するときめきに近い。
大人で子ども
「大佐はみんなのことがどうでもいい訳じゃなくてちゃんと信じてるんですねぇ♥」
「! ……はははははっ!」
「な、何、大佐? どうしたの?」
「そうですね。そういう見方もありますね。確かにそうでもないといつまでも一緒に行動できないか」
「大佐! 何、一人で納得してるんですか!」
「いえいえ。なんでもありません。それより早くみんなと合流しましょう」
「は~い」
「頼りにしてますよ、アニス」
「あは♥ 私もで~す」
ここ、テストに出るやつ。
これはアブソーブゲートでパーティメンバーが分断された際のアニスとの会話なんですが、「確かにそうでもないと~」の演技が普段の大佐としての話し方でもなく誰かをからかう時のわざとらしい話し方でもなく、問題の答えがわかって清々したような、少年っぽいすごく自然な感じの声音だったのがすごく衝撃でした。うーん、好きな演技ですね……。
ジェイドはやっぱり、きっとまだ子どもなんですよ。
どれだけ頭が良くてどれだけ難しい術が使えて新しい技術を生み出せたとしても自分の心の機微には疎くて、それを子どもに指摘されて、笑いながら気付いて納得するっていう。
そういう情緒の部分が子どものまま大人になってしまったのがジェイド・カーティスという男なんだと思います。
他のキャラとかだったら自分が気付いていなかった感情を指摘されたら、「えっそうなのかな…」みたいなフェーズを一瞬でも挟むと思うのですが、ジェイドは爆速で理解して一人で勝手に納得してるのがそういうところだよなぁ……って思いますね。
前述の通り、私はジェイドのことを子どもだと思っています。
35歳のジェイドより年下の人間である私がジェイドに対して子どもだと言うのはなんだか失礼な気もするんですが、ケテルブルクでのルークと会話を読んだ辺りから「この人ってきっと根っこの部分が子どもなんだろうな……」と考えるようになりました。
うーん、子ども…っていうかなんだろうな、子どものまま大人になってしまった人、というのが近いかもしれない。
彼は頭も良く強い譜術も使えるし、軍人として生きていくには申し分ないほどの能力を持っています。大人としての振る舞いも一応は心得ています。
ただ、ジェイドの振る舞いってあくまで学習の上で習得したものだと思っています。いや、そもそも人の立ち振舞いって周囲から学んで身につけていくものだとは思うのですが、ジェイドの場合それがひときわ「学習」の結果によるものなのかなって……。
少年時代のジェイドは壊れた人形を見て「複製を作る」という選択をしました。
ネフリーも言っていたように普通なら新しい物を買うなどの手段を取るであろうにも関わらず(人形を新しく買い換えるのもどうなんだろう…って思うけど)ジェイドは複製を作った。作れてしまったんです。
普通ならそもそも複製を作るという発想には至りませんし、もし思いついたとしても実行なんてできません。
でもジェイドにはできてしまった。
きっと普通の子どもであれば、壊れた人形を見てじゃあどうする?直す?新しくものを買う?とまず考えると思います。
考えて、相手に寄り添おうとする過程を通して人間らしい感情や共感能力、情緒なんかが育っていくのだと思うのだけどジェイドはそうじゃなかった。
そういったものを全部すっ飛ばしてレプリカを作れてしまった。
生来の倫理観と尋常でなく特出した能力のために、ジェイドは本来得るはずだった、対人関係に必要な情緒を育てる機会を失ってしまったんじゃないかと思っています。
だから彼が周囲と同じように「人間らしく」振る舞うためには、対人関係においてどんな場面でどう接しているか、それを頭で処理して行動にするしかなかったんじゃないかと思っています。もうそろそろ幻覚みたいな話になってきたな。
という話をしたうえで本編の話に戻るのですが、ジェイドを中心にして見たテイルズオブジアビスという物語は、子どものままの育ってしまったジェイドが人間としての情緒を獲得して大人になるまでのお話だったと思っています。
死が理解できなかったジェイドに対して、死というのは0か1かの話ではないのだということ、人を喪うというのはどういうことなのかということを何より教えたのが、誰よりも人間らしく、誰かの死も自身の死も恐れ続けたルークで、そのルークを喪うことでジェイドの物語は完成したのだと思います。
さいごに
最終決戦を終え、これからどうなるのかと困惑の中エンドロールを見ていたとき、確かに感じたものがありました。
「人生だったな……」と。
急に変なこと言い出してすみません。私も流石にちょっと恥ずかしいこと書いてるなって思ってます。
けれど、長い旅の最後エンドロールに描かれたものが、これまでの旅の様子でもなく、また、戦いのあと日常へ帰ったキャラクターたちの様子でもなく、子どもから大人になるまでの「人生」だったのを見た時、これは私にとっても人生の物語だったのだと感じました。
変ですよね。たった二ヶ月の付き合いだったのに。
でもなんか、このゲームと一緒に生まれて一緒に育ってきたかのような、そんな錯覚を起こしたんです。不思議ですね。
でも、そういうゲームだったんだと思います。
何も知らなかった子どもが世界を知って、自分は何者かを探して。そうして生きた記録を辿っていくテイルズオブジアビスというゲームは、きっともう一つの人生だったんだと思います。
私とこのゲームにはちょっとした共通点があり、テイルズシリーズの中でも親近感を持っていた作品でした。
そんなテイルズオブジアビスが人生で最初に走り切ったテイルズ作品になって嬉しいなぁと思います。
『カルマ』という主題歌
それから最後に『カルマ』について。
テイルズオブジアビスとカルマがこんなにも一心同体な存在だとは思ってもいませんでした。
もはやただのオープニングというどころではない。文字通り主題歌。
テイルズオブジアビスはカルマで、カルマはテイルズオブジアビス。
三分半に詰まったテイルズオブジアビス。
私にとって、テイルズオブジアビスというゲームは「カルマの意味を知るRPG」だったように思えます。
だからといってカルマだけで話を終わらせていいとは思っていません。
テイルズオブジアビスがあるからこそ生まれた曲なんですから。
オタクによくある誇張表現だけど、カルマを聴いたことのある全人類にテイルズオブジアビスをプレイする権利が与えられるべきだと思っています。
ってことでテイルズ公式ー!!
アビスのリマスター待ってます! よろしく!
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