モンゴルの首都ウランバートルは、近代的な高層ビルと遊牧民文化の住まいである「ゲル」が混在する。
独特な景色の中、今も使われている政府庁舎の一部や大学、劇場など首都を代表する建物は日本人捕虜の強制労働で建てられた。
モンゴルでも日本でも知る人が少ない歴史を両国の友好のために残す活動の輪が、モンゴルで広がりつつある。
知られざる「モンゴル抑留」
第二次世界大戦が終結した1945年夏、ソ連は旧満州(現中国東北部)などにいた約60万人の日本人をソ連領内やモンゴルに送り込んだ。
一般的に「シベリア抑留」と表現される言葉の印象からモンゴルの存在感は薄いが、モンゴルでも約1万4000人の抑留者が強制労働に従事し、2年間で約1700人が亡くなったと推計されている。
労働は主に、ウランバートル中心部での建設作業だった。
石を切り出し、れんがを焼き、れんがを積み、コンクリートを練り、壁を塗った。
夏は暑く、極寒期の大地は凍る。
基礎づくりの穴掘りも重労働だった。事故や伝染病、栄養失調などで死者が出た。
建てたのは、政府庁舎の基礎、オペラ劇場、外務省やアパート、映画館、図書館、モンゴル国立大学の校舎など。
抑留者たちによる都市建設は首都の近代化への一歩となった。改修を重ねながら今も使われている。
ただ、長年、ソ連の影響を強く受けてきたモンゴルで、…
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