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第44回「竜の学校は山の上」
うっかり、一月たってしもうたわい。
この一ヶ月、正確に考えるとクリスマス以降かな。
おっそろしく「創作意欲」が出ない。
リアル日記の方も全然書いてないし…文章を書くのが中々苦痛なのである。
それでも何とか。こういった自分の好きなものに関する文章なら書けるのではないかと。
リハビリ?のつもりでちょっと書く。
っても長文にはならない気がする…もう既にいやになりはじめている。
参ったなあ…やらなければいけない事山積しているのに。
今回はコレ。借り物だけど。

竜の学校は山の上。短編集だね。
これ読んだ最初の感想は、「素晴らしい同人誌だなあ」といった感じ。
実際、三作品は同人誌からである。
絵柄といい、コマ割といい、商業誌・編集のてこ入れが入っていない感満載。
いやいや、ここは見開きでしょ。
とか
ここでワザと表情だけのコマ使うならもうちょいデカイコマっしょ。
とか。
何故か編集目線で読んでしまった不思議。
荒いなあ、荒い。
しかしこれもまた一興。
そういった「一般受けするフィルタ」を通していないってのも世の中には必要であろう。
少年誌のコミックが好きではない理由の一つとしてそういったところがある。
王道フィルタがあまりにも強すぎて、展開もやりたい事も「読者にどう感じて欲しい」かも。
手に取るように分かってしまい冷めてしまうのである。
特にジャンプは。
こう、「わかりやすいJ-popのバラードもん」みたいな。
「うまみ調味料たっぷり」みたいな。
そういう感触。
これはこれでたまに食べたくなるのだが、毎日はやっぱり嫌だ。
だもんで、こういう「洗練されていない」のもたまには味わい深い。
さて、内容は。
魔王を打ち倒した勇者のその後
魔物にさらわれた姫と魔王の交流
「必要じゃなくなった」竜の意味
など。
一見意表を突いたものに見えるかもしれないが、実際の所これらのテーマは既に古典化しているように思う。
しかし、作者は別に真新しい何かに取り組もうとしているのではなく、
その古典を自己解釈してやりなおすような書き方をしたのではなかろうか。
勇者のその後はスポットがむしろ勇者の幼馴染に当たっているし、
竜の学校では「必要と不必要の二分」に当たっていると思う。
なる程、と唸るような深さは無かったように思うが。
そうだよなあ、と共感する部分は多々あった。
その、なる程なあ、が重要で。
表題である竜の学校~と、猿人(ようは普通の人間)と馬人(ケンタウロス)が共存する話は
ともに現代日本が舞台である。
設定として現実に竜がいる世界もケンタウロスがいる世界もSFであるにも関わらず、
そこから観た現代社会とそこに住む人々の考察は至って現実的で写実的である。
物語の本質、存在価値の一つはそういった異次元を我々の実生活に溶け込ませて違和感を無くし、
さもその世界に自らが存在して体験を共有できるような錯覚を提供する事である、と思う。
もちろん多くのマンガや小説ではこれが当たり前に行われている。
だから読んでて楽しいし、感動したり憤慨したりする。
この作者はそういったものがとてもスムーズに、そして美しく出来ている。
「ねーよ!」って言わせない、僕は言わなかった。
竜の存在価値を追求する人物の台詞、
「世の中には役にたつものとこれから役に立つかもしれないものしかない」
には、その異次元を超越した普遍的な思いがある。そりゃそうだ。
ケンタと人間の世界における格差や差別意識ってのも、パーツが違うだけでどこにでもある素材。
このマンガ、作者にはそういったナチュラルな世界観を展開させてくれるものがあると思う。
特に作中突然挟まるケンタと人間の夫婦の四コマは非常に好きだった。
これだけで単行本だして欲しい…
荒い、が、ナチュラルで引き込まれる。
素晴らしい一冊だった。
ただ、さらわれる姫の話だけは最初から最後まで捻りが全く無く。
ここまで捻らない作品も珍しい、と思うぐらい捻りが無かった…
うーん…表情の描き方とかは美しいんだけどね。
あー久しぶりに書いたらやっぱ書いてるのしんどかった。
もう校正もしない、やる事あるけど無視して寝る。
だれかやる気出る薬がまじないでもかけてくれんかね。
この一ヶ月、正確に考えるとクリスマス以降かな。
おっそろしく「創作意欲」が出ない。
リアル日記の方も全然書いてないし…文章を書くのが中々苦痛なのである。
それでも何とか。こういった自分の好きなものに関する文章なら書けるのではないかと。
リハビリ?のつもりでちょっと書く。
っても長文にはならない気がする…もう既にいやになりはじめている。
参ったなあ…やらなければいけない事山積しているのに。
今回はコレ。借り物だけど。
竜の学校は山の上。短編集だね。
これ読んだ最初の感想は、「素晴らしい同人誌だなあ」といった感じ。
実際、三作品は同人誌からである。
絵柄といい、コマ割といい、商業誌・編集のてこ入れが入っていない感満載。
いやいや、ここは見開きでしょ。
とか
ここでワザと表情だけのコマ使うならもうちょいデカイコマっしょ。
とか。
何故か編集目線で読んでしまった不思議。
荒いなあ、荒い。
しかしこれもまた一興。
そういった「一般受けするフィルタ」を通していないってのも世の中には必要であろう。
少年誌のコミックが好きではない理由の一つとしてそういったところがある。
王道フィルタがあまりにも強すぎて、展開もやりたい事も「読者にどう感じて欲しい」かも。
手に取るように分かってしまい冷めてしまうのである。
特にジャンプは。
こう、「わかりやすいJ-popのバラードもん」みたいな。
「うまみ調味料たっぷり」みたいな。
そういう感触。
これはこれでたまに食べたくなるのだが、毎日はやっぱり嫌だ。
だもんで、こういう「洗練されていない」のもたまには味わい深い。
さて、内容は。
魔王を打ち倒した勇者のその後
魔物にさらわれた姫と魔王の交流
「必要じゃなくなった」竜の意味
など。
一見意表を突いたものに見えるかもしれないが、実際の所これらのテーマは既に古典化しているように思う。
しかし、作者は別に真新しい何かに取り組もうとしているのではなく、
その古典を自己解釈してやりなおすような書き方をしたのではなかろうか。
勇者のその後はスポットがむしろ勇者の幼馴染に当たっているし、
竜の学校では「必要と不必要の二分」に当たっていると思う。
なる程、と唸るような深さは無かったように思うが。
そうだよなあ、と共感する部分は多々あった。
その、なる程なあ、が重要で。
表題である竜の学校~と、猿人(ようは普通の人間)と馬人(ケンタウロス)が共存する話は
ともに現代日本が舞台である。
設定として現実に竜がいる世界もケンタウロスがいる世界もSFであるにも関わらず、
そこから観た現代社会とそこに住む人々の考察は至って現実的で写実的である。
物語の本質、存在価値の一つはそういった異次元を我々の実生活に溶け込ませて違和感を無くし、
さもその世界に自らが存在して体験を共有できるような錯覚を提供する事である、と思う。
もちろん多くのマンガや小説ではこれが当たり前に行われている。
だから読んでて楽しいし、感動したり憤慨したりする。
この作者はそういったものがとてもスムーズに、そして美しく出来ている。
「ねーよ!」って言わせない、僕は言わなかった。
竜の存在価値を追求する人物の台詞、
「世の中には役にたつものとこれから役に立つかもしれないものしかない」
には、その異次元を超越した普遍的な思いがある。そりゃそうだ。
ケンタと人間の世界における格差や差別意識ってのも、パーツが違うだけでどこにでもある素材。
このマンガ、作者にはそういったナチュラルな世界観を展開させてくれるものがあると思う。
特に作中突然挟まるケンタと人間の夫婦の四コマは非常に好きだった。
これだけで単行本だして欲しい…
荒い、が、ナチュラルで引き込まれる。
素晴らしい一冊だった。
ただ、さらわれる姫の話だけは最初から最後まで捻りが全く無く。
ここまで捻らない作品も珍しい、と思うぐらい捻りが無かった…
うーん…表情の描き方とかは美しいんだけどね。
あー久しぶりに書いたらやっぱ書いてるのしんどかった。
もう校正もしない、やる事あるけど無視して寝る。
だれかやる気出る薬がまじないでもかけてくれんかね。