Z-2 回顧録2
胃の内容物を吐いている黒曜はマスクの男に肩を抱えられて、融合魔王から遠ざけられる。マスクの男と言えば御影で間違いない。
「黒曜、大丈夫か! あそこにいる黄色い奴に何かされたのか!?」
「馬鹿が。どうして付いてきた。去れ。俺はあそこにいる融合魔王を殺すか、殺されるかしなければならないんだ」
融合魔王は黒曜と御影を敵と認識してしまっている。霜が立つように地面に黄色い水晶を生やして体を移動を開始していた。
速度は遅いが、融合魔王を中とした半径一キロの毒の影響範囲も合わせて移動している。圏内に入った鼠や鳥が続々と地面に倒れて、昏睡状態に陥っている。
「魔王? あそこにいる奴は魔王なのか。たく、これだから魔界は! 歩いているだけで魔王とエンカウントするのかよ」
「そうだ。だから、お前は早く消えろ。魔王を狩るのは救世主職の仕事だ」
「魔王を狩るのが救世主職の仕事なら、なおさら見逃せるか」
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“●カウントダウン:残り十年九ヶ月”
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「まあ、どれだけ魔王共を狩っても『カウントダウン』は止まらないがな。こんなブラック職を辞めてやるに限るが、それも難しい」
「えっ、救世主職で残念職なのか。まいったな……」
人類を滅ぼす力を持った魔王を何柱も倒してきた。その結果、人類は一時的に救われて、『カウントダウン』は数年から数十年だけ延長された。命を賭して得られた年月としては酷く短く感じられる。
黒曜はこれまでの人生を振り返り、カカカ、と自嘲する。もう乾いた声でしか笑う事ができなくなっていた。
「世界を救うなんて難儀、個人に達成できるはずがない。地震を人間が止められるか? 雷を人間が受け止められるか? できないだろ! そんな当たり前、分かっていれば救世主職なんかに誰が就こうとするか」
「確かに、俺も地震や雷は止められないな。まあ、世界は救ったけど」
御影は御影で己が成し遂げてしまった偉業を振り返り、綱渡りであったと嘆息する。
「……お前は何を言っているんだ、御影?」
「……俺の事を言っているんだろ、黒曜?」
二人は会話をしているようで話が一切通じていない。
当然だ。救世主職を話題にしているが、二人とも救世主イコール自分という前提で話を進めてしまっている。救世主職などという世界に四人といない希少職同士で向かい合っている。こう察する方が難しい。
鏡と向き合っているかのごとく、二人は完璧なタイミングで首を傾げる。職業のみならず呼吸のタイミングや思考速度も似た二人であった。
「俺達、もう少しお互いを知るべきじゃないか?」
「はっ、悩みを言葉にすれば心が軽くなってか。馬鹿馬鹿しい。それとも、お前が俺の代わりに世界を救ってくれるとでも言うのかよっ!」
黄色の原色に近い色合いの融合魔王が、三メートル級の水晶石の柱を何本も建てらせている。己の分身を四方に放って、二人を包囲するつもりなのだろう。
森に生える黄色の水晶柱。まるで、異星人に支配されてしまった土地のようである。異星人侵攻のお決まり通り、テリトリー内にいる生物は死滅してしまう。
「助けてと叫んだら、お前が助けてくれるのかよっ!」
そのような他者を死滅せんとする魔王共と黒曜はニ千年間戦い続けてきたが、誰も助けてはくれなかった。誰にも達成できない無理難題なのだ。黒曜は可哀想かもしれないが、救世主の役目を誰も肩代わりする事はできない。
「――分かった。黒曜を助けよう」
だというのに、御影は黒曜を助けると返答してきた。
「お前……何と言いやがった?」
「まあ、言葉だけでは信じられないよな。だからちょっと、向こうにいる魔王倒してくる」
「ま、待てっ!?」
御影は融合魔王の元へと向かう。
融合魔王へと近づけば見えない毒に殺されてしまうというのに、黒曜の制止を聞かずに行ってしまった。
“愚かなり。我が『天の末子』は生物の設計図を損傷させる万病の毒である。何人であろうと致死域での生存は――”
「あっそう。でも、俺に毒は効かないから。まったく、『耐毒』は便利だな」
“な、にっ”
「心に隙あり。『暗殺』発動」
“馬鹿な。この私がこうも容易く――”
御影が言葉だけの軽い男であったのなら、黒曜は心を揺さぶられる事はなかったのだろう。
しかし、御影は融合魔王を簡単に倒してしまい、黒曜を助けてしまったのである。
「お前は、俺を……助けてくれるのか?」
他の誰かに助けられるなど黒曜の人生では稀有な出来事であり、心が揺れてしまう。
そもそも『凶鳥面』の神秘を破って赤子の頃の黒曜を助けたのも御影だ。仮面が作り上げた幻想の中での救出劇であったが、黒曜にとっても真実よりも好ましい結果だったのである。
「今日みたいにうまく行くとは限らないが」
毎回、黒曜を助けてくれるのは御影だけ。実力も有してしまっている。同じ救世主職でもある。頼りたくなってしまうのは当然であろう。
すべて御影に放り投げてしまって、黒曜が救われてしまっても問題はな――、
「お前は、俺の……パ……ぃ、い、いやッ! 駄目だ! 誰がお前に頼るものか! よくも俺の獲物を横から奪ってくれたなッ。なんて馬鹿な真似をしてくれた。許さないからな、お前!」
「……え、何で俺、怒られているんだ??」
――己を唯一助けてくれる存在たる御影に、どうして救世などという難儀を押し付けられるだろうか。こんな不幸な目に遭うのは己一人で十分なはずである。
それに、御影の救世主職は初心者ランク。『ZAP』スキルをまだ会得していない。
御影はまだ手遅れではないのだ。
「救世主職なんぞになりやがって。お前はもう魔王と戦うな!」
「何故にッ!?」
黒曜の今後の目標が決まった。世界がどうなろうとも、己の理解者たる御影を救世主にさせはしない。
御影を救世主としての職務から遠ざける。その第一歩として好都合な魔王が現れた。
老化により脱色し、灰色の毛を持ったオラウータン。体力的にはとうの昔に全盛期を過ぎ去って、直接戦闘に耐えられる『力』は残されていない。
けれども、その手に他人の暗い希望を強制的に叶えてしまう魔性の力が宿っている。何より、その魔性の手を最大限に活かせる老成された頭脳こそが恐ろしい相手だ。
……だからこそ、罠に嵌める相手としては相応しい魔王でもあった。
猿帝魔王は御影をよほど危険視していたのだろう。御影と月桂花の二人を退けるために、左手の指を四本も消費している。
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“『モンキーカーズフィンガー(小指)』、悪辣なる猿帝の左小指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その小指版。
楠桂なる女の願い事。それは、大切な男性の窮地を救いたい。
……ゆえに、楠桂は大切な男性が窮地に陥るまで絶対に手を差し伸べられない。一切の助力はできず、姿を見せる事さえ許可されない”
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“『モンキーカーズフィンガー(薬指)』、悪辣なる猿帝の左薬指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その薬指版。
楠桂なる女の願い事。それは、大切な男性と合流したい。
……ゆえに、楠桂と男は必ず合流できる。迷い易い魔界の外に出れば、必ず合流できる”
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“『モンキーカーズフィンガー(中指)』、悪辣なる猿帝の左中指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その中指版。
楠桂なる女の願い事。それは、猿帝魔王を屠りたい。
……ゆえに、猿帝魔王は楠桂以外の人物の手では絶対に討伐されない”
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“『モンキーカーズフィンガー(親指)』、悪辣なる猿帝の左親指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その親指版。
――なる男の願い事。それは、世界を滅ぼす事。
……良いだろう。お前は世界を滅ぼす魔王となるだろう”
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敵が消耗していたタイミング。何より敵が味方を消耗させたと確信した絶妙なタイミングを見計らう。
御影が猿の手の力で強制退去させられた後も月桂花は猿帝魔王と交戦を続けていた。そこに、黒曜は御影の姿に化けて現れた。
「御影様!? どのようにして」
「……さて解せぬな。が、一度は効果があったように思える。もう一度、指の骨を折ってみせよう」
猿帝魔王は左手に残った最後の指、人差し指を折ってみせるが、黒曜を御影と見誤っている状態なので不発に終わる。
その間に、黒曜は猿帝魔王の懐へと跳び込む。
「なに、お前は……まさか、違うのか?」
「遅いッ」
黒曜はナイフを振るう。猿帝魔王の右手を手首から両断して確保した後、月桂花に対してトドメを命じた。
「どうせ、この右手が猿帝魔王の奥の手なのだろう。だが、両手の指が使えない猿帝魔王など敵ではない。月桂花、やれ」
「お任せを!」
――現在
黒曜は夢での回想を終えて、瞼を開かずに意識を覚醒させる。敵に意識の覚醒を気付かせないためである。
体は動きそうにない。森の種族が得意とする植物毒で痺れさせられているのだろう。
「準備は整いましたか。救世主様をこの水に浸して、怨嗟を感染させましょう」
黒曜は意識を失っているフリをしたまほくそ笑む。どうせ、ここで怨嗟魔王の呪いを受けても『ZAP』スキルが発動するのみである。黒曜の努力も水の泡となって消えるが、敵の策略も泡となって消えていく。
どこまで時が戻るのかは定かではないが、大抵は戦闘開始時だった。
都へと攻め入る寸前か。
ナキナの王都から出発する前か。
下手をすると御影と出遭う直前か。それは少し残念な気がしてしまった。
「ナキナの方々は――ようやく国境沿いに出没したぐらいですか。三日以上の余裕がありますが、待ってあげる必要はありません」
エルテーナと思しき女の声が宣言する。
「エルヴン・ライヒの永遠の存続のため、我等のためだけの救世主を。それでは、始めま――」
宣言を邪魔するかのごとく、悲鳴が響いた。
『――井戸からひ、人がッ! ギャーーーーッ!!』
「――なっ、何事??」