17-23 姉が教えよう
今回の怨嗟魔王はたった一体で現れた。しかも、ナックラヴィー型でもなければモスマン型でもない。どこかの山村で発症した人間族でもなさそうだ。
「GAアッ、GAAAァァアアッ!!」
森の中から走って現れ、ナキナの王都を目撃して叫び上げるその怨嗟魔王は、先の戦の最後に現れた新型の怨嗟魔王だ。ゼナがエルクと呼称した妙にステータスの高い奴である。
「強いとはいえ相手は一体だけ。しかも平地のど真ん中だ」
飛んで火に入る夏の虫。強い相手という事前情報があるのならば、弓隊による遠距離攻撃で安全に始末する。
ゼナが率いる百名のエルフ弓隊が弓を構えた。
「弓隊は鉄の弓を使え。奴の動きはリリームが先んじて足を射抜いて止める。その後は一斉射」
射撃に関してはアイサも才能があると見せ付けていたが、残念ながら銃弾の在庫が不足し始めたため今回はお預けである。
月下のエルクが城壁の上に並ぶ俺達を見上げていた。
髪の長いエルクなので前回とは別個体なのだろうか。服装は女性エルフのものに似ていたが、破れているので断定はしない。オーガに負けない筋肉の発達具合と表皮のない腕や足に色気は一切残っていない。
「Gaaぁ、あ、ァ?」
エルクの赤い視線が俺達を横切ろうとして、ふと、停止する。
「凶鳥。ねえ、あれって、僕の顔を注目していないかな?」
「そう見えるが、怨嗟魔王になった者に理性は残らない。山村の村人は全員凶暴化して襲ってきた。行動はすべて本能的なものでしかない」
「ぁ、ぁ、GAあ、ア、I痛……ア、イ――」
停止しているなら丁度良い。今の内にと先制攻撃が開始される。
「リリーム。今だ。撃てェ!」
「御意! 発射!」
リリームの一射がエルクの足の甲を貫通し、地面に繋ぎ止めた。
続けて百人の弓隊が矢を一斉に放って降り注ぐ。
「痛Iッ、GAAAAGAあああッ!!」
すべてが直撃するように放たれたのではなく、回避される事も考慮し面に広まって矢が撃たれた。実際にエルクに命中したのは一割ぐらいだ。通常のモンスターであれば十分なダメージとなっただろう。
エルクは痛がり怨嗟魔王独特の咆哮が響き渡る。心臓に刺さっていても怨嗟魔王の場合は動いてしまうため、致命傷に至っているのか分かり辛い。
足が振り上げて、無理やり地面への束縛を引き千切る。突進を始めるつもりだ。
「接近を許すな!」
「――放水、射撃、水流撃!」
「――放水、射撃、水流撃!」
だが、怨嗟魔王対策は怠っていない。魔法を使用できるエルフ達が水属性の魔法を放って前進を防ぐ。消火ホース程度の水圧なのでエルク押し返す勢いはなかったが、エルクは足を止めようとしてバランスを崩す。明らかに水を恐れている。
転倒まではしなかったが、避け損なった水滴を少し肩に浴びた程度で大きく怯む。
「GAァッ!? アぁああああああああッ」
大腿筋を膨らませて、エルクは後方へと跳躍した。
跳んでいる間にリリームの正確無比な矢が撃たれて、エルクは着弾点の肩を中心に回転して倒れ込む。
「この戦法でうまく迎撃できそうだ」
「所詮は量産モンスターだな」
接近戦しかできない俺と接近戦もできないペーパー・バイヤーは並んで観戦モードだった。エルクの体に刺さる矢は数を増し、ダメージは加速していた。そろそろ決着が付く。
「アァ、GAッ。ア、痛III、GA。アぁああ、いいいぃ、Ga」
「……凶鳥。あのエルク。さっきから何か言いたそうに見えるけど、何だろう??」
目を凝らしていたアイサが疑問を口にする。
俺には言語になっていない獣の鳴き声を発しているようにしか思えないエルクの口元を見て、アイサは細い首をかしげつつ観察を続ける。
「AGGAAァッ」
「ア?」
矢を胸に受けているエルクを、アイサは見ている。
「痛IGAあぃ、Iぃ」
「イ?」
エルクは大量の血を流して倒れ込みそうになりながらも、上方に顔を向け、アイサを見ているように思えた。
「GAAあァッ、サッ!」
「サ? アとイとサ……、アイサ……えっ」
重傷を負ってもエルクは決して倒れなかった。傷付けば傷付く程に筋肉の束が太く強化されていく。刺さっていたはずの鉄の矢が、今では簡単に弾かれてしまっている。
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“『戦闘続行』、異常なまでの粘り強さに辟易するスキル。
勝負の決まった戦いであったとしても最後まで続行可能。
本スキルを上回るためには、肉体的な限界を超えるダメージでは不十分。肉体を破壊するダメージでゴリ押しする他ない”
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エルクは動く。振り上げた手を地面に叩き付ける。
「――トなルプ《樹木よ》ッ、WOルグ《生えよ》、デるテTeツゥオ《手を伸ばせ》、ゼオット《世界へ》ッ!」
手の中には植物の種が収まっていたのか。歯茎が半分覗く口を動かして呪文詠唱を行えば、種から野太く促成された根や幹が空に浮かぶ月を目指して伸び上がる。何もなかった平野部に、瞬く間に大樹が数本現れた。森とは言わないが、小さな林ぐらいの規模になる。
「精霊魔法、リリーム対策!?」
「い、いえっ、凶鳥様。森が怖いのは相変わらずですが! 森から私ばかりを連想してもらうのは傷付くというか」
「ちょっと、リリーム姉さん! 黙っていてっ! あのエルク、僕の名前を喋ったの!」
成長する樹木の枝を乗って、エルクは城壁と同じ高さに上がってくる。そのまま葉を踏み台にして空へと跳び上がる。
寄せ付けまいと水魔法が放たれるが、跳躍中のエルクを撃墜するだけの水圧はない。
リリームは矢で迎撃を試みたが、エルクが動体視力で捕らえ掴んで握り潰した。
「――ルネー《数々の》、ネイブ《蔓よ》、ニラトセ《拘束せよ》、オドゥルグ《黄金樹の》」
最後の砦となったのはゼナだ。精霊魔法の作用で、城壁をよじ登るように生えている蔦植物が一斉に空へと伸びる。先頭を行く一本がエルクの足首に絡まり、後続も追い付き巻き付き始める。
城壁に着地するまでわずか一メートル。腕を伸ばせば届く距離。
エルクの最終到達地点はそこであった。ゼナの魔法に拘束されて空中で停止している。粘り強さを見せるエルクであるが、そこが限界だ。
「これで終わりだ。リリーム、トドメを」
危険な相手だと分かっているはずなのに、どうしてだろうか。
「ま、待って。僕の名前を喋った理由をつきとめたい」
皆が止めているのに、アイサはエルクの手間まで接近してしまう。
「ア、がぁ、イ、いぃ、ざッ!!」
「アイサ! そこをどくんだ!」
「い、嫌だ!」
リリームの言う通りアイサはもう少し化物を風貌で考えるべきだと思う。人間の言葉を喋っているように聞こえたのかもしれないが、勘違いである可能性は高い。
「言葉で説明し辛いけど、この怨嗟魔王は殺したら駄目なんだ!」
アイサは本質的に優し過ぎるのだ。モンスターとは意思疎通できない。魔王の場合は意思疎通できてもあまり意味をなさない。怨嗟魔王の場合は尚更だ。
もちろん、モンスターにも例外が存在するが、例外はあくまで例外。一パーセント未満の確率のために命を張り続けるのは愚かしい。
「僕は動かない!!」
だが、アイサは空中で拘束されたエルクの言葉を聞こうとしている。それが正しい行動だと、巫女職でもないのに他人には分からない事で直感していた。だからリリームや他のエルフからエルクを隠すように両腕を広げる。
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“『情けは人のためにならず』、他人の得は、最終的には己の徳となるスキル。
相手を気遣えば気遣うほどに、利息が付いて得が帰ってくる。打算を加味しての行動では本スキルは働かない。
究極的には徳が高くなる”
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いつか見た光景に似ていた。多数のエルフの弓兵から化物を助ける少女の図。
「…………皆、矢をさげてくれないか。アイサを、信じよう」
俺の目にはエルクが敵としか映っていない。それでも、醜い姿をした化物を信じるアイサを疑う事が、俺にはできなかった。俺が否定する訳にはいかなかった。
「アぁ、Iァ、Sa」
「しかし、凶鳥様!」
「Ri、リィ、ィ、ム」
「……え」
弓を下ろそうとしなかったリリームも、誰かに名前を呼ばれた気がして周囲をキョロキョロ見回している。最終的にアイサの後ろへと視線を向ける。
「リィ、イイIイィィ、ムゥ」
「この化物が、喋っている?!」
酷い発音でエルクがリリームの名前を発音している……ように聞こえているが、語りかけられたリリーム本人も半信半疑な様子だ。
エルクが何を語ろうとしているのか。真実を調べる術はほとんどない。
「ゼナ様。僕の我侭ですが、お願いできないでしょうか」
「モンスターが相手の場合うまく心は読めないものだが、有望な若人の頼みだ。やってみよう」
数少ない術の一つは、ゼナの読心スキルだろう。
アイサの懇願を聞き入れたゼナが、苦しそうに口を動かすエルクの心を見るため赤い眼球を直視する。
「ア、イ、Sa。Ri,イイ、ム――」
「今にも消えてしまいそうだが、この者、意識があるぞ。――さ、最愛なる、妹。最後の時――」
私の妹達が、私の最後の瞬間に立ち会ってくれている。
魔王に呪われた我が身にとってはありえぬ幸運であり、本望だ。モンスターとなった私の精神は綻び、本来は妹との再会を喜ぶ事さえできなかったはずなのだ。こうして、対面を喜んでいる己がまだ存在している事以上の奇跡はない。
ゼナの翻訳を聞いていた俺達は金縛りにでもあったみたいに動けなくなってしまった。
けれども、これは風前の灯が消える一瞬前の感情。
アイサとリリームの姉であった者の終幕。
もう己の名前も分からなくなってしまったけれども、二人の大事な妹の名前を忘れるはずがない。
「そ、そんな、馬鹿なッ。この化物が、私達の姉! トレア姉さんだというのか!?」
「どうして、姉さんが魔王に! 誰がこんな酷い事をしたの!」
もう私の心は消え去ってしまう。
だから、一矢報いたい。
だから、妹達に最後のプレゼントを残したい。
完全に魔王と化してしまう前に、さあ、妹達よ。貴方達の未来を脅かしている魔王の正体を教えようではないか。
「ご、あGAAッ、ごれガッ! 怨嗟のッ」
良い姉とは言えなかった私が妹達に残せる物なんて、こんな物しかなかった。
「怨嗟魔王のォォオ、S、シ正体ッ!!」
エルク……いや、トレアは縛られていた片腕を無理やり動かす。手首の自由を得るために肉が削げてしまったが、そんな肉体的損傷は些細なものなのだろう。
自由になった片手の指をそろえて、トレアは己の腹へと突き入れる。
恐ろしい自傷行為ではあったものの、エルクの正体がエルフであり、しかもトレアであったという衝撃の真実から誰も脱出できておらず、制止は間に合わなかった。
「GAAAッ、アアぁァアアアアアッ!!」
トレアは、体内から臓器を素手で摘出してしまった。
赤く弾力ある臓器。赤褐色に染まった化物のような手の中で、まだ動いている内臓がピクリピクリと振動する。
その赤い臓器の名前は、肝臓か。地球人類のものと見た目はそう変わりない。
ただ、相違が一切ない訳でもない。肝臓表面で何かが動いている。トレアが長い腕を伸ばして近づけてきたので少し見えてきた。
動く異物は筋のような、糸のような。形状的には三日月型をしていた。ヒルや蛆の形というべきなのかもしれない。長さは一センチ程度と小さい。
「姉さん! そんなものいいから体に早くしまって!」
最も近場でトレアの肝臓を見ていたアイサの眼には、はっきり映っていた。そのヒルのような何かが一つ、トレアの肝臓がら城壁の石床へと落ちていく姿だ。
石床の上で、ヒルは蠢く。血管の類ではないらしい。
陸揚げされて酸欠状態に陥った魚のごとくのたうつ。寄生していた肝臓へ戻ろうと必死にシンプルな構造の体を動かしていた。
一つ落ちてくれば、続けて複数がボトボトと落ちて同じようにのたうつ。
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“●レベル:???”
“ステータス詳細
●力:??? 守:??? 速:???
●魔:???/???
●運:???”
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見た目通りソレは不気味だったが、『鑑定』したアイサ以上に正確に不気味さを理解している者はいなかった。
「これ、は?? なんでっ、『正体不明』??」
肝臓から滴る血でできた水溜りを泳ぎ、ソレの一つがアイサの足元へと近づく。
嫌な感じがしたので、横から足を出してソレを踏み潰す。それでソレの種族がようやく把握できた。
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“●魔界住血吸虫(成虫)を一体討伐しました。経験値はありません”
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そして、この聞き慣れぬ生物こそが、俺達が今もっとも恐れている魔王の正体でもあったのだ。
震え始めた手から肝臓を落としながら、トレアが咆哮した。
「コレがッ!! コノ醜い下等生物ガッ!! 怨嗟魔王、Daアアッ!!」
ブチリ、と筋が弾けるような音が聞こえた気がした。ブレーカーが落ちるなどという生易しい音ではない。
トレアがだらりと腕を伸ばして弛緩してしまう。首も垂れ下がり、力を失っている。
「どうしたの、姉さん!」
己の腹を裂くような真似をしたからだ。いや、そうでなくても体の内側を怨嗟魔王に蝕まれていたのだ。突然、事切れてしまってもおかしくはない。
「凶鳥様! 姉さんの容態が!?」
「仕方がない」
トレアに良い印象はなかったが現状には同情できたため、アイサやリリームにつられるように俺も動く。城壁の凹凸ある胸壁に足をかけて、空中のトレアをたどり寄せようと――。
「よせッ。心が読めなくなった! そうなれば、ただモンスターの本能のままに動くだけだ!」
――ゼナの警告は遅い。
「ああアァァアァッ、GAAAAAGAAAッ!!」
伸ばされていたトレアの肌のない腕が下から斜め上へと振り上げられる。指は鉤爪の形に構えられいたが、筋肉むき出しの腕に打たれるだけでも体千切れてしまうのは間違いない。『守』は70まで増加しているが所詮は二桁、アイサは更に低いはずである。
忍者職の『殺気察知』を習得し直し発動しておけば、という後悔は今更だ。
『暗影』は俺一人が逃げる分には問題ないが、俺が逃げてしまうと隣の二人に腕が直撃してしまうので却下だ。
最近頼り始めた『コントロールZ』は、残りの『魔』から考えて過去への遡行は二秒が限界。
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“ステータス詳細
●魔:21/83(疲労により回復速度低下中)”
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二秒は短い。五秒……いや、四秒前なら駆け寄る直前にアイサを止められた。こんな窮地のために、浪費はもう少し抑えるべきだった。
どうにか受け止めるしかないナイフを盾にして身構える。
「たくッ、お前はッ」
だが、無駄な行為であったようだ。
トレアの腕は肘の辺りで切断されてしまって、遠心力そのままに放り出されていったからだ。足元に衝突してブロック石が粉々になっていくが、破片を被っただけで俺達は無事である。
「馬鹿野郎。顔見知りだったとしても、油断し過ぎた」
「あ、た、助かった?」
「助けたんだ、俺が。まったく」
トレアの腕を斬ったのは、意外な人物、まさかのペーパー・バイヤーだ。
手に持つ、振るったばかりの黒いエッジのエルフナイフには血糊が付着しているので間違いない。直前まで一切気配を感じていなかったが、ペーパー・バイヤーも俺達と同行していたのだった。
「ゼナ。こいつを拘束したまま堀に落とせ!」
嘴付きのマスクの中から、非情な選択が指示される。
妹達のため最後に魔王の正体を教えてくれたトレアに対して無慈悲であったが、トレアはもうトレアではなくなっている。怨嗟魔王と化してしまったただのエルフ。迷っている暇はなく、ゼナは蔦でトレアを縛ったまま地上へと落下させた。
「姉さァァあんッ!!」
アイサが叫ぶ中、トレアの体は地上へと落ちていく。十メートル弱の高さから自由落下してから、水が溜まった堀の中に沈んでいく。蔦で拘束したままなので暴れても逃げ出す事はできなかった。
さようなら、アイサ、リリーム。