17-20 第一発症者
教国の巫女職、リセリ・リリ・リテリがその山村に向かったのはまだ太陽が昇り切っていない早朝であった。
「頼んます。頼んます。ノーラの奴、夜になって急に叫びながら苦しんで、見てられんのです」
「お任せください。通常の病ならば、この私の『祈祷』スキルで治るはずです」
「ありがたや。ありがたや」
まだ暗い時間に山に住む農民が王都へと駆け込んできたのだ。
電灯の存在しない異世界では、人々は太陽と共に暮している。夜道はモンスターが出没するため誰も歩きたがらない。しかし、同じ村に住む農民が酷く苦しみ悶え始めたため、危険を覚悟して夜の山道を下ってきたらしい。
普段は夜明けまで占められている王都の門が度重なる戦で破損し、閉められていなかった事は農民にとって幸運であったと言える。
そして、戦闘配置に付いていなかったリセリが偶然、門番と言い争っている農民を目撃したのも幸運であったのだろう。
「戦で皆さん頑張っている分、こういう所で助力しなければなりません。教国の巫女としても苦しむ人々を救わなければ」
流石のナキナも人手不足だからと他国の王族を前線に投入できなかった。それはリセリにとっては歯がゆいもので、働かないで食べる食事ほどに気まずいものはない。それゆえ、リセリは後方支援を率先して行うようにしていた訳だ。
オリビア・ラインのオーク共は撤退したとはいえ、残党が彷徨っている可能性がある。巫女職のリセリだけでは戦闘時に心許ないため、護衛として兄のウルガも連れて王都から出向いた。
「リセリ。あまり急くな。道は険しい」
「このぐらいなら慣れていますわ。兄様」
道幅の狭い山道を歩いて登っていく。地元民の案内がなければ崖から落下しかねない。
ただ、リセリも勇者候補として地下迷宮を探索していた経験があるので、山道で息を切らす事なく病人のいる村へと辿り着く。
リセリが案内された家はごくごく普通の木製の一軒家だ。農具が壁に立てかけられており、庭ではトサカの長い鶏が自由に歩いている。
のどかな雰囲気しかない庭先であるが――、
「アアアアァアッ、痛イッ、痛Iッ!!」
――村の端まで届く程の叫びが聞こえていた。
「この家ですね」
「巫女様。後は頼んます。あいつは働き者で、家族もいるんです」
「全力であたります」
家の奥にある寝室では、一人の農夫が苦しみもがいている。
激しく暴れてベッドから転げ落ちるため、女性と子供二人、農夫の家族が周囲から押さえつけているようだ。農夫の痛みが激しくなるにつれてどんどん『力』が増していっているみたいで、病人に対して三人がかりで挑んでいる。
見ただけで分かる異常は、腹だ。
「痛ィッ、アガ、アアアアッ、痛II!!」
日本の妖怪、餓鬼のごとく腹だけが大きく膨らんでしまっている。
「外傷はないようですが、お腹がとても腫れています。いつからこの方はこの状態に?」
「腹が痛いと言っていたのは昨日の晩からです。暴れ出したのは眠った後からでした」
「……ご家族の方に同じ症状は?」
「いえ、今のところは」
農夫本人と問診できそうにないため、農夫の妻からリセリは症状を聞き出した。
腹部が内側から大きく膨らんでいるのが特徴的であるが、リセリの知識の中に同様の症例はない。腹の内側で問題が起きているのであれば原因は食事である可能性が高いが、同じ夕飯を食べた家族は発症していない。
病名の特定は、医者職ではないリセリには難しいかもしれない。
「分かりました。これより『祈祷』を行い、病の排除を願います」
しかし、病名が特定できずとも病を祓う奇跡をリセリは有している。
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“『祈祷』、真心にて願い奉るスキル。
自らの力が及ばない状況の解決を上位存在に願い求める。
願い事に規定はないものの、病気の治癒といった分かり易いものが良い。
願いが叶うか否かは願い事の難度、スキル所持者の清純性などが影響する。初心者でも水垢離を行えば数ミリの擦り傷を癒せる”
“実績達成条件。
巫女職として修業し徳を積み、Cランクまで高める”
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リセリは床に跪くと、瞼を閉じて祈り始めた。
かつてリセリは貧困に苦しむ村々を救う武者修行を達成している。彼女の『祈祷』の成功率は極めて高く、打撲や骨折のみならず赤痢患者でさえ復調させた実績を持つ。魔王と戦う異常者が周囲に多い所為で目立っていないだけで、リセリは巫女職として優秀なのだ。
「創造主よ。どうか、この者の病を祓いたまえ」
「アァぁ、痛た、痛……ぃ……」
リセリが農夫を救う事のみに意識を集中し始めると、暴れていた農夫が動きを止める。
「主よ。病を、邪気を、除去を」
額から流れ落ちる汗を一切気にしないままリセリは願い事を暗唱し、人語を解体し単語へと、最後には言葉などという無粋な意思疎通手段を忘れて、ひたすらに願う。
そして、願いが叶うという確信に至った瞬間、スキルを発動させた。
「――至りました。『祈祷』スキルよ。病よ、この者から疾く去れっ!」
リセリのキラキラ光る両目が大きく開かれた。
病に倒れる農夫がビクりと全身を震わせた後、腹を中心に天井へと体を反らした。が、表情を安らかにしていく。
「どうですか。気分はいかがですか?」
「……はぁはぁ、巫女様。ありがとうごぜえます」
リセリはベッドに近づき、農夫に問いかける。少し息は荒いものの、先程までと比べて痛みは退いて症状は安定している……ように思えた。
「はぁ……はぁ……痛みはもう何も……」
「――あれ? 『神託』が急に受信されて。“屈め”??」
突如、農夫はベッドから上半身を上げる。
「……い、いぃ、IIIIッ!! 痛、痛GaAAAAッ!」
同時に腕を大きく振り上げていく。
農作業を行う以上に鍛えられていない腕が膨張し、皮膚が弾けて飛ぶ。内側から現れたのは毛細血管の束と異常に発達した筋肉だ。腕の長さも一.五倍ほどに伸びてしまっているかもしれない。
農夫の腕は鞭のごとくしなった。そのままリセリの顔を弾き、首から上を粉砕するつもりだ。
「ひぇっ!?」
直前にきていた『神託』に従い、身を縮めていなければ即死していた。農夫とのレベル差を考えればあり得ぬ事態であるが、農夫の長腕が家の大黒柱を折った光景を目撃してしまえば信じるほかない。
農夫はベッドの上で立ち上がる。
男の目は、赤い。
怨嗟魔王と化した生物の特徴の一つだろう。
「痛IIGGAAッ!! え、ええあ、えあAGAッ!! 怨嗟ハ、KOこニッ!!」
農夫だった者は、リセリから目線を離していない。柱を折った腕をもう一度振り直してしつこく攻撃を続けるつもりだ。
「まさか、怨嗟魔王!?」
「怨嗟ヲ祓UなDOッ、無粋! 怨嗟は広MAルッ!! GァAAAッ!!」
リセリは振り下ろしの一撃を転がって避ける。荒事に慣れている巫女なので体が硬直して動けなくなる事はなかったが、寝室にはリセリ以外の人間がいる。農夫の家族達である。今はリセリしか狙われていないが、振られる腕に『運』悪くかすっただけでも一般人は体が破損してしまう。
他人の心配をしている状況ではないものの、リセリの性分は窮地に陥ったぐらいでは変えられなかった。
三度振られる魔王の腕から、リセリはあえて逃げなかった。格闘家のように両腕を構えて待ち受ける。
女性としては長身の体。その胸の辺りに拳が命中してしまう。バトルシスターの服に仕込まれている鉄板が凹み、肺が圧縮されて息が詰まった。
鉄板は貫通していない。リセリは無事だ。
無事に、魔王の拳を受け止めた。
「兄様! 家の外へと追い出してッ!」
腕の動きが止まった怨嗟魔王へと、護衛として同行していたウルガが突進する。構えた盾で魔王を押し続け、壁に衝突。家の壁は高レベル者の『力』で崩れて穴が開く。
ウルガは怨嗟魔王を家の外まで押しやって、銀の剣で腕の根元を串刺しにした。
「殺してはなりませんわ。まだ治療できるかもしれません!」
「治療は難しいと思うが、怨嗟魔王と確定させる必要はあるなッ」
農夫から変化した怨嗟魔王の『力』はウルガを上回るものではないのが幸いだった。マウントしながら拘束を続ける。
「怨嗟ハッ、怨嗟ハッ!!」
「黙っていろ!」
ガントレットで頭を殴り付けてウルガは怨嗟魔王を沈黙させる。首が折れた音が聞こえたが、怨嗟魔王と化した人間を生きたまま捕らえるにはそれぐらいの暴力は許容された。
リセリは農夫の家族だった者達に気遣いながらも、的確に指示を飛ばす。
「眠っている村人全員を今すぐ起こしてください。その中で、体調が少しでも悪い方はこの私が診断いたします。元気な方は鎖を用意して兄様の手伝いを。それと平行して、王都へすぐに知らせを!」
ナキナ軍が出動し、第一発症者が発見された山村は封鎖された。村民が百人に満たない小さな村に対して同数以上の兵士が出動している。
村内には白いテントが設営され、村民全員に対して診断が行われている。担当はリセリが買って出ていた。
「命に関わりますので正直にお話しくださいね。発見が遅れれば遅れる程に危険は増します」
「……実は、下っ腹が少し痛くて」
巫女職は信頼され易いのか、村人は正直に体の異常を語っている。
「安心してください。この私は決して皆様を見捨てません」
「頼んます、巫女様っ。昨日から頭痛が酷くなっているのが怖くて怖くて」
異世界における巫女職の修行の中には、民衆の手助けも含まれている。モンスターと戦うのは本来の仕事ではないそうだ。
「足にかゆみが? 見せていただいても」
「そんなッ。オラに触れたらノーラのように巫女様まで化物になっちまうかも」
「貴方は決してモンスターなどではありませんわ。怯える必要はありません」
化物になってしまうかもしれない、という不安をかかえた村民達にとって一番頼もしい人材はリセリであった。これまで名前は何だっけとか、目立っていないとか言われていたリセリであるが評価を改めなければなるまい。
「巫女様っ! おら達、処分されちまうんだか!?」
「まさか! どうしてそのような怖い事を?」
凶鳥面を被っている俺では村民達の信頼を決して得られない。
「兵隊さん等が村を囲っておるし……、そこの鳥みたいな怖い仮面の人。処刑人じゃねえかと皆噂しております」
そこは重々承知している。俺も村へと急行しているのだが、不安を煽らないように村人と対面するのは避けている。適材適所である。
「ふむ、村人およそ九十人に対して、三分の一が何らかの異常を訴えていると。多くは腹痛で頭痛や吐気も多い。年代や性別による差がないか、統計を取るべきか」
だというのに、何故ペーパー・バイヤーは堂々とリセリと同席しているのか。
「あ、あの……。ペーパー・バイヤー様でしたか? 村民が不安を覚えてしまうので、その仮面を脱いでいただけないでしょうか」
「ああ、お気遣いなく。この仮面は故郷のある地方で医者が使っているものです。つまり、自分はこの場に適した格好をしている訳です」
「ええっ!? そうなのですか。そうは見えず申し訳ありません」
「病は臭気より感染するという説がありまして。鼻の部分に香辛料を詰めて感染を防いでいたらしいのです。まあ、現代科学では否定されていますが。ですが、昔から空気感染が感覚的に理解されていたとすると面白いですね。ああ、自分の場合はただのファッションではなく、活性炭素を使って――」
堂々とうんちくを語っているが、この男は医学部学生ではない。生粋の工学部だ。
「おい、ペーパー。お前、何しているんだ?」
「何をって、ノーパソにカルテをまとめているんだが?」
当然の事のように言い切った。
そこまで自信があるならと、白いテントの裏手へと連れていき詳しく聞いてみる。
「怨嗟魔王はファンタジー要素でゴリ押ししてくるこれまでの魔王とは明らかに異なる。王都ではなく後背地たる山村が狙われた事からも明らかだ。俺はバイオテロに近いと感じているな」
俺達がいる白い仮設テントからは二つの通路が伸びている。
一つは、自覚症状のない村民が通る道。ひとまずは危険はないと判断された人々であるが、まだ安心できないと村の中央に集められている。
もう一つは、何らかの症状がある村民が通る道。こちらは更に別のテントと繋がっており、そこには簡易ベッドが並べられていた。グレー判断されたと知った村民は不安に怯えながら毛布に包まっている。
残酷にも、怨嗟魔王化した際の備えのため、彼等の足には鎖が繋がれてしまうのだ。
「きっと発症者はもっと増える。狡猾で恐ろしい魔王に対抗できるのは、地球人ゆえパンデミックに関して僅かでも知識を持つ俺達だけだと思っている。……別に異世界人を見下している訳じゃないぞ」
ペーパー・バイヤーはベッドの上で震える、家族と離された子供を見ていた。
「俺達が救わなければ、あの子は死ぬ。そういう自覚を持ってお前も怨嗟魔王に挑め」
戦が終わったばかりだというのに、ペーパー・バイヤーは決して休まない。それでは体を壊してしまう。無理をし過ぎていると思う。
「それは分かるが……」
「いいやッ! お前は全然本気ではないぞ!」
ペーパー・バイヤーの体を気遣った俺をこき下ろす。
いつの間にか、ペーパー・バイヤーは俺の胸倉を掴んでいた。
「人の命は、軽くないんだ! 優先順位を間違えるな! もうっ、記憶がない事を理由にするなっ! 討伐不能王を倒したお前の実力を発揮しろ!!」
悪霊魔王となって敗北して魔界で皐月に救助された経緯をペーパー・バイヤーに詳しく語ってはいないというのに、心の内側を見透かされていた。
恨みというガソリンで魔王連合と戦っていた以前と異なり、今の俺には強い熱意が欠けてしまっている。目の前の死を見て一時的に激昂する事はできても、持続的な感情を持っていない。そういう自覚はあった。
心が許される仲間が増えて、安心していたという建前もあったからだ。
そういった油断がなかったと言えば、真っ赤な嘘になる。
「天邪鬼なお前に義憤で動けというのは酷だろうが、いい加減、動いてくれ」
胸倉が解放されて、拳の裏で小突かれてしまった。
まるで心の扉をノックされてしまったかのごとく、体の奥底に響く。
言われてしまったからには動いてみせなければなるまい。
「まったく。情けなくなるな」
……いや、ペーパー・バイヤーなどに言われたからではないが、怨嗟魔王に俺も挑んでみようと思う。
最初に調査するべきは怨嗟魔王と化した村民だ。リセリの兄であるウルガが捕縛し、俺達が到着した頃までは息があったのだが……昼過ぎになって突然死亡してしまったらしい。
遺体は村外れに安置され、周囲は呪い封じの結界が施された。
「ここか」
村民の最後の表情は、悲痛だ。生々しい表情のまま死後硬直しており、涙も乾ききっていない。
どう拝めば良いのか分からないので黙祷だけ行う。
ペーパー・バイヤーの持参品にあった使い捨てのゴム手袋を着用する。刑事ドラマの真似事みたいに、遺体を検分していく。
「まずは、人間が魔王と化す経路を調べる。これ以上、犠牲者は増やせない」
やはり、目立つのは右腕だろう。右腕のみが皮膚のないナックラヴィーに似た長腕に生え変わってしまっている。
次に気になるのは大きく膨らんだ腹である。内側から膨張しているように思える。肥満によるものかは、家族に聞けば分かるだろうが。
「他には何か……」
人間が化物に変わるという話で有名なものは吸血鬼か。実際、俺も無効化されているが『吸血鬼化』スキルを所持している。モンスターに噛まれるだけでモンスターになるというのは理不尽であるものの、それでも原因はあるものだ。怨嗟魔王にも何か特徴があると想像できた。
「擦り傷はいくつかあるが、新しい。捕縛時にできたものか」
遺体の首筋を見てみた。が、傷痕は確認できない。
農夫なので指は豆ができており皮膚が厚くなっているものの、正常な範囲内だ。服の下も見てみたが素人目には何も分からない。
「……解剖は、流石にできないか」
司法解剖という言葉が過ぎるが、医学の心得のない者が遺体にメスを入れるなどバチ当りで不敬も甚だしい。そもそも地球人と異世界人で体の構造が完全に一致しているかさえ分からないのだ。正常な状態が分からないため、何の情報も得られはしないだろう。
「あ、ここにいましたか」
ふと、後ろから声をかけてきたのはウルガだ。怨嗟魔王を捕らえた人物なので、丁度話を聞きたかった人物である。
「ウルガさんも診断を受けたらしいですね。直接戦闘で魔王化する事例は今のところありませんので心配はしていませんでしたが」
「当分はこの村に留まるよ」
ウルガは鎧を装着している。怨嗟魔王を捕縛した際に傷は負わなかったが、魔王化の感染経路が不明のため村人と同じ扱いになっていた。ニ、三日は村に留まり、リセリの警護を続けるらしい。
ウルガに対して、気になる点を質問する。
「この方が死亡した時に、経験値を取得しましたか?」
「いや。捕縛してから時間が経過していたからね。致命傷を与えたとしても、時間が過ぎていれば経験値を得られない」
俺が気になったのは、農夫が死亡した際に人間だったか否かだ。
重要ではないかもしれない。だが、仮に農夫が一度怨嗟魔王に変化した後、人間族に戻って死んだと仮定すれば――、
「――怨嗟魔王はまだ人間族の体を完全に掌握できていないのか」
――人類に残された猶予時間は少しだけあるのかもしれない。