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「もしも私が死んだなら」

「フォトジャーナリストが死亡した」

携帯に表示された速報とともに映し出されたのは、ある映画監督が1年にわたって連絡を取り続けていたガザ地区のジャーナリスト、ファトマ・ハソーナさんでした。

自身を主人公にした映画がカンヌ映画祭で上映されるという知らせを受けた翌日。

自宅にいたファトマさんは、イスラエル軍の攻撃をうけて家族とともに亡くなりました。

(ヨーロッパ総局記者 向井麻里)

※記事は映画の内容に触れています。

笑顔のフォトジャーナリスト

ファルシ監督
「私はドキュメンタリー映画をつくっていて、ガザに入りたいと思ったけれど、ブロックされて行くことができないの」
ファトマさん
「私の英語はつたないんだけど…私は今、ガザの北部に住んでいる」

オンラインでやりとりを続けたファルシ監督(下)とファトマさん

フランスを拠点に活動しているイラン出身のセピデ・ファルシ監督と、ガザ地区のフォトジャーナリスト、ファトマ・ハソーナさん。

ガザの実情を伝えるドキュメンタリーをつくりたいと考えていたファルシ監督が、知人を通じて知り合ったのがファトマさんでした。

2人の最初の会話は去年4月。ファルシ監督にとって、ファトマさんは、すぐに欠かせない存在になりました。

ファルシ監督
「ガザの北部に住んでいる若いフォトグラファーが戦闘の様子を記録していると聞きました。初めは映画製作を手伝ってもらえればと思っていましたが、ファトマの笑顔、視点、彼女が感じる人生の喜びなどを聞いて、彼女自身が映画の中心となりました」

セピデ・ファルシ監督

「鶏肉とチョコが最大の夢」

通信アプリを使った2人のやりとりは、およそ1年間にわたって続けられました。

弟や父親とともに画面にあらわれたり、友人の娘と一緒に手を振ったりと、画面の向こうからガザに生きる人々の表情を伝えるファトマさん。

食料不足など人道状況の悪化についても、つとめて明るく語っています。

ファルシ監督に弟を紹介するファトマさん

ファルシ監督
「食べ物がなくてやせたんじゃない」
ファトマさん
「もちろん。いい食べ物は何もない。立ち上がれないこともあれば、しゃべれないこともある。いつも母親と『鶏肉があればいいのに』と話している。もう9か月も食べていない。鶏肉とチョコレート1枚。これが私の最大の夢!」

「もう死にたい」と話す8歳の少女

オンラインでの会話の間、イスラエルの飛行機が上空を飛行する音が響くこともしばしば。会話の途中、すぐ近くで攻撃があったこともありました。

いつも印象的な笑顔を見せていたファトマさん。それでも、大切な友人を失うなどして気分がひどく落ち込んでいることもありました。

ファトマさん
「もう疲れてしまった。私の周りではすべてが破壊されている。自然や新鮮な空気がほしい。ここにいると監獄に入っているような気がする。自分が普通の人間ではない気がする」
ファルシ監督
「あなたは普通の人。周りの環境が普通ではないだけ」

ファトマさん
「本当に落ち込んでいる。うつのような気分」
ファルシ監督
「いつ頃から?誰かに話した?」
ファトマさん
「1か月ほど前から。だんだんひどくなっている。いろんなものを見ても何も感じない。本当に疲れる。誰にも言っていない。対応できる専門家はいないし、戦闘が終わるまで、これは解決できないと思う」

「ここでは攻撃されて死ぬこともあるし、恐怖、そして飢えで死ぬこともある。

ガザの中ではいろんな方法で死に至る。食べ物は何もない。本当にきつい。飢えは本当に起こっている。

この前、8歳の女の子に『何がほしい?』と聞いたら、その子は『もう死にたい』と答えたの」

「ガザは私のすべて」

ファトマさんは以前は、木々の間から差し込む光や無邪気な子どもたちの様子などを撮影していました。しかし、おととし10月に始まった戦闘を境に変わったといいます。

「かつてはきれいな写真、きれいな場所や人ばかり撮っていたけれど、今撮っているのは、暗い写真、悲しみや破壊ばかり。“死の世界”の中で少しでも光を見つけたい」

戦闘が始まった直後に撮影された写真では、イスラエル軍の攻撃で破壊された建物のがれきのなかに男性がたたずんでいました。

ファトマさんはみずからのSNSにこうした写真や動画をアップしていました。

テントでの避難生活を強いられる人々や水をくむための容器をたくさん抱え、疲れ切った表情の男性など、戦闘下のガザ地区で生きる人々のありのままの姿が映し出されています。

なぜ、撮影し続けるのか。ファトマさんが語ったのは、ガザへの思いでした。

「私たちにはガザしかない。

私の友人はガザにいて、私の家はガザにあり、ガザは私のすべてだ」

カンヌ上映を知った翌日に…

1年にわたるやりとりの中で、常にガザへの思いを語っていたファトマさん。今年4月、映画がカンヌ映画祭で上映されることが決まったと伝えた時にも、ファトマさんは同じことばを繰り返したといいます。

ファルシ監督
「映画がカンヌで選ばれたと話し、彼女に現地に来るかどうか尋ねました。彼女はとても喜んでいて『行きたい』と言いましたが、すぐに『ガザに戻ってこなくてはならない』と言いました。ガザから避難する気はないのか聞きましたが、彼女の答えはノーでした」

この会話の翌日、4月16日未明。

イスラエル軍の攻撃によって自宅にいたファトマさんは死亡。一緒にいた家族も母親以外、全員亡くなりました。

女性や子どもを含め、連日、多くの人が犠牲になっているガザ地区。ファルシ監督も、ファトマさんが常に命の危険と隣り合わせの場所、状況にいることを理解しているつもりでした。

しかし、それが現実になったときは、信じられなかったと言います。

ファルシ監督
「パソコンで仕事をしていたら、携帯電話に『フォトジャーナリストが死亡した』というアラートが来て、ファトマの写真が見えました。
信じられなくて、フェイクニュースに違いないと思いながら、必死に情報を確認しましたが、それはフェイクではありませんでした」

「彼女はここにいるべきだった」

5月13日に始まったカンヌ映画祭。

その開幕式で、審査委員長を務めた俳優のジュリエット・ビノシュさんはファトマさんの死に触れました。

「彼女は今夜、私たちとともにここにいるべきだった。芸術は私たちの人生や夢の力強い証言であり、これからも残り続ける」

映画上映の日には多くの観客が詰めかけ、チケットを手に入れられない人たちが続出するほどでした。映画祭を前にファトマさんがイスラエル軍による攻撃で亡くなったことは大きなニュースとなっていたのです。

およそ2時間にわたる上映のあと、多くの観客が涙を流しながら立ち上がり、ファルシ監督に大きな拍手を送りました。

観客
「まだ震えを感じている。彼女の笑顔は印象的だった」
「フランスではガザの実情がきちんと伝えられていないと思う」
「私は26歳でファトマと同年代。同じようにチョコレートやポテトチップスが大好き。これまでパレスチナは遠く離れた場所だったのに、本当に近い存在に感じた」

ファルシ監督
「ファトマの死によって、この映画は大きく注目されることになりました。
きのうパリからカンヌに到着したとき、もしファトマがここにいたら、こうした華やかさをどう思うだろうかと考えました。映画祭が終わったら忘れるということではなく、私たちは前に進まなくてはなりません。
ガザの人々の声となり戦争を記録しようという彼女の思い、この映画のメッセージそのものは変わりません。私は彼女のためにやり続けなくてはなりません」

ファトマさんの思い

SNSの写真などによってその名が知られるようになり、イスラエル軍に狙われたという見方もあるファトマさん。イスラエル軍は、フランスメディアの取材に対し「ハマスの活動家をねらったものだ」としています。

ファトマさんはSNSに「もし私が死んだとしたら、そのことを大きく取り上げて欲しい。いっときのニュースとか、何人かのうちの1人ということではなく、世界に伝わって、その影響がずっと残ってほしい」とつづっていました。

映画は、ファトマさんの率直な気持ち、そしてジャーナリストとしての思いで締めくくられています。

「自分が生きたいと思った人生を生きることができる望みはほとんどないけれど、私は進み続けなくてはならない。すべてを記録し続け、ガザの子どもたちに、私がどう生きてきたか、どのような困難をくぐり抜けてきたか伝えなくては」

(5月20日国際報道2025で放送)

ヨーロッパ総局記者
向井 麻里
1998年入局 国際部やシドニー支局、ロンドン支局長を経て現所属
フランスやスペインなどを中心にヨーロッパを取材

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