NSR50フル改造!
最高速140kmオーバー
ミニバイクレース
岡山国際サーキットオンボード
2スト63ccレーサー。
ベースはNSR50らしい。
純レーサーではない市販車改
造レーサーだが、かなり最高
速は出ている。素晴らしい。
よくここまで仕上げたと敬服
する。
メーカーのワークス純レーサ
ーの場合、世界グランプリの
マシンでは49ccで1960年代に
既に最高速が160km/hに達し
ていた。
日本車があまりに高性能で
勝ちすぎるため、レギュレー
ションが変更されて50クラス
は単気筒のみにされた。
1960年代に全クラスを制覇し
たホンダは、250では6気筒の
GPワークスマシンまで作って
いた。
パワーのホンダ。ホンダのエ
ンジンは世界最高峰に君臨し
た。
そこにヤマハが良質車体設計
によるハンドリング性能重視
の車を投入し、ホンダのGP
撤退後には世界王者としてヤ
マハが40数年間にわたり総合
的に世界の頂点を極めた。
そして、60年代に世界戦で大
活躍したスズキと70年代以降
気を吐いたカワサキも70年代
に入って世界戦に参入。
スズキはWGP最高峰クラスで
世界チャンピオンを何度も排
出し、またカワサキは250と
350で1980年前後に数年間世
界チャンピオンを獲得し、カ
ワサキ2ストライトウエイト
クラス絶対王者の地位を確保
し続けた。
4ストで約10年ぶりにWGPに
復活したホンダは、勝てない
マシンを捨てて2ストGPマシ
ンNS500を投入し、初2スト
ワークスマシン投入2年目に
して世界チャンピオンを獲得
し、以後2000年代までWGP
において2ストワークスマシ
ンで王者ヤマハと激戦を繰り
広げ、何度もヤマハを撃墜し
た。2ストでも勝つホンダ。
それはヤマハにとっては脅威
以外の何ものでもなかった。
地球上のオートバイの世界戦
競技においては、日本製の二
輪でなくば全く勝てない時代
が半世紀近く続いたのだった。
海外の二輪メーカーは日本車
の前にはまるで足もとにも及
ばない二輪車しか作れなかっ
たので、世界最高峰の世界選
手権ではイタリア製、ドイツ
製、イギリス製、アメリカ製
の二輪などはお話にもならな
い論外だったのが歴史の事実
だ。
今は日本製オートバイはスプ
リント世界選手権ではドベ。
速い遅いではなく、世界チャ
ンピオンが乗っても転ぶ二輪
しか作れなくなった。
原因は簡単。
人が乗ってテストして開発す
る車作りではなく、データの
みから机上で車作りをする方
法にある時からシフトしたか
ら。
人が乗って状態を感知するの
を前提としていない車に人が
乗って運転などできる要素が
無い。運転しているのはロボ
ットではないのだから。
だが、一切、二輪作りの方向
性を改め、かつてのような人
間主体の車作りに戻すつもり
は今の日本の二輪メーカーに
は無い。
世界選手権の競技車両におい
ては、日本車に未来は無い。
何でもベタ褒めのみで自国や
自分や自分の住む場所や自分
の家族や友人や自分の応援し
ているスポーツチームや団体
や組織を持ち上げるのみ事が
本当の愛ではない。
そこに真実は無い。
そうした類は本物の愛国でも
なければ、本当の同胞愛でも
友愛でも家族愛でも同志愛で
もない。戦友でもなければ、
ハラカラでもない。
よろしくない事はよろしくな
い事としてきちんと指摘し、
また、指摘された側はそれを
改め、かつ自分自身の力でも
自分に刃を向けて自省し、ど
んどん悪しき点を反省して捨
象し、新たな良質領域をつか
み取って行かないと、人もモ
ノも良い方向には向かわない。
今の日本の二輪メーカーは
とても大切な事を亡失して
しまっている。
というか、日本社会全体が
悪しきことを指摘されたら、
それを指摘した側を強圧的
に排除する事が大好きな国
になり果てている。これは
企業だけでなく、国家も国
民同士においても。
日本自体に未来が見えない。