「今の日本は新しい戦争の前夜にあります」。歴史学者はそう強調する。
治安維持法を40年以上にわたって研究する小樽商科大名誉教授の荻野富士夫さん(72)だ。
施行から廃止までの約20年で、国内だけでも「反体制的」とみなされた7万人近くが検挙され、400人以上が命を落としたとされる。天下の悪法ともいわれる。
特定秘密保護法、共謀罪、そして5月に成立したばかりの「能動的サイバー防御」関連法――。現代の日本にも、思想の統制や監視につながりかねないとされる法制度はある。
「法は時の権力者によって暴走する」。2025年の施行100年を機に『検証 治安維持法』(平凡社新書)を刊行した荻野さんと、法の歴史から「今」を考えたい。
荻野富士夫さんに治安維持法の歴史と問題点を聞きました(全2回の前編)
後編:治安維持法を謝罪・補償しない政府の居直り精神
▼前編の主な内容
・最初の「暴走」の分岐点となった事件は…
・検挙者数が減ってから2度目の転換期
ひとたび法律が整えば…
「新しい戦前」とは昨今よく聞かれるキーワードだ。
だが荻野さんは「第二次世界大戦でいえば、今の日本は満州事変(1931年)を過ぎ、日中戦争が始まった盧溝橋事件(37年)ぐらいの段階」とまで危機感をあらわにする。
「きな臭い空気」を強く感じるようになったのは第2次安倍晋三政権の頃。13年に特定秘密保護法、17年には共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が強行採決の末に成立した。警察組織の権限拡大や、内心への権力介入に批判が高まった。政府はいずれも乱用を防ぐ厳格なルールであることを強調し、沈静化を図ってきた。
だが荻野さんの目には事態は悪化していると映る。25年5月に成立した「能動的サイバー防御」の関連法だ。
ネット上の通信情報を政府が平時から監視・分析し、電気や航空事業者などの重要インフラが攻撃される予兆があれば、警察や自衛隊が攻撃元のサーバーに侵入して阻止する。
野党の要求で、通信の秘密などの権利を「不当に制限することがあってはならない」と明記する法案修正がなされたが、荻野さんの警戒心が緩むことはない。
「ひとたび法律ができれば、警察や検察は運用面で法をコントロールし、政府は改正を重ねて暴走する。治安維持法の道のりがそうでした」
国内だけで逮捕者7万人
同書は新書ながら、約500ページの力作だ。施行から廃止までの歩み、取り締まった特別高等警察(特高)や思想検事の運用の実態を取り上げる他、日本の支配下にあった朝鮮と台湾、「かいらい国家」だった旧満州(現中国東北部)でも治安維持法に基づく徹底弾圧がなされ死刑が相次いだことが克明に記される。
<国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス>
100年前の25年5月に施行された、治安維持法1条1項だ。初期は、検挙対象者として国家の存在を否定する無政府主義者と、資本主義を否定する共産主義者を想定していた。
2度の改正と捜査機関の拡大解釈もあって最高刑は懲役刑から死刑になり、矛先は宗教団体、反戦的言動を取る市民に押し広げられた。荻野さんによると、国内だけで約7万人の逮捕者が出て、400人以上が拷問や留置中の発病で命を落としたという。
抑制的運用から拡大解釈へ
同書によると、「暴走」の最初の分岐点は28年だ。
施行から3年ほどは抑制的な運用が続いた…
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