16-13 悪魔の心臓を潰す
ペーパー・バイヤーは一人で現れた。
何を思って現れたのかは分からないが、無謀な挑戦である事だけは分かる。山羊魔王と魔法使い達の戦闘は苛烈だ。巻き込まれるのを避けるため、俺でさえ介入できず手を拱いている。
そんな死地にのこのこ現れた。それだけでも大変危険だ。
「山羊魔王! いや、アイギパーン! お前は倒せる魔王だ。決して不死の魔王ではない!」
だが、ペーパー・バイヤーは魔王を煽った。自殺志願者か、あるいは真性の馬鹿でなければできない所業だろう。
「姿を化けられる能力と笛を用いて対象をパニック状態に陥らせる能力。人間に近い姿では山羊の角を持ち、今は半分魚の姿。自己申告通り、お前がアイギパーンであるのは間違いないのだろう。が、だからこそお前は必ず倒せる」
「後から出てきた癖に、言うではないか。誰とも知れないマスクの男」
「偉大なるパーンは、死んだのだっ!」
馬鹿が死ぬ三十秒前。
ペーパー・バイヤーは山羊魔王を煽り続け、危険域までヘイトを溜めた。このままでは危険だと感じ、愚かな真似を止めさせようと『暗影』発動を念じる。が、遠くからやってきた思わぬ人物の顔を見て、足を止めてしまう。
背の低い細身のエルフ。中性的であるが可愛らしいのは間違いないエルフ。
本人の了承なく地球に逃がしたはずのエルフ。
その名はアイサ。彼女が俺のもとへと駆けてきて、そのまま体を預けてきたからだ。
「凶鳥ぉっ!」
「えっ?! なッ、アイサがどうしてここに」
「説明は全部後で! それよりもこ、これ!」
逃がすつもりだったとはいえ、アイサを知らない世界に一人放逐してしまった。己のやった行いを振り返れば、刃物で腹部を刺されても仕方がないはずである。が、心優しいアイサが俺を刺してくるはずがない。
息をきらせたアイサを受け止める。
心配していなかったが確認する。安心した。やっぱり、アイサの手に凶器はない。
「これをっ。あの人が渡せって!」
「パーンは死んだのだ! 不死の象徴たる神が死んでしまった、こう地球では伝わっているぞ。神格でありながらお前が悪魔に堕ちてしまっている原因は、神としては既に死んでいるからだ。であるのなら、お前の不死性の正体も想像可能。いや、正確には不死などではないッ」
凶器類は持っていなかったが、代わりに、狂気的な物は持ってきていた。コンビニの薄いビニール袋の中に入れられた臓物が、ドクドクと鼓動している。
「誰の心臓だ、これ!?」
「これが勝利の鍵だってあの人が言っていた。気持ち悪いから早く持ってっ」
「あの人って、山羊魔王に睨まれてマジで死ぬまで十秒前になっているあそこの馬鹿野郎の事か?」
「そう。あそこのあの人! あの人が言ったの。山羊魔王を倒したいのなら、倒せる状態にするのが先決だって!」
手渡された心臓と、遠い位置にいるペーパー・バイヤーを見比べる。そして目を見開いて……首を捻る。
「なるほど。分からん」
「山羊魔王が死なないのは、もう死んでいるからなんだって。だからまず、悪魔の心臓を『同化』させて生き返らせてから、改めて討伐しろってっ!」
アイサの補足説明を得て、ようやくペーパー・バイヤーの作戦を察した。
異世界で経験値を得る条件は、心臓停止。頭を潰す事でも首を断つ事でもない。この世界における死は実にシンプルなのである。
だが、その法則性に囚われない例外が存在する。植物のトレントや土で構成されるゴーレム。
または……スケルトンのように心臓を失った死霊系モンスター。
「アイギパーン! お前の心臓はどこにある!!」
山羊魔王と同じ真性悪魔が正体だった寄生魔王も体を失っていた。山羊魔王も真っ当な生物でなくなっていたとしても、決しておかしくはない。
「アイサ、山羊魔王の体を『鑑定』してくれ。心臓はあるのか?!」
「心臓は…………ない。体の中にはないよ!」
「ペーパー・バイヤーの奴、知識と推測だけで正解に辿り付いたのか」
何度体を破壊しても復活するはずである。山羊魔王は心臓という弱点を既に失っている。
それでもまだ活動している点に矛盾は感じるものの、そういった矛盾を無視して存在を維持できているからこそ悪魔なのだろう。
そんな不条理な存在は倒せない。
ゆえに、ペーパー・バイヤーは、山羊魔王に心臓を与え直す作戦を提案してきたのだろう。弱点のない敵に弱点を追加する。書物やインターネットよりモンスターの特徴を知りえ、かつ、俺のスキル構成を知りえる立場にいる男以外に、誰がこんな突飛な攻略法を考え付くだろうか。
……あるいは、別の魔王を討伐するために考えていた作戦を流用したのかもしれない。
たとえば、悪霊魔王。
異世界を滅ぼさんとしていた悪霊魔王は、絶対に滅ぼさなければならない魔王であった。止めなければならなかった。レベル0のペーパー・バイヤーがそういった義憤に燃えて悪霊魔王を討伐するとなれば、悪霊魔王に似た人物をあえて『同化』させてから心臓を潰す策を採用したはずだ。
「もう一度言うぞ。偉大なるパーンは死んだのだ! お前は既に死んでいる!」
「よくぞほざいた! 悪魔の過去を暴いていい気になって、それがお前の遺言かァッ!!」
山羊魔王は角の先へと大魔法を行使するための『魔』を集中させていく。黒い球が加速度的に成長していく。
「あれは八節魔法を使うつもりだ。ペーパー・バイヤー、心臓を俺に渡すだけで良かったのにどうして山羊魔王を怒らせた?!」
「名も知れぬ愚かな人間族。真の地獄で悔やめ! ――大地獄“無間落し”」
育ち切った黒い球のような空間の穴が放たれて、周囲の大気を飲み込みながら膨らんでいく。
黒い球の射線上にいるペーパー・バイヤーは一歩も逃げ出そうとせず――逃げ出したところで既に遅かったが――、黒い曲面に接触。墨汁に体を浸すがごとく簡単にこの世から消滅してしまった。
「あの人からの最後の伝言。一人ぐらいなら引き上げられるだろ、だって」
「何だかんだ出張ってきて、最後は俺任せかよっ?! 『暗影』発動!!」
ペーパー・バイヤーが消滅する瞬間、俺もこの世から消え去った。
山羊魔王は己が放った八節魔法の黒い球を眺めていた。
この世の物質を吸い込めば吸い込む程に大きく膨張していく黒い球。大きさは百メートルを超えて、己の正体を看破したペストマスクの男を飲み込んでなお膨張を続けている。
境界線は鼻先数メートル先まで迫っていたが、直前で停止するように調節し魔法を発動している。己の毒で死亡する毒蛇のような間抜けな死に方を、山羊魔王がするはずがなかった。
視界は黒一色となり、見えるものは何もない。
黒い球の向こう側に広がっているのは死んだ魂が行き着く廃棄場で、ヘドロみたいに魂が積み重なり過ぎて黒一色に染まった世界なので、当然ながら動くものが見えるはずはなかった。
「それは違うな、山羊魔王。何も見えないのは、お前が死の世界を直視できていないからだ」
しかし、目を疑う現象が発生する。
黒い球体の曲面から人間族の腕が現れたのだ。水のような粘着性を持つ表面を突き破り、真性悪魔のように真っ黒い姿をした正体不明の何かが飛び出す。
「な、馬鹿なッ」
黒い腕の次に現れたのは、同じく黒い頭部。顔の上半分に穴が開いているので、黒い世界が穴を通って零れて落ちてしまっている。
黒い球体の向こう側は魔法で空想を実現した地獄ではない。空間的に直結された真の地獄である。そこから現れたとなれば、その正体は地獄の存在以外に他ならない。
「その通り。大馬鹿が考えた作戦だ。が、それにお前は殺される『暗器』解放!」
「お前はッ、ハーデスなのか?! い、いや、そんな最上神の登場など、み、認められるか!」
正体不明は胸の位置まで現世に出てきた。黒い球体の膨張分をプラスして、伸ばした左腕が丁度、山羊魔王の胸元へと届く。
そして、正体不明の手の内に現れた悪魔の心臓が、ドクり、と微弱に動く。
「『同化』発動! これでこの心臓は、お前のものだ」
「心臓だと!? こんな子供が考えたような方法でッ――」
心臓と山羊魔王は接触と同時に毛細血管で結合された。大動脈も繋がって、勢い良く動き始める。
正体不明は無慈悲にも、生命として復帰した山羊魔王の心臓を握り締め、握力で潰す。
山羊魔王は顔を歪め、生の苦しみを味わう。心臓発作のごとき苦痛に唾を吐き眩暈を生じさせていたが、呪文を一節唱えるだけの猶予は存在した。潰されてしまいそうな心臓の復元を試みる。
「――死ねるものかァァッ! リバース・ぼぉ……う? うな、ぁ……?!」
ただし、たった一節唱える自由さえ、山羊魔王には許されなかった。
正体不明がまだ黒い球体に沈めていた右腕を力強く引っ張り上げると、ペストマスクが現世へと帰還を果たす。何でも吸い込む六節魔法の穴の中から浮上してきたのだ。
ペストマスクは黒い海に溺れていたというのに意識を保っていた。鳥のような仮面の内側で目を細めて照準を合わせて、構えていた自作装置のトリガーを引き絞る。
高性能マスクと指向性スピーカーを直結した機械がLEDを青く光らせる。
「マジック・ジャマー起動。魔法阻害」
山羊魔王は機械仕掛けという正体不明の方法によって、たった一節の魔法をすべて発音できなかった。体を時間的に復元する奇跡は揮発してしまい、効果を発揮する前に消え失せる。
「終わりだ。山羊魔王にして真性悪魔アイギパーン。深淵よ。深淵が私を覗き込む時、私もまた深淵を覗き込んでいるのだ」
「いや待て。優太郎。それ、俺の台詞!」
悪魔の心臓は完全に握りこまれて、散らばった。もう元には戻せない。
息を飲み込んだ表情のまま硬直した山羊の顔が、灰となって崩れていく。
何千年を生きた真性悪魔は、酷く静かなものとなった。
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“●真性悪魔を一体討伐しました。経験値を一一一一入手し、レベルが1あがりました
レベルが1あがりました
レベルが1あがりました――”
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