16-9 愛が貴方を助けます
悪魔の喉奥から黒い血が吐かれた。
血を吐くとともに翼の力を失って、真性悪魔アイギパーンは重力に抗えず頭から落下し始める。
「どうだ、一丁あがり! 魔王なんて軽いものだ」
一方、真性悪魔を背後より暗殺した魔王殺しのアサシン、御影は翼もない癖に浮かんでいた。
いつもいつも、ここぞというタイミングで現れては魔王の命を刈り取る恐るべき男、御影。
正体不明の恐るべき男であるが、今回に関して言えば登場はありがたい。底知れぬ力を持つ真性悪魔を問答無用で殺すスキル。悪霊魔王だった頃にこの身で体感しているからこそ、その反則的な『暗殺』スキルが頼もしい。
……ならば、どうして俺は死んでいない?
「そういえば、どうして俺はあの後、魔界に……?」
「山羊魔王の後ろにいるの、あれって御影?? アジサイ、どういう事よ?」
「あっちは妹的に偽者判定。正体は知らない」
落下を続けている真性悪魔の死体。
「いや、そもそもあの時、『暗殺』スキルは発動しなかったのか。『暗殺』スキルの発動率はそこまで高くない??」
真性悪魔の死体が、閉じていた目を見開く。
「――遊びは終わりだ。お前達も、終わりだ」
突如、アイギパーンの姿が変容した。
二本の足は繋がって太くなり、鰭が生えた。
悪魔の顔付きは伸びていき、草食動物らしくなっていく。肉食動物ではないからといって安心などできるものか。奥歯を軋ませる山羊の顔付きに鋭さを増した巻き角。人類ではない他生物の強い殺意が込められている。
「ついに本性を現したわね。あれが、半獣半魚の化物が山羊魔王の正体よ」
淫魔王の言う通りならば山羊魔王戦は最終段階に突入したという事か。ただ、魔王というものは変化するたびに力を増すものである。狭苦しい皮を破って、体長十メートルを超す体を優雅に動かしているのだ。袋を被って戦っていた今までよりも攻撃的になるのは当たり前と言えた。
「皐月、アジサイ。攻撃がくる。最大防御しろ!」
「上で浮かんでいる御影はどうするの?」
仲間という訳でもないので、自力で何とかしてもらうしかない。そもそも俺達に余裕はない。
「七節魔法――地獄変“コキュートスの巨人”」
山羊魔王の手前に門が開かれた。門の内側は地の底のような赤い世界に見えたが、内側から伸びてくる氷の腕によって見えなくなってしまう。
酷く巨大な腕だ。
四階建てのビルに匹敵する両開きの扉の中から出てきた癖に、今見えている腕は手から肘までで百メートルを超過していた。
挙動から何をしようとしているのか判明する。氷の腕は地上の俺達を地表ごと叩くつもりらしい。いったん、上空へと振りかぶられていく腕は巻き込むように突風を作り上げる。大気と共に、地上の俺達も巻き上げられそうになってしまう。
「あんなのどうやって防御しろっての!?」
「見た目は氷属性。皐月、任せた」
「無茶言うなッ!」
ゆっくりと動いているように見えるが、それは全体が大き過ぎるからに過ぎない。時速換算にすれは三百メートルを超す速度で振られる氷腕が横から迫る。広げられた手の平が、溶岩が固まって出来た大地を簡単に砕きながら急接近してきた。
「――全焼、業火、一掃、火炎竜巻、天に聳える塔のごとき炎の柱にひれ伏すであろう! ってやっぱり無理! 指一本溶かすのが限界!」
皐月の炎が中指を潰したものの、そこまでだ。
仕方がないので人差し指と薬指の間へと移動して、やり過ごすしかない。動けない人達を背負って、視界一杯に広がった手の平と対峙した。
ただ、指との衝突は免れても、左右の地面を削った土砂に埋まって窒息してしまう。
「――氷結、隔絶、絶対防御、氷防壁」
それを防ぐのはアジサイの魔法だ。氷の盾をシェルターにして、俺達は集まる。
土砂を完全に防ぐのはできなかったものの、岩石が直撃するよりはマシだった。
振り抜かれた手の平が過ぎ去っていく。埃塗れで口の中までジャリジャリしてしまうが、どうにか生きている。背負っていたペーパー・バイヤーも首がもげていない。
全員の無事を確かめたいところであるが、氷の腕の攻撃はまだ続いていた。
過ぎ去ったはずの腕が垂直に伸ばされていたのだ。雲を突き抜けていた拳が、俺達に向かって落ちてくる。
直接潰されはしなかった。寸前に、皐月の魔法が拳の根元を溶かし、アジサイの魔法が軌道を逸らしたからだと思う。
ただ、巨大な拳は数十メートルの傍に落下してきた。足元は大きく揺さぶられて、立っていられない。というか、大きくバウンドして身長以上の高さまで飛び上がってしまう。
「遊びは終わったと言った。――地獄変“五百釘”」
そんな死に体の俺達へと襲いかかってきたのは、天から落ちてくる無数の槍だ。
地獄変“針山”の天地逆転バージョンと推察できるが、図太い骨の絨毯爆撃に晒された後からの記憶はない。破片が頭にぶつかったのか、もっとシンプルに頭が潰されてしまったのか、分からない。
かつて伝承の中において真性悪魔は山を砕き、海を割った。それは事実であった。
人類とは規模が異なる真性悪魔の魔法の連続に、俺達は成す術なく沈む。
「絶滅し損ないに死に損ないの魔王が!」
滞空していた御影が再び山羊魔王の背中へとナイフを突き付ける。
するとナイフは根元から折れ曲がり、使い物にならなくなってしまう。
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●山羊魔王
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“ステータス詳細
●力:666 守:666 速:666
●魔:64903/65535
●運:0”
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「『守』が正常に戻った。ふむ、『魔王殺し』が停止したな。地上の人間共は死んだという事か」
「クソ、使えない奴め」
「同類に対して酷い言い草だ。仲間だった訳ではないのか? その割にはイラ立って見える」
空を漂っていただけの山羊魔王は急速に動く。空を鰭で掻き分け、蹄で走る。その両方をこなせる特異な体で、御影へと下方より襲いかかった。
「『暗影』発動!」
「馬鹿めが。お前がアサシン職なのはもう知っている。――地獄変“羊鳴”」
見聞を蓄えた真性悪魔に何度も同じスキルは通じない。『暗影』スキルの最大移動距離が七メートルであると知っている山羊魔王は、空全体を雷で満たす六節魔法で御影を追い詰める。
「――偽造、誘導、霧散、朧月夜、夢虫の夢は妨げないだろう」
御影を救ったのは姿を隠していた月の魔法使いだ。帯電する空の一部を正常化させた月桂花は、御影に並んだ。
「御影様。手出ししてしまい申し訳ありません」
「助かったと言いたいが、桂の魔法をここでバラしたくはなかった。落花生とラベンダーの二人はどうしたんだ?」
「二人は地上に。見知った顔がいたそうなので助けに」
「あいつら……ッ」
「魔王を目の前にして女との睦言。余裕ではないか!」
魔法を無力化したぐらいでは山羊魔王を攻略した事にはならない。『魔王殺し』が止んだ今、『力』のパラメーターは666に回復している。肉弾戦趣向のドラゴン族と比較すれば見劣りするものの、真性悪魔の『力』が低いなんて事はない。
泳いで突進してくる魔王に対して、御影は真っ向勝負を挑む。
「『守』ぐらい自前で削減できる。『暗澹』発動!」
「小癪なアサシンのスキルだ!」
九十角に進行方向を変えた山羊魔王の動きは速過ぎる。衝撃波が発せられる程なので音速を超えているのは間違いない。
アサシン職の御影も『速』に秀でているものの、それは人間の尺度で見た場合に限った。山羊魔王の『速』666に対抗できるものではない。
背後に回りこんできた山羊魔王に跳ね飛ばされ、御影は地上へと落ちていく。傍で付き添っていた月桂花も同じくである。角で刺されて即死していなかったのは暗澹空間が最低限機能したからに過ぎない。
「五体満足で地上に戻すものか。――地獄変“煉ご――”」
山羊魔王の『魔』も、今はもう潤沢だ。『魔王殺し』の制約がなくなった魔王は水を得た魚以上に活き活きとしながら、六節魔法を唱える。
「――はああぁぁッ! 『精霊化』!」
しかし、人類の敵たる魔王の宿命なのだろう。
毎度誰かに邪魔される山羊魔王。今度は、エルフからの狙撃に詠唱を邪魔されてしまう。
「妹の手前だ! 少しは格好付けさせてもらうぞ、魔王!」
長弓から発射された銀の矢が……なんと、ステータス万全だった山羊魔王の体に突き刺さる。
「Sランク精霊戦士、リリーム! これより魔王を討伐する!」
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●リリーム
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“●レベル:95”
“ステータス詳細
●力:251 → 604(精霊化 + 精霊の加護)
●守:51 → 122(精霊化 + 精霊の加護)
●速:62 → 148(精霊化 + 精霊の加護)
●魔:126/230
●運:22”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●精霊剣士固有スキル『力・魔・良成長』
●精霊剣士固有スキル『耐魔法』
●精霊剣士固有スキル『刃物の扱い』
●精霊剣士固有スキル『三節呪文』
●精霊剣士固有スキル『精霊の加護』
●精霊剣士固有スキル『精霊化』
●実績達成ボーナススキル『不老』
●実績達成ボーナススキル『美しいは正義』
●実績達成ボーナススキル『森林博愛』(無効化)
●実績達成ボーナススキル『森林怖い』”
“職業詳細
●精霊剣士(Sランク)”
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“『森林怖い』、森の種族のくせに正気を失い、森が怖いと泣くスキル。
森林地帯でなくても、森林地帯限定で発動可能なスキルをノーリスクで発動できるようになる。
一方で、森林地帯に入るとパラメーターが半減するので注意”
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“『精霊の加護』、精霊に愛されし者達のスキル。
森林地帯に限り、『力』『守』『速』が二割上昇する”
“≪追記≫
リリームは例外的に森林地帯以外でスキルを発動可”
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“『精霊化』、先祖の神秘を蘇らせし者のスキル。
妖精としての性質を高める事により『力』『守』『魔』がニ倍になる。身体的な変化も生じて背中から光沢ある羽が生えてくる。
ただし、スキル発動中は森林地帯から出られなくなる――正確には、出てしまうと空気の関係上生死に関わる――ので注意”
“≪追記≫
リリームは例外的に森林地帯以外でスキルを発動可”
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ふと、意識が復活する。
パソコンが異常終了してしまった時みたいに頭が混乱しているので、意識を失っていた事に気付くのに十秒ほど時間を有した。
山羊魔王の大規模魔法の連続を、どうにか俺は生き抜いたらしい。
きっと『運』が良かったのだろう。そういうスキルを所持している。
こう楽観していると……ポタり、と頬を液体が伝った。
「――ああっ……本当に、良かった」
『運』が良かった、だと? 馬鹿らしい話だ。面制圧の中、運任せで生きていられたはずがない。
命が助かったのは間違いなく、目前で腹に大穴を開けている女が俺を庇ってくれたからである。両腕を傘にして、背中を盾として、俺を助けてくれたからだ。
「大丈夫……? 怪我は、ない?」
「あ、ああ、いや。どうして、だ。どうして俺を助けた??」
柱に腹部を貫かれた淫魔王は、ぎこちない口の動きで答える。
「本当に、良かった……可愛い。可愛い、私の…………子」