16-5 神託失敗
バラバラに跳ね飛ばされた肉塊が、テントの内壁にまき散らされる。
山羊魔王は腕を振って、付着していた血を飛ばした。流石にそれだけではシャツの赤い汚れは取れないので、一声小さく呟いて魔法で綺麗にしている。汚れと共に、誰を殺したかなんて些事を綺麗さっぱり忘れ去る。
しかし……最後の肉親が吹き飛ぶ瞬間を目撃していた少女は存在した。
正確には、最後の肉親だと思っていた祖父の上半身が、肉親ではあってはならない真性悪魔の手刀で粉々にされてしまう様を、ジャルネは全部見てしまっていた。
まだ立っていた祖父の下半身が、重心の変化を思い出して倒れ込む。
「何で、何で、何が……ぁ、ぁぁ、ぁああぁぁあっぁあああああああッ!!」
山羊魔王の片腕に抱えられたジャルネが無茶苦茶に暴れ始める。ほとんど発狂寸前の暴れ方であるが、そういう光景を見てしまった代償なのだろう。
非力なステータスで爪を立てたり噛み付いたりしても、山羊魔王の体は傷一つ付かない。とはいえ、岩のごとき悪魔の体に掻き毟ったり歯を立てたり、まして頭突きを行っているジャルネの体はどんどん傷付いていく。
ミシり、と音が響く。
当たり所が悪く、ジャルネの小さな角が割れた音だ。
「よくもッ!! よくもよくもよくもッ!! 家族を返せッ、お前は死ねッ!!」
「まったく。どいつもこいつも、恨みの言葉がワンパターンで工夫のない事だ」
「アアアアッ! この、コノッ、今すぐ死んでよッ!!!!」
頭突きを行い続ける額からは血が垂れる。
どんどん見栄えが悪くなっていくジャルネを、山羊魔王は寝床へと放り投げた。快楽のためではないとはいえ、顔面の潰れた女と事におよぶ性癖は山羊魔王にはない。
鹿であって猫ではないので、空中で姿勢を入れ替える妙技をジャルネは会得していない。背中を打って泣き喚くのを中断する。
その隙に、山羊魔王は覆いかぶさる。
「お前達の祖先たる人類圏からさらってきた女共も、お前のように抵抗してきたものだ。だから、扱いには慣れている」
「このッ、こ――」
少女の口は小さい。悪魔の手一つで塞げてしまう。
「私本来の姿では子を成せなかったが、幸い『変幻自在』スキルを所持する私は工夫が可能だった。意外だったのは、人間族の姿を真似るよりも獣の姿となった方が受精率が高かった事だ。まあ、生まれてくる子供も獣になってしまった訳であるが。さて、お前はどうだろうな?」
少女の腕は細い。悪魔の手一つで両腕を拘束されてしまう。
「世界が終わるまでの暇潰しにしかならないが、遊びとは楽しむものだ。さあ、楽しもうではないか」
抵抗できなくなってしまったジャルネは、もう山羊魔王を睨む以外に何もできない。助けてとさえ叫ぶ事ができないのであれば、仕方がない。
ジャルネの背筋が震えた後、固まる。近づく悪魔の吐息に悪寒を感じたのだ。
仮に口を開けたならば、ジャルネは呪いの言葉と助けての言葉、どちらを叫んだだろうか。ジャルネにも分からない。
家族を殺された恨みは重い。
(死んで、死んでよ、ねえ、死んでよ!)
そして、歳相応の少女ならば身の危険に恐怖してしまうのが当たり前だ。
(助けて、助けてよ、ねえ、助けてよ!)
仮にジャルネの言葉が「助けて」だった場合。
あの仮面の男は果たして助けてくれるのだろうか、とジャルネは心の片隅で思ってしまった。
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“『神託(強)』、高次元の存在より助言を得るスキル。
根本的には神頼りなスキルであり、いつも都合の良い助言が得られる訳ではない。そもそも、言語的な解読が困難な助言も多い。ただし意味が分かれば役立つ事も半分ぐらいある。
神便りというよりは、アンテナの向きや天候、波長の合わせ方次第とも言える。
結局は、スキル所持者の判断が求められる”
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“――『神託』する。
救世主は願いを叶えてくれる。
憎しみを告げれば、告げた通りに世界を滅ぼしてくれるであろう。
助けてと告げれば、告げた通りに世界を救済してくれるであろう。
ゆえに、告げるべき言葉は決して誤るべからず。
用法、用量を守りましょう”
「……手間取り過ぎたらしい」
山羊魔王の伊達男な顔付きを睨んでいたので、ジャルネには一部始終が見て取れた。
ふと、テントの内壁を透かして見るかのごとく山羊魔王が遠くへと目線を向ける。その曲げられた首へとナイフが根元まで刺し込まれて首の可動域が固定されてしまう。
山羊魔王の後方に霧のような影が出現し、内部から現れた仮面の男が犯人だ。
「山羊魔王。ジャルネを返してもらおうか」
「仮面の男か。救世主らしくない登場をしおって」
「安心しろ。お前に用事があるのは俺だけじゃない」
仮面の男、凶鳥は山羊魔王の体を起してジャルネから引き離す。そのまま腕を引っ張って、テントの中央へと移動させた。壁を破った大トカゲとばったり対面する絶好の位置に、山羊魔王は立たされた訳である。
「女を泣かせる事しかできない、最悪な男ね。山羊魔王」
「男の前で鳴くだけしか能のない女が言うな。淫魔王」
二人の魔王の直接対峙の実現。目には見えない場の圧力が高まる。
ジャルネから恨みを買っている山羊魔王であるが、長年を生き続けてきた魔王ならば似たような恨み事は数多い。今回は被害者の女性が一緒の場所に揃っただけとも言えた。
テントに踏み込むまではヒヤヒヤしたものだが、ジャルネ救出はギリギリ間に合った。
「大丈夫か、ジャル――」
……間に合ったはずなのに、駆け寄ったジャルネに泣き付かれる。
「うぅっ。わしは、わわ、私はっ、本当に一人に、くっ、なってしまった!」
新しい傷痕で腫れ始めた顔を俺の胸に埋めて泣く少女。山羊魔王が何かしでかしたに違いない。
慰めてやりたい気持ちがない訳でもないが、ここは魔王同士が向き合う戦場だ。余裕はない。
「エルフの族長のところまで離れていろ。正直、今回は余裕がない」
前線で戦う俺の傍にいるよりも、後衛職の位置まで下がっている方が気持的には安心だ。届ける余裕さえないのでジャルネを胸から引き離し、一人で歩け、と酷な事を言い放つ。
顔を上げたジャルネが最後に何か伝えようとしてくる。
まあ、聞くぐらいはしてやりたい。
「きょ、凶鳥。頼む。どうか、あの憎い魔王を、私の代わりに殺――」
“――『神託』する。
小娘、少しは神託に従ったらどうなんだ?”
「――うぎゃああああ!? どうして世界はいつもいつも、年端も行かない私の自由意志ばかりを奪うんじゃぁ!!」
“――『神託』する。
まったく、最近の巫女職ときたら、もっと昔の巫女職は素直で――”
「うにゃああああ、うぎゃあああああっ!」
……まあ、子供なので癇癪ぐらい起すだろう。俺の手には余りそうなので、早く向こうに行って欲しい。