15-2 ヘンゼルとグレーテル
地上よりも深き場所。
そこは層を成した迷宮区に阻まれた人類未到達の魔界。迷宮魔王の居城である。
「ぐふぇふぇ。おめぇは大した商人でぇ。おめぇみたいなのが何人もいりゃあ、おでの商会も安泰だぜぃ」
「どうも、であります」
「今回の稼ぎはすげぇでぇ。優秀な商人にはボーナスやらねぇと」
「それよりも稼ぎを数える、であります。きっと今回で目標金額を達成した、であります」
迷宮魔王は外を出歩かない古典的な魔王だった。城の防御を固めて、屈強な配下を護衛に就かせる。本日の護衛は三騎士が一体、金眼のオーガ、オルドボである。
オルドボはだらしなく口元からよだれを垂らしながら、献上された金貨袋を愛おしく掴み取る。黄金色のコインを一枚一枚、愛しながら数え始めた。
「ただ、『火竜の心臓』を売り切ったにしちゃあ金貨が足りねぇな」
「物々交換だった、であります」
「おでは金貨が好きなんでぇ。それは商会でも言い聞かせてあるはずでぇ」
「『奇跡の葉』であっても不服、でありますか?」
「ぐふぇふぇ。それは文句は言えねぇなぁ」
オルドボが立っているのは、だだっ広いホールを分断する真紅の絨毯の上だ。成金らしく、金の糸で刺繍がされた無駄に豪華な絨毯である。
近場の照明台も純金製。
薄暗くて見えないが、壁際の扉も純金製だ。全部オルドボの趣味だろう。
「んんー。その小瓶はなんでぇ?」
オルドボは今、絨毯の上に並べられた品々を手に取って確認している。
オルドボが愛して止まない金貨袋は少ない。というよりも、商会の売り上げにしては全体的に貨幣の割合が低い。その理由は、これらの品々が商品との物々交換によって得られた物だからだ。
貨幣ではないからと言って、これらの品々の価値が低い訳ではない。むしろ、同量の金貨よりも高価なアイテムが多い。
特別、手の平サイズの葉っぱは高値だ。『奇跡の葉』と呼ばれる究極の回復アイテムは数十年に数枚が市場に出回るだけの超高級品である。魔法や奇跡に事足りない異世界であっても、攻撃手段に反して回復という手段が極小であるため値が張っている。
「それは『奇跡の樹液』と呼ばれる品、であります。その一瓶のみで『奇跡の葉』の百枚分に相当する、であります」
「ぐふぇ、ぐふぇふぇっ! そりゃあ、馬鹿げた効能でぇ!」
「……嘘ではない、であります」
「当然でぇ! おめぇがおでに嘘を付くはずがねぇ!」
オルドボが改めている小瓶も含めた高価アイテムの数々は、たった一人の商人の稼ぎだ。
巨体のオルドボと比較して酷く小さく見えるその敏腕商人は、絨毯の脇に両膝両手を付いて顔を伏していた。
「商会長。これで交わした約束、一〇〇〇万枚マッカルの目標金額を達成したはず、であります。これでどうか、私の姉妹を私に売ってください、であります」
額を石床に付けたまま、ヘンゼルは平静を装った抑揚のない言葉でオルドボに約束の履行を訴えていた。
ヘンゼルの上客たる皐月などは、ヘンゼルの事を感情が薄いと勘違いしているだろう。が、そんなはずはない。額からは膨大な汗を流し、震える指を伸ばして無理やり止めようとしている。そんなヘンゼルに恐怖の感情が足りないはずがない。
ただの小娘たるヘンゼルがモンスターと対面しているのだから、当然と言えば当然の恐怖心……とも少し異なったが。
何せ、ヘンゼルの正体はモンスターだ。人間族に擬態しているが、人間族の小娘ではない。
以前、凶鳥は迷宮内でグレーテルと己を呼称する白いコカトリスと対戦した。オリビア・ラインには同種のコカトリスがダース単位で巣食っている。ヘンゼルは彼女達の姉である。
「ぐふぇふぇ。ヘンゼルはひでぇ娘よぅ。同じ姉妹を金で買おうなどとは、人間のように醜悪で、魔族の尊厳を考えねぇ酷い子だぁ。そうは思いませんですかぁ、迷宮魔王様!」
オルドボの問いに答えるがごとくホール全体がずしり、と一度だけ振動した。ヘンゼルは強張り体を小さくさせたものの、それ以上の何かは起こらない。
「寛大な迷宮魔王様だぁ。愛娘にお優しい方だぁ」
ヘンゼルは一般的なコカトリスとも異なり特別だ。魔族連合の盟主たる迷宮魔王の娘である。
……だからこそ、ヘンゼルの異様な怯えようが説明できない。オルドボに対しても迷宮魔王に対しても命の危険を感じてしまっている。
「魔王様がお許しになるのであれば、おでに文句はない。それに商人は約束を守るものでぇ。ぐふぇふぇ」
ヘンゼルがオルドボと交わした約束の内容は、姉妹の売却、だ。
オルドボ商会の商人となって働き、金を一〇〇〇万枚マッカル分稼ぐ。その見返りに迷宮魔王に使い潰されようとしている妹を解放してもらう。ただそれだけのために、ヘンゼルは右も左も分からないまま人間族の街に放り出され、慣れない商売に命を捧げた。
失敗する可能性しかなかった。魔族たるヘンゼルの『運』は0。幸運など舞い込むはずがなく、裏路地で餓死するのが関の山であったはず。
それでも、ヘンゼルは商売を続けた。
地下迷宮で戦い、少しでも傷付けば廃棄されてしまう姉妹を救うために必死だったのだ。
気まぐれに約束を交わしたオルドボも、まさかヘンゼルが目標金額を達成するとは夢にも思っていなかっただろう。
「ぐふぇふぇ。では約束通り、コカトリスの姉妹、百体をおめぇに売ってやろう。あっちの通路の奥でおめぇを待っているはずでぇ。付いてくるんだ」
「あ……ありがとうございます、であります」
ヘンゼル自身は約束を達成するしかないと考えていた。が、まさか、こうもうまく約束が守られるとは思っていなかった。魔族としては異端なオルドボならば金を絡めれば約束を守ってくれる可能性が高かったものの、迷宮魔王までそれを許すとは正直期待していなかった。
緊張の連続で早くなっている心拍を、胸を押さえて静めるヘンゼル。オルドボが案内する先に姉妹が待っていると思うと、落ち着くどころか激しくなる。
ホールを出て、左右に扉が連なる通路を進む。この辺りは三騎士が一体、エクスペリオの研究区画のはずだ。様々な分野の研究に手を出しているため、かなり多くの部屋が確保されている。
暗く続く通路の先は見えなかったが、目的地はそう遠くはない。目印となりそうなパンクズは落ちていないものの、一本道なのだから迷いようがない。
ヘンゼルは期待という唾をゆっくりと飲み込んだ後――、
「これは、腐臭、で……あり、ま、うッ」
「ぐふぇふぇ。エクスペリオの奴がゴミを捨てているからでぇ。掃除していたメイズナーがいなくなって大変でぇ」
――吐気を覚えて口を押さえた。
ヘンゼルの期待は反転した。ドス黒い不安が込み上げ、動悸が激しくなっていく。
研究区画を越えた先からは酷い臭いが漂っており、臭いの大元こそが通路の最奥、終着点であったからだ。
「さあ、ここに皆がいるでぇ」
錆びた鉄扉を押して、オルドボはヘンゼルを案内する。
吐気を覚える程の腐臭が一段と強まった。動物の屍骸が埋葬される事なく放置されてしまった時の臭いが、鉄扉の向こう側から通路へと噴出していた。
ヘンゼルは躊躇したものの、オルドボが呼んでいる。彼女に拒否権などありはしない。
「みんな、遅くなったでありま――――」
ヘンゼルは口を押さえたまま嘔吐して、気管へと吐瀉物が逆流して窒息しかけた。お陰で叫び声を上げずに済む。
鉄扉の向こう側には、骨の山が。
元は白かったはずの羽毛が腐食した何かと、まだ、腐っている最中の肉片と。姉妹達の鳥の骨が。比較的新しいものはまだ腐っている途中で。
骨が。肉片が。目玉のない頭部に。骨が。骨が。骨が骨が骨が、肉片と混ざって。骨が骨骨。骨と羽毛だった何かと何かだった何かと。山積みとなって、目玉の腐った皆がヘンゼルを迎えて一斉に。
――お姉様。どうしてもっと早く助けてくれなかったの、と。
ヘンゼルは足の力を失って座り込む。そうして気付いたが、床は血を乾かしたものでコーティングされていた。ヘンゼルは更に吐き出す。
「エクスペリオの実験で半分。残りは人間族との戦闘と、勝手に死んだ奴もおったはずでぇ。ぐふぇふぇ、だげど安心してなぁ。おめぇとの約束のために、おでが捨てずに全部取っておいたから」
「う、ぐッ。ううッ」
「泣いて喜んでいるところ悪いがぁ。人類圏侵攻の戦力不足を補うためにぃ、あれから更に百体増やした。だから、おめぇの姉妹の数は変わってない。ぐふぇふぇ」
ヘンゼルは確かに迷宮魔王の娘であったというのに、姉妹の百体の前で正気を失いかけている姿は酷く弱々しい。
それも仕方がないのだ。
迷宮内に冒険者が持ち込んだ鶏の卵が孵化した。それがコカトリス亜種となって成長した。その悪夢の偶然が、グレーテルシリーズの生産開始の切欠。安価に生み出せる中級魔族は、迷宮魔王とその三騎士にとって実に都合の良い実験動物となり、今では立派な戦力として活用されている。
迷宮内で生まれた新しい命なのだから、ヘンゼルとその姉妹は間違いなく迷宮魔王の娘となるのだろう。血縁関係の有無に関わらず、娘と呼称するべきなのだろう。
「ううっ、うううッ!」
「ぐふぇふぇ。そうだ。次もまた一〇〇〇万枚マッカル集めてぐれ。そうしたら、今生きている奴等を売ってやるでぇ」
「ううッ!!」
姉妹の山々を見て吐き出すのを止めようと、ヘンゼルは必死である。
ヘンゼルこそがここで最初に腐って朽ちているはずだった。初期生産型にありがちな不具合のせいで片目の視力がない。石化能力も乏しく体も小さい。廃棄が決定されていた身だった。
それを、姉妹を救うという魔族らしくない理由をつけて、無様に生きてしまっている。
ヘンゼルに姉妹達の骨を見て泣いたり、吐いたりする権利はなかった。
「ぐふぇふぇ。大丈夫でぇ、おめぇには商人の才覚があらぁ。早く金を稼いでくるでぇ」
「う、うう、ぐ、ううっ――わ……わっ、分かり……ました、で……あります」
ヘンゼルは口を袖でふき取って立ち上がる。
前髪で隠した片目に色はなく、髪で隠していない方の目にも生気はほとんど残っていなかった。