15-1 オリビア・ライン
オリビア・ライン。
魔王連合に落とされた国であるオリビアと、ぎりぎり国として残っているナキナの国境線の事を示す新しい言葉だ。ナキナの西側の国境線は地平線まで続く長城として物理的に存在するのである。
かつてオリビアと他人類国家が共同で建築していた人類防衛線は、魔族を一匹たりとも通しはしないという威厳を完全に失っている。
何せ、今では立派な鳥の巣になってしまっている。
「……コカトリスの亜種か」
ナキナ所属の忍者衆。その頭目たるイバラはオリビア・ラインの偵察に出向いていた。
現在はオリビア・ラインに最接近可能な森林で活動中だ。遠見の水晶を用いて長城の上で羽ばたく白い羽毛のモンスターを数えている。
「見えるだけでも八羽。内部にはどれほど潜んでいるものか」
大きさと大きな嘴さえ考えなければ綺麗な鳥だった。ついでに石化の魔眼も考えなければ烏骨鶏のように愛くるしい。
長城を占拠したコカトリス共は、その石化能力を用いて城壁の硬化に務めている。人類が作り上げた長城はそのスペックを数段格上げし、超硬で知られるアダマンタイトよりも堅牢な魔城に変貌しつつある。
オリビア・ラインに西部を封じ込まれたナキナ国は孤立無援だ。オリビア・ラインの有無など関係なく見捨てられていたではないか、という国民や国王の皮肉はただの僻みだ。僅かながらに存在した補給線も断たれてしまったナキナでは、飢饉が始まっている。
東部の半分が大量のアンデッドにより滅ぼされた不幸が幸いし、少なくなった国民に配給制を強いてどうにか生き抜いている。
多数の魔王を退けたはずのナキナは、静かに滅びようとしていた。
しかし……魔族共はそんな緩慢な死さえ許容してくれない。
「開門したッ?! 魔族侵攻!」
オリビア・ラインの巨大城門より出軍したのは、オークが三百匹程度。
大した数ではないものの、全匹とも長い筒状の武器を装備している。
「クソ、魔族共の新兵器で武装しているぞ。あの未知の兵器が相手では少数でも王都が落ちかねん。至急連絡だっ!」
足の速い中忍二人を王都へと走らせて、イバラと他数名は別方向へとひた走る。オーク集団の侵攻方向に先回りして遅滞を試みるつもりだ。
「嫌な天気だと思っていれば、これだ!」
暗雲が層を成した空を見上げながらイバラは表情を苦める。風が強くなって、湿度も高まって不快指数でボディスーツの中が蒸れて仕方がない。凶事が続きそうな大気の崩れに、悪い予感ばかりが高まってしまう。
遂には雷まで鳴り始めたのか、空間を切り裂くように森の一角が輝いた。
雷鳴は、しなかった。
オーク共は訓練通り、筒型新兵器の底を手の平に乗せて肩に立てかけるように担いでいた。
新兵器は木製であるが、銃底と呼ばれる部分は金具で補強されている。まだまだ改良と発展の余地が有り余っており、運用面には問題が山済みだ。まあ、これを使うオーク共にとってはどうでも良い話である。けたたましい音さえすれば、低い命中率など気にしない。
楽器を奏でるように人間族を殺せる新兵器、銃の登場は魔族にとって新しい時代の幕開けであった。
魔法の才覚に関わらず遠くから人間族を撃ち殺せる武器は、低級魔族にとって福音となっていた。
たった三百での偵察などという鉄砲玉扱いも愉快なもので、オークはブヒブヒと頬を緩ませて牙さえ弛ませてしまっている。
オークらしくない統制の取れた行軍をしていると、オリビア・ライン出発からたった三十分で第一人間族を発見した。
無人のはずの森のど真ん中に、その人間族は不運にもふらりと現れたのだ。
オーク共は酷く沸き立つ。
狩りの時間が始ま――。
「ふふ、ははは、あははははっ!」
――オークを見ただけで発狂し始めた人間族に、豚のような出鼻を挫かれる。
「愚かなるか……愚かなるか、愚かなるか! 愚かな異世界よっ!! モンスターに銃を持たせるなど愚の骨頂! 我が世界が何百年間、銃で殺し合いを続けてきたというのだ!」
その人間族はどうやら、オークを見て爆笑したのではない。オークが持つ銃を指差して腹を抱えたらしい。
「魔法という奇跡に満ち溢れながら地球の猿真似をするというのならば、圧倒するのは実に容易い!! 銃による殺し合いにおいて、我が世界は数百年の業を積み重ねているぞ!!」
人間族は本当にイカれていた。西部戦線で繰り広げられる魔族と人類との戦いにおいて銃の脅威性は証明されている。命を穿つ形をした銃口を向けられれば、屈強な騎士でさえ怯むのだ。だというのに目前の人間族は笑っている。
いや、言動や挙動など関係ない。
人間族がイカれているのは一目瞭然。顔に奇天烈なマスクを装着しているのだ。
丸く黒いつぶらな目と、嘴を模したような長い鼻囲いが特徴的だ。例えるならば、鳥の仮面、と言うべきであろう。
仮面を付けているので当然顔は分からない。ただ、残念ながら声から男性だと判明する。
頭がおかしい男の人間族などゴミ未満の存在でしかないが、それでも利用価値はある。銃の標的として練習に使用するのだ。オークの前衛は横一列に十匹ほどが並ぶと、のんびりと火薬と鉛弾を込めていく。
錬度の高いオークから水平に銃を構えていく。撃った際の破裂音を真似てブヒブヒ鳴いているが、まだだ撃ちはしない。十匹全員が揃った段階からが射的ゲームのスタートである。
鳥の仮面の人間族はやはり異常らしい。オークから逃げようとせず、どうぞ撃ってください、と言いたげに手の平を上にして両手を広げてしまっている。
十匹の準備と十の銃口が出揃う。オークの太い指がトリガーを引いて、撃鉄を作動させた。
火縄を用いるマッチロック式がごとく、撃鉄の先に取り付けられた火精霊の石を衝撃で驚かせて加熱。火薬が着火される……はずであった。
「これは初歩の初歩であるが、火薬さえ湿気る雨の中で銃を用いるのは愚かであろう!」
限界を迎えた空より、バケツを逆さまにしたかのような豪雨が降り注ぐ。渦を巻く程の黒雲が広がっていたのだ。降るべくして降った雨だった。
撃鉄が作動したのに弾は発射されない。火精霊を用いる異世界の銃は、火縄と同等かそれ以上に天候に対して脆弱だ。愚かなオークは不思議がって銃口を覗き込んでいるが、暴発すらしない。
オークは役に立たない銃などを捨てて仮面の人間族に殴りかかるべきであるが、たった一人を相手にしているという余裕があるからだろう。銃に固執し続ける。
あまりにもグダグダしていたからだろう。仮面の人間族は指を銃の形に構えて、お手本を見せる。
「銃とはな。こう撃つんだ。バンッ」
指の銃で撃ち抜かれたオークは笑う。
人間族の馬鹿らしい行動を半笑い顔していた豚面が、そのオークの最後の表情となった。
突然だった。オークの頭部が血煙だけを残して飛び散った。首の根元、いや、上半身すらミンチとなって絶命してしまう。
魔法……であるはずがない。仮面の人間族は呪文を唱えていないのだ。
「バンッ。バンッ」
仮面の人間族が指で発砲するたびに、指でさされたオークが炸裂しながら死んでいく。正確には後方にいたオークも巻き込まれて死んでしまっている。
あっと言う間に最前列の十匹は死亡した。その光景を目撃してしまって逃走するオークと、後方から応援に駆けつけるオークが衝突しあって大混乱だ。
「バンッ! あははは……さて、そこに隠れているナキナの忍者衆。今なら少人数でオークを敗走させられるが、いかがだ?」
オーク共が行軍のために陣形を縦に伸ばしていたのも災いした。気配を消して接近していた忍者職が、柔らかい横腹へと襲撃を仕掛ける。姿を見せずに始末しているため、オークはこの襲撃も仮面の人間族の仕業だと勘違いして恐慌する。
どうやって殺されているのか分からない状況にオークは戦意を奪われ、敗走した。オリビア・ラインへと引き返していく。
逃げゆく後ろ姿も容赦なく炸裂させながら、ふと、仮面の人間族は振り返る。だるまさんが転んだ、と言いながら遊んでいた訳ではなかったが、振り返った先には体を硬直させた女忍者が存在した。
『殺気遮断』スキルで完全に気配を消していた。だというのに接近に気付いた仮面の男に、イバラは警戒を最大限に強める。妖術か何か、手段の分からない残忍な方法でオークを始末する仮面の男。警戒しないはずがない。
「貴様は何者だ! 名乗れッ!!」
今にもクナイを投擲されかねない怒号であるが、オークの軍勢に銃を向けられても動じなかった仮面の男は余裕を見せ、嘴のような鼻を鳴らす。
「俺は……そうだな。ペーパー・バイヤーと呼べばいい」
ただ、ペーパー・バイヤーはイバラの問いかけに素直に答えた。
「こんな成りだが、人類の敵じゃないから安心しろ。情けない馬鹿を救うついでに、この情けない世界を救ってやるために来てやった」