13-2 黒幕共の計略3
「けふぉ、ゲかぁ」
「あーもー、体が受け付けなくなっている。飲むんじゃなくて、舌を濡らすようにしてみたら」
もう何も考えてはいない。
ならばどうして、女に促されるままに水を飲もうとしているのかと言えば、拒む理由さえ考えていないためである。口の傍にコップがあったから、言われるままに舌を浸して湿らせている。それだけだ。
生きる気力が湧いた訳では決してない。
生きる目的がないのに気力が生じるはずがない。
ゆえに、俺は無気力で無感情で無意味なままでいなければならない。舌を摘まれて引っ張り出されたとしても無気力で無感情で無意味な俺は抵抗してはならないのだ。
魂のないロボットで俺はありたい。
水を飲めと命じられれば、抵抗の意思を見せず従うべし。
「この仮面邪魔なんだけど、せいのっ」
皮膚に癒着している仮面を力任せに剥がされそうになっても、悲鳴一つあげず無言でいるべし。
「ん、ビリって音したけど……あれ、血が噴出した」
俺は無抵抗のまま女にいいようにされ続ける。
……この女がいつ俺を見捨てるのか。密かにそれを楽しんでいた。
地下迷宮の最下層。
魔王連合の盟主たる迷宮魔王へと謁見するため、首を竦めながら大柄な魔王が地下へと下りてきていた。
「おーい、おるかー?」
巨体に見合わず案外軽い口調である。人里離れた魔界暮らしを千年以上続けているため、訛りが酷い。
「お、オルドボ一人か。繁盛しとるんか?」
「ぐふぇ、合唱魔王の旦那ァか。ご苦労ですぜェ」
出迎えたのは三騎士の一人、成金らしく金の装飾品で身を飾るオルドボだった。エクスペリオは人類圏遠征のために外出中である。
オルドボも商会運営で忙しい身ではあるのだが、主たる迷宮魔王の護衛として地下に居残っている。三騎士が全員健在であれば苦労はしなかっただろうが、いなくなった者の事を言っても仕方がない。
「迷宮魔王も元気しとるようじゃのぅ。人類圏侵攻、かなり進んでいるらしくて羨ましいわ」
合唱魔王と迷宮魔王。
魔王連合を組織する以前より親交のあった間柄である。本来であれば魔王同士は敵同士、殺し合うのが一般的であるのだが、生息環境の相違と、多少は似た者同士という事があり縄張り争いを避けていた。
「こっちは自信なくすわぁ。わしのフルバーストを二度も受けて平然としとる魔王が二人もいて、難儀するわぁ」
今回、合唱魔王が地下へ下りてきた理由は愚痴を言うためだ。
先のナキナ侵攻作戦時、合唱魔王は魔界より長距離砲撃を行った。突如出現した正体不明の魔王を滅却するための支援砲撃要請があったためである。
四節魔法の百連で戦場は焦土と化したが、肝心の敵魔王に致命傷を与える事はできなかった。ついでに、特に気をかけずに巻き込んだはずの墓石魔王は完全に無傷で耐え切ってしまったのだから、合唱魔王が溜息をつくのは当然と言えるだろう。
溜息が複数箇所から吹かれて、地下空間の大気がかき混ざる。
「墓石のは連合の一柱じゃけど、古参の魔王としてのプライドが傷付いて仕方がないわぁ」
合唱魔王は嘆いているが、魔王連合全体としての人類圏侵攻作戦は順調である。
エクスペリオが指揮している遠征軍は、現在、帝国と全面戦争の真っ最中だ。
地下迷宮で飼っていた雑多なモンスターが中心戦力であるが、銃火器で武装しているため強大だ。帝国の歩兵部隊に完勝を続けている。
一方で、騎馬隊の機動戦術に対していまいち銃の有効な戦術を見出せていない。騎馬が縦横無尽に走り回れる帝国本土手前の大平原で侵攻は一進一退だ。補給線の問題もあるため、帝国攻略にはしばらく時間が必要となるだろう。
「エクスペリオの奴は楽しんでいるのでェ。おでの商会も大儲け。占領地から物資運んでェ帝国に売りつける。戦争が長引けば長引く程に金貨が溜まるゥゥ」
一方、後背地に今だ残っている人類国家ナキナに対しては様子見段階である。
何故か魔王が次々と討伐されていくミステリースポットとなっているナキナ。もちろん、魔王連合が本気で攻めかかれば落とす事はできるだろうが、ナキナには落とすだけの価値さえないのが問題だった。
人類生存圏と魔界を繋ぐ通路上に、たんこぶのように居座り続ける小国。通行の邪魔でしかないが排除しなくても魔王連合はまったく困らない。
戦って損をするぐらいならば、しばらくの間は放置が戦略的な判断である。
とはいえ、無策に放置している訳ではない。対策は行っている。
エクスペリオの侵攻軍の背面を突かれないように、オリビアが建築していた長城を流用していた。壁によって分断されたナキナは、他の人類国家から完全に孤立させられてしまっている。封じ込めが続けば食糧難で勝手に自滅するかもしれない。
「オルドボの商会がナキナに食料売らなければ、もっと確実に弱らせられるんじゃ?」
「商売において、お客様は神様なんでぇ。ぐふぇふぇ」
「どうしようもない金狂いじゃのう。お前」
残る気掛かりは森の種族、エルフ共である。が、こちらに対しても抜かりはない。
山羊魔王が獣の種族を懐柔し、抗争をしかけている。近場には淫魔王および怨嗟魔王も控えており、戦力的には十二分な配置だろう。
「詐欺男に御母堂まで動いているのか。なら、わしがしばらく抜けてもええじゃろ。自信取り戻すためにもレベルアップしとかんとのぅ」
合唱魔王は長い首を一本伸ばして、オルドボの傍まで近づける。
飲み込んでいた物をゆっくりと吐き出す。床に落下した物体は滑っており汚らしいものの、オルドボが大好きな黄金色だ。
「ほれ、代金。人間族何人分になる」
「古代文明の工芸品。ぐふぇふぇ、軽く見積もっても一万マッカル、質にもよりますが二百人から三百人分にはなりそうですぜィ」
「じゃあ、たちまち百人もらおうかのぅ」
人の命を金品でやり取りする魔族共。
まるで……同族であっても奴隷として売り飛ばせる、人間族みたいな奴等である。
「もちろん、と言いたいところですが……しばらくお待ちくだせぃ」
「なんじゃ、品切れか? 戦するたびに人間族を仕入れているじゃろうに……ああ、先客がおったのか」
合唱魔王はただ愚痴を言いに地下迷宮に下った訳ではなかった。地下迷宮でしか行えない特別な儀式をしようと現れたのだ。
「翼竜魔王様が熱心でしてぇ、ぐふぇふぇ」
「若い魔王だというのに逞しいのぅ。いや、若いからかのぅ」
地下迷宮でしか行えない特別な儀式。
それは、魔族のレベリングである。
一人の人間族を殺しても、得られる経験値の平均はたったの1。ただし、百人ころせば100となり、一千人も殺せば魔王であってもレベルが1上昇する。
魔族がレベルアップするなど禁忌的であるが、悪夢の手法を考え付いたのは何も魔王連合が最初ではない。そんなに驚く程の禁忌ではないという訳だ。魔王のレベリングを商売にしているあたりがやや新しくはあるだろうが。
「じゃあ、しばらく待たせてもらうけぇ」
合唱魔王は狭苦しい地下で膝を曲げて、音をズシリと響かせて座り込んだ。
枝分かれした首も伸ばしたままでは疲れるからだろう。いくつも存在する頭部をゆっくりと下ろしていき、八つが眠りに付く。
魔法砲撃戦において他を圧倒する合唱魔王。単独で魔法詠唱を輪唱可能だからこその『終わりなきコーラス』。
九の頭を有する水蛇。ヒュドラーこそが合唱魔王の正体だ。
洞窟内は寒いぐらいだというのに、体が熱くて寝苦しい。
外では雨が降っており、気温は朝から低かった。病に罹ったとしてもおかしくはない。
そんなにも難しい病気ではない。何の変哲もない風邪である。体力が底をついている現状で罹ったのならば、死に至る病でしかないが。
「もうっ、世話ばかりかかる。ほら、苦しくても食べないと死んじゃうから」
女が口に何かを突っ込んできたので顎を動かす。が、噛む力さえ残っていないため食すのは不可能だ。というか、普通に食べるにしても硬そうな食材であるが、何を口内に突っ込まれているのか。
顎を弱々しく動かすと、干物みたいな尻尾が上下に動く。
「サラマンダーの幼生の干物。火属性的に美味しいし、栄養も高い」
ようするにトカゲらしい。そんな地球にもありそうな普通のゲテモノ、体力さえあれば食べられただろうが……まあ、今は無理だろう。
寝込んでいる俺を、赤い女が悔しそうに見下ろしている。苦労が報われない苦痛に顔を歪めて、奥歯を噛み締める。
ふ、いい気味である。
「…………はぁぁぁぁ、あぅ。御影なら許してくれるわよね。これは立派な人命救助で、浮気じゃないし」
本当に悔しそうな顔を見せていた女はトカゲの干物を俺の口から引き抜く。と、己の口に尻尾まで含んで噛み砕き、すり潰し始める。
「んっ!」
まだ口に食べ物が残っている状態ではしたなく、女は何か伝えようと顔を近づけてくる。
さっぱり分からないので無反応でいると、ふと、口に触手みたいな異物が侵入してきた。
至近距離から、いや、ゼロ距離から女と見詰め合う。舌が舌を押しやって、咀嚼されかけたトカゲが喉奥に押し込まれていく。
トカゲの味は苦いだけだというのに……何故だか甘い。
「ん、んー!」
親鳥みたいな女である。一体、この女は何者なのだろうか。