【人物ルポルタージュ】オタクの神輿は使い捨てか――山田太郎、裏切りと孤独の政治
「表現の自由の旗手」としてオタク層の熱狂的な支持を集めた参議院議員・山田太郎。
2016年の参院選では「マンガ・アニメの表現の自由」を掲げ、29万票を獲得したことで一躍注目を集めました。
オタク文化を守る政治家としてもてはやされた彼は、その後、「オタクの味方」から「ただの政治家」へと変わったのでしょうか。それとも、いずれは「使い捨てられる神輿」になってしまうのでしょうか。
本記事では、山田太郎の政治活動の軌跡を振り返りながら、オタク票の持つ脆さや、「表現の自由」という旗印の行方を探ります。
かつて彼を支持した人々は、今、何を思っているのでしょうか――。
1:身内に見捨てられた政治家
「腹なんか立たないですよ。だって、前に会社をやってた時には、株主たちから何度も難詰めされたことがありました。業績は上げているのにですよ。そんな理不尽を知っているから……」
目黒駅前のロータリーに面したMG目黒駅前ビル。そのオフィス階には、いくつものベンチャー企業が入居している。その7階の一室が、現在の山田太郎の事務所である。ベンチャー企業向けのレンタルオフィスというのも様々である。中には、薄いパーティションで区切られただけの狭苦しい物件もある。でも、初めて足を踏み入れたそこは、存外に会社としての見てくれの整ったフロアであった。
ふくよかに育った腹を抱えて泰然とソファに座る山田を前にして「腹が立たないんですか」と聞いた。
私が山田が内心では腹を立てているのではないかと思ったのは、移ろいやすい支持者のことであった。
見本のような名前が本名の男を、どの程度の人が知っているだろうか。山田は、二期目を目指した昨年の参院選で「落選して」取材が殺到した希有な人物である。比例区で29万票を超える個人名の得票を集めながらの落選。しかし、ネットを重視した選挙活動で大量得票に成功し、オタクの支持を集めたことで、注目を集めた。
これまで、今は世田谷区長になった保坂展人をはじめオタクの好む「マンガやアニメの表現の自由を守る」ことを、公約として掲げる候補者はいた。けれども、オタクへのアピールが票に結びつく成果となったことはなかった。それを山田は覆したのだった。これは、誰も予想し得ない成果だった。
何しろ、参院選を前に山田が立ち上げた「表現の自由を守る党」は、メールを送るだけで誰でもサポーターになることができたが、それでも3万人に達することはなかった。それ以前に、山田の秘書である坂井崇俊を中心に、山田を名誉顧問として立ち上げた「エンターテイメント表現の自由の会」も、コミックマーケットで同人誌を売ることを除けば、まったく存在感がなかったからだ。
しかし、インタビューに赴いた今年5月。都議選を前に山田が始めた新たな活動は、見方によっては惨憺たる結果に終わろうとしていた。都議選候補者に対して「マンガ・アニメ・ゲームの表現の自由を守る」「オリンピック・パラリンピック時のビッグサイト会場問題の解決」を公約として掲げることを求めたネット署名。
それは、築地市場の豊洲移転問題や、小池百合子都知事の政治に対する是否が争点となる中で、この問題はほとんど話題になっていなかった。
署名を始める直前に、坂井は私にFacebookのメッセージで、この署名を取材をして記事にしてくれないかと打診をしてきた。この時から、私はなぜかしら、容易にはうまくいくことはないだろうという予感があった。
山田の支持者……オタクたちに通底する移ろいやすさを、幾度も見ていたからである。
2:「ほかに担ぐ神輿も探してますから!」
それは、昨年、参院選も終盤になった7月8日の金曜日の夜のことであった。8時までの演説が終わり、山田の選挙事務所には、山田が選挙中には毎日行っていたニコニコ生放送を見ようと大勢の人々が集まっていた。向かいの公園にある喫煙所で、一服しようと外に出た私は、電信柱の横で女性と親しそうに話している西形公一の姿を見つけた。
西形は、90年代から「マンガ・アニメの表現の自由」を守る運動に参画している古株で「エンターテイメント表現の自由の会」には、機関誌の副編集長として名を連ねている。池袋の繁華街で家業の焼き鳥屋を手伝いつつ、運動に参加している西形の活動の今後も、山田氏の去就で決まるのではないか。そう思った私は、2人のに近寄って尋ねた。
「なあ、山田が落選したらどうするんだい?」
すると西形のかわりに、傍にいた女性が身を乗り出すようにして、勝ち誇った顔をして、
「ほかに担ぐ神輿も探してますから!」
というので、私は驚いた。この女性が何者かまったく知らなかった。事務所に何度か西形と一緒に尋ねて来ている姿を見ただけ。何かの時に、横で都の教育庁に勤めているという話をしているのを聞いた程度であった。なぜ、この女性はそこまで強気な発言はできるのだろうかと思った。でも、私は女性にではなく西形に尋ねた。
「今から、ハシゴを外しにかかってるの?」
「だって、うちは消費者団体ですから」
西形は、自信ありげに笑みを浮かべながら答えた。理由はわからないが、触れてはならない、禍々しいものを感じて、私はその場を離れた。この西形という男は、90年代に「マンガ・アニメの表現の自由」を守る市民団体「マンガ防衛同盟」を立ち上げた、いわば界隈の古参である。そして、毀誉褒貶の激しい人物でもある。古くから、この男を知る人は、西形がいるから「エンターテイメント表現の自由の会」は相手にしてはダメなのだとも口にする。私は、そこまで酷い人物なのか、今ひとつ判断に迷っていたが、ようやく、この男の本質が見えた。
西形自身、かつては政治家を志し、1999年には青梅市議選に立候補して落選した。にもかかわらず、元妻のほうは2001年の小平市議選に当選。一時は、海外へ移住し新天地を求めるも、結局は家業を継いでいる。そんな人生の道程で鬱屈した何かを抱えたのだろうか。自身の思いのままの結果が、そんなさもしいものだとしたら、とても悲しいことだと思った。
実は、この事件よりも前に、選挙事務所に手伝いに来ていた会のメンバーの男性に同様のことを聞いてみたら、西形と同じような顔をして「ほかを探しますよ?」と返される体験をしていたからだ。選挙事務所に集い、支持者のような顔をしておきながら、腹では、二心を持って自分の信者を集めている。いざとなれば、沈む船からはさっさと逃げ出す算段を話し合っているのだろうか、と思った。
仮にも会を取り仕切っている坂井は山田の秘書である。秘書が仕切りながら、なぜこのような偽りの支持者ばかりを集めているのか。事務所に戻って、坂井に、ついさっきあった出来事を述べた。
「代わりがいないんだよ……」
坂井は、寂しそうに下を向くだけで、西形を問いただそうとはしなかった。フリーでコンサルタント業を営んでいた坂井は、山田が最初に出馬する時に請われて「選挙の期間中だけでよいのか」と勘違いして秘書になった。
秘書としての坂井は優秀である。山田が何かのアイデアを思いつくと、パワーポイントを使ってすぐに人に見せることができる形にまとめたりして、何を任せてもそつがない。そんな坂井は京都大学を卒業後、一度は大手銀行に就職したが、そこで与えられた業務に嫌気がさして退職し、コンサルタント業の世界に入った。
銀行を辞めたのは、業務とはいえ顧客にとって役に立ちそうもないサービスを販売するノルマを強いられ、良心が耐えられなかったからだ。
「コンサルは、自分の責任でクライアントとの関係だけでできるのがいい」
そんな一言に、坂井の人となりが、すべて含まれている。
私がインタビューの中で、山田に腹が立たないのか尋ねたのは、顔もわからない一人の有権者ではなく、いわば身内ともいえるような距離に、腹に一物を抱えた人物が混じっていることであった。私の左側に少し離れていた坂井は、この話題を出した途端に、何か仕事を思い出したとばかりに、山田の背後にある自分のデスクに戻っていった。そこに坂井の本質的な優しさが見えた。
そして、山田の「腹が立たない」という言葉にも、まったくウソがないように見えた。
山田が腹が立てないのか、不思議になること……参院選の後にはこんなこともあった。
昨年の10月、私も所属している出版労連が主催する出版研究集会。その中で「出版の自由分科会」が開催された日のことである。
会場の出版労連が入居するビルの前で、携帯灰皿を取り出して煙草を吸っていると「表現の自由」を守る講演会などを企画するNPO「うぐいすリボン」の理事・荻野幸太郎がやってきた。
荻野は国内外の「表現の自由」に関する知識人と関係を築き、オタクの意志を現実的な政策に反映させようと、様々な政治家に働きかける「ロビイスト」である。
なんとはなしに、世間話をしていると荻野が、笑いながらこんなことをいった。
「8月に松浦さんが山田さんところに就職の相談とかで挨拶に来たんだけどさあ。山田さんが『あいつ、もうダメだなあ』っていってたんだよ」
松浦とは、昨年の参院選に秋田選挙区から出馬した民主党の松浦大悟のことである。松浦は、もとは秋田放送のアナウンサーで、03年のイラク戦争の最中、夕方のニュース番組でキー局が流す戦争報道に我慢できず「これは、アメリカ寄りの視点である」と発言し左遷された気骨のある人物だ。失意の彼は、請われて07年の参院選に無所属で出馬し当選。
その後、民主党に入党し県連代表の任された。何よりも、サブカルチャーへの造詣が深く、オタクの味方をしてくれる議員の一人として活動していた。しかし、13年、16年と続けて落選。二度の落選をみて民進党は県連代表まで務めた松浦を、用済みとばかりに放り出した。当選直後に知り合って以来、長らく友達付き合いをしてきた私は、様々な策謀が渦巻く田舎政治の中での松浦の苦労を知っていた。
だから、一個の人間を使い倒した挙げ句に裸で放り出す民進党という組織の汚さに、私は、腹立ちを覚えていた。
そうした事情を知っているにもかかわらず、非情な言葉を吐く荻野。そういえば、少し前に松浦と電話で話した時、落選直後に荻野が松浦に電話をしていたことを思い出した。
「松浦さん、山田さんが29万票取れたわけだから、次は首尾良く当選できる方法を考えましたよ」
「いえ、ボクはもう民主党から出馬するつもりはないんです」
「ああ……」
だいたいこんな会話だった。「それ以来、連絡もありませんよ」と、電話の向こうの松浦は自分で自分をあざ笑うかのように話していた。そのことを知っていたから、私は山田が語ったことの次第よりも、なぜ荻野が、そんな話を人間同士の心や関係性をトゲトゲしくする噂話を、笑いながらできるのだろうかと、愕然とした。
荻野自身は、選挙の際にわざわざ秋田県まで松浦陣営の応援に足を運んでいる。それは、単に「道具」の使い勝手を見にいっただけということなのか。
この日の出版研究集会で、私は司会の役を引き受けていた。講師の山口貴士弁護士が、ろくでなし子裁判や、ヘイトスピーチ規制の問題を詳細に解説している最中も、幾度も客席に座っている荻野の様子を見て「この男は、何を企んでいるのだろう」と、考えていた。
世の中には、何かとトラブルを好む人間がいる。会う人によって、発言を変えたり、曖昧な噂話を吹き込んで人間関係に波風を立てて、ほくそ笑んでいるようなヤツなのか。では、なんなのだろう。考えているうちに、先の参院選の時も、あちこちの候補者のところを飛び回っていると、忙しそうに話していた荻野の姿を思い出した。
この男は、すべての議員を自身の考える「表現の自由」を実現するための道具と見ているのではないのか。自分の目指す現状のメンテナンス。それを実現することだけが、荻野の行動原理なのだ。だから、山田の29万票が熱を持っているうちに、あちこちに種を蒔こうと急いでいたのだ。
そのために、役に立たないものは平気で切り捨てるのも、彼には当然のこと。だから、己の判断で、役立たずになった人間は、過去の人として昔話のように軽薄に扱うことができるのだ。でも、不思議と苛立ちは収まっていった。それは、人間の芯の部分。精神的な脆さがそうさせているのではないかと思ったからだ。
山田のことも、役に立たなくなれば、平気で同じように縁を断ち切って、過去の人扱いするかもしれない。そんな荻野の姿に山田は気づいているのだろうか。気づいていないはずはないと思う。山田は、曲がりなりにも企業の経営者として成功をしてきた人物である。大勢の人を使う立場である。そんな周囲の人間の心情にも敏感でありながら、あえて鈍感に振る舞っているのだろう。
でも、山田は腹は立たないという。それは、裏表のない本音の言葉だと思う。山田は落選してもなお「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうと発言を続けるのか。なぜ、そんな境地に達することができるのか。
3:署名は2万筆程度で十分だった
「正直、29万票のインパクトに比べると2万程度では……」
インタビューのはじめで、ネット署名にもかかわらず、寂しい現状を指摘すると、山田は淡泊な口調で話し始めた。
「選挙前につくった表現の自由を守る党も2万ちょっと、署名でもなんでも参画するのは2万から3万止まり。それでも、ネットの世界にはサイレントマジョリティがいるんですよ……」
その言葉の中には、まったく焦りのようなものが見られなかった。この署名は、山田にとっては久しぶりの、自分の存在感をアピールする機会としての側面もあるはず。そうであれば、常に数字が気になり、一日に何度も署名サイトにアクセスしたり、Twitterで情報が拡散しているか気になって検索を始めるはず。実際にそれをしていないはずはない。
なのになぜ、山田は焦っていないのか。
山田の、のんびりした声は、私が以前から感じていた違和感を増大させた。横柄でもなく傲慢でもない。決して、私利私欲のために活動しているようにも思えない。けれども、その淡々とした言葉のどこにも芯になるようなものが見つからなかった。インタビューでは、相手が何気なく発した言葉に「おおっ!!」と引き込まれることがよくある。
むしろ、それをインタビューの最中には常に、それを期待している。けれども、話を聞きながら、これは必ず使わなければならないと思うような言葉を山田はひとつも発することはなかった。
発する言葉の裏に存在するであろう山田の芯の部分。それを見いだすことのできなかった。だから、私は、テープ起こしをする気にならなかったのだ。
なんで、こんなインタビューになったのか、考えた。幾日か考えるうちに、漠然と見えてきた。あえて凡庸な言葉しか話さないことに、山田の独自性があるのではないかと。
私は、数年間の取材ノートを読み返すことにした。
4:秘書も知らない山田の実態
山田に最初にインタビューしたのは、13年の5月。「マンガ・アニメの表現の自由」は、私が長らく取材してきたテーマであり、ほかのどの物書きよりも優れたものが書けるという自負があった。
いつも、すぐに原稿にすることはできないけれども、今すぐ取材したいテーマは多い。取材費を捻出するために、頭を悩ましている私にとって幾ばくかの原稿料を得るには、最良の手段でもあった。だから、山田が集会を開いたり、新たなアイデアを披露するたびに取材をしていたが、そのたびに漠然とした違和感も感じていた。それが、なんなのかはっきりとはしなかった。
ただ明らかなのは、山田が自身のプライベートな話になると、徹底的に秘密主義なことだった。取材してルポルタージュという一個の作品を書き上げる時に欠かせないのは、個人の心情や生き様である。社会批評を描いているわけではないから、視点は全体の状況を語るのではなく、その中で誰がどのように生きていたかに注力される。
なぜ、この人はこういう選択をしたのか。立ち居振る舞いや、その背景にある生まれ育ちに至るまで、微に細に聞き出して、文章に血肉を通わせていく。
でも、山田はそういうことに話が及ぶと、いつも華麗に身をかわすのだ。取材者に対してだけではない。信頼している身近な人々に対しても、そうなのである。
例えば、住んでいる家のこと。山田が参院選の後に立ち上げた会社の登記簿に記された大田区の住所を辿ってみると、日本維新の会の参議院議員・藤巻健史が、息子に譲った物件であった。
そのことを、秘書の坂井に聞くと、困った顔をして
「ぼく、山田さんの家にいったことがないんですよね」
と、いったのだ。
そんな具合だから、大田区生まれの大田区育ち。これまで、大田区以外に住んだことがないこと。麻布中・高から慶應義塾大学という学歴や職歴を除けば自分からは話すことはしない。
一度だけ、参院選の時に、山田が休憩中に選挙スタッフの今野克義がかわりにマイクを持った時。自分の知る山田の人となりを語る中で、今野は「母子家庭からここまで……」と漏らしたのである。山田という名字で、子どもに太郎という名前をつける親。その独特のセンスには興味を惹かれるが、山田の口からそのことが語られることはない。
それどころか、一緒に暮らす妻や娘のことにも、ほとんど触れようとはしなかった。選挙といえば家族が総出で「主人を男にしてください」とか、支持者のために土下座パフォーマンスまでする家族がいるもの。ところが、山田の妻と娘は、事務所に姿を見せることも、あまりなかった。
最初に事務所で姿を見たときも、パーテーションで仕切られた事務スペースで静かに座っていて、支持者に、積極的に挨拶をすることもなかった。ようやく話ができたのは、山田が秋葉原で演説している時にビラまきを手伝っている姿であった。私が「奥様ですか」と声をかけると、腰を深々と下げて丁寧に挨拶をしてくれた。
「事務所でも、あまり姿をお見かけしませんでしたが」
「ええ、ボランティアの方が主体ですので……私たちはあまり表に出ずに裏方でやろうと思いまして」
「何か、別のことを?」
「ええ、『とらのあな』とか、『らしんばん』とか……オタク店舗を回っていたんです……山田の選挙ビラを置いてもらえないかな……って。いくつかは置いてくれたんですけど、店員さんは賛同するけどってところも……」
呟きはそこで終わり、会話はそれ以上には発展しなかった。家族を利用したり人情に訴えかける土着的な選挙を、山田が徹底的に忌避していることだけは明白だった。独自の選挙スタイルへの、揺るぎない信念を支えるものを知りたくなった。
5:ピースボートのスタッフだった過去
参院選の最中にFacebookを見ていると、年上の友人である星紳一が山田太郎の演説を聴きにいき、何年かぶりの再会を果たしたことを綴っていた。星は幾度もピースボートに乗ている人物で、外資系企業に勤務する傍らで通勤に使うバッグにも「アベ政治を許さない」とスローガンの描かれたキーホルダーをつけたり、デモや集会にも積極的に参加している強固な信念を持った人物である。
私とは思想面では相容れないけれども、けっして偏狭な考えに陥ることなく、気の向くままに声をあげたり、あちこちを飛び回る、東京にいながら旅人のような生き方をしているゆえに、興味深い人物である。
そんな人物と山田の接点はどこにあったのだろう。すぐに、星と顔を会わせる機会があったので、単刀直入に聞いてみた。
「再会したのは、数年前のセミナーで山田さんが講師で来たからだけど、最初はピースボートだよ」
「え、山田さんはピースボートの乗客だったのですか?」
「いや違う、スタッフのほうだよ」
ちょうど、フィリピンでマルコス政権が打倒された頃だったという。辻元清美がフィリピンの現状について講演するというので、星は会場に足を運んだ。現在の国会議員になって、少し落ち着いた姿とは違い、聞いている人を圧倒するような声量と話術で辻元は「いま、フィリピンは大変なことになっているんです」としゃべり続けた。
辻元が語る、新聞やテレビでは知ることのできないフィリピンの現状に聴衆はどんどん引き込まれていった。その終盤、辻元はひときわ大きな声で叫んだ。
「みなさん、行ってみたいと思いませんか!」
星は、ぜひ行ってみたいと思った。ほかの聴衆も同じだった。絶妙な間を置いて、辻元は次の一言を放った。
「実は、もう船は用意してあります!」
会場はどよめいた。そして、万雷の拍手に包まれた。まだようやく格安航空券が出回り始めた80年代中盤である。船ならば、相当に安くいくことができるに違いない。それに、飛行機とは違う長い船旅には、誰も経験をしたことがないロマンが感じられた。
いったい、費用はどれくらいかかるのだろう。自分の貯金でも行くことができるのではないか。いや、多少無理をしてでも、ぜひ、この船に乗りたい。第三世界の現実を、しっかりと我が身で感じたいという情熱と、船旅へ行くという冒険心が、会場をどよめかせたのだ。
「では、詳しいことはウチのスタッフから説明してもらいます」
辻元に呼びかけられ、眼鏡をかけた青年が檀上に上がった。青年はまず、後ろの黒板に自分の名前を書くと、聴衆のほうを向いていった。
「山田太郎です。本名です」
6:世の中を自分の思うように変えたい
山田がピースボートのスタッフになったのは、偶然であった。大学生の時、山田は國弘正雄の事務所でアルバイトをしていた。麻布高校時代に、当時の文化放送の人気番組『百万人の英語』などで、英語通として知られていた國弘を生徒会で講演に招いた縁であった。その事務所に辻元がやってきた。國弘から「この元気よいネエちゃんを手伝ってやれ」といわれて、スタッフになった。
「地球を二周くらいしたかなァ」
山田のピースボート時代について記された資料は少ない。
唯一見つけたのは04年6日10日付の『フジサンケイビジネスアイ』に掲載された記事である。そこには、こう記されている。
「世の中を自分の思うように変えたい」
学生時代にそう漠然と考え、設立まもないNGO(非政府組織)「ピースボート」に参加。財務を担当し、多くの国を訪れた。「ピースボートの活動は、目的を持って何かを成し遂げたという達成感があった」この経験は、今も「その時々にこそできることがある」という信念につながっている。
青年期に自分が変えたかった世界は、どういうものだったのだろうか。選挙中に、このことを聞くと山田は「忘れちゃったなあ」と、はぐらかした。
誰しも青春の頃に抱いていた理想を振り返ると、誤って無駄な時間を過ごしたことへの後悔や恥ずかしさが押し寄せてきて、自嘲気味に笑うしかない。私とて、トロツキズム、そしてクロンシュタット叛乱やマフノの黒軍の鎮圧を正当化する論理を語っていた過去を指摘されれば、薄笑いをして「忘れた」というだろう。
それでも、目指す理想の変遷があってこそ、より豊かな現在の目標が育つはずである。だから、青年時代の山田がどんな理想を持っていたのか、是が非でも知りたくなった。そこで、5月のインタビューの時に、再びこの話題を持ち出すことにした。記事のプリントアウトを示して、私は尋ねた。
「今は、どう考えていらっしゃいますか?」
「随分、昔のを持ってきたねえ……2004年……」
山田は、少し黙ってプリントアウトした紙を見つめてから再び話を始めた。
「この時期のことをいうと、ボクは民間の製造業向けのコンサルティング会社をつくった。それは、自分を通したつもりですよ」
山田がまず語ったのは、前述の記事で多くの文字を割いて記されている製造業専門のコンサルティング会社「ネクステック」を立ち上げたことについてであった。
「アクセンチュア……アンダーセンに入って、製造中心に一筋でやってきた。日本はものづくり大国で金融をやってもアメリカには勝てないと思っていたから……」
製造業のコンサルティングに対する会社の無理解。日々目にしていた危機感を、山田はERP(Enterprise Resources Planning)など、専門用語を交えながら、語った。結局「自分でやるしかない」と思って立ち上げた01年に設立したネクステックは、起業からわずか3年半の05年に東証マザーズに上場。山田は一躍注目される経営者となった。
システムの匠(『週刊ダイヤモンド』2003年8月9・16日合併号)
製造分野のコンサルタントとしては、知る人ぞ知る存在(『財界』2006年4月11日号)
……などなど。山田を紹介する記事には、誰も手を付けなかった分野で急成長した敏腕経営者への賛辞で満ちている。
「ニーズがあったわけですよ、マーケットでね。こよなく製造業を愛している人たちが四六時中製造業のことを考えている会社をつくりたいという点では間違いなかったと思いますよ」
「あくまで、現場が第一だと考えていた?」
「そうそう」
「そう考えるに至ったきっかけはどこにあると?」
「うちは、工場でも製造業でもないし……たまたまアンダーセンで配属されたことがあると思いますよ」
「たとえ配属されても気づかない人もいるでしょう。そこに目をつけたのは、それまでの経験や理想があったからでは?」
「とは、思いますよ。ピースボートでひとつあると思うのは、日本はやはり製造大国だと気づかされたことです」
次第に知りたいことがズレていっているような気がして、再び質問をぶつけた。
「80年代のピースボートは、半ば反体制組織でしたよね。昭和天皇が崩御された前後には、反天皇制を訴えるイベントも行っていましたし」
「そういう人もいた。いたんだけど、私が清美ちゃん……辻元さんとやっていたのは実務だよね。船の回しとか。日本人が500人とか1,000人の単位でどこかの国に入るっていうのは、簡単なように見えて、政治性を帯びちゃう。第三世界の抱える課題に対して賛成なのか反対なのか問われたり……」
山田は何か急に熱を帯びたような感じになった。
「初めて地球一周した時に22カ国を回ったけど、こんなに大変とは思わなかったよ」
そこで山田が見たのは、シビアな国際関係の現実だった。既に日本は大勢の国と国交を持っていた時代である。ところが、それだけ大勢の参加者がいれば、自ずと国籍も様々だ。例えば在日韓国人。当時、韓国は中国とは国交を持っていなかった。中国に限らず、乗船者の中に国交がない国の人間を見つけると、入国管理官は相応の措置をとる。時には、該当者に尿瓶を渡して、船室に外から鎖でドアが開かないようにするのだ。そういう時代に、当局と交渉して上陸許可を得る……それが、山田がこなすべき仕事だった。
「その中で新左翼活動をしているオジサンとかもいっぱいいたけど、バッカじゃないのアンタらわかってるの? と思っていた」
どこでスイッチが入ったのだろう。山田はソファに楽な姿勢で座り直すと、青春時代の仲間たちとの面白いエピソードを、懐かしく思い出すかのように語り始めた。「清美ちゃん」の左翼というレッテル貼りでは見えてこないミーハーっぷりを語り「第三書館の北川のオヤジ」を語り……。
「戦旗・共産同(共産主義者同盟戦旗日向派)の五味洋なんて、麻布の時の一番仲のよい同級生だよ。文化祭の実行委員長をやらせたのは、ボクだし……」
「オタクの人たちには、そんな山田さんが場数を踏んできたことが見えていないのでは?」
「うん、自分ではリベラルかと思ってたら、ネットだとネトウヨだと思われていたりするし。経歴見たら極左かも……。安保法制の時は、最終的に賛成票を投じたけど、あちこちに呼ばれて糾弾されて、友達も随分と失ったよ……」
一抹の寂しさを滲ませつつ、山田は自分の選択は決して間違っていなかったと言い聞かせているようだった。そんな山田を支えているのは自分が実務家であるという強烈な自負なのだと思った。滅びの美学などというものとは対局にある、いかなる状況にあっても、わずかな利益だけでも拾い上げていくこと。32歳で月給生活に終止符を打ち、組織には所属してこなかった。
なればこそ、理想はあるはずだ。
「じゃあ、今の時点でこれからつくっていきたい世の中はどういうものなのですか」
「世の中をつくるほど、理想主義者でもないし偉くないけど、あるとしたら将来不安の解消ですよ」
その言葉は私を諭すようにも見えたが、どこか自信なさげにも感じた。
「東大とか早稲田とか高学歴な大学で先生もやってたけど、そこで学んでいる学生も老後を心配している。それは、今のこの国をどうしようか解決しようとしている人がいない不信感だと思うんですよね。表現についても、息苦しくなっていく不信感がある。そうした不信感を拭わないと、よい国にはならないですよ」
山田の思い描く目指すべき世の中。その言葉は極めてまっとうで、どこにも反論すべきところがなかった。
いや、それは間違いかもしれない。こうも捉えることもできるはずだからだ。何も反論する気にならなかった……のだと。
実にそうなのだ。山田の言葉は、聞けば納得をしてしまうものである。けれども、そこには何も熱くなるものがない。世の中を変革していこうという意志を持つものたちが、歴史の中で残してきたような、際だった言葉がどこにも見当たらないのだ。
もちろん、話を聞けば、様々な分野の経験が豊富な山田を嫌いになる人はまずいないだろう。けれども、不思議なことに、共に手を取り合って戦おうという気持ちは、湧き上がってはこない。政治や社会運動には欠かせないはずの気持ちが感じられない理由が、何かあるはずだと、思った。
山田という男は、半ば政治の世界に身を置きながら、政治家とは違う何かなのではないのか。ふと、そんな考えが頭をよぎったのは、都議選の最中であった。「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうと主張する人々は、Twitterなどを用いて盛んに「表現の自由」を守ってくれる候補を応援しようと、具体的な候補者の名前も挙げていた。
その中には、私が、これまでの取材の中で下劣な人間性を見たことのある者もいた。そうした者であっても、ただ「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうという立場にいるというだけで、持ち上げられている姿があった。
なんら世界が変わる感覚も、日々の生活が上向きになる予感もない空虚な都議選。その騒々しい期間、私は昨年、山田が出馬した参院選の取材ノートを何度も見直していた。既に、山田の参院選からも一年の日時が過ぎていた。
7:『ドカベン』答弁で始まった山田への期待
「マンガ・アニメの表現の自由」を守るために活動する参議院議員。そんな言葉で表現される山田の議員生活は波乱に満ちていた。マニフェスト作成を手伝った縁で、参院選でみんなの党の比例代表の候補者名簿に名前を連ねたのが10年。
みんなの党の当選者は7名で名簿順位10位だった山田は落選となった。12年12月、同党の桜内文城が衆院選に立候補することになり辞職。突然繰り上げ当選が決まった。
慌ただしく始まった議員生活。誰も知らない補欠議員に過ぎなかった山田がオタクにその名を知られたのは、13年5月8日の参院予算委員会で、与党によるマンガを初めとする創作物へも踏み込む改定案の提出が危惧されていた児童ポルノ禁止法について質問したことだった。
「行き過ぎた自主規制が行なわれて、日本の漫画やアニメが面白くなくなる、また廃れてしまうのではないかと危惧しております」
こう問われた麻生太郎財務相は、少し苦笑しながら「財務省に持ち込まれても、ちょっと所管外という感じがいたします」と、答えた。場違いに見える質問を上手くかわした麻生。山田は、そんなことは意に介さず、さらに続けた。
「実は、水島新司先生の野球漫画『ドカベン』、つまり、私と同じ名前の山田太郎という人が主人公の漫画なんですけれども、その中でも8歳以下のサチ子という妹が入浴シーンで出てきておりまして、こんな本なんかも発禁本になる可能性もあるんです」
山田が、この問題を限られた質問の時間で取り上げた理由。それは娘がコスプレや同人誌を趣味としていて、自宅で娘の友人たちが集まっては趣味の話題に花を咲かせる姿を、幾度も見ていたから──という話は、ずっと後になって知った。もっとも、この話も「口をすべらした」といって、二度と話そうとはしない。
この質問を契機として、山田は一躍「オタクの味方」として、限られた人々には著名な期待される人物となった、15年に改定された児童ポルノ禁止法において、与党案のマンガやアニメなどの創作物も規制対象とする目論見が頓挫したのは、山田の功績と記して間違いない。
そして、オタクの期待に応えるかのように、コミックマーケット開催時には、会場近くで演説も行うようになった。
そんなオタクからの期待とは裏腹に、山田の国会議員としての地位は危うかった。14年11月、衆院選への方針をめぐって内部対立の深まった「みんなの党」は解党を決定。
山田は新たに松田公太参議院議員が立ち上げた「日本を元気にする会」に参加する。党勢は、まったく芳しくなかった。結成から1年も経たない15年12月には国対委員長の井上義行が離脱。翌年に参院選を控えて所属議員は5人以下となり政党要件を喪失することとなった。
16年1月に「日本を元気にする会」は「維新の党」と統一会派を結成するも、すぐに解消。もはや、山田の議員生活も僅かで終わりなのだろうか。あるいは、どこかの党から出馬するのだろうか。そんな噂にもならない話ばかりがなされていた。
そんな最中の2月14日。山田は、秋葉原で開かれた支持者向けの集会の中で「表現自由を守る党」の立ち上げを宣言する。この団体の目的は、自身の支持者を可視化しようとする山田の新たな手段だった。
それまでも、山田は幾度かの集会を開いていたが、参加者は多くとも100人を超えることはなかったと記憶している。そうした中で立ち上げた、この党はメールを送るだけで登録できるサポーターを募った。
「表現の自由を守る」という趣旨に賛同していれば、いまだ山田が所属していた「日本を元気にする会」の政策に賛同していなくてもよいという、会費無料のバーチャル政治団体ともいうべきものだった。
この立ち上げは、ネットでは瞬時に話題になったものの、続々とサポーターが増えるというわけにはいかなかった。
1カ月あまりを経ても、メールでサポーター登録をしている人は1万5,000人程度であった。単にメールを送るだけでも、である。全国にいるであろうオタクの数に比べれば、あまりに少なかった。
集会では、集まったオタクからは「参院選で勝てるのか?」という不安に満ちた質問が飛んだ。この頃、山田は参院選に出馬するために様々な手段を模索していた。最良の手段は10人の候補者をかき集めて「日本を元気にする会」から出馬すること。
代表の松田が、政治への興味を失っている中で、それには現実味はまったくなかった。3月に開催された支持者向けの集会では「どこの政党と組むべきか」を、ストレートに参加者から意見を聞くまでしていた。
15年の参議院議員資産公開をみると、山田の資産は2,171万円。十分とはいえずとも、選挙活動にかかる費用を自分で賄える程度はある。
それでも、地盤も支持母体もない、無名の一議員を受け入れる政党は見当たらなかった。4月には著著『表現の自由の守り方』(星海社新書)を上梓していた。Amazonレビューでは、高評価の本になってはいたが、それも選挙にはまったくといってよいほど寄与していなかった。
8:2日で辞めた、おおさか維新の会
ようやく事態が動いたのは、ほぼ候補者が出揃った4月25日のことであった。山田は交渉の末に「おおさか維新の会」に入党し比例区から出馬することになったのである。
よもや出馬を断念せざるを得ないかもしれない。そんな観測もあった中で、これは支持者にとっては、待ちに待った吉報だった。
だが、話はすぐに暗転した。
このラインより上のエリアが無料で表示されます。
4月27日、突然、山田が比例区ではなく埼玉選挙区から出馬することが決まったことが報じられた。参院埼玉選挙区は、すでに定数3人対して自民、民進、公明、共産が名乗りを上げている選挙区。
ほかにも新たな候補者の出馬が噂されている激戦区であった。相当に厳しい、勝てる見込みのない選挙戦になるのではないか。その日の夜7時頃、私は、別件の取材を終えて選挙区へ移動した経緯を聞こうと、歩きながら、坂井の携帯に電話した。坂井はすぐに電話に出た。
「いやあ、埼玉じゃあ取材に行くには微妙に遠いね」
少し間を置いてから、か細い声が坂井が話し始めた。
「あの、今日これからニコ生なんで……」
「ああ、そうですね。まだ外なので見られないのですが」
「番組でいうまで、まだ黙っておいてほしいんですが……」
「はい?」
「……やめたんです」
「え?」
「維新から出るのやめたんです……」
「はあああ?」
絶妙なタイミングで、東武東上線が轟音を立てながら通り過ぎた。
その2日後だった。
以前から告知されていた「表現の自由を守る党党大会」が「ニコニコ超会議」で賑わう幕張メッセ近くの貸し会議室で催された。
「2020年の東京オリンピックまでは、表現の自由に懸念がある。議員を辞めるわけにはない」
必ず出馬する意志を示した山田は、30分あまりを費やして、懇切丁寧に、維新からの出馬を取りやめた理由を語った。それは、単純なことであった。
自分の主な支持者であるオタクが全国に散らばっているのだから、比例区で出馬したい。それが了承されたから入党したはずが、突如選挙区から出馬するように指示された。だから、取りやめただけだというのである。
努めて冷静に振る舞ってはいたが、表情にはどこか焦りがあった。そんな気持ちが、因果を繋いだのか。同時に行われるはずであったネット中継は機材トラブルで、半ばを過ぎるまで始めることができなかった。
山田の声を聞こうと集まっていた支持者は50人ほどいた。その顔は暗くはなかった。それが、どことなく異様な空気を増幅させていた。
冷静だったといえば聞こえはよい。でも、支持者たちは冷静なのではなかった。不安で身動きがとれなかったのだ。
これまで「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうという運動に姿を見せる有象無象のオタクと同じ。すなわち、自分たちの趣味嗜好を守ってくれる政治家に希望は託すけれども、個々が主体となって運動することは躊躇する。
だから誰も「馬鹿野郎」とも「どうするんだ」ともいうことができず。
ただ、呆然として凍り付いているしかなかったのである。そして、これからの予定についても、触れることすらできないまま「党大会」は、ぼんやりと終わった。
閉会した途端に、参加者たちが、言葉を発することもなく、そそくさと会場を後にしていく姿だけが印象に残った。
目論見が外れた株主のように、声を荒げて文句もいわず、いまだほかに頼る術のない以上、山田に手厚い視線を注ぐしかない。そんなオタクたちの姿を生で、そしてネットのリサーチで見て、山田は決意を固めたのだろう。もう、後にはひけない。どうにかして出馬しなくては、と。
9:明日がわからない人生
ゴールデンウィークが明けて5月13日に、参議院議員会館の山田の事務所を訪問した。不安げな雰囲気のあった「党大会」の時とは打って変わって、山田は泰然自若としていた。
「もう、出馬しても目はないんじゃないですか」
「そんなことはありません。2010年に出馬した時も、この時期にはまだ出馬表明すらしていなかったんですから。出馬するための秘策はちゃんと準備していますよ」
「お金は大丈夫なのですか?」
「会社を経営していたときの蓄えはあります。何より、前回の選挙でみんなの党から出馬したときも費用はすべて自費で賄わなくちゃならなかったのですから。供託金や事務所費用などで2,000万円ほど使いました。今回も、同じくらいだと思っています」
お金の話になると、山田は自信ありげな雰囲気を醸し出した。きっと、どこかの政党の名簿に加えてもらうことで話は決まりつつあるのだろうと思った。
「で、どこから出馬するんですか?」
「5月末までには、みなさんにお知らせすることができると思いますよ」
自信はたっぷり。でも、当選する保証などどこにもない。この時期から出馬表明をして当選する目があるとしたら、大きな政党に加わり、比例代表の名簿上位に名前を入れてもらうことくらい。
とても、そんなことが可能とは思えなかった。だから、山田の姿は空元気なのではないかとも疑った。そこで、こんな質問をぶつけてみた。
「なかなか不安定な状況が続いていますけど、家族はどう思っています?」
「経営者だったときには、明日どうしようかということもありました。今日の生活が明日も同じではないのが当たり前の人生でしたから、まったく気にされてませんよ」
山田は少し苦笑していた。そこには、蓄えを削って博打を打つ。鉄火場のような刺激に身を震わしている感覚があった。
6月7日になって、坂井からいよいよ出馬の発表をすると連絡が来た。
「で、どこから出馬するんです?」
「それは、当日まで内緒ということで」
8日の朝、山田の事務所を訪ねた。通行証をもらい、地下通路を通って国会の中へ。赤い絨毯が敷かれた薄暗い国会の廊下。連なる扉のひとつに案内された。記者会見のためにセットされた部屋。その壁には政党名が書かれていた。
新党改革
「あれ、こんな政党まだあったんだっけ……」
なんともいえぬ気持ちで、愛想笑いをするしかなくなってしまった。
負け戦は覚悟の上。運よく勝ちを拾うことができれば御の字。山田は、本当に博打をいっているのだと思った。自民党や民主党を離脱した議員の寄り合い所帯として誕生した少数政党。紆余曲折を経て代表となった荒井広幸は、安倍晋三の応援団を自他共に認める人物。
早い話、所属先を失った議員がかりそめに身を置く場として以上の存在理由がない政党。自民党から、新党日本、改革クラブと時勢におもねって政党を渡り歩いてきた、代表の荒井。この参院選で続投は危うかった。起死回生の手段として女優の高樹沙耶を候補者と擁立してはいたが、幾ばくか注目を集めていた程度だった。
大抵の有権者にとっては名も知らぬ政党。むしろ、批判に晒されていた舛添要一都知事(当時)が代表をやっていた政党として、聞こえは極めて悪かった。
「私を支持してくれる有権者との約束の中で、ぜひ全国で活動をという意志を、理解し受け止めてくれたのが新党改革。ですので、私自身、新党改革から出ざるを得ない……出していただいたわけです」
あくまで名簿に加えてもらうだけで、新党改革のメンバーとなるわけではないという、奇妙な構造。とにかく、いかなる手段を用いてでも比例区で出馬をしなくてはならない。そんな意志を貫いた結果が、この選択であることは明らかだった。運よく当選できるのは、名簿に記載された10人のうち一人くらいだろう。ならば、オタク票を集めて名簿に加えてくれた荒井を押しのけて当選してやろうじゃないか。そんな意志もちらついていた。
慌ただしく始まった選挙戦。以前から話していた通り、選挙事務所として借りたのは秋葉原。末広町駅近くにある雑居ビルの1階だった。国会を出た後、すぐに教えられた住所を尋ねた。サッシの引き戸を開けると、がらんとしたフロアの中で坂井が一人で、床にあぐらをかいてパソコンを弄っていた。今や、オタクの街として知られる秋葉原。それだけでなく、交通の便のよさもあってかオフィスの賃料というのは軒並み高い。
「家賃、高そうですね」
「うん、短期で借りたから余計にさあ」
そう話すうちに、レンタル業者の4トントラックがやってきて、オフィス用のデスクや棚を運び込んだ。瞬く間に、事務所としての体裁は整った。
翌日から事務所は、本格的に動き始めていた。博打とはいえ、山田は手堅い票を固めようと、めまぐるしく飛び回っていた。事務所のホワイトボードの行動予定の欄には、様々な企業の社長の名前が記されていた。
企業経営で成功し、様々な講演にも呼ばれる山田。ゆえに製造業の世界では「山田のファン」という人々がいるのだ。そうした業界の票を固めた上で、海とものとも山のものともつかないオタク票を積み上げていく。そんなことを考えている風に見えた。
山田が出かける一方で、事務所には来客もひっきりなしだった。
「表現の人たちは、家から出ないんじゃあないでしょうか」
「そんなことは、ありませんよ」
ある製造業関係の来客の正直な言葉。同席していたスタッフが、山田よりも先に打ち消す言葉を口にした。その声は、山田に比べるとどこか自信なさげに聞こえた。
どれだけ票を固めることができるのか。まず、正攻法の部分に山田は心を砕いていた。日中は、自分で車を運転して事務所にやってきて、方々を挨拶に飛び回る。夜は事務所に戻ってきて毎日ニコ生というスケジュール。選挙というお祭りムードと緊張感が独特の空気をつくりだしていたものの、不安は尽きなかった。
今は都民ファーストの会の旗振り役となった、都議の音喜多駿がニコ生のゲストとしてやってきた時のこと。放送を終えてから、今ではよく知られるようになった、政治家とは思えない軽いノリで音喜多が話し始めた。
「荒井さんが落ちて、当選しちゃうんじゃないの~」
笑い話のつもりで話しかけたのだろうが、存外に山田の反応は鈍かった。
「7万票かなあ……改革で120万票は欲しいなあ……あの障害者団体が5,000票あって……」
会社の会議で、売上見込みを話し合っているような口調で山田は話した。そして、ハッと気づいて話題を変えた。
意を決して立つというには、あまりにも紆余曲折がありすぎた。触れるものが、すべて燃え出すような熱気を帯びるには、時間が足りなかった。
10:「そんなもんをメモして、どうするの?」
6月19日に開かれた事務所開きに集まった支持者は40人ほどだった。事務所に一歩足を踏み入れると、それまで体験した選挙事務所とは、まったく違う空気感が流れていた。
カルチャースクールのようなものといえばいいだろうか。それまでも、山田の開く集会に来る人々の中にあった、山田の取り組む「マンガ・アニメの表現の自由」の活動を聞くことで、自身の抱えている不安を埋めたいという気持ちが混ざり合った色。
それと同じような色が、集まった人々を包み、シンボルカラーのマンダリン・オレンジ……スタッフの着ているポロシャツの色と混じり、あたりを鈍色に塗りつぶしていた。
正直なところ、私はこれは取材に値するのだろうかと自問自答した。事務所開きの冒頭で、選挙スタッフの紹介があった。一人一人、名前を呼ばれて自己紹介をしていく。
これから密に取材をしていくならば、毎日顔を合わせることになる顔ぶれである。遊説隊長は、稲葉玲子……運転手は小池……うぐいすは、熊谷に大島……大島は眼鏡。ネット担当は鈴木……。それぞれ、名前と特徴とをノートに書き留めていると、隣に立っていたオタク向け同人誌の書き手が、不思議そうな顔をして声をかけてきた。
「そんなもんをメモして、どうするの?」
ギョッとして、その男のほうを見ると、私が必死にメモを取っている意味が、本当に理解できないようであった。「はあ」としか言葉を返すことができなかった。これから取材をしていくのだから、それぞれの人の名前を覚えておくのは当然のこと。それは、取材云々以前のマナーだと思っていた。
確かに山田にインタビューをして、そこで話された言葉を、話し言葉から書き言葉へと収録すれば記事は出来上がる。誰が書いてもかまわない凡庸なモノが。単に山田の話したことを垂れ流すだけの提灯記事。
それを嬉々として垂れ流す御用ライター。これまで山田が取材を受けているいくつもの記事を見て、なぜ、みんな決まりきったことを聞き、テープ起こしを整理しただけの文章を記事として公開していくのか。そんな作業に疑問を抱かないのか。
でも、この人たちは本当に、そんな「作業」の繰り返しに疑いを抱かない根っからの御用ライター。それで「業界」の中に、自分の立ち位置をつくって満足をしたいのだ。
そんなものを見てしまった結果、熱心に取材をしてやろうという気が沸いてきた。支持者のみならず、取材といえば、そんな媒体が寄ってくるばかりの山田はどのような広報戦略を用い、限られた時間の中で支援を広げていくのだろうか。
もしかすると、どこかの瞬間で、突然人の心が熱く燃え上がるのではないかと。それを見たいと思った。
事務所を取り巻く冷たい空気は、容易には変わりそうにもなかった。事務所に支持者が続々と駆けつけていた。圧倒的に人手が足らないことを、山田はTwitterで繰り返し告知していた。ネットを通じて、山田は自身の政策を拡散し、家族から有権者まで投票を呼びかけることを、支持者に求めていた。
そんな、家で寝転がって手軽にできることばかりではない。選挙活動に欠かせない選挙葉書の宛名書きと選挙運動用ビラの証紙貼りという重大な仕事があった。比例区の場合、選挙葉書は15万枚、ビラは25万枚。いずれも選挙が始まってから作業はスタートする。
とりわけ、証紙貼りはすべてが手作業。だから、事務所によっては選挙期間中、ずっとボランティアによる証紙貼りの仕事が続くことになるという。そのために、山田は少しの時間でも事務所に来て証紙貼りを手伝って欲しいという呼びかけを繰り返していた。
11:黙々と作業だけをするボランティアたち
いったい、どれだけのボランティアが集まるのだろうか。
選挙戦の始まった6月22日。山田事務所を訪れると。既に大勢の人が集まっていた。そのほとんどが「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうと訴える山田の主張に期待するオタクたちだった。
多いときで30人あまりがいただろうか。ほぼ正方形の事務所のスペースは、その半分くらいをパーテーションで区切り、入口に近い方に長机や椅子が並べられている。
一面は、山田が選挙中は毎日やると宣言していたニコ生のためのスペース。そのスペースを埋め尽くして、大勢の男女が黙々と証紙貼りをしていた。みんな、しゃべることもなく押し黙って作業をしている。
集まっているのは、明らかにオタクばかり。いわば同じ目的を持つ「同志」であるはずなのに、会話をする者は少なく、ただ作業だけが続いていた。ここに来ているのはどういう人たちなのだろう。取材者の目線では、傍観者に寄りすぎて話をしにくいと思って作業に混じった。
証紙を貼りながら、最近のアニメの話題などもしてみたが「ああ」とか「ええ」とかはいうものの、私のほうが作業をサボっている人みたいな目で見られた。
作業が始まって何日目だったろう。隣で作業をしていた若い男性とこんな話をした。
「今日で何日目?」
「今日で2日目ですね」
「この作業は楽しい?」
「うーん、今日来て楽しくなかったら、もう来ないつもりで来たんですけど……」
「どうするの?」
「……微妙ですね」
とにかく膨大な数の証紙を貼らねばならない。その作業に誰もが忙殺されすぎているようだった。ボランティアを監督しているのは、スタッフの今野をはじめ数人。特に自己紹介もなく「こんにちは、手伝います!」と次々とやってくるボランティアの相手に必死のようだった。
さすがに、気になって今野に「指示している人の名前もわからないと、ボランティアの人も戸惑いますよ」といったところ「ああ、そうですね」と、ホワイトボードに名前を書き始めた。
対照的なのが選挙カーで、秋葉原中をめぐる運動員たちだった。揃いのオレンジのユニフォームに身を包んだ運動員たちは、いつも和気藹々としていた。選挙戦最終日は、連れだって飲みに行き、深夜までカラオケを楽しんだというから、一体感は本物だったと思う。
その中でもムードメーカーになっているのは、力強いウグイスが印象的な稲葉であった。
これまでも、いくつもの選挙戦を手伝ってきたという稲葉は、ほかの候補者陣営からも誘いがあった中で、山田の事務所を選んだ。「この事務所は、面白い」何しろ、選挙戦だというのに、回るのはほぼ秋葉原だけ。
その特異な選挙戦を心底楽しんでいるようだった。事務所で休憩中に、若い運動員に「ちょっと肩を揉んでよ」とやるくらいの様子からも、短期間に気心の知れた関係へと持ち込んでいた。
選挙戦最終日に、こんなことがあった。その日、自民党は秋葉原駅頭で安倍晋三首相が来て演説し、選挙戦を締めくくることを告知していた。そのためだろうか、ベルサール秋葉原前で演説する山田の様子を見ていても、早くから街のあちこちを私服の公安警察がウロウロとしていた。
夜、事務所に戻ってから、運動員たちがお茶を飲みながら雑談している輪に入った。ふと、私があちこちに公安警察がいた話を口にすると、今野は「そうですねえ」と、首を縦に振った。ふと、稲葉にこういわれた。
「昼間さん、よく知ってますね」
「いや、私もデモで逮捕されるくらいまでは、やってましたから……」
「うわあ、この事務所、砂がついている人が多いなあ」
そんな、自虐の混じった物言いで笑い話になる大らかさが、運動員の間にはあった。
懐の深い紐帯を得て楽しげに運動をしているスタッフに対して、ボランティアとして集まった支持者たちは悲壮感と孤独を抱えているように見えた。
12:ネタ消費された襲撃事件
熱心さと共に、身に纏っているどこか暗い雰囲気。本当に、こんな支持者ばかりで大丈夫なのだろうかと思った。取材している私には、何か薄気味悪いものがまとわりついてくるのを感じていた。
その多数のボランティアたちも、早々と証紙貼りが終わった途端に、事務所に集まることはなくなった。たまに、何がしかの差し入れを持って激励に来る人があるだけ。
支持者が集まるのは、夜になって事務所から生中継されるニコ生の時間だけ。それも、山田の話を生で聞くのが目的で、集まった人同士で交流する風景は、ほとんど見られなかった。
本当に、こんな支持者ばかりで山田はどう思っているのだろうか。私は取材を重ねるごとに、何か悪いモノに憑依されたかのように不安になっていった。
一段と不安になる出来事があったのは選挙戦の後半だった。選挙戦も残りわずかになった7月3日の夕方、山田は秋葉原駅のラジオ会館近くに陣取り、演説をしていた。そこに、フラフラと歩く見るからに危なそうな雰囲気の男が現れた。
「山田うるせえ、ふざけるな」などと叫びながら周囲を徘徊する男。暑さのせいなのか酒でも飲んでるのか。とにかく関わり合いになってはいけないと思い、周囲で演説を聴いていた人も、その男から距離を取っていた。
間が悪いことに、日暮れ時で、その姿が選挙カーの上にいる山田からははっきり見えなかったのだろうか。「ふざけるな」などと、明らかに危険な雰囲気で叫ぶ男に、山田はマイクを通して「何が、ふざけるなだ!」と怒鳴った。様子を見ていた人々には緊張が走った。
だが、何度かボランティアに来ていた若い男性だけが、写真撮影に熱中していたのか、様子に気づいていなかった。「ああ、やばい……」と、思ったが遅かった。その男性に、フラフラと近寄った男は、手にしていた鉄扇で後ろから、こめかみのあたりを小突いたのである。
痛みを感じて、男性は突かれたところに手を当てた。すぐに駆け寄ったが、大事ではなさそうである。すぐに、まだフラフラと歩いている男から距離を取った。あからさまな暴力に、目撃した人は血の気が引いていたが、山田は演説を止めることはなかった。
そのまま数分が経過した。まだ、男はフラフラと選挙カーの周りをうろついていた。選挙カーの傍らにいた稲葉に聞くと「警察を呼んだのに、まだ来ない。警察が遅い!」という。稲葉の素早さに、尊敬の念を抱きつつ、ほかに人もいなそうだったので、私が近くの万世橋署まで走った。警察署前では、若い警察官が一人、暇そうに立哨していた。
「ちょっと、通報あったでしょ?」
「ああ、駅前の? 今、向かってますよ」
「いや、もう5分は経ってるでしょ」
「ですから、向かわせてますから。今、担当の者が、行きますよ~」
「だから、来てないって」
「あ、今、現着したと無線で~」
出前の遅い蕎麦屋のような問答に呆れて、駅前に戻ると、ようやく1人2人と駆けつけた警察官が、男を確保しようとしていた。
身柄を確保された男がパトカーで連行され、居合わせた人々は安堵していた。すぐにTwitterでは、この椿事が話題になっていた。山田が秋葉原で演説中に暴漢に襲撃されたとして。暴漢や襲撃というひとつひとつの言葉の力が、冷静さを失わせていた。
演説が終わり、ニコ生の時間まで事務所で待っている支持者たちの間には、奇妙な熱気が漂っていた。
その日のうだるような暑さは、間違いなく人の思考力を奪っていた。停滞気味の打開策のない選挙戦。支持者たちは、揺らぐ気持ちを隠すためにも、何かワーッと声を挙げたい気持ちになっていた。それが、事件のイメージをどんどん肥大化させていたのだ。
山田がニコ生を始める時間になってからも、異様な空気は止まらなかった。どこにも冷静さはなかった。ふと、Twitterを見てみると、荻野のツイートがものすごい勢いでリツイートされていた。
秋葉原駅前で演説中の山田太郎参院議員が、金属製の棒のようなものを持った不審人物に襲撃されました。警察が出動し、演説は再開された模様です。
その文章に添えられたのは、パトカーの写真。それは、その場に居合わせなかった人の想像力を、過剰にかき立てているようだった。増えていくリツイートの数は、その場に居合わせた者たちに、どんどん悪い熱を吹き込んでいた。
「ちょっと、やり過ぎじゃあないの?」
「いや、だってウソは書いてないよ」
その荻野の言葉で、私は急速に熱が冷めた。みんな、暑いからといってやり過ぎじゃないのか。私は事務所を出て、近所にある大丸ピーコックに走った。カゴを手に取り、壁沿いにあるアイスクリームの棚へ。
事務所には、何人いただろうか。数えてなかったけど、まあ構わない。事務所には冷蔵庫もあるのだから。そう思って、カゴにキンキンに冷えたかき氷系のアイスを手当たり次第に放り込んだ。
重いレジ袋を抱えて、事務所にとって返すと、カメラを前にしゃべり続ける山田の姿を眺めている一人ひとりに、それを配って歩いた。「ありがとうございます」「いただきます」と、大抵の人はいう。
でも、中に無言で受け取る人がいたのが気になった。別に、賞讃を受けたくて買ってきたわけではないが、最低限の言葉も発することができない、育ちを疑われるような人が、どうして政治や社会にコミットメントすることができるのだろうかと考えた。
ふと、しゃべり続けている山田のほうを見ると、放送中にもかかわらず、
「いいなあ、みんなアイス食べて」
と、うらめしそうな顔でいった。
支持者たちの所作に、山田の心中はいかなるものだったろうか。
13:興奮のない奇妙な選挙事務所
事務所にいる時、山田はパーテーションの奥でスタッフにあれこれと指示を与えたりしていて、あまり姿を見せることはなかった。奥から姿を現すのはニコ生の時間。放送が終わり支持者たちが帰る時間になると、一人ひとりに握手をしてお礼の言葉を述べる。
けれども、支持者たちに直接何かを指示したり、同席するようなことは、まったくなかった。社長の自分がいて、中間管理職のようなスタッフ、そして、指示されて動くボランティアたち。
どこか殺伐とした工場のような空気を感じた。でも、効率はよかっただろう。山田にとって重要なのは、ネットを通じて自分の主張を、より多くの人に届けてもらうことだった。
だから、証紙貼りや宛名書きのような仕事を除けば、支持者には事務所に集ってもらう必要がなかった。それよりは、スマホやパソコンを使って、山田の主張を広く呼びかけること。時間に余裕があれば、予め告知されている街頭演説の時間に集まってもらうことが重要だった。
通例、選挙というものは、今後数年間の政治生命のかかったお祭りのようなものである。だから候補者の事務所というものは、朝から晩まで異様な熱気が漂っているものだ。真偽はわからぬが、毎日、興奮冷めやらぬ男女が乱行に走る事務所もあるという。
そこまでいかずとも、祝祭的な興奮がない点で、山田の選挙戦は異質だった。一連の作業が終わった後、日中に事務所を訪ねると、中には静けさが漂っていた。
そんな新しい選挙戦の手法を用いながらも、山田には何か絶対的な自信があるわけではなかった。自分の財布から、少なくない金額をつぎ込んでいる。秋葉原にこだわって借りた事務所も、短期故に足元を見られたのか、かなり高額。選挙カーや何やら、とにかくお金は出ていくばかりである。
そして、たとえTwitterなどで「応援します」などといわれたところで、実際に投票してくれる数は未知数。何より、どこか頼りない支持者の無言の声は、より強く感じていたはずだ。スキャンダルで名が挙がっていた舛添が代表を務めていた政党。
野党の皮をかぶった安倍の応援団。美人女優改め、妙なエコロジー生活や、大麻解放などの主張で、すっかり怪しげな人になった高樹沙耶も同じ名簿で立候補している等々、ネガティブな要素は無数。本当に山田は当選できるのか。
そもそも、当選できもしないのに、なんで、こんなに頑張っているのか。早々と、沈みゆく船から逃げたしたり、保険をかける動きを、山田が見ていないはずもなかった。
14:ニコ生ゲストたちの白々しさ
選挙戦中盤の6月30日、別件の取材を終え夜の街を歩いていると、ある大手同人誌即売会の幹部から着信があった。
「なあ、赤松健のTwitterを見たか?」
赤松健は、『ラブひな』などで知られる売れっ子のマンガ家だ。その知名度を生かして「マンガ・アニメの表現の自由」のみならず、著作権をめぐる問題など、方々に識者として顔を出し、与野党とも密接な関係をつくっている人物であった。
ちょうど、その夜は山田のニコ生に、赤松がゲストとして呼ばれると聞いていた。電話しながら、Twitterを見てみると、その日赤松は、こんなツイートをしていた。
【参院選】私はこれといった支持政党がありません。そこで、漫画やアニメを表現規制から守るために便宜を図って下さった先生方を、政党の区別無く応援しています。
自民党にもコネクションを持っている赤松は、山田のニコ生に出演するにあたって、まず逃げ道をつくっていた。それと同時に「マンガ・アニメの表現の自由」を守ろうと主張するオタクたちの心象を的確に表現している文章に見えた。
別に、山田でなくてもよい。以前から、見え隠れしていたものが、噴き出しているのを感じた。……自分たちの読んで楽しんでいるマンガやアニメの表現の自由を守ってくれさえすればよいのだ。
オタクに限らず、何か現状を守りたいとか、メンテナンスしたいと考えて運動に参加したり、政治家を支援している人々が、素朴に持ち得るズルさ……。自分たちの目標なり、利益が達成されるのがすべてであり、ほかの課題はどうなろうとも構わない。そんな、ごく当たり前に存在する偏狭な心情は、選挙戦の最中にどんどんと噴き上がり、もう山田では当選の見込みもないから、タイミングを見計らって、見切りをつけようというものに変わろうとしていたのだ。
「なんで、いっせいに守りに入っているんでしょうね」
電話の向こうの相手に、そんな疑問をぶつけられた。帰宅してから、後追いで赤松の出演するニコ生を観た。
「大活躍でしたね」
「こういう便利な人がいなくなると困るんですよ」
「今、好き勝手描けてるのはいろんな人の努力があった。特にこの人とか」
自身がオビの推薦文を書いた山田の著書『「表現の自由」の守り方』を示しながら、赤松は熱弁を振るって山田を持ち上げていた。本のオビにはこう書かれていた。
君は知っているか? コミケを救った英雄を。
山田と坂井に挟まれて、真ん中に座っている赤松は、どこか落ち着きがなかった。しゃべっている言葉も、お仕着せのものばかりで、上すべりしているように聞こえた。隣に座る山田との間には、見えない壁のようなものがあった。
いつもは、悠然としているはずの山田のほうが、やけに気を使っている瞬間が何度もあった。選挙戦半ばにして、山田では、まったくダメだという風潮が出てきていた。
とりわけTwitterなどでは、率直で口汚い山田を批判する言葉も増えていた。山田は経営者の才覚ゆえか、そうした「ネガティブキャンペーン」を逆手にとって、危機感を煽り支持を訴えていた。
でも、それはあくまで手段。わずかな望みを掛けて、必死に選挙を戦っている中で、早々と手のひらを返したかのように、批判の言葉を連ねる人々に冷静でいられるはずもなかった。
そんな最中に、掲げる旗を、旗色のよいほうに変えることを公言しているような人物が隣に座って、お追従をまくしたてている。どんなに冷静で頭脳明晰な人物であっても、それで平常心を保てというほうが、無理な話である。後日、坂井に率直に番組の感想を述べてみた。
「赤松さん、山田さんを応援するといっている割には何もやっていないじゃないですか。Twitterにも書かないし、今後のことは自民党に賭けているんじゃあないですか?」
「え、え……、えーっと……超ノリノリでしたよ」
坂井は少し焦ったように答えた。このニコ生の翌日あたりから、ガクンと山田は疲労感を増した姿を見せるようになった。一般的な候補者と違い、朝から晩まで選挙区を声を張り上げて回るわけではない。それでも、山田は極度に疲労して、時折、不機嫌な顔を見せるようになっていた。
15:早朝からエゴサーチを繰り返して
「最近、朝は4時か5時に目が覚めてしまい、エゴサーチをしてしまうんです……」
早朝から目を覚まして、布団にもぐったままスマホを手にしている山田の姿が目に浮かんだ。
それは、こういう光景だ……。
スマホのTwitterアプリを起動する。通知欄には、リツイートされた数やリプライが表示される。そこには、応援の言葉もあれば自分勝手な意見や非難の言葉も同列に表示される。応援の言葉は、もう心に響かない。
例え100の応援の言葉があっても、ひとつやふたつの批判の言葉に、ついつい心が揺らいでしまうのだ。なんて、愚かなヤツなのだろう……人の意見をちゃんと聞け……と思いながらも、ついつい、どこの誰ともわからぬ愚か者のアイコンをクリックして、いったい何者なのだと、プロフィール欄をチェックしてしまう。
そのアカウントをフォローしている、共通の知り合いのユーザーなんかがいたりすれば、余計に心がざわめく。
なんらかの繋がりのあるかも知れない相手を、なぜ理解しようともせずに非難することができるのか。消化できない気持ちが募り、幾度も画面を指でスワイプして無駄な時間を過ごしてしまう。
検索欄で自分の名前を検索すれば、また繰り返しだ。賞讃と非難とが渾然一体となって表示される。
自分のことを取り上げてくれたネットメディアが、記事のリンクを掲載しているツイートも目にする。リツイートの数は昨日よりも増えているだろうか。
嬉しい言葉をツイートしてくれる人の数に比べて、まだまだ期日前投票に行ったというツイートの数は少ない。本当に、みんな投票日には自分の名前を書いてくれるのだろうか。
そう、比例区は、政党名ではなく山田太郎と名前を書いてくれなくては、自分の得票にはならない。何度も何度も、そのことを告知している。それを、リツイートしたり自分の言葉でツイートしてくれている人もいる。
ニコ生でも繰り返しし呼びかけている。それでも、いざ投票する時に「新党改革」と書いてしまう人もいるのではなかろうか。もっと……もっと告知をしなければ不安だ。
画面をスワイプする指が止まらない。できる限りの手は打っている。だったら、今から出来ることはなんだろうか。演説で何を話せばよいのか。話したいことはいくらでもある。いつも、ニコ生でゲストがいても自分がしゃべりすぎだとか指摘される。
実にその通り。自分がしゃべりすぎてるのはわかっているのだけれど、話したいこと、訴えたいことは山のようにあるのだ。
考えれば考えるほど、もっと訴えたいことが、ゴウゴウと音を立てて湧き出してくる。けれども、限られたニコ生の時間でそれを説明するのは困難である。専門家とか事情通に訴えるのではなく、まったく自分の掲げているテーマに関心のない人にも伝わるように、言葉を選んで訴えなくてはいけない。
そのためには、どうしても言葉は冗長になるし、時間はまったく足りない。すっかりと眼は覚めてしまい、ついほかの候補者のTwitterもチェックしているうちに、初夏の東の空は白々と輝き初めていく……。
16:「明日、日本のマンガ・アニメ・ゲームがどうなるか決まるんですよ!」
深夜に帰宅しても、夜明け前には目が覚めてしまう日々。演説とニコ生の疲れを過食で慰める。抜けきれない疲労を抱えれば抱えるほど、山田の演説は、今までと違う切れ味を見せるようになっていた。
次第に、近寄るすべてをたたき切る。迷いのない暗剣のような危なさのある切れ味を見せるようになっていた。
こうして迎えた7月9日、選挙戦の最終日。朝から小雨が降っていた。
午前9時過ぎ、まだ店も開いていない、人通りの少ない秋葉原の街を抜けて事務所に向かうと、今野が一人で椅子を並べていた。その日は、朝から夜までぶっ通して街頭演説をやると告知されていたので、どうしたのかと聞いた。すると、今野は天気が悪いので、ここでやることにして、選挙カーだけに回ってもらっているところだと、いった。
なるほどと椅子に座って待っていると、山田がやってきた。
入って来るなり、山田は不機嫌そうな顔になった。
「これはどうしたの?」
「天気も悪いから、ここでやることにして……」
今野も山田の不機嫌そうな顔を見て、何かを感じ取って、顔をこわばらせた。
「意味ないじゃん」
ふうっと、ため息をついて山田は、どさっと椅子に腰掛けた。足を投げ出すようにして座り、いっそう不機嫌そうな顔をした。
「ここでやっても、意味ないじゃん。ネットでやるの? やらないんなら、なんも意味ないじゃん」
「じゃあ、すぐに呼び戻して……」
やっちまったなという顔をして、今野はすぐに携帯電話で、選挙カーに変更を告げた。
小雨のパラつく中で、選挙戦最終日の演説が始まった。しばらく不機嫌そうな顔をしていた山田は、選挙カーの上に昇り、マイクを手にした途端、パッと表情を切り替えた。
「アニメイトに来ているみなさーん」
こうして始まった最終日の第一声。選挙カーを乗り付けたのは、ヴェルサール秋葉原の前。そこで、雨をしのぎながら山田の様子をずっと見ていた。朝から、演説に駆けつける者の姿は少なかった。ヴェルサール秋葉原の屋根の下には、グッズの交換会をやっている女性たちのグループがいくつもあった。
「××さんですか? DMしたものですけど……」
「あ、○○さんですね。こんにちは」
ネットで知り合った、知らぬ者同士が互いに余剰のグッズを交換して、ほくほく顔をしている。そんな彼女らには、山田の演説は届いていないようだった。
目の前にある見えない壁。打ち砕こうとしても、容易には壊れない壁。それが、山田の演説をいっそう尖ったものへと変貌させていた。残された数時間で、壁を打ち砕く勢いで。
「明日、日本のマンガ・アニメ・ゲームがどうなるか決まるんですよ!」
「明日、日本のマンガ・アニメ・ゲーム・二次創作が散ってしまうのか。まだ、時間はあります! 拡散してください!」
瞬く間に山田の演説は絶叫に変わっていた。
「ここでやめるわけには、いかないんです!」
気がつくと、山田は、最初は雨を避けるためにさしていた傘をかなぐり捨てて絶叫していた。山田は幾度となく「ここでやめるわけには、いかないんです!」と、繰り返した。
「オタクのパワーを見せてやろう。なんとしても戦わなくてはならない、このタイミングを失えば次はない。私はぁッ! のうのうと議員の仕事をするつもりはないッ!!」
昼過ぎになると、雨はすっかり止んでいた。それと共に、次第に山田の演説を聞くためにやってくる人の姿は増えてきた。日没が近くなると、その数はさらに膨れあがり300人を越そうとしていた。
山田が道路を挟んで背にしていた、ソフマップモバイル館にはアニメ『甲鉄城のカバネリ』の壁広告があった。そこには、こんなキャッチコピーが記されていた。
貫け、鋼の心を
山田は、何か偶然を超越した引きの強さを持っているのではないか。もしかしたら、山田は、危うい勝ちを拾って当選へと至るのではないかと思った。
夕ぐれと共に輝く街の灯。オレンジがかった光に照らされる聴衆。刻々と迫ってくる選挙戦の終了時間。
それと共に、山田はいつもの冷静さをかなぐり捨てて、右手を振り声を枯らした。少し離れた、秋葉原駅前の広場であ、自民党が安倍首相を迎えて大勢を集めていた。聞こえてくる、その音が山田の剣をさらに鋭くした。
「なんとしても戦わなければなりませんっ!! このタイミングを失えば次はない。オリンピックまでに浄化されたら、お終いなんだよよぉおお!!」
「マンガ・アニメ・ゲームを今までどおり楽しめる秋葉原をおおおお!」
いつもは早口ながら、あくまで理屈で責めるのが山田の話法である。けれども、この時ばかりは、山田には理屈も何もなかった。ただひたすらに、聴衆の感情に訴えかけるように叫び続けていた。
まず自分の成果を提示して「私だからこそできた」と、ビジネスマンならではの「自分売り」を欠かさない話法はどこにもなかった。
乱暴で、荒削りで、感情をむき出しにして、山田は何かに取り憑かれたかのように叫んでいた。その荒削りな魂の叫び。危機感を煽るデマゴーグのような絶叫。その姿は、おおよそ、普段の山田ならば、よしとしないであろうものであった。
こんな煽り立てるような演説は、やり過ぎではないのだろうかと思った。けれども、聴衆のほうを見ると、誰も山田の話を疑ったりすることなく、じっと耳を傾けていた。
ビジネスでいえば、投資というよりは投機のような出馬。多くのオタクから支持を受けるかと思えば、ネットでエゴサーチすれば、ついついネガティブな意見ばかりが眼についてしまう。集まるオタクたちも、作業には熱心だが熱量は低い。あちこちに、自分に見切りを付けようとしている人たちもいる。
そんなものに対する、ぐちゃぐちゃな悔しさの気持ちが、祭りの最終日になってドッと噴き出しているように見えた。
午後8時。選挙戦は終わった。長時間、演説を続けた疲労を自覚しているのだろう。選挙カーのハシゴを、山田は注意深く一段一段降りた。ふうっと、息をして俯いた山田だが、まだ安堵の表情は見せていなかった。
運動員たちは、選挙カーに積まれていた選挙用ポスターの入った段ボールを取り出すと、聴衆の中に入り配り始めた。山田も、すぐにそこに加わった。
「持ってって、持ってって~」
両手に、余ったポスターを抱えて、山田はポスターを配っていた。そして、今までになく力をこめて右手を振って「ありがとう」の言葉を繰り返した。幾度も拍手と歓声が起こった。次第に山田の顔は、一つの大きな仕事を終えた安堵と疲労とを見せていった。
17:開票速報のどうしようもない時間
日がかわって、開票日。きっと徹夜の取材になるだろうと思い、台所に立っておにぎらずをつくった。ふと、途中で思いついて、もう一度米を5合炊いて、どっさりをつくることにした。
午後6時過ぎ、事務所にいってみると、まだ静まりかえっていた。選挙速報を見ながら行う予定のニコ生に、大勢の人が集まるだろうと椅子が並べられていた。
早々とコンセントのに近い席を押さえてから、近くにあるセガフレードで、ルンゴにホイップクリームと、ショットでグラッパ。煙草を3本ほど飲んで事務所に戻った。なかなか、人が集まっては来なかった。
午後7時頃になって、ようやくちらほらと人がやってきた。山田はパーテーションの奥で、身体を休めていた。前夜、打ち上げをした運動員たちも疲れた表情で椅子に腰掛けていた。まだ、安堵はまったくなかった。
テレビ局各社が一斉に選挙特番を始める午後8時。山田のニコ生はスタートした。まだ客席には20人ほどが集まっているだけだった。選挙特番開始早々の話題は、自公の過半数獲得。そして、各選挙区の行方であった。
各地の開票は、まず選挙区から行われる。比例区の開票が始まるのは、そのあと。おそらくは日が変わる頃になってからだろうとされていた。時間はたっぷりあった。
山田は、自分から積極的にしゃべるでもなく、ニコ生のコメント欄に寄せられた言葉に返答をしていた。事務所には、まったく緊張感はなく、むしろだらけていた。結果が海の物とも山の物ともつかない中で、どのような緊張感を持てばよいのか、誰もわからなかった。
ただ、山田は刹那に不安げな顔をしていた。運動員も、次第に集まってきた支持者も、ずっとこのような時間を過ごさなければならないのかと気づき、どこか焦点の定まらない眼をしていた。
ニコ生の画面に、次から次へと流れていく、意味のないコメントや質問を拾っては、山田は、言葉を紡いでいた。気持ちは入っておらず、ただ反射的に答えを返しているだけで、うわの空だった。隣に司会役として座っている坂井の言葉も耳を素通りしていた。
山田の頭の中では、様々な想いが、ぐるぐると巡っていた……。
大勢の人々の信頼を裏切らないために、半ば意地で出た選挙戦。それは、ビジネスマンの立場からいえば、まったくの失敗であった。損切りをするタイミングも失い、これまでの経営で蓄えた貯金の大部分を放出した。生活に困らない額が残っているとはいえ、一生暮らせるほどの額ではない。
また、実業の世界へと戻って、どのように生きていこうか。いやいや、落選した自分に世間は、どのような眼を向けるのだろうか。みんな「残念でしたね」「惜しかったですね」とお仕着せの言葉で声をかけてくれるかも知れない。
けれども、落選した自分が、また何かをやろうと決意した時はどうだ。再び信頼を得て、今までやってきたようなことを継続することができるのだろうか。
次に何かをやるにしても、その前に片付けなければならない雑事は山のようにある。選挙を手伝ってくれた運動員にお礼を述べて、支持者にお礼を述べて。いや、その前に、結果が決まった時に、この場でどのような敗戦の弁を述べればよいのだろうか。
落選は、前回の選挙でも味わっている。あの時は、みんなの党に請われて出馬した。一種、お客さんのような立場でもよかった。でも、今回は違う。
様々な思惑があるとはいえ、自分に一票を託してくれた人ばかりなのだ。目論見が裏切られた時に、その人たち、今、目の前に座っているオタクの人たちも、どういう目線を向けるだろうか。
ちょっとでも業績が下がれば、手のひらを返したかのように罵詈雑言をぶつけてきた株主のような振る舞いをするのだろうか。壁に貼られた、為書きのかわりの支持者たちのイラストやメッセージも、今は見ているだけで、心が痛くなってくる。
でも、本当はこれで議員生活を終わったりはしたくない。まだまだ、やりたいことは山のようにある。自分なら必ずやり遂げることができるアイデアは尽きることがない。
ビジネスとはまったく違う政治の世界だけれども、自分だからこそできることがある。そして、手応えも感じている。
結果がどうなるのか、今は考えたくもない。ただ、もし出来ることなら、なんとか当選をしたい。新党改革が獲得できたとして1議席……きっと、自分は荒井さんよりも得票できる。
荒井さんを蹴落としてでも、なんとか当選したい。昨日は、我を忘れて感情のままにマイクを通して話してしまったけれども、あれが自分の本心だ。
これまでも、自分の思い描いた夢を実現するために、あれこれと策を講じて成功してきたじゃないか。だから、必ず……今回も上手くいく……。
私の目には、山田はずっと煩悶しているように見えていた。
午後9時45分になり、一部のメディアで新党改革が当選者ゼロを報じた。途端にTwitterには、山田が落選したとツイートする気の早い人々が現れた。
「まだ開票はほとんど開いてませんから。最初から、わかるのは夜中の2時……4時を過ぎてからだと思っていたので」
山田の言葉はなんの安堵も与えなかった。望みが薄いのはわかっている。でも、落胆することも、喜ぶこともできず中途半端なままに過ごさなくてはならない時間は、まだまだ続きそうだった。誰にとっても苦痛な時間だった。
この、どうしようもない雰囲気に耐えられず私はノートパソコンを開いて、ゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』を起動した。気を紛らわそうとしたつもりが、それもまたうわの空で、プレイを誤り大切な艦娘を轟沈させしまった。
ノートパソコンを閉じると、ニコ生はダラダラと続いていた。話は、いっそうわけのわからないものになった。
山田は、隣に座っている坂井が「ももいろクローバーZ」の玉井詩織のファンであるとか、半ばどうでもよいことを話して場を繋いでいた。場を和ませようという気遣いだったのかも知れないが、誰も笑いもしなかった。
とりわけ、多くの支持者が座っているのはパイプ椅子である。2時間も座っていれば、お尻が痛くなってたまらない。だらしなく足を投げ出したり、背伸びをしたり。外に煙草を吸いにいったり、コンビニでお菓子を買ってきたりして、無為な時間を過ごしていた。
午後10時40分になって、山田の妻と娘がやってきた。2人は、支持者に会釈をすると、パーテーションの奥へと入っていった。ただ、それだけでまったく空気感は変わらなかった。どうにか時間をやり過ごそうと、山田のトークは、いつもの早口になっていた。
話していることは、それまで山田が幾度も話していたことばかりで、目新しいことは何もなかった。未来を語ることも、過去を悔やむこともできない時間だった。ニコ生の視聴者数だけは積み上がって、累計2万人を超えようとしていた。
18:繰り返される拍手と緊張と不安の時間
ようやく、状況が変わり始めたのは午後11時を回ってからであった。
NHKで、新党改革の得票率が0.8%になっていることが報じられた。それを見た、山田は少し安心したような顔をして、呟いた。
「意外とうかるなあ……」
次の瞬間、支持者は拍手と歓声に沸いた。それは、山田の当選の可能性が見えてきた喜びというよりは、停滞していた時間が終わりゴールが見え始めたからだった。だから、山田の表情はすぐに硬くなった。
午前0時を回り、ようやく比例区の開票作業が本格的に始まっているようだった。
長らく議員秘書として、いくつもの選挙戦を経験してきた今野は、自身の経験から票が伸びる予感を感じていた。
「日本のこころに追いつけば、なんとかいくんだよな、これが……」
落ち着かないのか、事務所の隅のほうをウロウロとしながら、今野は呟いていた。
状況が変わらないまま、一度、休憩時間になった。集まった人たちは、お互いに持ち寄った食べ物や飲み物を交換して、一息をついた。私が持参したおにぎらずも、意外に人気だった。この雰囲気に、誰もが疲労と空腹を感じていたのだ。
午前0時19分、新党改革の得票率が1%となると、また支持者たちの拍手が湧いた。これからどこまで票が伸びていくのか、期待のまなざしが山田に向けられていた。
「伸びるで、伸びるで……」
事務所の隅で、今野が何度も呟いていた。
そうした期待感は事務所の中だけではなかったのだろう。ニコ生の視聴者数は3万人を越えようとしていた。ここに来て、それまで煩悶としていた山田の表情が切り替わった。一転、精気を得た顔で山田はマイクに向かって語った。
「やるべきことはやった。応援はしてもらったし、結果を待つしかない」
山田には、オタクにまで見放されて、泡沫候補で終わってしまうのではないかという、最悪の結果だけは去っていく予感があった。再び自分にチャンスが巡ってきた空気の変化を、敏感に感じ取っていた。
もしも、ここから票が伸びていけば、どうしようもない敗戦の弁を述べる必要はない。当選……できないとしても、どれだけの票を獲得することができるのか。山田は自分のところに転がり込んできた手札をじっくりと吟味しながら、早くも未来のことを思い描いていた。
「今、開いているのは近畿の票。関東のは全然開いていないですよ……」
午前1時前になり、今野が呟いた。
そこからは、また中途半端な時間に戻ってしまった。大政党の名簿上位から、少しずつ当選者が決まっていた。テレビの選挙特番は、既に締めのトークになっていた。「改憲勢力」が圧勝した中で、今後の政局はどうなっていくのか。コメンテーターを交えた批評が続いていた。
そのまま、午前2時30分。まだ、山田の当落は判然としなかった。
「九州と山陰が開いているみたいだけど、東京と大阪はまだ開いていないな……」
今野は、かなり気分を高揚させていた。これまで、幾つもの選挙戦を体験してきた。それでも、山田が比例区で立候補するというのは、驚きだった。何しろ、なんの団体や組織のバックもないのだから。
選挙の常道では、比例区というのは、組織票がある候補者のためのもの。長く大島九州男の秘書だった今野にとっては、それは常識だった。そこに、徒手空拳で挑もうというのだから、無謀ではないかと思っていた。
その山田が、確実に票を積み上げている。それまでの常識が一変し、自分が今までに見たことがない未知の出来事を、運動の担い手として体験していることに、今野は興奮していた。
19:それでも政治家は美味
確実に票は積み上がっている。どうにも尻のむずかゆい時間。ふと、会場にいた支持者の一人が山田に質問をした。
「もし、落選したらどうしますか?」
率直な質問であった。
「普通の人……民間に戻って仕事をするんじゃないかな……」
「次の選挙は?」
「3年後に、出るかどうかは、わからない……。表現の自由はどうなってるのかも、わからん」
「もう、政治家をやらない?」
「落ちたら政治家は引退……コミケは今後も出ていきたいけど」
支持者たちが、サアッと「どうするんだよ?」といわんばかりの表情になった。深夜の疲労で、誰もがすっかり思考力が落ちていた。ぼうっとした頭で、山田も頭の片隅で考えていたことを、ぽろっと漏らしてしまったのだと思った。
急に、どんよりとした、居心地の悪い空気がに包まれた。そのことに気づいたのか、山田はいった。
「続けるも続けないも……選挙の結果で……」
いまだ、わずかな望みに運命を託しながらも、身体の疲労が緊張感を奪っていた。山田のトークも短く、言葉は乱暴になっていた。
開票率の伸びに反比例して、次第に当選の望みは消えていきつつあった。数時間前の、拍手に彩られた期待も薄れつつあった。
また、隅のほうで今野が呟いていた。
「おおさか維新から出ていればなあ……。最悪でも、日本を元気にする会に戻って、人数を揃えていれば……」
私が、首を縦にふって相づちをうつと、今野は話を続けた。
「あれは、敵前逃亡だったよ……これだけの才能のある人なんだから人も集まる。なんとか、なって欲しかったなあ……」
選挙のベテランとして、今野は早くも当選の望みは去ったと思っているようだった。けれども、秘書としての長い経験ゆえにだろうか、それを微塵も残念なこととは思っていないようだった。
この敗戦によって、すべてが終わるのではない。ここまで、期待させる候補者であれば、また復活する機会はあるはず。そのためにも、どれだけ票が積み上がるのかを見たい。今野は、そう考えていた。
20:票数と共に欲にまみれて
時計の針は午前3時45分を回っていた。気がつけば、山田個人の得票数は10万をはるかに超え、20万に迫ろうとしていた。もちろん、比例区では、それだけの得票をしても当選にはケタが足りない。ところが「政治家を引退する」といっていたはずの山田は、一転して、色気を見せる言葉を呟き始めた。
「20万票いったら一人政党……いや、そういう人なら欲しいという政党がいると思うんだよなあ」
支持者から、声がかかる。
「福島みずほさんを超えてる……」
「福島さん、声がかかるだろうなあ。考えが違うんだよな、考えが」
20万票が近づいた午前4時頃前になると、いよいよ山田は、不安や暗さを拭いさり、何かの期待を感じ取っていた。
「20万超えたら、色気が出てくるよ。落ち武者として生き残るか……」
もはや、当選の見込みはないのはわかっていた。けれども、積み上がる票が、身体を疲労や倦怠感から次第に回復させていた。それは、単に得票数が多かったからではない。自分の考えたネット選挙の手法が完全に図を得ていたからだ。
オタクをメインターゲットにする。そのために、大枚をはたいて借りた秋葉原の事務所。秋葉原を離れたのは、わずかに一日。名古屋と大阪のオタクが集まる街に演説に遠征した時くらい。
それ以外は、秋葉原を拠点に街頭演説。休むことなくリアルタイムでネットで呼びかけ続けた。Twitterで、自身の主張を開陳しニコ生で自分の声をダイレクトに有権者へと届ける。ネガティブな発言をも、危機感に置き換え、宣伝材料として支持者を煽った。
果たして本当に上手くいくのだろうか。それは、大きな博打であった。もしかしたら、ネットのわずかな意見だけでなく、本当にオタクが揃って手のひらを返すのではないかという恐れもあった。
ネットでは勢いがあるとはいえ、実際に事務所を訪れてボランティアに参加したり、演説を聴きに来るのは少数に過ぎない。
……でも、自分の思い通りにチャレンジした選挙の手法は確実に成功していた。落選は確実である。まだやり残したことがあるのに、議員の職を全うすることができないのは辛いことだ。それでも、この得票数を利用すれば、与党でも野党でも下には置かない扱いをするだろう。
惜敗した有力候補。次回は、ぜひウチの党から出馬を……なんて話も来るだろう。それを、どのように利用して、自分の政策に実行力を持たせればよいのか。単なる落選者とは違う立場に、自分がなることはできるのだ。
止まることなく、どんどん積み上がる票の数に、なおも興奮をしていたのは今野だった。
「自動車関係の労組の組織票は超えている。これは、電力関係の組織票に迫っているよ……」
午前4時47分。最新の開票速報は、山田の得票数が20万票を超えたことを報じた。興奮している自分を見せてはならないとばかりに、山田は冷静になろうとしていた。
例え得票数が多くても、もはや落選であることに間違いはない。なればこそ、ちゃんと目を覚まして言葉を選びながら話さなければならない。明日からのためにも……山田はぐっと気持ちを引き締めていた。
「活動を続けたいが、どうしてよいのか、冷静に考えていきたい」
冷静に考えようとしても、増える一方の票の数が、それを邪魔していた。
21:参院選でオタクは怒っていた?
午前5時25分になると、ついに山田の個人得票は23万8,000票になっていた。その数字を見て、山田は自分を抑えきれなくなった。
「23万票って、確かにスゴイよね。コミケの会場近くで演説している時、帰り道を駅へとヴァーッと流れている人たちが、みんな投票してくれたんだ……正直10万ちょっとだと思っていたんだよねえ」
身体を揺らして、どうだとばかりに口を開いてしまった自分に気がついて、山田は姿勢を正して、言葉を続けた。
「票の力を政治の力に繋げられなかったのは、責任を感じます」
既に、事務所の磨りガラスの扉の向こうは、白くなっていた。山田の着ているシャツも、すっかりとくたびれていた。ウトウトとしている姿も混じる支持者たちは、この山田の言葉をどのように受け止めているのだろうかと思った。
これまで、オタク向けの政策をアピールして当選することができた候補者というものは、一人としていなかった。山田もまた、その一人となった。
それでも、この驚異的な得票数は、今までの予め決まった敗北とは違うのではないか。それでも、ここまでやっても勝つことができない現実に絶望をしているのか……。
ふと、荻野が後ろから話しかけてきた。
「オタクの人は怒っているんだよ」
「怒っている?」
「理不尽に扱われているという怒りだよ」
「理不尽に?」
「そう、理不尽に扱われている怒り……」
磨りガラスを通して感じる朝の光に、痛いほど刺激されて、頭がうまく回らなかった。
山田の得票の根源にあるのは、オタクたちの怒りなのだろうか。それは違うのではないか。本当にオタクは怒りを抱えているのか。
長らく「マンガ・アニメの表現の自由」を取材した結果、それには疑問を持っている。マンガやアニメは、これまで幾度も低俗な文化だとか、犯罪の原因となる有害なものだとして批判をされてきた。
そうした発言や報道が出てくるたびに、確かにオタクは怒っているように見える。けれども、いまだかって本当に怒ったオタクが、なんらかの方法で決起したような話は聞かない。
山田のほうを見ると、また山田は陽気に話していた。
「表現規制反対クン……として、ここまで名前が集まるなんて、正直に驚いてるよ」
山田は、怒りの感情を巧みに利用したのではないと思った。現状の、マンガやアニメに人生の希望を見いだしている人たちの、もっと素朴で当たり前の願望を見いだし、そこに訴えかけたのだ。ふと、ずっと前に取材で旅をしている時に遭遇した出来事が頭に浮かんだ。
それは、長野県の鹿教湯温泉へと向かう道中。私は、上田駅近くにある食堂・中村屋で、名物の馬肉うどんを啜っている時のことだった。
隣の席で、傍目から長い付き合いだとわかる2人の老人が。世間話をしていた。話題が、最近の政治になった時に片方の老人が、こんなことをいった。
「この美味しい中村屋の馬肉うどんが、ずっと美味しく食べられるような世の中じゃないといけないんだよ」
「ああ、そうだよな。本当にそうだよ」
どんな人生を送ってきたのだろう。互いに気心が知れた中に見える2人の老人は、なぜか感慨深げに、何度もうなずき続けていた。
多くのオタクが山田に票を投じた理由。それは、山田がオタクに取っての馬肉うどんが、美味しく食べられる今の世の中を、ずっと続けようと呼びかけていたからにほかならない。
それも、自身もその美味しさを十分に知った上で。山田は、その一点でオタクたちの心を掴むことに賭けて、成功していたのだ。
22:次の一手を目論む計算高い敗北宣言
午前6時。すっかり夜は明けていた。
山田は居住まいを正して、ついに敗北宣言を決意した。少し伏し目がちになり、山田は淡々と話した。選挙対策が遅れたことの反省。20万を超える得票を得ても勝てなかったことの悔しさ。
敗北宣言という外題に合わせて、山田は残念な気持ちを滲ませていた。けれども、その腹の内では、既に次にやることを考えているように見えた。
……民間に戻ることもやめて、政治家を引退することもやめて、まだまだ、この分野にコミットメントしていこう。まずは、片付けや引越を終わらせてから、すぐに動きだそう。そう思うと、どんどんとアイデアが湧いてくるじゃないか。
次に向かっていくべき目標が、漠然と見えていた。だからこそ、今は、敗北を認めてお礼をいうのが、当たり前のことである。
「どんなに数字を稼いでも……しかし、みなさんの表現の自由を守るという声は伝えていかなくてはならない」
そう。だったら、この熱が冷めないうちに動き出さなくては。貯金まではたいて、残念がっている時間なんてないのだ。
「一両日中に、どうやって続けるか冷静に考えていきたい」
身体の内部からにじみ出る、新たなステージへと早く歩みを進めたいという思いが、身体に情熱を持たせていた。だから、立つ鳥跡を濁さず。この場をきちんと閉めよう。色んな思いの交錯する言葉を連ねた最後を、山田はこう締めくくった。
「政治家ぶってやるんじゃなくて、楽しくやりたかったな……」
北海道から沖縄まで、全国合わせて29万1,188票。それが、山田に託されたすべてであった。
23:泡沫候補から一転して
約29万票を得ての落選。
これは、今までにあり得ない出来事であった。山田の得票数は、比例区で当選した民進党の小林正夫の約27万票、社民党の福島瑞穂の約25万票よりも多い。比例区では13番目の個人得票数であった。
けれども、比例代表制のルールでは、所属した政党名と候補者名の総得票数で議席の数が決まる。確かに山田の得票数は多かったけれども、新党改革全体の得票数は約58万票。
かろうじて青木愛の一人だけを当選させることができた「生活の党と山本太郎となかまたち」で、得票数は約106万票。その半分にも満たなかったのである。
落選はしたものの山田は突如注目される存在となった。消滅が確実だった泡沫政党の泡沫候補が、個人で29万票を獲得した。それもネットを駆使して支持を集めたという目新しさが評判になったのだ。
ここにきて、山田を見る目は無名の泡沫候補から、健闘した無名の候補へと変わった。無名の人物が、目新しいことをやり遂げた時に、叩かれることはない。与えられるのは、賞讃だけである。
参院選前、山田の知名度は極めて低かった。一般メディアにその名前が報じられたのは、維新に入党し、わずか2日で離党した椿事が記事になった時くらいである。そんな山田に対する世間の扱いは、文字通り手のひらを返したかのようなものだった。
ネットを駆使したドブ板選挙で「ネットの人々は票にならない」というジンクスを覆した男。そのノウハウを知ろうと、与野党はもちろん有象無象の山田詣が始まった。
参院選直後の7月31日に投開票が行われた都知事選でも山田にネット戦略の教えを請いに来た陣営もあったという。11月には自分の選挙戦略をまとめた『ネットには神様がいる』(日経BP社)も出版した。
そうした揉み手でやってくる人々を、山田は上手に転がしていた。
それよりも、29万票という具体的な数字が、まだ熱を持っているうちに足場を固めようと急いだのだ。選挙が終わって、ひと月も経たない8月には目黒駅近くに事務所を借りて「株式会社ニューカルチャーラボ」を設立した。
この会社を使って「若者の消費動向や行動様式について、分析し、その結果に基づいて、政府や企業などに働きかけるビジネスを行うつもり」だと、山田は説明した。
それと同時に表現の自由を守る党を表現の自由を守る会として存続させつつ、その有料版ともいえるオンラインサロン「山田太郎の僕たちのニューカルチャー」を開設した。
月額1,000円以上でメルマガの購読やオフ会などを実施する、いわば山田の後援会的である。月額の会員料金は1,000~1万円まで。この原稿を書いている時点で、会員数は382人。
全員が月額1,000円を支払っているとして、月の収入は38万2,000円。何割かは管理会社の収入になるだろうから、政治活動の財源とするには、心許ない。いったいこれで活動を継続していくことができるのか。
そう思っていたら、年が明けた2月には、新たに設立された「日本唯一のロボット開発設計会社」をうたう「ロボコム株式会社」の取締役に就任した。
自分の名前がもっとも説得力を持つ分野で、資金面での足場を固めつつ「マンガ・アニメの表現の自由」を守る活動を継続していく山田の構想は、参院選から一年を経てほぼ固まったのだろう。
こうした山田の、ともすれば抜け目がないともいえる姿を見て、彼の本質は実業家なのだと思った。実業家にとって、まず大事なのは商品やサービスを買ってくれる顧客である。
自分の取り扱う商品やサービスを使ってくれるのであれば、その人物がどんな政治信条や宗教を信仰しているかなどは関係がない。
まずは、自分が勧めるものを扱ってくれるかどうかが問題なのだ。だから、山田はいかに自分とは考えが異なる政党や政治家であっても、平気で繋がりを持つ。
そこで、自分の政策を取り入れてくれるかどうかが、重要なのだ。通例、政治の世界に足を踏み入れるものは、明確なあるべき未来を考え、一旦旗を立てたら動かないことが理想とされている。
でも、山田は参議院議員のバッヂをつけていた時から、常に政治家ではなく山田太郎なのだった。実業家である山田には、理念はあるけれども理想はない。では、山田の理念はなんなのだろう。それは、青年期に思い描いた「世の中を自分の思うように変えたい」という意志を実現することなのだと思う。
だから、様々な問題に直面するために、自分の考える最適な解決策を提示し、それを実現するために動く。傍から見れば、各陣営の旗色を伺って右往左往する蝙蝠のようだと唾棄されるかもしれない。けれども、実業家がたまたま政治の世界に足を踏み入れたのだと考えれば、なんら間違っていることはしていない。
その山田にとって、支持者、中でも大半を占めるであろうオタクもまた、一般的な政治家が考える支持者とは別のものに見えているのだと思う。山田にとって支持者とは、自分が政治という「事業」を行うにあたって募った社員のようなものである。
これまで、多くの会社経営者にも取材をしてきたが、会社を立ち上げて成功するにあたって、もっとも欠かせないのは社員を動かす能力である。頭脳は明晰、アイデアも人脈もある。そして、カリスマ性もある。そんな人物が社長の企業でも、決してうまくいくとは限らない。なぜなら、1日の時間は人類に等しく24時間だけ。その中で、一人ができることは限られている。
だから、社員を雇い仕事を上手く分担して、初めて会社は回る。いくら、社長が優秀な人物でも常にオフィスが殺伐としていたり、商売が上手く回っているとは思えない会社も、いくつも見た。そうした会社の社長の共通項はひとつ。社長が優秀な自分と同じようにできない社員を見下して「なんで、俺ができるのに、お前はできないんだ」と、始終怒っている。
できないなら、できないなりに、上手くおだてて、こなせる仕事を与えて、やっと会社は回り出す。
そこまでして、毎月の給料を支払っても、なお社員が社長を尊敬したりはしない。同僚だけになれば、自然と上の立場の者への批判や愚痴は出るものである。そんなのが当たり前の世間に生きていたからこそ、山田は、移ろいやすい支持者たちにも腹を立てない。
不安になりそうな支持者の顔ぶれをみても、Twitterでの拡散など、できないなりに仕事を与え、最終的に自身の利益へと結びつけているのだ。耐えず続く、自分の選択が本当に上手くいくかどうかの不安も、自分の理念への自信と同道する実業家の宿命なのだ。
24:29万票の金利を新たな投資へ
では、都議選を前にした署名の数に、山田は何を考えたのか。参院選に続き、再びオタクの移ろいやすさに直面し、不安な気持ちに苛まれたのだろうか。
山田は、署名の数字に動揺するのではなく、もはや29万票の金利が終わったことを直感し、すぐに新たな経営戦略を模索していたのだ。
都議選も終盤にさしかかった6月29日の木曜日の夜。坂井から電話がかかってきた。
「土曜日なんですけどね。自民党が秋葉原で選対本部長の古屋圭司衆議院議員に、ビッグサイト会場問題や表現の自由について演説するんですよ」
「へえ……」
「山田が手はずを整えてね。取材に来てくれませんか?」
「いや、私、土曜日は甲府の友人に会いに行くんですよ」
「え、都議選が佳境なのに?」
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「私、都議選には興味ないのです」
すると電話の向こうでガサゴソと音がして、坂井がいった。
「あ、ちょっと山田にかわりますので」
すぐに電話の向こうから、自信たっぷりで機嫌よさそうなしっかりとした声がした。
「ああ、山田です」
この人は根っからの実業家なのだな。私は心の中で呟いた。
山田はひとりでしゃべり続けた。それは、自慢でもなく企業のトップが、自社の優れた事業を売り込んでいるいるかのような、ウイットのある語り口であった。
その言葉には、一点も迷いがなかった。また一つ勝ちを拾ったことで自信に満ちているように聞こえた。
「私がね。古屋さんに演説してもらう内容のメモをつくってるんです」
山田の声には、多くのメディアが取り上げるようになった、東京オリンピック時の東京ビッグサイトの会場問題。さらには「MANGA議連」の会長であり、与党の重鎮である古屋に「マンガ・アニメの表現の自由」の言質を取る機会に恵まれた高揚感があった。
土曜日。甲府で久しぶりに出会った友人と、食事を共にしていると坂井から、その演説の動画が送られてきた。帰り道の客もまばらな、夜の特急あずさの車内で動画を再生した。スマホで撮影したらしくグラグラと揺れ続ける画像の中で、古屋はゲーム・アニメ・マンガをこよなく愛するオタクに向けて、二つの約束を叫んでいた。
オリンピックに向けて、国が新しいナショナルMANGAセンターを設立すること。そして、東京ビッグサイトの会場問題を必要最低限にすること。「表現の自由」という言葉は、最後まで一度も出なかった。
しばらく頭を抱え、すぐにどっかりと椅子に座って次の戦略を考え始める山田の姿が浮かんだ。
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