やりたいようにやりなさい。
東京在住の女性M様から「月に一回は車を運転したいと思っているのだけど、運転できていない。一緒に伊豆に行きませんか?」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。M様は「わさびソフトを食べた後に、綺麗なビーチで泳ぎたい」と言った。車をレンタルして、修善寺で飲泉して湯ヶ島に向かった。念願のわさびソフトを食べたが、思っていたよりも美味しくなくて、なんだか微妙な空気になった。私は「帰ろう」と言った。
正確には「この辺の気は重いから内臓が潰れそうになる。沼津まで抜けて海鮮を食べよう」と言った。M様も同じことを思っていたみたいで、我々は伊豆を離れた。不思議なことに、逆走を開始した途端に元気になった。M様は「感動している」と言った。一度決めたことはやり抜くことがよしとされている日本社会で、この踵の返し方はあっぱれであると言った。私は「伊豆を終わらせるために来たのかもしれませんね」と言った。M様は「昔の彼氏と来たことがあるのだけど、昔の彼氏は忍耐の男で、内臓を悪くしていた」と言った。
沼津の有名な家具屋に行ったら「サステナブル」と書かれてあった。サステナブルじゃなくていいよ。好きなようにやりなよ。君で終わっていいんだよ。君が墓場だ。家具屋の近くの海鮮丼屋に寄り、海鮮丼屋の近くの海岸で泳いだ。伊豆を離れてから、あらゆることがスムーズに流れた。スムーズじゃないと気持ちが悪い。違うなと思ったら踵を返す。気持ち悪いことを続けない。スムーズであることが大事だと言ったら、M様は「私はわかめみたいな女なので、流されるままに生きている」と言った。それはそれで可愛いなと思った。
車内では前言撤回の重要性を語り合った。前言撤回が許される関係性はヘルシーで、スムーズだ。違うなと思ったら「違った」と言って、別案を出す。間違ったことにこだわったり、間違ったことを認めないで面白がろうとすると、苦しくなる。あらゆることを面白がれる能力は貴重だが、本当に面白いことは、無理をしないでも面白がれる。無理をしてまで面白がらなくてもいい。違うなと思ったら踵を返す。貫かない。投げ出す。前言撤回を歓迎する。どんどんはじめて、どんどんやめる。あの時はああ言っていたじゃないかと言われたら「あの時は本当にそう思っていたんだよ」で解決。前言撤回は悪ではない。純粋な善。怒られた時は「ごめんね素直で」で粉砕。素直が一番。
熱海に戻り、温泉に入り、車を返し、家に帰り、スイカを食べ、スイカの皮を塩漬けにして、コーラを買って、ミントを摘み、ロンサカパで割り、スイカの皮の塩漬けと食べた。生き方に正解はないのだから、生き方に間違いもない。正しいお酒の飲み方なんてないし、正しい休日の過ごし方なんてものもない。これくらいできなきゃ恥ずかしいとか、これくらい知らなきゃ恥ずかしいとか、ない。食べたいと思うのはおいしいから。生きたいと思うのはたのしいから。役に立つとか、体にいいとか、誰かのためになるとか、それはそれで素晴らしいことだとは思うけど、役に立たなくてもいいよ。体によくなくてもいいよ。誰かのためにならなくてもいいよ。君で終わってもいいんだよ。君が墓場だ。自分の好きなようにやりなよ。どこまでも自由に、やりたいようにやりなさい。
おおまかな予定
7月6日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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