10-16 憐れむべき悪魔の末路
寄生魔王は寄生成功を直感した。
体を入れ替えた直後は、新しい体に慣れていないため全身が痺れに襲われる。妙な体勢で眠ってしまった朝のようなものだ。まどろみも深い。酷い目脂がこびり付いているように視覚は機能しない。
これほど新鮮で、心地良い目覚めが待っているのだから寄生は止められない。寄生魔王はそうほくそ笑む。
とはいえ、いつまでも眠っている訳にはいかない。寄生魔王は汚らしい産声を上げようと口を動かす。
……動かす。
…………動かす。
……………動くが、声を出せない。
手腕ゴーレムに口元を押さえられているから、そんなちゃちな真相ではないだろう。手腕ゴーレムは前の体の『魔』で動いていた。体の死亡により土に戻っているはずである。
それに拘束されているのであれば、四対の歩脚が自由に動くのはおかしい。
疑問符さえも口にできない状態に寄生魔王は陥っていたが、突如、体が大きく揺さぶられた。
胃酸のような甘辛い刺激臭が足下から広がる。
唾液のような粘液が体中にまとわり付く。
訳も分からないまま濁流に飲まれて、寄生魔王は押し流されていく。いや、排出されていく。
そうして見えてきたのは光だ。視覚は未だに機能していないものの、明暗の違いぐらいは分かるらしい。
浮遊感に包まれて自由落下。一秒もかからず下腹を衝撃が襲う。
寄生魔王の混乱は深まる。己がどうしてこんな仕打ちを受けているのか分からない。
何百回と寄生を繰り返してきた歴史の中で、このような事態は初めてであった。『憐れむ歌』のスキルによりアニッシュの体へと寄生したというのに、未だに体を掌握できていない。苛立ちが募る。
まさかスキルに失敗したのでは。と不安が過ぎるが寄生魔王は否定する。
寄生魔王は確かに寄生したのだ。耳元で囁ける距離にいた少年をターゲットにしてスキルを発動した。そこは間違いない。スキルは正常発動し、新しい体へと魂は寄生を果たした。
であればこそ、やはり現状を把握できない。
「けふぉ……、寄生魔王。お前は余達の策に嵌まったのだ」
少年の声が頭上より響いた。大きな影も全身を降り注ぐ。
「寄生魔王。自分の体を見てみるが良い」
寄生魔王は言われるままに体へと視線を向けるが、うまく認識できない。
きっと複眼に慣れていないからだろう。太くて、節があって、人間族らしくない不気味な腕が目に映り込んでしまっている。虫のような腕に見えてしまっていて、奇妙なものである。
「お前が寄生したのは余ではないぞ!」
奇妙といえば……先程から寄生魔王に語りかけている少年の声質はアニッシュのものに酷似している。
アニッシュへと寄生した寄生魔王に語りかけてくるアニッシュは、いったい何者なのだろうか。
「お前が寄生したのは、余に寄生していた人類寄生ダニだ!!」
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●寄生魔王(人類寄生ダニ)
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“●レベル:1”
“ステータス詳細
●力:0 ●守:0 ●速:0
●魔:0
●運:0”
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戦闘を開始する前、カルテに下山を命じられた直後の事だ。
「そういえば、アイサ。寄生魔王のスキルは人類限定だったのか?」
「僕が鑑定した限り、そんなスキル説明はなかったよ。何か気になるの??」
「人類限定なんてニッチなスキルを持つ奴が、魔界でサバイバルできていたとは思えない。魔族や、下手したら小動物にも寄生できる可能性が高いと思わないか」
寄生魔王を攻略する事と寄生スキルを攻略する事はほぼイコールの関係にあったが、凶鳥がさっそく攻略難度を跳ね上げたため話し合いは難航した。どんな生物にも寄生可能な魔王を滅ぼそうとするのであれば、ナキナは豊か過ぎるのである。
人払いをするだけでは不十分。生物が一切生息していない土地に寄生魔王を誘い込んでから討伐しないと、楽々逃げられてしまう。
最適なフィールドは、生物の存在しない極寒の土地や瘴気に覆われた生存不能の土地。ただし、どちらも王都の近郊には存在しない。
「山の動物すべてを根絶やしにするのも現実的ではないし、弱ったな」
限られた時間では凶鳥も妙案が浮かばないらしく、仮面では隠せない焦りが高まる。
そんな澱んだ空気を一掃したのは、アニッシュだ。凶鳥、アイサ、月桂花と個性的なメンバーが揃う中で、アニッシュのみが寄生魔王を滅ぼす策に至る。
「寄生魔王が人間族以外にも寄生できるというのであれば……それを逆手に取り、脆弱な生物に寄生させて捕らえてしまう手段はどうだ?」
寄生魔王に最も苦しめられているアニッシュが妙案を思い付くのは当然と言えた。
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“職業更新詳細
●勇者《勇敢なる者》(Dランク)”
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“『知恵比べ』、相手の裏を突く者のスキル。
相手の思考を逆手に取り易くなる。曖昧な効果しか発揮できないが、あると便利”
“実績達成条件。
勇者《勇敢なる者》職のDランクに相応しくなる”
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アニッシュは喉から吐き出したダニ虫を見下ろしている。憎くて恐ろしい魔王を封じ込んだダニ虫に怒りを向けている。
「これまでの報いであるぞ、寄生魔王ッ」
ダニ虫は何本もある脚部や顎を動かしているが、歩行さえ難しいようで転がったままだ。発音器官のない虫の気持ちなど分からない。ただ、赤い眼は動揺しているのかキョロキョロ動いている。
寄生魔王は未だに状況を掴めていないのだろう。寄生魔王がアニッシュに寄生するよりも先に、人類寄生ダニがアニッシュに寄生していた事実に気付かなければ無理もない。
そんなに難しい話ではない。寄生魔王がアニッシュだと信じて寄生した者の正体は、喉奥に隠れていてアニッシュを操作していた人類寄生ダニだった。それだけの話である。
「人類以外にも寄生できる事が仇となったのだ。その何もできない体に、お前を幽閉する。永遠に逃しはしない」
アニッシュが人類寄生ダニを喉に押し込んだのは、寄生魔王を発見した直後だった。
寄生魔王に対して「きたか」と失言した時にはもう寄生が完了していた。普段のアニッシュとは雰囲気が異なる事を悟らせないためにあえて失言し、その後の言葉数を自然に減らす。そこから策は始まっていた。
ちなみに人類寄生ダニの提出元は、凶鳥である。
カルテが捕らえて尋問の上、お手製の殺虫剤に浸されて、最後に串刺しとなった人類寄生ダニ。気まぐれで回収していた屍骸を『動け死体』で動かしていたのだ。
もちろん、アニッシュにダニ虫の屍骸を飲み込む嫌悪感はあっただろう。寄生スキルのターゲッティングを誤らせるためとはいえ、あらかじめ虫を寄生させる。不安感は大きかったに違いない。だが、アニッシュは己の身が最も囮として効果があると主張し、勇気をもって実行した。
これがアニッシュの計略のすべて。
結果、寄生魔王は地面の上で無様にもがいている。
「寄生魔王。お前はもう終わったのだ」
人類寄生ダニは、単身では図体のでかいダニに過ぎない。ステータスは最弱と謳われるゴブリンを下回る。
ダニ虫の体から逃れるために自殺を図りたいところだろうが、虫には呪文詠唱のための声帯が存在しない。『呪文一節』スキルは宝の持ち腐れとなる。
ちまちまと体を動かして崖から投身する手段もあるが、『耐物理』に守られる体にどれ程のダメージがあるだろうか。
最も単純な自殺方法は絶食だろう。ただし、屍となったダニ虫に餓死の概念は存在しない。
「もう一度言ってやる。お前は、もう終わったのだ!!」
残酷に詰みを宣言された寄生魔王であったが……諦観は見受けられない。
他種族に寄生しなければならない生き恥を晒してまで生き延びた真性悪魔が、たった十五年しか生きていない少年に滅ぼされる。そんな馬鹿な話はありえない。ダニ虫の体を動かしてアニッシュの足元から遠ざかろうと努力を続ける。
一見、詰みとしか思えない状況でも何らかの手段は残されている。諦めなければ道はある。
諦めた途端に道は閉ざされてしまう。
諦めて得られるものはただ一つ、死だ。
“――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ! 生きたい”
生きたい。身勝手に生き続けたい。
右の前脚を動かして数ミリ逃げる。生きたい。
左の前脚を動かして数ミリ逃げる。生きたい。
“――ワタシは生き続けたい”
右の後脚を動かして数ミリ逃げる。生きたい。
左の後脚を動かして数ミリ逃げる。生きたい。
“他生物を踏みにじって生き続けたい。ワタシだけが生き残れば良い。永く、永く永く永く。永遠に生き続けたい。ワタシが生きる以上に、価値ある何かは存在しないッ”
魔王職スキルの『領土宣言』の翻訳機能で醜い意思を垂れ流しつつ、寄生魔王は生存への逃避行を続行する。
どこまで落ちぶれたとしても魔王であり真性悪魔だ。絶対的に不利な状況からでも脱出するだけの生存能力が備わっている。アニッシュが完璧な詰みを宣言したとしても、まだ何か足りない。そう思わせるに足る化物だからこそ、魔王であり真性悪魔なのだ。
歩き続けて藪に紛れよう。
息を潜めて羞恥に耐えよう。
どうにか魔力を得て、魔法を唱えて新しい体へと寄生し直す。
“――ワタシは生き続けたいッ!!”
――けれども、やはり寄生魔王は詰んでいた。
因果応報の理からは、魔王だろうと真性悪魔だろうと逃れられない。誰からを犠牲にしたのであれば、その誰かから祟られる。どこの世界でも通用する真理である。
気が付けば……女の死体が、醜い魂の詰まったダニ虫を握り締めていた。
“――ッ?! お、お前は!”
毒死したはずのスズナの死体が動いていた。まだ新鮮な死体なので、目や口から血を流しているが生気は一切感じられない。無表情で機械のように寄生魔王を持ち上げる。
「……ま、マ、魔王。オ前は……連レて行ク」
“よっ、止せッ?!!”
森の影が広がって黒一色の空間が生じる。黒い空間は水で満たされているようで、川辺のように水が寄せては引いていた。
スズナの死体は後ろ歩きに進んでいき、黒い空間へと踏み込んでいく。一歩後退するごとに深度が深まり、体を沈めていく。
“嫌だッ! ワタシは生きる! 誰よりも生きてやる!”
「…………み、ミ、皆ガ、オ前を歓迎シている」
寄生魔王を連れ去る役目はスズナだけでも達成できただろう。が、黒い水の底の住人達に我慢強さはない。次々と黒い腕を伸ばして、寄生魔王を大事に包んでいく。
やせ細った腕は、スズナの前に寄生されていた麗しい女性の腕だ。
年老いた腕は、国を乗っ取られて無茶苦茶にされた王様の腕だ。
たくましい腕は、寄生されてしまった勇者の腕だ。
普段の黒い腕であればダニ虫の体を引き千切っていただろうが、被害者達はそんな愚を犯さない。彼等彼女等は寄生魔王の望みを答えてやるため、永遠に黒い世界でダニ虫を飼い続ける。
“嫌だアァアァァッ!! 絶対に嫌だァアアアアアアアアアアぁ――――”
望みが叶って絶叫する魔王の言葉は水面に飲み込まれて聞こえなくなった。黒い腕達も沈んでいく。
薄気味悪さしかない光景で、憎らしい相手の最後とはいえ感動できるものではない。
しかし、何を思ったのかアニッシュは涙を滲ませながら叫ぶ。
「スズナ……余は、余はッ! そなたを助けられなかった。そなたの想いに答えられなかった。すまぬッ!!」
「………………好いております。いつまでも好いております。ですから若様はもっとお年を召してから、お越しください」
アニッシュが見守る中、一瞬だけ生前の表情に戻ったスズナも黒い空間へと水没した。
寄生魔王が現世より消失すると共に、ナキナ王都の危機は回避された。
山の中腹で巨人と激戦を繰り広げていたドラゴンは、誰かに呼び戻されるように空へと飛び去っていった。王都を襲撃したすべての脅威が消えた事によりナキナは救われたのである。
人々は安堵の表情を浮かべるが……本当にすべての脅威が取り払われたのだろうか。
現世にて、力の代償に苦しむ男は予言する。
「今回の戦いで痛感したな。現世の悲劇を葬るためには、現世を隠世と化すしかな……い……?? クソッ。俺何を言っている。仮面を、仮面を付けろよ、俺! どうした、さっさと付けろよ、俺ッ!!」
隠世にて、憐れむべき魂も予言する。
“人間族共! これは報いだ!! 寄生魔王に飼われていれば姿形だけは保たれていたはずのお前達の尊厳は、醜い姿へと変質する! 気を付けるのだなっ! 盟友、怨嗟魔王の計略はワタシなどよりも極まっているぞ! あはっ、あはははははっ!!”