10-14 戦略的撤退
両肩を抉られた巨人が前のめりになっていく。
だが、転倒は許されない。肩を抉る猛禽類染みた鉤爪に牽引され、引きずられていった。巻き込まれないように慌てて跳び退く。
暴風を伴い、左右に広げられた翼の影が過ぎ去っていく。
巨人を掴むものの正体もまた巨大。全長四十メートル、翼全開で横幅七十メートルに達するドラゴンが巨人に襲いかかっているのだ。
ドラゴンの獰猛な鳴声は高周波。
痛みに叫び上げる巨人の咆哮は低周波。
鼓膜が破れてしまいそうである。
「キャアアアアアアアアァァァァアァッ!!」
「オオオオオオオオオオォォォォオォッ!!」
巨人は頭上のドラゴンを破格の『力』で殴り付けた。
ドラゴンは殴られる寸前に巨人をリリースして、上空へと飛び去る。拳が決まれば一発KOも考えられたが、鱗を数枚、剥いだに過ぎない。
「キャアアアアアアァァァッ!!」
暗雲ギリギリの高度で、ドラゴンは大きく牙だらけの口を開く。と、真っ黒い粒子が収束していく。
一度口を閉じて嘔吐するように喉を動かして、暗黒色のブレスを発射した。
吐息。ドラゴンの口から放たれたのだからブレスに間違いない。
ただ、吐息はあまりにも強力だ。黒い熱線としか思えないものが大地を裂く。傷付いた大地から鮮血のようなマグマが飛び散る。遠くからでも分かる程に長くて深い一筋が山に書き込まれた。
「異世界くんだりまできて光学兵器見せられる事になるか! オーク巨人はまだ動くか?」
「オオオオオッ!!」
「直撃しているが、動くか。勝手に動かなくなっても許さなかったが」
寄生魔王の魔法攻撃に対して無敵だった巨人の体にも、熱線が刻まれている。新手のドラゴンのパラメーターは寄生魔王を上回っているのだろう。
それでも致命傷には遠い。巨人は逆襲のために、大きく地面を踏み込んで空へと跳躍した。ドラゴンの片脚へと手を届かせると、握力で固定して地面へと叩き付ける。
ドラゴンの血が開花した花のように広がる。
赤い鮮血……にしては妙に汚らしい色合いで、ヘドロのような臭い。ゾンビが流す腐った血と同じだ。
「……ドラゴンゾンビ。寄生魔王、お前の眷族はダニ虫だったはずだ?」
「あはっ、アレは……ただの借り物よ。使うつもりはなかったのだけれど……今日は流石に……疲れたわ」
悪霊を操る俺に対してドラゴンゾンビを投入してくるとは、当て付けにも程がある。
目を凝らせば、ドラゴンの外見は確かに腐っている。色合いも酸化しており、翼もボロボロだ。首元は抜糸もされていない手術跡があり、このドラゴンゾンビの死因と思われた。
地面に落下したドラゴンゾンビは、マウントポジションにいた巨人により肩口を殴られる。肉片と膿が周囲に飛び散り、俺の頬にも少しかかる。刺激臭が香ばしい。
このまま巨人による殴殺ショーが始まるかに思えたが、ドラゴンゾンビは凶暴だ。飛び散った分の肉を回収しようと巨人の胸元へと顔を突っ込ます。そのまま啄みながら鼻先を巨人の体内へと埋めていき、マイナス距離からブレスを発射する。
熱線はタフな体を貫通。背後の山肌を熱して融解させていく。
巨人がよろめいた隙に、ドラゴンゾンビは地面から脱出を果たした。
「翼竜魔王からの借り物……そこの……正体不明を食い殺しなさい」
濁った竜の目が俺を見詰めてきた。
正確には俺の顔を見てきた気がしたが、ゾンビの目線を察するのは困難だ。
「アアぁ? アアアアアアアアァァァァアァッ!!」
俺のどこがそんなに美味そうに見えたのか。長い首をクレーンのように伸ばしてくるから、悲鳴のような鳴声がドップラーしながら接近してくる。特に避けようとしていないので、もう少ししたら喰われてしまう。
「オーク巨人。何を痛がっている? 誰が休んで良いと許可した」
喰われる前に、巨人にドラゴンを体当たりさせた。二体は絡まりながら坂を転げ落ちていく。
「巨大同士の戦いは五分五分といったところか。さて、困ったな。これでは寄生魔王にあてがう戦力が足りない。追い込まれたか」
「……あはっ……見え透いた、事を」
呼び寄せた子同士の戦闘が互角であるのなら、親同士の戦闘で決着を付けるしかないだろう。
だが、寄生魔王は既に、死にかけている。
「寄生魔王、過呼吸が終わって呼吸が止まりかけているぞ。チアノーゼも酷い。毒が全身に回って、そろそろ死ぬのか。それはマズい。俺が寄生されてしまう」
「…………あはっ……冗談。そんな恐ろしい真似しない、わッ」
寄生魔王は老人が杖を付くように体を曲げているのに、素早いステップで後退していく。スズナの体だからこその速度だ。急速に俺から離れていく。
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“『憐れむ歌(強制)』、体を失った真性悪魔を憐れむスキル。
寄生した体が死亡した場合、別の生物に寄生できる。
ただし、百秒以内に寄生できなかった場合、本スキル所持者は完全に死亡する”
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寄生魔王の寄生スキルは己の死亡によって発動する。強制発動型だ。誰にでも寄生できる理不尽能力である反面、死亡してから百秒以内に寄生できなければ死亡が確定する。
よって、目前に俺という寄生先がいながら逃げていくなど不思議だ。
まあ、黒い海と直結しているような俺に寄生して無事でいられるはずがないのだが。黒と混じれば黒くなるのは道理だ。
かつて、愚かにも俺の体を乗っ取ろうとした奴がいたような気がするが、愚か者の末路はいつも悲惨である。もっとも、そんな罠が仕掛けられている事など寄生魔王が知るはずもない。
「正体不明を選ぶ愚……それを狙っていたのでしょうが……お生憎様」
いや、寄生魔王は賢明にも俺を避けるつもりだ。少し異質な手の内を見せ過ぎたか。
ここで逃がさなければ俺達の勝ち確定なので、当然、ナイフ片手に寄生魔王を追いかける。
「――陽炎壁。あはっ、次出遭ったら殺してあげるわ」
寄生魔王との間に靄がかかった。瞬きしても視界は改善されず、むしろ悪化して魔王の姿を見失う。
月桂花が使う幻惑魔法と同系統のものを使われてしまったのか。寄生により生き長らえる魔王はしぶとい。本気で逃げに転じたのであれば、追い付くのは困難を極める。
それに、道を塞ぐ邪魔者は幻惑魔法だけではない。
「アァァァァアァッ!!」
黒い熱線が視界を走る。
「おい、オーク巨人何をしている」
熱線の元へと振り向くと、ドラゴンゾンビにマウントされている巨人が見えた。手首から左手を吹き飛ばされて呻いている。
同じぐらいに巨大だから対等だと思っていたがドラゴンとオークである。オークが劣勢に陥るのは仕方がない。
追加で悪霊を呼びたいところであるが、依り代にする肉の在庫がなかった。実のところ、俺もかなり限界なのだ。
「ゾンビ肉でも足しにはなる。先にコイツを狩るか」
寄生魔王の追撃を諦めて、ドラゴンゾンビと向き合う。
作戦通り、寄生魔王の抹殺は任せてしまおう。
朦朧とする体で針の森をかき分ける。
寄生魔王は代用品の体を探して疾走しながら、肉食獣のように獲物の臭いを辿っていた。
危険な容態だった。気力が尽きた途端に昏睡してしまいそうだ。死へのカウントダウンが始まってしまう。千年単位、下手をすれば万単位を生きる真性悪魔だからこそ魂が凍り付く程に恐ろしい百秒間が始まってしまうのである。
とはいえ、顔のない正体不明はイレギュラー過ぎて選べなかった。正体不明は寄生される事を狙って一対一で戦っていたとしか思えない。大き過ぎて喰い付けない釣り針だ。
しかし、他に誰か森に残っているかというと……いる。
いや、いた。
「――あはっ、若様」
やや開けた場所で、寄生魔王は次の体を発見した。